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2009年2月

2009年2月の海外旅客船情報

エジプト人観光客がクルーズ定期船でアンタルヤに旅行(トルコ)

エジプト人観光客が、往復便で毎週クルーズ定期船に乗って、トルコのアンタルヤ市の南部行楽地に旅行することとなる、とトルコ観光部門 の幹部は報告した。

アンタルヤに本拠を置くAKIS Maritime, Shipping, Tourism and Trade Corpの執行委員会会長のAta Kunerは、外国のクルーズ船会社が、適切な港湾とサービス価格を理由に、トルコを好むことになると発表した。

イタリア船籍のクルーズ船1隻が、毎週、エジプト人をアンタルヤに運び、また、英国船籍とドイツ船籍の船が、今年、この都市を訪問す る、 とKunerは語った。(Focus on Travel News: Sunday, 01 February 2009)

クルーズ船が接岸して観光業を後押し(ケニア)

観光業界は日曜日、モンバサ港に403人の観光客を乗せたクルーズ船が接岸して、大入りとなった。

この観光客は大半がアメリカ人だったが、ここの海岸の様々な観光地に行く一連のサファリ旅行に繰り出していた。

Christineとだけ身元を明かしたこの豪華船の幹部によると、240人のアフリカ系アメリカ人が、クルーズ船に乗船しているとい う。

物珍しい物を殆ど売りつくして、商人の大半はにわか景気だった。

過去2ヶ月間に、数隻のクルーズ船がモンバサ港に接岸している。(Daily Nation: Sunday, February 1 2009 at 19:21)

州政府、フェリー新世代の計画手続き開始(米国)

ケチカン発。Alaska Marine Highway Systemの幹部は、現在の11隻からなる老朽化した船隊を更新すべく、フェリーの新世代計画を開始した。

先週、フェリー幹部らは、この事業の概略・現状報告を発表した。幹部らは、計画の手続きに大衆を関与させる目的で、新しいウェブ・サイ ト も始めた。

「これは環境に責任を持ち、低燃費の、多目的のフェリーに関して論評できる機会を旅行者に与えることになる素晴らしい機会なのです。」 と 州のDepartment of Transportation(=運輸省)の長官、Leo von Schebenは語った。

Department of Transportation(=運輸省)の長官代理、Jim Beedleは、目標は、様々な利用者の必要に応える船を設計することにあると語った。

この新しい「Alaska Class(=アラスカ級)」の船舶は、内側海域の中距離航路に就航させることになっている。

当局者は、実行可能性の検討は4月30日までに終えて、2010年の2月末までに最終的な設計を決めたいとしている。

「信頼性を向上させてアラスカの内側海域を航海することとなる新しい唯一の設計のフェリーを取得することとなる可能性にワクワクしてお り ます。」とBeedleは語った。(Anchorage Daily News: February 1st, 2009 10:16 PM)

アルゼンチンのウスアイアは、今や南米一のクルーズ観光港に(アルゼンチン)

ブエノス・アイレス発。アルゼンチン最南端の都市であるウスアイア港は、南半球をクルーズする観光客にとっては、1番の目的地となって いる。というのは、南極への「entryway(=入り口)」になっているからだ、と当局者は土曜日に話した。

今年、ウスアイア港には、乗客が120人もいない船から3,000人以上も乗せる、異なる大きさの396隻のクルーズ船が予定されてい る。

乗客80人から90人を乗せるクルーズ船が、2009年、ブエノス・アイレスから3,000キロメートル(1,900マイル)ばかり南 に ある、ティエラ・デル・フィルゴ地方の首都から、南極へ270回以上も横断する。

ウスアイア観光局局長のDaniel Leguizamonは、国営通信社のTelamに対し、地元クルーズのシーズンは、11月から4月末まで延長していると話した。

この当局者によると、今週の金曜日に巨大なクルーズ船「Mariner of the Seas」がこの都市を出発したが、この港に接岸するには喫水が深過ぎたものの、3,000人以上の乗客がウスアイアを訪問することができたという。

