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博多―直江津編

博多港

博多港

博多港

 若松から折尾に出て、鹿児島本線を使って福岡に出るつもりだったが、列車の接続がうまくできなかったので、福北ゆたか線を使い、直方、飯塚経由で福岡に出た。下校時と重なり、高校生がたくさん乗ってくる。体力を使い果たした私は、車窓に広がる九州の田園風景を眺めていた。

 福岡(博多)という街は、私のこれまでの旅では何故か旅の後半に登場する街となっている。しかし旅の後半に差しかかり、疲労が溜まって来てからの大都会はしんどい。大勢の人の姿を見るだけで、ググッと疲労を感じてしまうものだ。街の見物を兼ねつつ、徒歩で中央埠頭に向かうことにする。福岡は浜風が吹き渡り、相変わらず爽やかだ。街も活気があると言いたいが、よく見ると「テナント募集中」の空きビルが結構ある。不景気なのは、日本国中どこもやっぱり同じらしい。そう思うと、より一層、疲労を感じてしまった。

博多港国際ターミナル

博多港国際ターミナル

 直江津・室蘭行きの九越フェリーは以前、箱崎埠頭を使用していたが、現在は中央埠頭に移転している。しかし、その中央埠頭に行くのは今回が初めてだった。「ベイサイドプレイス博多埠頭」辺りで夕食を摂れば良いだろうと考えていたのが甘かった。実は中央埠頭からは結構な距離があるのだ。しかもすっかり日が暮れてしまうと、辺りは想像以上に暗かった。そこで何とかなるだろうと「博多港国際ターミナル」に寄った(1993年4月竣工、総工費80億円)。外航フェリーのパンフレットの収集という目的もあったのだが、飲食店はすべて営業を終了しており、僅かに3階にある「ハーバービレッジ」というレストランだけが営業していた。食事のために街に戻る体力はなく、ここでコース料理を食べた。予想外の出費となったが、味は悪くなかった。

博多港国際ターミナル

博多港国際ターミナル

 2002年にサッカーのワールドカップを韓国と日本が共同開催したこともあって、韓国航路はブームとなっている。2002年現在、博多港からは、「カメリアライン」、「JR九州(韓国鉄道庁)」、そして韓国の「末来高速」のフェリーが出ており、更に小倉港からは「関門汽船」や韓国の「大亜高速海運」のフェリーが日韓を結んでいる。「果たしてうまくいくのか」といった意地の悪い見方もできるが、韓国南部は日本人にとって気軽に遊びに行ける目的地の一つとなったことは確かだろう。因みに外航定期航路の日本人客数の推移は次の通りだ(「日本人のみの人数」で外国人は含まない乗客数。)。

年度

11991

1992

1993

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

2001

韓国

112,500

98,200

91,300

120,900

134,100

130,400

158,700

193,400

224,200

257,700

285,100

中国

14,000

14,400

12,900

11,100

9,600

14,200

12,400

13,400

11,000

12,200

14,300

台湾

1,400

1,300

1,400

1,300

500

800

1,300

1,600

1,700

1,000

1,000

ロシア        

600

1,600

   

1,800

2,200

3,100

合計 127,900 113,900 105,600 133,300 144,800 146,800 172,300 208,400 238,700 273,100 303,500

国土交通省海事局外航課調べ(日本船社・在日外国船社代理店に対するアンケート結果に基づく。)

 展望デッキからは韓国釜山と結ぶジェット・フォイル(船名は不明)の姿が見え、その向うに、これから乗船する「ニューれいんぼうべる」(2001年建造、11,410G/T)の姿が見えた。この船に間違いなく乗船すれば日本一周は完了だと思うと、ホッとした気分になる。

 対馬・壱岐航路の船らしいフェリーの入港風景に出くわすが、暗くて船名などは良く判らなかった。九州郵船の「フェリーちくし」(1994年建造、1,926G/T)だろうか。手前には自衛隊の艦船の姿も見えた。

