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苫小牧―大洗編

苫小牧港

へすていあ

へすていあ

 日本一周の旅は、ここ苫小牧西港の開発埠頭(フェリー埠頭)から始まる。別に東京でも福岡でも、どこでも構わないのだけれども、札幌在住の私にとってはここが出発地となる。大型トレーラーやトラックの姿が目立ってくると、いよいよ港に近づいていることが感じられて、「これから船に乗るぞ!」という船旅独特の高揚感が湧きあがってくるものだ。

 フェリーターミナルの「見学・送迎デッキ」に立つと、1号バースに今日これから乗船する「へすていあ」の姿が見えた。積み込まれるトラックのエンジンの音や船自体のエンジン音で、辺りは決して静かではないが、特定重要港湾の中で内航貨物取扱量が7,084万トンと、2001年度に全国一になった港だけあって活気がある。うちフェリー貨物が半分以上を占めるらしい(内航・外航貨物の合計は9,093万トンの全国第5位)。

シルバークィーン

シルバークィーン

 2号バースには太平洋フェリーの「きたかみ」(1989年建造、13,936G/T)、3号バースには川崎近海汽船の「シルバークィーン」(1998年建造、7,005G/T)が停泊していた。3隻が縦に並んでいる姿は壮観だ。「シルバークィーン」は現在、苫小牧と八戸を結んでいるが、室蘭と八戸を結んでいる東日本フェリーの「べにりあ」と外観がとてもよく似ている。

苫小牧西港フェリーターミナル

苫小牧西港フェリーターミナル

 フェリーターミナルは1階に乗船券売り場(商船三井フェリー・太平洋フェリー・東日本フェリー・川崎近海汽船)があり、2階には総合案内所、レストラン、売店、待合ロビー、乗船口などがあり、3階には「苫小牧ミニポートミュージアム」という苫小牧港やフェリー、苫小牧周辺の観光を案内する展示室がある。鉄筋3階建て延べ5,751平方メートル。2000年度の乗降客数は70万2,000人に達している。

しれとこ丸

しれとこ丸

 時間はあまりなかったが、「苫小牧ミニポートミュージアム」を覗いて見た。見物人はゼロ。以前、札幌駅地下街に広告として展示されていた太平洋フェリーの「きたかみ」の模型がここに引っ越していた。実は後ろに本物が見えており、船好きにとっては何とも贅沢な気分になる。

 そうした展示物の中で注目すべきなのが、この「しれとこ丸」の模型だ。日本沿海フェリーの「しれとこ丸」が初めて苫小牧港に入港したのは、1972年4月29日。石炭専用船が使用していた東埠頭4号岸壁に接岸した。総トン数8,900トン、積載能力は旅客定員761人、自動車112台、トラック114台だった。東京と苫小牧を3日に1便の割合で往復し、満船のため乗船できなかったトラック運転手が発券窓口でトラブルを起こすことも珍しくなかったという。

 日本の長距離フェリーの先駆けは、1968年の阪九フェリーによる神戸―小倉航路(465km)だが、続く1970年代はカーフェリー・ブームの時代だった。ひょっとすると日本人が一番船旅を楽しんでいた時代かもしれない。ラジオの深夜放送に「歌うヘッドライト」という長距離トラックの運転手向けの番組があったり(提供はフェリー会社だったと記憶している)、「トラック野郎」という名のシリーズ化された東映の映画もあったりした。山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)では、武田鉄矢が演じる東京の町工場で働く九州出身の青年が、近海郵船のカーフェリー(「さろま」か「ましう」と思われる)で北海道にドライブ旅行に出掛けたものだ。

 「しれとこ丸」はギリシャのMinoan Linesで、N. Kazantzakis (11,174 G/T)という船名でしばらく活躍していたが、現在は見当たらない。1972年建造の船なので、船齢30年規制が発効することになっているギリシャでは、フェリーとして使用することはもうできないだろう。廃船だろうか。

フェリー出航案内

フェリー出航案内

 大急ぎで見学を終え、トイレに寄って階段を降りて来ると、「へすていあ」はもう乗船中だった。急いで長い長いギャング・ウェイ(船に乗るための渡り廊下)を歩いて行くこととした。