このバハマ船籍のクルーズ船は、長さ311メートル(980フィート)、幅38.6メートル(127フィート)で、南北アメリカを46 日 間かけてクルーズしている。

「ウスアイアは実際、南極に行くクルーズでは世界的に優位に立っています。その90パーセントが、ここを通過しているのであり、他港と 分 ち合うようなことはありません。それで非常に重要な港なのです。」とLeguizamonは語った。

アルゼンチン沿岸警備隊によると、2008年―2009年度のクルーズ・シーズンは、12月2日に始まり、4月18日に終わる。124 隻 の船が、合計268,000人の乗客を乗せてブエノス・アイレス港に接岸する予定だという。(Latin American Herald Tribune: February 2, 2009)

イタリアへの新しいGrimaldiの旅客運航(マルタ・イタリア)

Grimaldi Groupは、3本の新しい運航を始める。旅客と貨物を扱い、マルタからカタニア、ジェノバ、チベタベッキアに向うもので、月曜日から始まる。乗客向けの低価格運航を約束 する。

この新航路は、旧Eurostar SalernoであるMV Cataniaによって運航され、乗客を834人、乗用車170台、商用トラックを172台まで積載可能。93室の快適な船室には、2つの引き落とし式の寝台の付いたベッ ドが2台、一式のシャワーがある。この船には、十分に設備の整った食堂が1つ、小さな酒場が2つ、上甲板にもなるヘリポートが1つ、更に ゲーム区画が1つある。

しかしこの3つの新航路の最も重要な要素は、本船は22ノットで巡航できることであり、北アフリカに寄港することなく、ジェノバからマ ル タに運航されることだ。このことは、カタニアへの旅はたったの6時間しかかからないことを意味する。一方、ジェノバからは36時間かかる こととなる。

ジェノバからマルタに、月曜日の7時に到着すると、貨物は事実上、一日中扱えることになる、と就航に立ち会った貨物業者は語った。マル タ からの貨物は、土曜日の7時にジェノバに到着する。

貨物は、カタニアからイグメニッツァとパトラに向う毎週1回の運航のおかげで、カタニア経由で、ギリシャと東地中海との新たな連結から も 利益を得ることなる。

Grimaldiは、チベタベッキアへの運航も行うこととなり、マルタ人は初めて海路でローマやトスカーナ州に行くことができることと な る。

この新運航についての詳しい情報は、ウェブ・サイトへ。Grimaldiは、過去50年間に亘り、マルタにSullivan Maritimeという代理店をもっている。

ジェノバ―マルタ―ジェノバ
旅客と貨物:週1回、貨物のみ:週2回

カタニア―マルタ―カタニア
旅客と貨物:週2回、貨物のみ:週4回

チベタベッキア―マルタ―チベタベッキア
旅客と貨物:週1回、貨物のみ:週2回(di-ve.com: 02 February 2009 --13:50CEST)

Sulpicioの旅客運航の一時停止の解除はありそうにない、とMarina(フィリピン)

フィリピン、マニラ発。そうしてもらいたいのと陳情はあるものの、Maritime Industry Authority(=海運業局) (Marina)は、Sulpicio Lines Incの旅客船運航に関する一時停止を解除することには熱心ではない。

火曜日、ラジオのdzBBのCarlo Mateoの報告で、Marinaの局長Elena BautistaがSulpicioは一時停止を解除してもらうための全ての要求事項を満たす必要があると話しているのを引用した。

Bautistaは、Marinaは現在でも、Sulpicioの旅客運航を中止せよとするSpecial Board of Marine Inquiry(=海事審問特別会議)の提言に耳を傾けていると語った。

また、Sulpicioは労働者を再訓練するため、この会社に要求されているものを満たしていないことも指摘した。

Bautistaによると、Sulpicioは労働者再訓練を実施するため、ある学園を指名したが、同学園は許可していないという。

月曜日、1,000人余の港湾労働者が、ポート・エリア(注、「港湾地域」の意も)からMarinaの事務所に、Sulpicioに対 す る一時停止命令を解除するよう求めて行進した。