九越フェリー・フェリーターミナル

九越フェリー・フェリーターミナル

 博多港国際ターミナルを出て、夜道をトボトボ歩いて行った。九越フェリーのターミナルは、中央埠頭の先端にあり、向うに「ニューれいんぼうべる」の姿が浮かび上がって見えていた。船とトラックのエンジンの音が響き渡っており、再び船旅モードとなる。「そういえば、今朝もこんな風景を見ていたわけだ」と思い苦笑する(そう、毎日船に乗っているのだ。笑)。

玄関マット

玄関マット

 フェリーターミナルには、こうした玄関マットがあった。これは以前、博多から乗船した時にちょっと気になっていたものだが、移転後のターミナルにもちゃんとあった。乗客はトラック運転手の他、自衛隊員が10人程。あとはパラパラという感じだった。博多―直江津航路はレジャー客が少なく、トラック運転手が主体のようだ。この航路は1996年4月9日に運航を開始した比較的新しい航路であり、この航路の開設のおかげでフェリーによる日本一周が可能になった。したがってフェリーで日本一周をしようとする人は、(モグリでなければ)必ずこのフェリーには乗船することとなる(2001年度の輸送実績、旅客19,000人、自動車33,000台)。

 九越フェリーは東日本フェリー(本社、札幌市)の子会社。1991年の設立で資本金8億円。本社は以前、博多駅前にあったが、現在はこちらの博多港支店と同一の場所に移転しており、コスト削減に努めているようだった。現在、博多―直江津間(901km)は九越フェリーの直営航路、直江津―室蘭間(678km)は東日本フェリーの運営航路となっており、合計1,579kmもある。もっとも日本最長航路ではなく、有村産業の名古屋―石垣航路(2,319km)が日本の内航客船の最長航路だ。

ニューれいんぼうべる

ニューれいんぼうべる

ニューれいんぼうべる

 こちらが「ニューれいんぼうべる」(2001年建造、11,410G/T)。今日行って来たばかりの三菱重工業下関造船所の建造で、この旅では最新の船ということになる。前に就航していた「れいんぼうべる」「れいんぼうらぶ」と一見同じように見えるかも知れないが、船自体の大きさは殆ど変わらないものの(全長190m、全幅26.4m、前の船は全長196m、全幅27m)、客室部分が(無残にも)大幅に削減されている。「れいんぼうらぶ」は、映画「白い船」(2002年)にも登場しているのでご存知の方も多いかと思うが、このサイトでもその乗船記を掲載しているので、両者を比べてみると面白いかも知れない。

 前の船はこの旅行の最初に乗船した「へすていあ」を豪華に改良したような内装・間取りの船で、旅客に力を入れていたようである。ところがそれは完全な見込み違いであり、実際にこの航路を開設して就航させてみると、観光客は少なく、旅客を重視した船は、たちまち「赤字垂れ流し船」になってしまったらしい。九越フェリーは旅客の扱いを廃止してRoRo船に切りかえることも検討したようだが、無駄を省いた上で旅客を扱う方針で代替建造した。それが本船と姉妹船「ニューれいんぼうらぶ」だった。そうした事情があったので、一度は「視察」しておきたかった船だった。

ニューれいんぼうべる

ニューれいんぼうべる

 ギャングウェイを渡って船内に入ると、前の船はエスカレーターで案内所のあるCデッキに上がっていくことができた(「へすていあ」「ばるな」等と同じ感じ)。ところがこの船は「エスカレーター」は無駄と判断したようで、代わりに「エレベーター」と階段が用意されており、4デッキに上がるとご覧のように一旦外に出てから案内所のある「エントランスホール」に入るようになっていた(写真の前方左に曲がる)。

