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直江津―室蘭編

直江津港

直江津港フェリーターミナル

直江津港フェリーターミナル

 かくして新潟県上越市に到着した。室蘭まで乗り継ぐ人は殆どいない。大半の人がここで下船してしまった。乗り継ぎの乗客は船の中に残留することもできるが、船内では清掃作業が始まるので、一旦下船することをお勧めする。直江津は雨がパラついていた。まずはターミナルの2階にある売店に直行し、フィルムを買う。そして撮影したのがこの写真。こうして旅行記も漸く再開となる。

ニューれいんぼうらぶ

ニューれいんぼうらぶ

 直江津港東埠頭には、姉妹船「ニューれいんぼうらぶ」(2001年建造、11,401G/T)が、室蘭から一足早く到着していた。この船も、下関の生まれだ。

 ところで室蘭行きの乗り継ぎの客はこの船に乗ってはいけないことに注意すべきだ。博多(福岡)に戻ってしまうからだ。「乗り継ぎ」というと、「違う船」に乗り継ぐことを思わず連想しまうが、「同じ船」に乗らなければいけない。乗り間違いのないように!

直江津駅前

直江津駅前

 出港まで5時間以上もあるので、タクシーを呼んで直江津駅前まで行く。直江津の街はご覧の通り。いかにも旅に出ているような気持にさせてくれる侘しい風情がある。前にこの街に来たときに入った喫茶店は同じような感じで営業していた。

 「レストランベニス」という店に入って、夕食を摂る。実は開いているのはこの店だけで、周りは殆どの店がシャッターを下ろしていた(営業をそもそもしているのかも疑わしい感じ)。イタリアのベネチア(ベニス)に行ったのは随分と前になる。そんなことを思い浮かべているうちにどっと疲れが出てきた。やっぱり陸上の方が落着くものらしい。

 今回の旅の反省をするのはまだ早いが、船に泊まりっぱなしという旅程は、やはり体力的に厳しい。東京、徳島、博多、そしてここ直江津近辺で1泊し、陸上を周遊しながら周るのが理想的だったと思う。この旅行記を参考に、船で日本一周をやってみようと考えられている方には、陸上のどこかでせめて1泊することをお勧めする。

直江津駅

直江津駅

 JR直江津駅は、前回訪れた時は工事中だったが、新しくできた駅舎はクルーズ船の「飛鳥」をイメージしてデザインされていると聞いていたので楽しみにしていた。なるほど段々になっている階段は、船尾の形状をイメージしているように感じなくもない。

あすか通り市道直江津駅線

あすか通り市道直江津駅線

 直江津駅南北自由通路は「あすか通り」という名前になっていた。「丸型の窓」が「飛鳥」のイメージだという。この通路の長さは177mであり、全長192.81mの「飛鳥」はもとより、「れいんぼう」よりも短い。案内板によると、「豪華客船飛鳥のデザインをとりいれたところ」は、「エントツの赤いライン」、「デッキの形状」、「甲板と駅前広場の自然石貼り」、「側壁の青いライン」、「丸型の窓」だそうだ。2000年10月に竣工したという。「飛鳥は直江津からの市民の船として親しまれています」と解説にはあった。

 ところでなぜ「飛鳥」なのだろう。直江津港と飛鳥と言えば、「日本一周クルーズ(1997年9月12日~24日)」中に飛鳥が寄港した直江津港中央埠頭の岸壁に接触した事故が思い出される。このときは私は偶々新潟港にいて、騒ぎを目の当たりにしたものだった。新潟運輸局(当時)はクルーズの中止を勧告したようだったが、その後どうしたのかまでは知らない。因みにこのときのフル・クルーズの料金は、一人539,000円からだった。

 駅前でタクシーを拾ってフェリーターミナルに戻る。タクシーの運転手さんに、「これから北海道か九州に行かれるんですか。」と話しかけられたので、「実はフェリーで日本一周をしているんですよ。」と答えると、「へぇー、そういう旅もあるんですか。」と大変にビックリされた。

 「幾らくらいでできるんですか。」「揺れますか。」

 よくある遣り取りが続いたが、「揺れますか」と聞かれると、「揺れません」という方向に話を持って行きたくなるのが船好きの心理というものだ。しかし揺れないというのは「真っ赤なウソ」である(笑)。「まぁ、多少は揺れることもありますが、大きい船なので漁船のようには揺れることはないですね。」等と答えていた(この回答はウソではないでしょ?)。

直江津港フェリーターミナル

直江津港フェリーターミナル

 フェリーターミナルに戻ってくる。2階は待合いロビーになっているが、正面に見えるテレビは「三菱電機社製」だった。待っている乗客は10人前後で、ひょとしてガラ空きかと思ったものだが、出港時間が近くなって、団体客がやってきた。これから北海道旅行に出かける人達のようで、皆さんウキウキしていた。旅の最終章を迎え、エネルギーを殆ど使い果たしている私から見れば、羨ましい限りである。それとなく会話を聞いていると、札幌に行って寿司やジンギスカン料理を食べるらしい。