 ところで東日本フェリーの「へすていあ」といえば室蘭の船であり、苫小牧で乗船できるというのは何だか奇妙な感じがしたものだった。これはご存知のように室蘭―大洗航路が2002年6月2日をもって廃止となり、苫小牧―大洗航路に集約されたためだ。室蘭―大洗航路は1985年3月から運航が開始されたが、この首都圏と北海道を結ぶ航路の開設を巡っては、室蘭市と苫小牧市とが激しい誘致合戦を繰り広げ、どうにも止まらん「苫蘭戦争」と揶揄されたこともある。結局、東日本フェリーが室蘭、日本沿海フェリー(現、商船三井フェリー)が苫小牧から大洗を結ぶという「V字航路」となったが、貨物の大部分は大消費地札幌に向かうことから、17年の歳月を経て札幌に近い苫小牧が勝利する形で決着した。苫小牧は元々砂浜の海岸であり、札幌に近い太平洋側の港は室蘭に限られていたが、海岸を浚渫して港が出来上がってみると便利な苫小牧に人も貨物も流れてしまった。今や日本海側の小樽港も貨物を苫小牧港に奪われつつあり、「苫小牧港一人勝ち」の状態になっていると言っても良いだろう。

 関東と北海道を結ぶ航路は、景気の低迷や内航RoRo船の参入で船腹過剰状態であり、さらに規制緩和に伴う運賃の値引き合戦などにより、コストのかかる旅客フェリーは厳しい状況に置かれている。確かに旅客は「文句を言う貨物」であり、旅客を扱わない船に比べて手間がかかることは事実だろう(私は文句は言わないが、というのはウソだが。笑)。生き残りをかけて、東日本フェリーは6月3日から商船三井フェリーとの共同運航を開始した。現在、「ばるな」(1998年建造、13,654G/T)は商船三井フェリーの乗務員により運航されており、そのためか東日本フェリーのパンフレットの表紙には「へすていあ」が復活した。地元贔屓というわけではないが、「へすていあ」に乗船できてうれしかった。

へすていあ

エスカレーター

エスカレーター

 さて、ここからが船である。別のページで紹介しているように、正月に室蘭港に停泊していた「へすていあ」に遊びに行った時は車輛甲板から乗船したが、今日は普通の客としてエスカレーターで船内に向かった。事前に今日乗船することを連絡して機関室などに遊びに行くことも考えはしたが、今回は正にお仕事中でありご迷惑かとも思い、他の乗船客に紛れて乗って行くこととした。別に覆面取材というわけではないけれど…。

売店・案内所

売店・案内所

 「へすていあ」は1993年11月18日就航。全長192m、全幅27m、喫水6.7mの船であり、クルーズ船の「飛鳥」とほぼ同じくらいの大きさの船だ(全長192.8m、全幅24.7m、喫水6.6m)。確かに総トン数は13,539G/Tであり、「飛鳥」の28,717G/Tに比べ半分以下の数字となっているが、これは再三申し上げているように日本のカーフェリーの総トン数は車輛甲板を控除して計算しているからであって、実際のところ3万トン級の船とみて良い(なお、総トン数は容積の単位であって、重さの単位ではないことに注意!)。ほぼ同型の船に「へるめす」(1990年建造、13,383G/T)、「はあきゆり」(1992年建造、13,403G/T)があったが、既にギリシャのAnek Linesに売却されている。室蘭から直江津まで「へるめす」に乗船したことがあったが、内部の構造は殆ど同じだと言って良い。これらの船はいずれも三菱重工の建造した船であり、長崎で建造された「飛鳥」を除くと、いずれも下関造船所の生まれだ。実はこの旅では、これからその下関造船所にも行く予定になっている(ワクワク)。

マリンシアター

マリンシアター

 「マリンシアター」は案内所の後ろについている。ちょと入り難い感じもする。そのためか、後に建造された「れいんぼうべる」(1996年建造)、「れいんぼうらぶ」(1997年建造)、「ばるな」(1998年建造)などは、違う場所に設置していた。

カード・コーナー

カード・コーナー

 「カード・コーナー」は長距離フェリーではおなじみの設備であり、クルーズ船にもついているが、余り利用者はいないようだ。今後建造される船では、こうした余計な設備は廃止されていくのかも知れない。

ゲーム・コーナー

ゲーム・コーナー

 「ゲーム・コーナー」もおなじみのものだが、一種の無人カジノと考えると「優雅な気分」になれるかもしれない。ヨーロッパにはカジノを設けているフェリーがあるが、日本では仮にカジノが解禁となったとしても、フェリーでは人件費ばかりかかってうまくは行かないだろう。しかしスロットマシーンやパチンコだったらうまく行きそうにも思うのだが…。

男子便所

男子便所

 「男子便所」だが、「こんな写真は載せるな」という声も聞こえてきそうだ。ご覧のように手摺がついていることを除くと陸上の便所と違いはない(女性の方は興味津々でしょうか?)。ただ、時化たときの排尿行為は少々技術を要するものだ。男性諸氏、ズボンを汚さぬように!

