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東京―徳島―北九州編

東京港

新橋駅

新橋駅

 話を面白くするために乗り継ぎで心配したようなことを書いたが、実はそれほど心配していたわけではなかった。土浦で花火大会があるということで、水戸―土浦間は大変な混雑だったが、土浦からはいつもの土曜日の午後の電車だった。電車の発車時に音楽が鳴るのを聞いて、「そういえばJR東日本はこうだったっけ」と思い出す。事前に東京港フェリーターミナルには食べるところがない(設備はあるが営業は休止中)と聞いていたので、上野駅で幕の内弁当を購入し、山手線に乗換え新橋駅に到着する。ここで更に「ゆりかもめ」に乗換える。新橋駅には米国人と見られる団体の旅行者の姿があった。添乗員らしき白人女性が切符の買い方を教えていた。

 時間がないので「つかの間の東京」となるが、相変わらずおもちゃ箱をひっくり返したような足の踏み場のないような街であり、そして相変わらず人も多い。街のあちらこちらで高層ビルの建築が始まり、既に完成しているものもある。かっては高層ビルといえば西新宿に限られていたが、最近は別に地域の限定はないようだ。どうやらバブル崩壊後塩漬けになっていた土地を開発せざるを得ない状況に追い込まれたようであり、それぞれの開発業者の思惑から、全く無秩序に建設が始まっているように見える。完成の暁にはどんな街になるのかわからないが、映画「ブレードランナー」(1982年)に出てくるような末来都市のようになるのだろうか。表面的には、現在の日本で一番景気の良い街だといえるだろう(あくまでも「表面的には」であるが)。

 気がつくと太陽は沈んでおり、「ゆりかもめ」の車窓から見える「レインボーブリッジ」や屋形船のイルミネーションが美しい。が、移動中の電車の窓から夜景を撮影する芸当はできないので、残念ながら写真は手元にない。「船の科学館」も車窓からの見学で済ませ、「国際展示場正門駅」に到着する。どうやらバスには間に合いそうだ。

 ところがイルミネーションだのデートのカップルだので溢れかえっていた喧騒の大東京はここまでであり、駅前の都営バスのバス停には誰もおらず、それどころか歩道を歩く人の姿もない。そんな寂しいバス停にバスがやってきた。乗客は男性客1名のみ。もう地方都市モードに入ってしまったわけだ。

東京港フェリーターミナル

東京港フェリーターミナル

 バスは有明埠頭橋を渡り、フェリー埠頭を進んでいくが、左右に倉庫が立ち並んでいるのは判るものの、真っ暗だ。そんな真っ暗な道の突き当たりに「東京港フェリーターミナル」があった。入口は狭いが建物は立派そうだ。

東京港フェリーターミナル

東京港フェリーターミナル

 エスカレーターで上っていくと、乗船券売り場があった。建物自体は、「施工主や建築家の夢を実現させたもの」という印象(1997年2月竣工)。しかしターミナル内には人影がない。静まり返っていた。

東京港フェリーターミナル

東京港フェリーターミナル

 東京港フェリーターミナルは、以前、近海郵船(釧路―十勝―東京)、ブルーハイウェーライン(苫小牧―大洗―東京、高知―那智勝浦―東京)、オーシャン東九フェリー(北九州―徳島―東京)などのフェリー会社が使用していたが、現在は商船三井フェリー(苫小牧―東京)とオーシャン東九フェリーの2社が使用するに過ぎず、商船三井フェリーは貨物フェリーなので、結局ここを利用する旅客はオーシャン東九フェリーの客だけという、とても絶望的に寂しい状況にある。そんな訳で開いている窓口は、この写真の左端の商船三井フェリーと、右端のオーシャン東九フェリーだけであり、あとの窓口はすべてシャッターが下りていた。

待合ロビー

待合ロビー

 空港のような待合ロビー。こんなに立派なのは日本の首都のメンツを守るということもあるのだろうか。しかし立派過ぎである。利用者は10人前後だった(おぇー)。光熱費などの維持費を考えたら、ここは一旦閉鎖して、別にプレハブ造り2階建てくらいの小さなフェリーターミナルを建設した方が良さそうな気さえする。