ニューれいんぼうらぶ

ニューれいんぼうらぶ

 いよいよ最後の船旅となる。小雨がパラつく中、乗船となるが、ご覧のように北海道航路はレジャー客が多い。案内所に預けていた荷物を受け取り、改めて船室に向かう。

直江津港東埠

直江津港東埠

 甲板から荷役作業を見物していたが、手間取っているようであり、一旦入れたトレーラーを再び引き出して入れ直していた。正に知能テストの世界である。そのため1時間遅れの午前1時の出港となった。積荷の大半はトレーラー(シャーシー)のみであり、乗客にトラック運転手が少なくなったわけが解る。

 船の中は賑やかで、「レインボーホール」という軽食コーナーでは、早速宴会が始まっていた。主役はトラック運転手からレジャー客に移り、船内の雰囲気はガラリと変わった。テレビの衛星放送では、韓国のKBSのニュースが流れ、北朝鮮の貨客船、「万景峰(マンギョンボン)92」(1992年建造、9,672G/T)の内部が紹介されていた。元山と新潟を結ぶ不定期のフェリーだが、韓国釜山で開かれたアジア競技大会に「美女応援団」がこの船でやって来たために、韓国で話題になっていたようだった。船内には北朝鮮では珍しい「コカ・コーラの自動販売機」が設置されており、その横に立って記念写真を撮る人が多いとのことだった。北朝鮮の誇る近代的な豪華客船なのだろう。

 暫くすると船は縦に揺れ出した。日本海のうねりは収まっていないようだった。すると面白いことに「レインボーホール」から船客は姿を消し始め、後には揺れには慣れているトラック運転手と私くらいになってしまった。私もそろそろ眠ることにした。船室に戻りベッドに横になっていると、廊下を走ってくる音がし、まもなく激しい咳払いが聞こえた。どうやら便所で嘔吐しているらしかった。船酔いで苦しんでいる方には大変申し訳ないが、私はベッドの上でニヤニヤ笑っていた。そのうちに眠ってしまった。

日本海北上

ニューれいんぼうらぶ

ニューれいんぼうらぶ

 さて、6日間に及んだ壮大な(?)旅も今日で最後である。船に乗ると私は何故か早起きになってしまい、早朝の甲板に出てみた。もう山形県沖だ。ここまで来ると空気がヒンヤリとしてくる。うねりも収まりつつあり、天候もご覧のように回復してきた。

飛島

飛島

 向うに見える島影は、「飛島」だ。その向うに鳥海山(2236m)が見えると言いたいところだが、残念ながら雲に隠れて見えなかった。

 船内の衛星放送では欧米のニュースが流れ、盛んに「イラクに対する軍事行動の是非」を論じていた。すると年配の男性がテレビのチャンネルを変えても良いかと聞いてきた。「良いですよ。」と答えてその場を立ち去ったのだが、後になってシマッタと思った。その男性はトラック運転手らしかった。話をすれば面白い展開となったかもしれない。が、すべては後の祭り。私はジャーナリストには向かないらしい。

男鹿半島

男鹿半島

 前日と同じ朝食を摂り、再び甲板に出てみると、前方に「男鹿半島」が見えていた。ひょっとして秋田港に寄港する新日本海フェリーの姿はないかとキョロキョロするが、そうした船は見当たらない。太平洋側と異なり、日本海側は風光明媚で面白い。うねりはすっかり収まり、船客たちも元気になって船室から出てきた。

岩木山

岩木山

 暫くすると「岩木山」(1,625m)が見えてきた。鰺ヶ沢でクルーズ船の「ふじ丸」(1989年建造、23,340G/T)に乗船したときのことが頭をよぎるが、あの忌まわしい昔の旅のことは忘れよう。あのときは岩木山の姿が見えなかったが、今日は頂上付近に雲がかかっているものの、はっきりと見えていた。

小島

小島

 「小島」が見えてきた。左側の先に「大島」の姿がぼんやりと見えていたが、写真に撮るには遠過ぎた。そろそろ松前であり、北前船の終着地である。

北海道

北海道

 北海道、松前。船は津軽海峡に入る。津軽海峡はうねりが出て船が揺れることが少なくないが、今日は不思議に穏やかだった。そろそろお昼にしよう。

昼食

昼食

 というわけで、最後の午餐となる。この船では最高級メニューの一つ、「シーフード・セット」(850円)を食べる。海が穏やかなため、「レインボーホール」は船客で賑わっていた。船客は揺れると船室に篭り、収まると出てくる習性があるといって良い。もう船酔いで苦しんでいる人はいないはずだ。

函館

函館

 津軽海峡は絶景だった。左に北海道、右に本州。その中を船は進んだ。「臥牛山」とも呼ばれる「函館山」(335m)が見えるだろう。なるほど牛が伏せたような形の山だ。この山の向こう側が函館の市街地。そして左の端に見える山は「駒ヶ岳」(1,133m)だ。かって頂上まで登山したことがあるが、最近は火山活動が活発で、そろそろ大噴火なのかもしれない。この山は突然大噴火する癖があるので心配な山だ。しかし麓には「大沼・小沼・じゅんさい沼」が広がり、美しい山でもある。