汚物流し器

汚物流し器

 しかしもっと刺激的な写真も掲載してしまおう。「汚物流し器」というのだそうだ。上の張り紙にはこうある。

「船酔いのお客様へ 汚物流し器の中へお吐き下さい。チリ紙以外は流さないで下さい。使用後はレバーを押して下さい。」

 こういう設備を見ていると、素直な(?)私は、嘔吐しなければならない衝動に駆られてしまう(笑)。船旅における重要問題の一つである「揺れと船酔い」については後で考察することにする。

特別室

特別室

 この船の場合、船室の等級は「特等」(洋室)、「1等」(洋室、和室、和洋室)、「2等寝台」、「2等」、そして「ドライバーズ・ルーム」に分れている。ところが特等船室が並ぶBデッキの右舷船首に、「特別室」という特等船室ニ部屋分の広さを持つ部屋がある。これは会社関係の接待用の船室で、一般の旅客は利用できない。ネット上で、「はあきゆり」に乗船したある女性が乗船後に「特別室」の存在に気がつき、乗せてくれと談判したところ断られて憤慨したという乗船記を読んだことがある。こういう我侭な乗客に苦労することもあるのだろう。As you wish, as you like.を謳い文句にしているクルーズ客船会社があるが、だからと言って船は我侭が許されるところだと勘違いしてはならない。でもちょっと覗いてみたいよね。

1等客室

1等客室

 こちらはCデッキの1等客室が並ぶ廊下。特等と1等の違いは、バス・トイレが付いているか否かという点にある。

2等寝台客室

2等寝台客室

 実は今回の旅では、この「へすていあ」を除いて、すべてモノクラスの2等寝台しか付いていない船だった。そこでこの船では特等に乗船することも考えたが、7万円台で行く日本一周の旅にはならなくなるので、こちらを選択した。夏の繁忙期(多客期)と違い10月になると乗客は少なくなり、乗客は下のベッドだけを利用することが多い。今回もそうであり、寝るだけだったら2等寝台で十分だと思う(特等客室でも私は寝るだけだが)。結構快適だ。

2等客室

2等客室

 しかし、この船にも伝統の(?)雑魚寝の「2等客室」がある。私はなるべく避けたいが、安く旅をする場合は利用しない手はない。

レストラン

レストラン

 少し暗く写ってしまったが、こちらがレストラン。出港前に夕食を摂ることにした。厨房は左手奥にあり、船員食堂の厨房と共通になっていた。雰囲気は学生食堂という感じ。フェリーターミナルで夕食を済ましているのか、それともコンビニ弁当を持ち込んでいるのか、乗船客の全員がここを利用しているようではないようだ。

とんかつ定食

とんかつ定食

 日本一周クルーズ、最初の晩のお料理は、「とんかつ定食」(1,050円)となった。食券の販売は自販機だが、ウェートレスがテーブルに運んで来てくれる。そういえば博多―直江津間で乗船したかっての「れいんぼうらぶ」もそうだった。あの船はメニューも少々上を目指していて、料金の設定も高めだった。しかし当時のメニューによると、「れいんぼうらぶ」の「とんかつセット」も1,050円だったようだ。

 味の方は値段相応の一般的なものだった。私は別に不満はなかった。

きたかみ

きたかみ

 銅鑼の音が放送され、いよいよ出港。甲板に出てみると後ろに「きたかみ」の姿が見えていた。気がついたら船は既に動いており、「きたかみ」の姿はどんどん小さくなって行った。

 「今度はあの船で名古屋に行くのも悪くないな。」

 そんな呑気なことを考えているうちに寒くなってきたので船の中に戻った。かくして苫小牧―大洗間、758kmの航海が始まった。

太平洋南下

展望室・喫茶コーナー

展望室・喫茶コーナー

 朝、Aデッキにある展望室に行く。レストランの後ろにあるのだけれども、少し分り難いところにある。そのためか乗客の姿は殆どない。自販機で紙コップのコーヒーを買い、誰もいない喫茶コーナーで寛ぐ。喫茶コーナーは営業するのは夏の繁忙期だけらしく、営業していなかった。

 空調の音にエンジンの音が隠れてしまうようで、静かだった。時折上下に揺れることがあるが、気になるという程のこともない。いや、かえって偶に揺れてくれる方が船旅らしくて良いだろう。今日は天気が良く、正に船旅日和だ。

朝食

朝食

 レストランで朝食を摂る。「洋定食」(1,050円)。コーヒーカップが紙製、オレンジジュースはプラスチックのコップになっている点がいただけないが、まぁ文句はあまり言わないことにしよう(クルーズ船ならば星3つだが)。