 首都圏にはフェリー・ファンが極端に少ないが、その理由がよーく理解できたような気がした。正に「フェリー不毛の地」である。まぁ、私自身は東京が「不毛」でも一向に構わないのだけれど、日本の首都にはやはり毛が生えていた方が良いのではないだろうか。

おーしゃんのーす

おーしゃんのーす

 一旦フェリーターミナルの建物から外に出て、船を見てくる。「おーしゃんのーす」(1996年建造、11,100G/T)だ。この会社では、スタンダード・フェリーという名で呼んでいる「おーしゃんいーすと」(1991年建造、11,500G/T)、「おーしゃんうえすと」(1991年建造、11,500G/T)の2船と、カジュアル・フェリーと呼んでいる本船と「おーしゃんさうす」(1996年建造、11,100G/T)の2船を運航している。スタンダード・フェリーというのはこれまで乗船してきた「へすていあ」のように、特等室から2等室まで備えて食堂も完備している「普通のフェリー」であるのに対し、カジュアル・フェリーは船室を2等寝台だけとし、人件費を節減するために食堂を廃止して冷凍食品を販売する自動販売機と電子レンジを並べただけという、「驚異の超合理化船」である。2002年現在、東京を奇数日に出港する船が「カジュアル・フェリー」だが、この世界でも稀な超合理化船とは一体どういうものか大変に興味があったので、敢えて今日が奇数日になるように旅行を計画した。

 この船はご覧のように船首にランプを設け、バウバイザーで覆っている。船首舷側にランプを設けている船が日本には多いが、確かに使用する埠頭を選ばないとか船価を安くできるといった合理性はあるものの、美観を損ねるものだと言えるだろう。この点に関しては、この船は賞賛に値する。

おーしゃんのーす

おーしゃんのーす

 ターミナルの待合ロビーからはこんな風に見える。全長166m、全幅25m、喫水6.35mであり、商船三井客船のクルーズ船「にっぽん丸」(1990年建造、全長166.6m、全幅24m、喫水6.6m)とほぼ同じ大きさの船である。

東京港フェリーターミナル

東京港フェリーターミナル

 殆ど無人のロビーで乗船開始を待っていたら、何と「最終のご案内」が放送された。合理化を極端に推し進め、乗船の案内も最後の一回しかしないらしい。慌てて誰もいないギャングウェイを小走りに渡り乗船する。

 甲板からターミナルを振り返ると、人影は殆どない。設備はご覧の通り立派だが、こんなに寂しいターミナルはそうないだろう。そう思った瞬間、船はすーっと動き出した。どうやら出港らしい。東京―北九州(新門司)間、1,163kmの旅はこうして始まった(2001年度の輸送実績、旅客49,000人、自動車98,000台)。

東京港

東京港

 東京湾に船は出ていくが、予期に反して真っ暗である。時折、光りの塊が轟音と共に空から降ってくる。羽田空港に向かう旅客機だ。行く手を見ると、滑走路が浮かび上がっている。

 「あそこが羽田ならば、あの左手は蒲田か。するとあれが横浜のランドマーク・タワーかな。」しかしいずれも予想以上に遠く、船の周辺は漆黒の闇。寒くなってきたので、船内に引き上げた。

 ところで東映の映画の冒頭で波が砕ける場面が出てくるが、あれはどこで撮影されたものかご存知だろうか。日本海? 残念ながら違う。茅ケ崎の沖合に浮かぶ姥島(えぼし岩)である。つまり浦賀水道を抜けた先の相模灘はそれくらい海が荒いということである(サーフィンを楽しむ人が多い理由もここにある)。実は日本海流と千島海流とがぶつかり合う大変に海が荒い海域であり、そこにこれから行くのかと思うと少々気が重かった。日本のクルーズ人口が伸びないのは、人口の集中する東京・横浜の入口が大変に海が荒く、揺れる船の中でゲロゲロになる人が多いためではないかと思っている。「日本近海は特に時化る。」「西洋人に比べ日本人は船に弱い。」といった珍説(大嘘!)がまことしやかに印刷物で語られるのも、マス・メディアの集中する首都圏が、船旅をするには大変に不幸な場所に位置しているからではないだろうか。