案内所

案内所

 「エントランスホール」に出ると、ご覧のような「案内所」がある。前の船を知っていた人は、何かの間違いではないかと思ってしまう程、無駄がない(というか素っ気無い)。「売店」は案内所と兼用で、雑誌と歯磨き粉のようなものしか売られていない。両脇に旅客室に通じる廊下がある。トラック運転手用の部屋はこの正面反対側にあり、トラック運転手用の区画には「娯楽室」という絨毯敷きの部屋と自動販売機が用意されているが、特徴的なのは一般の旅客用の客室とほぼ同じ面積であることだ。また、一般客がトラック運転手区画に立ち入ることは制限されているものの、トラック運転手と全く分離されていないのが特徴の一つかも知れない。実際、直江津までの航路では、トラック運転手の方が一般客よりも圧倒的に多い。旅客定員は150人で、「れいんぼうらぶ」が450人収容可能だったのと大違いである(「べる」は350人収容可能だった)。

エントランスホール

エントランスホール

 その案内所の前にはこうしたソファーがあるコーナーが、左右にある。右手に映画「白い船」のポスターが見える。

エントランスホール

エントランスホール

 案内所の向側は階段だが、驚くほど素っ気無いものになっていた。ただバリアフリー化に配慮して、「電動式椅子」が備えられていた。この点は改善点だと言えるだろう。

レインボーホール

レインボーホール

 その階段を上っていくと「ラウンジ」があり、エントランスホールにあったようなソファーがあるコーナーが左右にあり、それぞれにテレビが付いていた。自由にチャンネルを変えて見ることができる。そして左舷に「レインボーホール」という名の軽食コーナーがある。早速、入ってみよう。

レインボーホール

レインボーホール

 中に入って振りかえると、こんな感じ。まぁ、悪くはない。もっとも前の船のレストランを思い浮かべるとガッカリかもしれないが…。

自動販売機

自動販売機

 ところがつい今朝までお世話になってた「ニチレイの冷凍食品の自販機」がこの船にも付いていた。思わず「おぇー」となるが(これは失礼いたしました)、24時間利用できるので、飲物とカップ麺の自動販売機しか付いていなかった前の船よりは便利になったといえるだろう。

メニュー

メニュー

 と自動販売機に好意的なのは、この船は船員食堂の厨房と共通にして、一般の旅客にも食事を提供しているからだ。しかしメニューを見ると前の船よりは簡略になっている。こう書くと、「じゃあ、前の船のメニューはどうだったんだい?」と聞いてみたくなる方もいることだろう。そこで「れいんぼうらぶ」の懐かしいメニューをご紹介する。

 「れいんぼうセット(1,650円)お刺身、豚角煮、小鉢、プチサラダ、香の物、御飯」、「大地と海洋の恵み(2,600円)グラスワイン、オードブル、オマール蛯クリーム煮、カットビーフ、温野菜、シェフサラダ、スープ、デザート、コーヒー、ライス」、「和定食(1,000円)」、「洋定食(1,000円)」、「朝がゆセット(800円)」、「とんかつセット(1,050円)」、「焼肉セット(10,50円)」、「中華セット(1,250円)」、「ハンバーグセット(1,050円)」、「海老フライセット(1,250円)」、「和風牛ステーキセット(1,650円)」、「うな重(1,250円)」、「ハヤシライス(850円)」、「シーフードカレー(650円)」、「ミックスピラフ(750円)」、「特製ドライカレー(850円)」、「あさりスパゲティ(750円)」、「正油ラーメン(650円)」、「ざるそば・うどん(550円)」、「とんこつラーメン(650円)」、「皿うどん(750円)」、「おつまみ各種(300円より)」。

 これを見ると、明らかにレジャー客を狙っていたと言える。もっとも偶にクルーズ船にしか乗船しない向きからすれば、こんなメニューは大した物ではないと思うかも知れない。私もそう考えたいが、実際は船上でカップ麺を食べたり、ターミナル近くのコンビニ店で買った弁当を持ち込む人が多く、高価なメニューを用意しても無駄になってしまうのが2002年の日本である。「豪華」と「無駄」は裏腹な関係にあると言ってもいいが、船会社としては無駄なものに投資はできない。かくして高価な(850円を超える)メニューは廃止されることとなり、ついでにウェートレスも「リストラ」されてしまった訳なのである(涙)。