甲板

甲板

 甲板に出てみると、1ヶ月程季節が遡ったような陽気だ。半袖で正解だった。天気はご覧のように良いのだが、ややもやがかかっているのが残念だ。仙台沖らしいが右舷に陸地らしきものは何も見えない。しばらく甲板でブラブラして過ごす。

甲板

甲板

 航跡を眺めるのならば、この位置が良いかもしれない。「余計なサービスは要らない。私は航跡を眺めているだけで幸せ。」という人は案外多いのではないだろうか。そう、船が好きな人は正にこういう光景を体験するために乗船しているのだと思う。言葉による余計な説明などは要らないだろう。

煙突

煙突

 「へすていあ」の煙突は実に立派だ。ただモニタの解像度が低いためはっきりとは見えていないが、煙突の真中辺りに何かがぶつかったような跡があり、ペンキが剥げていた。どうも鳥が激突しているらしい。何故か鳩が船の周りを飛んでいた(どこから来たのだろう)。鳥の安全のことを考えると、船の煙突はあまり高くない方が良いみたいだ。

海

 ただ海を見ているだけだが、正に快い至福の時間が流れる。日差しが強くなって来たためか、海の色が濃くなってくる。海は穏やかで揺れは殆ど感じない。船酔いで苦しんでいる人は、恐らく皆無だろう。気持が良いなぁ。

甲板

甲板

 しばらくして船は大きく右に舵を切った。大洗が近づいてきたようだ。そろそろ「へすていあ」の船旅も終わりかと思うと、名残惜しい。

カレーライス

カレーライス

 大洗港には13時30分に到着する予定。そこで昼食を済ましておく。「カレーライス」は550円。まともな食事とはこれでしばらくお別れかと思うと、このカレーライスが何ともおいしく思われる。実は今日、この後乗船する船は、何と冷凍食品の自販機のみで食堂がついていないらしい。そう、「へすていあ」のような船が当り前の標準的なフェリーだと思っていた人には、ちょっとビックリするような船が登場することになっている。昨日の夕食、そして朝食とやや値の張るメニューを選択してきた理由は、その辺りにある。

大洗港

パラセーリング

パラセーリング

 大洗の海岸が見えてきた。今日は土曜日の午後であり、港にはパラセーリングを楽しむ人もいた。大洗港の入口には、「大洗サンビーチ海水浴場」、「大洗マリーナ」がある。10月なので流石に海水浴客の姿はない。人気のない砂浜が広がっていた。

大洗港

大洗港

 大洗港に定刻通り到着。左に見える高い塔は「大洗マリンタワー」。フェリー埠頭の近くに展望台がある風景は、どこかで見たことがある気がしたが、秋田港もそうだった。「大洗マリンタワー」は高さ60m。時間があれば行きたいが、残念ながらその時間はない。フェリー見物をするには最適かもしれない。

大洗フェリーターミナル

大洗フェリーターミナル

 かくして大洗に無事到着した。大洗港は首都圏と北海道とを結ぶ唯一の旅客フェリーの発着港だ。…と書くと、さぞかし賑やかなところだと思われるかも知れない。ところが苫小牧港のような活気はまるでない。眠ったようなところだった(土曜日だから?)。

大洗フェリーターミナル

大洗フェリーターミナル

 ターミナルビルは古いビルの後ろに新築したようだったが、建物ばかり立派で殆ど無人の状態。これでも出発時刻が近づくとある程度の賑わいを見せるのかも知れない。現在は苫小牧行きの船しか出ていないので寂しい。

へすていあ

へすていあ

 ところで旅はこれでおしまいなのではない。これから東京に向かい、次の船に乗り遅れないようにしなければならないのだ。茨城交通のバスでJR水戸駅に出て(所用時間30分くらい)、そこから上野に向かう予定だったが、バスの時間まで50分程あり、予定していた電車に乗れないことが判って少々焦る。乗り遅れたら、この「日本一周の旅」はアウトだ。時刻表を捲り一つ遅い電車にする(こういうときのためにこそ時刻表は持参すべき)。すると上野から新橋に出て、ここで「ゆりかもめ」(東京臨海新交通)に乗換えて、国際展示場正門駅に行くとなると、東京港フェリーターミナル行きの都営バスには、時間的にはギリギリであることが判明した(ここからの所用時間は約3時間)。

 それにしてもバスは中々来ない。渋滞にでも巻き込まれたのだろうか。だんだん心配になってきたぞぉ。


東京―徳島―北九州編