 ということで、穏やかな東京湾の中にいるうちに夕食を済ませておくことにした。北九州までの2泊3日の船旅なので、最初の晩から冷凍食品は避けたかった。そこで上野駅で調達した幕の内弁当を広げる。乗船客は全部で20人くらいだろうか。トラックの運転手は殆ど乗船していないような感じだった。

 さて、食堂の付いていない超合理化船とは一体どんな船なのか。ざっと船内設備をご紹介しよう。右舷から乗船する東京港では、このスナック・コーナーを通って船内に入ることになる(写真前方が船首方向)。

おーしゃんのーす

スナックコーナー

スナックコーナー

 アイスクリーム、ビール、おつまみなどの自動販売機が左側に並んでいる。

オーシャンプラザ

オーシャンプラザ

 先ほどの廊下を先に進むと左側にこうした軽食コーナーがある。つまり食堂がないといっても食堂は一応あるのである(笑)。ただ、よく見ると様子が普通と違うことに気がつくだろう。そう、電子レンジらしきものが見え、自動販売機が並んでいるのだ。

自動販売機

自動販売機

 自動販売機を見てみよう。紙コップの飲物の自販機の他、こうしたカレーライス、ハヤシライスの自販機がある。

自動販売機

自動販売機

 この「ニチレイ」の冷凍食品の自販機は、駅や高速道路のサービスエリアなどで見かけることがあるのではないだろうか。内部に電子レンジが備えつけられており、ホカホカに加熱されて出てくるものだ。メニューはご覧の通り。一品が400円から450円の価格だ。詳しくは後でご紹介する。

エントランスホール

エントランスホール

 オーシャンプラザの奥にエントランスホールがあり、案内所、売店、船舶電話などがある。多くの船ではこうしたエントランスホールに螺旋階段をつけるなどして豪華に見せようとするものだが、そうした余計な飾りは一切なく、実用一点張りに徹している。乗客の世話は2名の男性職員が行い、あとはすべて機械任せとなっている。左舷から乗船する徳島港、新門司港では、乗船するとすぐにここに出てくることになる。

エントランスホール

エントランスホール

 写真の右側はこんな感じで、ここで食事を摂ることができるようになっていて、突き当たりにAデッキに上がる階段があり、その階段の左側に旅客室の並ぶ廊下がある。

旅客室

旅客室

 2等寝台だけのモノクラスであり、2人用、4人用、6人用、20人用の部屋がある。部屋の指定はできないが、人数が合えば個室のように使え、船側もなるべくそうなる様に乗客を振り分けているように感じる。廊下の海側に船室、内側に洗面所、トイレがある。

2人用

2人用

 こちらは2人用の旅客室。とても狭い。しかし個室として使えるので、2等寝台の料金でスタンダード・フェリーの1等室のように使えるので、お得な感じがする。机のように使える棚と、椅子が1脚ある。大都会にある安いビジネス・ホテルといった感じだろうか。もっともこちらはオーシャン・ビューの窓付きだ(おっ、優雅だねぇ)。

フォワードロビー

フォワードロビー

 そして旅客室のある廊下の突き当たりにこうしたロビーがある。余り広くはないが、船首が見渡せ航海士気分が味わえる。テレビは自由にチャンネルを変えて見ることができる。

給湯器

給湯器

 このロビーには給湯器が備えられており、お湯、冷水の他、お茶が飲み放題である(無料)。紙コップも用意されているが、このコップは歯磨きに利用することもでき、とても重宝する。