しかしBautistaは、MV Princess of the Starsの惨事がこの一時停止を引き起こしたものだとして、労働者はSulpicioの事務所に行進して行くべきだったと話した。

MV Princess of the Starsは、台風Frankの最中、2008年6月にロンブロン島沖で転覆した。(GMA news.tv: 02/03/2009 08:49 AM)

王の特権(カナダ・英国)

ブリティッシュ・コロンビア州、サリー。私は1930年に生まれ、育ったのはCunardの本拠地のリバプール。そして多くの Cunardの船を見てきた(The Cult Of Cunard、1月31日付け旅行欄)。

Cunardの定期船の命名法は、非常に興味深いものだ。全ての船の名前が「ia」で終わっている。すなわち、Britannia、 Carpathia、Lusitaniaのように。

この話は、当時、世界最大の旅客船が1934年に建造されたときに遡る。Cunardの社長がKing George V(=ジョージ5世国王)に謁見し、国王と女王に同船の洗礼式を主宰していただけないかと尋ねた。

「Certainly(=宜しい。)」と国王は話されたと伝えられている。「What have you decided to call her?(=どういう船名にしたのかね。)」

「We are going to name her after England's greatest queen.(=私共はイングランドの最も偉大な女王に因んで命名致します。)」というのが返答だった。

「Excellent(=素晴らしい。)」と国王は答えた。「My wife will be delighted!(=私の妻は喜ぶでしょう。)」

同社の「ia」で終わる船名の歴史を維持して、この船は明らかに「Queen Victoria」と命名する意図だった。既にこの船名が、船体に書き込まれていた。それで消さなければならなくなり、「Queen Mary」に書き換えたのだった。

1938年、更に大型の船が進水し、King George VI(=ジョージ6世国王)が在位していた。そのため、「Queen Elizabeth」と命名しなければならなかった。(Globe and Mail: February 3, 2009)

クルーズ船が鯨に衝突(チリ)

先週のこの気持ちの悪いニュースを見逃していた。Royal CaribbeanのRadiance of the Seasが、船首に鯨の死体を引っ掛けて、チリのプエルト・モントに到着したという(Cruise Junkie、ありがとう。)。

チリのEl Mercurioは(もちろん、スペイン語で)、12メートル(39フィート)の鯨は大変に腐敗が進んでいて、船と衝突した時に生きていたかどうかは判らないと報じてい る。漁船が、この遺骸を海に捨てたという。

同紙は、乗客はこの出来事を知らなかったと報じていた。でも、この写真を投稿した乗客によると、違うらしい。(Hartford Courant: February 4, 2009 9:54 AM)

William Lynch軍曹に関する催し、MARY DALY(米国)

ウォルサムの住民でNew England Historic Genealogical Society(=ニュー・イングランド地方歴史系図協会)の図書館長のMarie Dalyが、2月9日午後7時30分に、735 Main St.のWaltham Public Library(=ウォルサム公共図書館)で、William Lynch軍曹の話をする。軍歴、日本人に囚われたこと、この第二次世界大戦の英雄を探し出し帰国させるための国際的な取り組みを話す。

1942年、ドーチェスターのUS Marine Staff(=合衆国海兵隊員)のLynch軍曹は、Wainwright将軍が日本に降伏したとき、フィリピンに駐留していた。カバナタワンの捕虜収容所での飢えに耐 え、地獄船Tottori Maru(=鳥取丸)の身の毛のよだつような状況に耐えて、満州のMukden(=奉天)に移送された。2回脱走したが、再び捕えられた。彼は、奉天の日本の捕虜収容所の 唯一の行方不明の捕虜のままである。今、ある中国の歴史学教授が、Lynchが埋葬されているかも知れない場所を突き止めた。遺体は切り 刻まれて樽に入れられ、この元収容所近くの野原に埋められたという。

詳しい情報は、電話781-314-3423番へ。(Daily News Tribune: Posted Feb 04, 2009 @ 01:02 PM)

日本のPEACE BOATがケニア訪問(ケニア・日本)