道南自動車フェリー

道南自動車フェリー

 青森と函館との間には、国鉄が運航していた「青函連絡船」があったが、「青函海底トンネル」の開通により1988年3月13日に廃止になった。しかしフェリーが全くなくなってはいないのは、関門海峡やドーバー海峡などと同じであり、「東日本フェリー」、「道南自動車フェリー」、「青函フェリー」が現在でも青森と函館を結んでいる。下関の造船所に模型が展示されていた「びなす」もこの海で活躍しており(2002年現在)、船好きにとってはワクワクするエリアの一つだと言える。

恵山

恵山

 「亀田半島」の先にある「恵山」(618m)という活火山を過ぎれば、後は室蘭に向けて一直線となる。恵山は知名度は低いと思うが、ツツジがきれいだと聞いている(行ったことがない)。船はその恵山の景観を楽しませるかのように、かなり陸地に近づき、まるで遊覧船のようだった。

室蘭港

絵鞆半島

絵鞆半島

 左手に有珠山(732m)と噴煙が見えていたが、しばらく進むと最終目的地の「室蘭」が現れた。室蘭の地球岬から絵鞆岬にかけては高さ100m以上の断崖が連なるが、こうした景観を楽しみながら室蘭港に入港となる。「ハルカラモイ」、「チマイヒフ」といったアイヌ語の地名が散在する。この辺りにはかって最大規模のチャシ(城砦)があったと聞く。

室蘭港

室蘭港

 右に「大黒島」、正面に「白鳥大橋」が見えている。この日本一周の船旅も、そろそろ終わり。室蘭港入港となる。

白鳥大橋

白鳥大橋

白鳥大橋

 「白鳥大橋」の通過が、この旅の最後のイベント。甲板に立ったまま見物するのは少し寒い。早く体を「北海道モード」に切り替えなければならないようだ。

べにりあ

べにりあ

 「べにりあ」(1999年建造、6,118G/T)の姿が見えた。2002年現在、室蘭と八戸とを結んでいる。この船も三菱重工業下関造船所の建造。下関生まれの船が、北の海で多数活躍している。

 室蘭港は苫小牧港と並ぶ「特定重要港湾」であり、1999年度の入港船舶数は8,559隻、乗込人員は194,989人、上陸人員は154,086人を記録している。ただ気がかりなのは、室蘭港に限らずフェリー旅客が年々減少していることだ。参考までに「北海道のフェリー旅客航路事業輸送実績」を紹介しておく。

年度

1996

1997

1998

1999

2000

乗用車

662,894

654,940

634,586

639,595

611,107

単車

106,442

102,050

101,458

98,158

89,580

バス

13,653

14,107

13,192

13,334

13,268

トラック

1,237,447

1,164,950

1,158,831

1,168,658

1,160,552

総数

2,020,436

1,936,047

1,908,067

1,919,745

1,874,507

旅客

4,864,549

4,874,655

4,675,612

4,706,503

4,375,006

出典:北海道運輸局「北海道運輸要覧(海運編)」各年度版(旅客には自動車運転手を含む)

ニューれいんぼうべる(左)とれいんぼうべる(右)

ニューれいんぼうべる(左)とれいんぼうべる(右)

 接岸となるが、港にはもう1隻大型のフェリーが停泊していた。ひょっとして、「れいんぼうらぶ」だろうか。受付の事務長に聞いてみると、「れいんぼうべる」とのことだ。室蘭に係船しているとは初耳だった。確か「シャトル・ハイウェイ・ライン」という新しいフェリー会社が購入(傭船?)し、9月から横須賀―大分間に就航すると聞いていた。しかし未だに北海道にいるということは、何かトラブルがあるのだろうか。競合する旅客フェリーは、東京―新門司間の「オーシャン東九フェリー」の他、川崎―宮崎・細島間の「マリンエキスプレス」もあり、そこに参入するのは無謀だとも言えるが、まずはお手並み拝見といったところだ。

ニューれいんぼうべる(左)とれいんぼうべる(右)

ニューれいんぼうべる(左)とれいんぼうべる(右)

 かくして日本一周の旅は終った。直江津港の出港は遅れたが、室蘭港には定刻通りに到着した。埠頭に降り立ったときは、大げさに言えば「一つのことを成し遂げたという達成感」のようなものを感じ、ちょっぴり興奮した。日本は狭いとよく耳にするが、こうして周ると結構広いものだ。

 また古い順にフェリーを乗り継いでいったので、日本のフェリーの変遷や特徴を肌で感じることができた。船の歴史は「年々大型化し、より豪華になっていく」といった単純なものではないことが良く解ったが、一言で表現すると「合理化」ということなのだろうか。しかし今回の旅では乗船しなかったが、新日本海フェリーの「らいらっく」(2002年建造、18,225G/T)のような豪華フェリーも建造されており、「豪華船から合理化船へ」という標語で説明することは不正確なのかもしれないようだ。皆さんはどういう感想を持たれただろうか。(2002年10月4日~9日取材)