テレビコーナー

テレビコーナー

 階段を上っていくと、こうしたところに出る。テレビがあり自由に見ることができる。左の壁にはロッカーがズラリと並んでいる。貴重品はここに預ける仕組みになっている。

オーシャンホール

オーシャンホール

 振り返るとこんな感じ。右手にスカイルーム、飲み物の自動販売機。その奥にゲームコーナーがある。左手には展望風呂(男・女)、シャワールーム(男・女)、トイレ(男・女)、コインランドリーが並んでいる。正面突き当たりの階段を降りると、案内所のあるエントランスホールに出る。

ゲームコーナー

ゲームコーナー

 ゲームコーナーの右手からは甲板に出られる。「防犯カメラ設置」とわざわざ表示していたが、どういう意味なのだろか。「カメラで見ているぞ(録画しているぞ)」と言われると、ゲーム機で無邪気に遊ぶ気にはなれないものだ。

スカイルーム

スカイルーム

 この会社のパンフレットによると、「あふれる光を感じながら横になってくつろげるスカイルーム」とある。モノは言いようだ。恐らくこれは一種の2等船室として使えるように用意した予備室のようなものだと思われる。ここにもテレビが2台設置されていた。

コインランドリー

コインランドリー

 コイン・ランドリーは長距離フェリーではおなじみのものだろう。日本のクルーズ船にもこうしたものは用意されている。

 ところで「コイン・ランドリー」という言葉だが、和製英語(日本語)なのか米語なのかよくわからない。コイン・ランドリー(Coin Laundry)というと、マネー・ロンダリング(Money Laundering)みたいで、コインを洗っているような感じがしなくもないが、まぁそんなこと、どうでもいいか。

展望風呂

展望風呂

 最後に日本人が大好きなお風呂である。船といえば「プール」という連想もあるが、プールのあるフェリーやクルーズ船を見ていると、利用者は極端に少ない。どうもプールという設備は、日本人にとって豪華な感じがする設備ではあっても、実際に利用しようという気分になれない設備の代表格なのだろう。むしろ風呂が寛ぎの場となっている。欧米人との大きな違いである。私は日本人向けのクルーズ船にはプールは余計なもので、むしろ大露天風呂でも付けた方が本当は良いのではないかとさえ思っている。

この展望風呂だが、浴槽の中で立ち上がると窓の位置が股間の下にくる。なんとも落着かない気分になってしまう。かがんで外を見ているのも格好悪いし。

太平洋

潮岬

潮岬

 揺れまくるかと思われた相模灘だが、杞憂に過ぎなかった。翌朝甲板に出てみると、潮岬が見えていた。昨日より天気が下り坂なのが、ちょいと残念だ。潮岬灯台は1873年9月に本点灯した。もう和歌山県沖である。

朝食(開封前)

朝食(開封前)

朝食(開封後)

朝食(開封後)

 今日からいよいよ冷凍食品のお世話になる。いかにもおいしそうな朝食だろう(笑)。一見素っ気無いものだが、味の方はそう悪くはない。考えてみれば米国辺りの大衆的なクルーズ船の場合は、大勢の乗客に安価なクルーズを提供するために、予め調理したものや缶詰の類いを多用しているわけだし、実質的にみればこれと同じようなものを提供しているとも言える(つまりピザやハンバーガーといったファースト・フードの類)。紙の箱に入ったままか、プラスチックや陶磁器の皿に載っているかの違いだとも言える。「形式よりも実質」ということだが、「実質よりも形式」を重んじる人には、やっぱりショックかな。

煙突

煙突

 朝食後、甲板に出てみる。写真ではお判りにならないと思うが、この船の煙突は猛烈な音と振動を立てて排気ガスを出していた。もう爆発しそうというか、火を吹きそうな感じだった。煙突脇にある階段はガタガタ振動しており、近づくことすら躊躇われるくらいのものだった。

 実はこうした船は以前に乗船したことがあり、それは名門大洋フェリーの「フェリーおおさか」(1992年建造、9,479G/T)である。あの船もエンジンの振動が激しくて、折角の特等室の設備を台無しにしていた。いずれも尾道造船の建造であり、残念ながらこの会社の技術力はこの程度らしい。私が船主だったらこんな船は受け取らないだろう。名門大洋フェリーの新造船、「フェリーきょうと2」「フェリーふくおか2」は、2002年に三菱重工(下関)で建造されたが、そうした事情があるからではないかと推測している。