食券販売機

食券販売機

 「食券」はご覧の自動販売機で買う。これは最初に乗船した「へすていあ」と同じだが、この船が画期的なのは、この機械で「食券」を購入しただけで厨房に情報が伝わり、「食券」に記載された番号が呼ばれると、窓口から受け取れるシステムになっている点だ。正に合理的で無駄がない。

窓口

窓口

 ここから料理を受け取れる仕組みになっている。向こう側が厨房で、さらに奥左側が「船員食堂」になっている。もっとも「船員食堂(従業員食堂)」の厨房と、「一般客用のレストラン」の厨房は多くのフェリーでは共通であるが、この船の場合そうしたことを露骨に実感してしてしまう。右の窓口から料理を受け取り、左の窓口に食器を返す。

レインボーホール

レインボーホール

 「レインボーホール」という軽食コーナーの窓側はこんな感じになっていて、ここで食事をとっても良いし、海を眺めていても良い。

 ところでこの間取りを見ていて、どこかで見たような気がしないだろうか。そう、今朝まで乗船していた「おーしゃんのーす」だ。よく似ている。おそらくこの船を建造するのに際し、「おーしゃんのーす」「おーしゃんさうす」を参考にしたことは間違いないと言ってよいだろう。率直に言うと、「おーしゃんのーす」よりは各段に良い船だ。何と言ってもエンジンの静粛性だ。ガタガタ揺れてはいない。当り前だと思うが、立て続けに乗船すると船の違いがよーく分る。建造した三菱重工業下関造船所の技術の高さを実感することになる。

アイスクリームの自動販売機

アイスクリームの自動販売機

 船首の「サロン」は今の時間、閉まっていた。アイスクリームの自動販売機があるが、この船は「おーしゃんのーす」と異なり、やや値の張る商品を扱っていた(高級路線?)。この自販機の先を右に曲がると廊下があり、「予備室」が2室ある。

展望浴室

展望浴室

 この5デッキには「展望浴室」がある。婦人用と紳士用があるが、紳士用の方が広く造られている。これは男女差別ではなく、トラック運転手のほぼ全員は男性であり、男性の乗客が多いからだろう。前の船は男女とも同じ広さだったが、その辺りにも無駄があったようだ。脱衣所にはドライヤー・石鹸等が用意されていた。

展望浴室

展望浴室

 こちらは紳士用浴室内部。写真左側に窓がついており、結構広い。風呂の水準は落としていない。もっとも年配客の多い日本のクルーズ船のように、転倒防止のための手摺はない。

ゲームコーナー

ゲームコーナー

 ゲームコーナーもあり、テレビゲームの類いが並んでいる。この辺りも前の船と変わっておらず、また「おーしゃんのーす」よりも充実していた。

案内所脇の廊下

案内所脇の廊下

 さて、再び4デッキに降りてきて、今日の部屋をご紹介しよう。案内所脇の廊下はこんな感じで、清潔だが素っ気無い。客室はすべて海側にあり、気取って言えば「全室オーシャンビュー」である。すべて「2等寝台室」のモノクラスであり、この点で「おーしゃんのーす」に似ているが、「おーしゃんのーす」には、窓のない2人部屋があった。

2等寝台室

2等寝台室

 一般旅客用の部屋はすべて4人部屋(20室)であり、その他トラック運転手用の10人部屋(1室)、12人部屋(5室)がある。人数によって個室のように使えるので、得した気分になれるのは「おーしゃんのーす」と同じだが、決定的に違うのは、1段ベッドである点だ。寝心地の点でかなり違う。因みに前の「べる」の2等寝台は1段ベッドだったが、「らぶ」の方は2段ベッドだった。