今週、モンバサのキリンディニ港を訪問したのは、豪華旅客船の「Mona Lisa」だった。日本の横浜を出発して、現在、3ヶ月間のインド洋クルーズをしている。

「Peace Boat」という組織が傭船して運航しており、この船には、800人の参加者と400人の船員を乗せている。ケニアの寄港は「64th Global Voyage for Peace」の一環で、2009年1月15日に日本を出発し、16カ国の18港を訪問する。

バハマ船籍の「Mona Lisa」は、28,891総トン。喫水は約9メートル、長さはちょうど200メートル、幅は7メートル(注、27メートルの誤り)近くある。本船の最大搭載人員は、乗客 は1400人近くで、船員は400人以上。

元々はイェーテボリとニューヨーク間を運航する「Kungsholm」として命名された「Mona Lisa」は、スコットランドのクライド・バンクで建造され、1965年に就航した。

堅牢で高速のMV Mona Lisaは、多彩な経歴を有しており、長らく大西洋横断をすると共に、頻繁に短距離の地中海クルーズも行った。

「Mona Lisa」は、1978年に新たに船室を増築するなどの大幅な改造工事を行った。本船はその後、P&O cruisesに買収され、「Victoria」として知られた。

長年に亘ってP&Oの船隊と共に展開していたが、2002年、この船は「Mona Lisa」と改名され、大きなドイツ観光市場に移籍した。

Peace Boatは「Mona Lisa」を、2008年11月以来、傭船している。

それぞれの航海では、世界中から招かれた約50人の教育者が参加しており、Peace Boatは、一連の教育活動を組織している。これには、平和教育研究会、講義、語学教室、文化事業が含まれる。

3つの作業空間の他、船には様々な寛げる場所があり、スポーツ甲板、体育館、図書館、映画館、プール、日本風公衆浴場、喫茶店、酒場、 日 光浴用の甲板がある。Peace Boatの広報担当者は、次のように説明した。

「この船は国境を越えた中立的な空間でありまして、洋上平和村になっています。連帯感を高め、乗船者と訪問先の港の人たちとの直接対話 を 可能にするものなのです。」

「私達の事業は、船上と港の双方において、Peace Boatの活動の中心的な側面を探求して参ります。すなわち、平和、人権、持続可能な環境の尊重です。そして狙いとしているものは、平和と持続可能性の道具として、旅行を 発展させるところにあります。」

この第64回地球航海では、Peace Boatは平和の呼びかけをするために、世界中の港で活動をしている。広報担当者は、次のように結論付けた。

「Mona Lisaが2月4日7時にモンバサ港に寄港する際には、「Stop the Killing in Gaza - Listen to the Voice of the World(=ガザでの人殺しを止めろ―世界の声を聞け)」と訴える巨大な横断幕を船に掲示いたします。」

25年以上に亘り、2009年1月現在で64回目となる平和航海を行ってきたPeace Boatは、80カ国以上の100港以上を旅してきた。(Coastweek: February 06 - 12, 2009)

戦慄の電報が最初の英国船が第二次世界大戦でいかに沈没するところだったのかを明らかに(英国)

2月6日、ロンドン発。70年前に送信したある戦慄の電報が、第二次世界大戦の海戦時に、いかに最初の英国船がドイツによって沈没する ところだったのかを明らかにした。

北大西洋で無防備の旅客船S S AtheniaをドイツのU-boatが攻撃した後、Admiralty(=海軍本部)が近くのヨットの船長、James McClelland宛てに電報を送った。次のように書かれていた。

「SOS from British steamer Athenia. Torpedoed - 1400 passengers some still aboard sinking fast.(=英国の汽船、Atheniaより救難信号。雷撃。1400人の乗客その他を乗せたまま急速に沈没中)。」

この電報は、Admiralty(=海軍本部)とMcClellandの間で交わされた3通のうちの1通。第二次世界大戦開戦70周年 を 記念する展覧会のため、ロンドンのImperial War Museum(=帝国戦争博物館)に送られることとなっている。

McClellandはこの電報を受け取り、10時間過ごした。電報には、アイルランドのInishtrahullの北西250マイル の SS Atheniaの船員・乗客の救助に向ったとある、とThe Telegraphは報じている。