 いずれにしてもこの船は振動が酷く、それがすべてをぶち壊しにしているが仕方がない。我慢して乗って行くこととしよう。

東京―徳島―北九州

東京―徳島―北九州

 船は東京と徳島、そして北九州(新門司)を結ぶ。これを見て英国スウォンジーの方から、この会社が以前運航していた「第三伊豆」の日本時代の写真を送って欲しいというEメールを受け取ったことを思い出した。1972年建造の「第三伊豆」も東京―徳島―小倉を結んでいた。英国ではかなり改造されて使われているらしい。

昼食(開封前)

昼食(開封前)

昼食(開封後)

昼食(開封後)

 まだ午前11時で昼食には早いが、冷凍食品だと直ぐに腹が空く。早めの昼食となる。これは冷凍江戸前寿司という画期的なものだ。上の写真に「FOOD CARD」というプリペイド式カードが見えると思うが、これは乗船時に手渡される。東京―北九州間の場合は、4回使用できるものと3回使用できるものが渡されるので、合計7品食べることができる。料金に含まれており、こうしたサービスのないスタンダード・フェリーに乗船するよりお得かもしれない。カードを使わずに現金でも購入できるので(1品400円から500円)、冷凍食品に関する限り24時間食べ放題だ。

 「サン・デリカ-ほまれ寿司-最高級冷凍寿司」のお味のほうだが、「う~ん」(笑)。まぁ、寿司の味はするが…。

昼食

昼食

 しかし冷凍食品は食べた気がしない。そこでニチレイの「カルビ肉うどん」も食べてしまう(笑)。ちゃんと肉が入っているのは立派だ。いわゆる冷凍食品の「うどん」の味なので、想像はできるかと思う。

レストラン

レストラン

 超近代的な電子レンジの並ぶレストラン。憧れの末来の船だとも、合理化の行きつく果てだともいえる。クルーズ船のような煩わしさはないが、そうかといってここまで合理化を徹底されると寂しくなる(もっとも必要なものは最小限揃ってはいるが…)。

 北ヨーロッパでは、免税販売による利益を武器に大型の所謂「クルーズ・フェリー」を就航させてきたが、更新期を前にEU統合により免税販売が廃止され、合理化を迫られている。フェリー経営者の目からすれば、日本のこうした超合理化船は参考になるかもしれない。が、労働組合活動の活発なヨーロッパでは、ここまで徹底した合理化船を導入することは難しいだろう。旅客としてもあまり導入して欲しくはないものではある。

船首

船首

 と、この船に関して批判がましいことを書いてきたが、評価できる点もある。その一つが船を一周できる遊歩甲板の存在だ。船の好きな人ならば、「船を一周できる遊歩甲板」にはこだわりがあるはず。しかしフェリーでこうしたものが付いている船は少なく(新日本海フェリーの「フェリーらべんだあ」等)、日本のクルーズ船にはすべて付いているものの、外船の場合はできるだけ乗客を乗船させて効率よく収益を上げるため、敢えて付けていないものが最近増えている。

 紀伊水道に入ると漁船や貨物船が多くなる。その間を海上保安庁の巡視船が警戒している。大阪南港は密航者が多いと聞いているが、そうした不審船(あるいは工作船)を警戒しているのだろう。

 時折イルカの背鰭が見えたり、飛魚の群れがぱぁっと水面を飛んだりするのが見える。写真に撮りたいが、突然現れるので難しい。写真は諦め、ぼんやり海を見ていることにした。

船首の銘板

船首の銘板

 船首の銘板には、尾道造船のマークの他、「船舶番号135437」、「総屯数11114屯」とあった。そろそろ徳島だ。

徳島港

伊島

伊島

 伊島が見えてくる。水島、前島、棚子島なども見えているのかも知れないが、どれがどれだか判らない。後ろに四国が見えているが、随分と険しい山々が連なっている。ちょっと気になるのがお天気で、ご覧のように白波が立ち始めている。四国は雨のようだ。