 もっとも個室のように使えると言っても、前の船の「特等洋室」は、バス・トイレの他、冷蔵庫やテレビ、茶器なども用意されたツイン・ルームであり、正に洋上のホテルだった(高級ビジネスホテル並みであり、クルーズ船のスタンダード・ルームよりは上の水準)。今回の船は、う~ん、「格安ビジネスホテル級」だろうかねぇ。これはこれで居心地は良いのだが…。

博多港中央埠頭

博多港中央埠頭

 と、ざっと船を見て歩いているうちに、出港の時間となる。博多―直江津航路はトラック運転手が多い航路らしく、観光客はことのほか少ない。観光客が少ないことは理解できるとしても、トラック運転手が多いのは興味深いことのように感じられた。最近は「シャーシー」と呼ばれる「トレーラー」部分だけを船に積み、運転手自身は乗船しないことが多くなってきているからだ。個人営業の「一匹狼的なトラック運転手」が多い航路なのだろうか。

博多港

博多港

 いよいよ船が動き出す。ところがパラパラと雨が降り出してきた。陸にいるときは晴れ、海に出ると雨というのは、運が良いのかもしれないが残念だ。福岡の夜景を楽しむことはできず、船内に退散する。

映画「白い船」撮影記録写真

映画「白い船」撮影記録写真

 5デッキの「ラウンジ」には「映画白い船撮影記録写真」が展示されていた。映画「白い船」に関しては、別のページで詳しく紹介しているので、ここでは繰り返さない。この映画の舞台となった「島根県平田市立塩津小学校」の皆さんには、今日乗船することをお伝えしていた。しかし博多発の便が島根県沖を通過するのは、午前5時24分(日御碕)であり、塩津小学校を船から見ることは、どうやら無理のようだった。

 翌朝、5時に起きて甲板に出てみた。日御碕の灯台は確認できたが島根沖は真っ暗だった。灯台と並んで白い灯りが点々と並んで見えている。「塩津は日御碕の東側だから、あの灯りだろうか」 誰もいない甲板で、しばらく灯りを眺めていた。

サロン

サロン

 一眠りして明るくなってから5デッキに上がってみると、船首にある「サロン」が開いていた。前の船のサロンは絨毯敷きだったが、現在の船はご覧の通り。冷たい感じがして寛げないような気もするが、絨毯敷きにすると汚れ易く経費がかかるのだろう。

 日本海は時化てはいないが、ややうねりが出ていた。そのためか、船首にある「サロン」には人影がない(つまり船首は船の中央部に比べ、大きく上下に動揺する。シーソーを思い浮かべて欲しい)。独りぼっちでここでコーヒーをすすっていた。何という贅沢だろうか。最高級のクルーズ船Europa(1999年建造、28,437G/T)を凌ぐ人口密度だろう(だって独りだもん)。

朝食

朝食

 「朝食は和食のみです」という表示があったが、これがその「朝定食(650円)」だ。前の船よりは安い価格となっている。それでも牛丼屋などは、かなり安い価格のものを提供しているので(2002年現在)、高いと感じる人もいるかもしれない。皆さんはどう思われるだろうか。

 さて、この写真はご覧のようにややピンぼけだが、撮り直そうとして重大な問題に気がついた。何とフィルムを使い果たしてしまったのだ。それでも買えば良いと気楽に思っていたのだが、事態はより深刻だった。な、何とこの船の売店にはフィルムが売られていなかった。これは意外だった。

 かくして直江津港到着まで、この旅行記は中断することとなってしまった。しかしお天気はパッとせず、写真を撮りたくなるような風景にはありがたいことに遭遇しなかったので、被害は最小限に留まったようだ。その空白の10時間はと言えば、ただただ海を見続けていた(そうそう、自販機の「肉まん」を食べたなぁ)。


直江津―室蘭編