徳島港

徳島港

 徳島港に入っていく。徳島の市街地は写真右手の方向にある。末広大橋が遠くに見えるだろう。船首には船員が既に姿を現している。正に「おもてスタンバイ」だ。

徳島木材団地

徳島木材団地

 港の入口には大きな木材運搬船が停泊しており、その背後にこうした木材団地が広がっていた。徳島といっても明らかに街外れである。

徳島港フェリーターミナル

徳島港フェリーターミナル

 13時30分に徳島港に到着、1時間停泊する。東京行きの上り便は2時間停泊することになっている。接岸時に、「接岸の際、衝撃を生ずることもございますので、お足元には十分お気を付け下さいませ。」といったアナウンスがあったのには驚いた。もちろん乗船客の一人としていつもそうした注意はしてはいるが、大抵は何時接岸したのか判らないくらいに何の衝撃も生じないのが大型船では一般的だからだ。わざわざアナウンスするところからすると、以前に事故があったのかもしれない。僅かな衝撃を感じて無事接岸する。

少年と祖父らしき姿

少年と祖父らしき姿

 徳島に上陸してみたいが、北九州行きの乗客の一時上陸は認められていないようなので、甲板で行き交う船を見ていることとした。貨物船が結構行き交う。日曜日ということもあって、プレジャーボートを楽しむ人もいる。するとフェリー・ターミナル前の岸壁で、フェリーを見ている少年と祖父らしき姿を発見した。汽車に手を振る子供の姿はそう珍しくないが、フェリーを眺めている子供の姿は初めてだった。2人に見送られて徳島港を出港する。すると大粒の雨がとうとう降り出してきた。

フェリーくまの

フェリーくまの

 出港に先だって、向こう岸にある南海フェリーのターミナルから「フェリーくまの」(1989年建造、2,137G/T)が出港するシーンを見ることができた。徳島―和歌山間、61kmを2時間で結んでいる。旅を面白くするなら、徳島で下船して南海フェリーで和歌山に移動し、大阪から新門司に向かうのも悪くないかも知れない。

フェリーよしの

フェリーよしの

 紀伊水道を再び南下して、土佐沖に向かう。だんだん海が時化てきた。途中見かけた「南海フェリー」だが、船名までは確認できなかった。強風と雨の中、望遠レンズで必死の撮影だったが、できあがった写真はご覧のように平凡なものに留まった。「フェリーよしの」(1991年建造、2,185G/T)だろうか。

土佐沖

土佐沖

土佐沖

 いよいよ大時化となる(冗談じゃないぜ)。真っ黒の雨雲が直ぐそこにまで降りてきている。本当に手が届きそうだ。そこから雨というか、むしろ水が大量に降り注いでくる。海はつい先程までとはまるで違う表情を見せ、あたかもアルプス山脈の立体模型の様相を呈している。「うねり」ではなく「波浪」である。波が甲板を洗うというまでには至っていないが、船は激しく動揺し始めた。船首にいると数メートルは上下するので、目が回りそうになる。揺れの少ない船の中央部の軽食コーナーに移動する。

軽食コーナー

軽食コーナー

 徳島からは数人の乗船客があったようだが、皆さん船室に篭ってしまった。ここにいるのは私と、東京で都営バスに乗車していた、いかにも船好きそうな年配の男性客だけだった。和洋折衷の内装で写真でみるといい感じだが、エンジンが近いので、ガタガタ振動している(震度2くらいか)。その上で揺れである。横揺れは余り気にならないものだが、ストーンと落ちたような感じになる縦揺れは、確かに気が遠くなりそうになる。船は時折、パキッ、ペキッと軋みながら、室戸岬沖を目指していた。

3時のおやつ

3時のおやつ

 しかし揺すぶられていると腹が空いてくる(この辺りで船客は、寝たきりになったり嘔吐したりするグループと、腹が空いてくるグループに分かれるようだ。)。そこで3時のおやつにする。

 船酔いの問題は切実な問題だが、クルーズの世界ではタブーになっている。そこでは船酔いが心配な客に対して、「揺れ難い構造だから大丈夫。全長が160mもあれば波を跨ぐことができ、スタビライザーがついていれば横揺は殆どない。」とか、「フェリーなんかと違ってクルーズ船は大型で揺れは殆どありません。」といったことを言って安心させている。しかし本当のことを言うと、これらは半分本当だが、半分はウソである(笑)。

 確かに大きな船は揺れ難い。小さな漁船やプレジャーボートと比べると、揺れ方のピッチは穏やかであり、これだけ時化ても転覆の恐怖はないことは事実だ。しかし海が時化れば揺れるのが船であり、揺れると眩暈がして、酷くなれば嘔吐するのが人間というものだ。これは仕方がないことだ。動揺病は平衡感覚を司る内耳の耳石器や三半規管が刺激をうけて自律神経が失調をきたして起こるものと言われ、症状は、眠気、倦怠感、めまい、顔面蒼白、なまつば、吐き気、そして嘔吐である。反面、揺れなくなるとケロリと直るものだ。

 幸い私はこれまで「嘔吐」にまでは達したことはないが、「眠気、倦怠感、めまい」の症状は出るわけで、実は眠くて仕方がなかった。そこにビール(正確には発泡酒)の酔いが加わり、揺り篭の中にいるような良い気分だった。

 もっとも、ここまで揺れると流石に私でもコース料理なぞを食べる気には到底なれない。だから食事はこれで十分なのかもしれなかった。正にこれが船旅の弱点であり、残念ながら大勢の人々に船が敬遠されている主要理由なのだと思う(他に、高い、退屈、遅いという理由も代表的)。

 最近の研究では波高2メートルの向かい波の場合、嘔吐する乗客を10%以下にするには3万総トン以上の船が必要だと言われている。今日の波高は軽く5メートルはありそうだし、この船の国際総トンは2万トンくらいだろうから、現在嘔吐している乗客は何パーセントに達しているのだろうか。アンケート調査をしてみたかった(笑)。船室の外にいるのは数人であり、静かな船旅だ。

夕食

夕食

 夕食のお時間。「人が船酔いで苦しんでいるのに何て人だ!」などと言わないで欲しい。時間がくれば腹は空くのだ(笑)。しかし、そろそろ冷凍食品には飽きてきた。それに量が少ないのが難点。欧米人ならとても足りないだろう。

夕食

夕食

 追加して「ビストロカレー・ライス」を食べる。ここにあるものの中では一番ご馳走らしくみえるものだ。オーシャンプラザで電子レンジでチンしている乗客は、数人しかいない。他の方は絶食、絶対安静のようだった。

船員食堂

船員食堂

 乗客用のオーシャンプラザの裏側に、実は船員食堂がある。甲板から窓越しに見えるのだが、ご覧にように炊飯器が置かれている。こういうものを見るとちゃんとした飯が無性に食いたくなる。船員よりも乗客の方が条件が悪いという不思議な船だ。

 室戸岬沖で日没とのことだったが、土佐沖は大荒れ。左に傾いて、ストーンと下がったかと思えば、ガクッと右に傾くような揺れであり、私はAデッキのスカイルームで、衛星放送を見て過ごしていた。エアコンが効き過ぎで寒かったので毛布に包まり、柱に寄りかかって体を安定させていた。消灯時間までそうやって過ごし、そして部屋に戻った。明日は午前5時に新門司港に到着予定だ。

おーしゃん のーす

おーしゃん のーす

 午前4時に起きてみると、海は穏やかになっていた。とっくに周防灘に入っているらしい。時化のため新門司港到着が40分遅れたが、午前5時に到着するよりは、かえって好都合だった。

 徳島からは嵐の中の航海だったが、何とか無事到着した。船内でタクシーの予約をしておくと、相乗りだが300円でJR門司駅まで行くことができる。フェリーターミナル前に待っていたタクシーで、企救半島を横断し、JR門司駅に到着した。久々の九州だ。


下関・北九州散歩