1939年9月3日午後12時18分に、全ての船舶に第1報が送信され、「war has broken out with Germany(=ドイツとの戦争が勃発した)」、船舶は攻撃を避けるため、ジグザグに、急速で、航行せよ、と発表された。

救難信号を含む第2報は、10時間後の午後10時10分に送信された。McClellandがSS Atheniaに送信した第3報は、午後10時34分だった。次のようにあった。

「Distance from you 50. Steering full steam ahead to your assistance.(=貴船からの距離、50.全速前進で貴船の支援に向う。)」

Southern Crossを含む数隻の船が、攻撃現場に向かい、約980人の乗客を救助した。118人の乗客と船員が死亡した。

ドイツの潜水艦の艦長は、武装商船と間違ってAtheniaを攻撃したのだった。

ベルファストのMcClellandの孫、Greg McClelland(50)は、最近、箪笥の中から、これらの物を再発見した。次のように語った。

「私の祖父は1950年代に亡くなっており、父が整理して、その後、私が引き継ぎました。それぞれの電信には、ほんの僅かな言葉しかあ り ませんが、第二次世界大戦開戦の驚くべき話を物語るものです。」

SS Atheniaは攻撃当時、グラスゴーからモントリオールに、1,103人を運んでいた。(TopNews: Fri, 02/06/2009 - 08:05)

嘔吐ウイルスが「呪われた」クルーズ船を襲う(英国)

先週、風力9の強風で乗客が怪我をしたクルーズ船が、嘔吐ウイルスに襲われている。

Balmoralに乗船した200人以上の観光客が、死をもたらす可能性のあるノロウイルスに倒れたという。

Mirrorは、この豪華定期船が、カナリア諸島と西アフリカに行く18日間クルーズの最中、ビスケー湾で50フィートの波に打ちのめ さ れ、80人の英国人が怪我をしたしたことを、先週、暴露した。両親が乗船しているというSharon Leighは、次のように語った。

「現在、両親は地獄のクルーズをしています。全ての公室は、閉鎖中とのことです。」

Balmoralの船主、Fred Olsenは次のように語った。

「感染者数は、乗船者の僅かな割合です。船室に隔離されている方には、補償致します。」

同社筋は、次のように語った。

「この船は、呪われているに違いない。」(Mirror.co.uk: 7/02/2009)

チタス川でトロール船が転覆し、10人死亡、25人怪我(バングラデシュ)

昨日、ナビナガル・ウパジアのモンタラ近郊のチタス川で発動機船が転覆し、女性と子供を含む少なくとも10人が死亡、他に25人が怪我 をした。

生存者は、約50人の乗客が乗ったケルクタ発ナビナガル行きの船に、バイラブ行きの小型船が、午前11時30分頃、激しく衝突したと話 し ている。発動機船はバラバラになって、乗客が鋭い悲鳴をあげる中、転覆した。

地元民が現場に急行し、Eti(14)、Rozina Akter(25)と3歳の娘のセンマントガルのAyesha、Joysna Begum(35)と8歳の息子のTanjin、Nasima begum(35)と8ヶ月の幼児のMohalla、アリアバド村のRina Akter(10)の遺体を収容した。

他の何れも30歳から35歳の女性2体の遺体の身元は、直ぐには判明しなかった。

全ての遺体は、Nabinagar Health Complexに搬送された。怪我人のうち3人は、Nabinagar Health Complexに急送された。(The New Nation: February 9, 2009, Updated: Bangladesh Time 12:00 AM)

長崎建造船が今週寄港(ニュージーランド・日本)

Waitangi Day(=ワイタンギ・デー、注、ニュー・ジーランド建国記念日)に寄港したDiamond Princessは、今週寄港することとなっているAsuka II(=飛鳥 II)、Amadeaと並んで、ある点で共通している。

これら改名されたクルーズ船は、全てMitsubishi Heavy Industries Ltd(=三菱重工業株式会社)の長崎造船所の製品なのだ。

先週の訪問者は、今週の訪問者が就航して10年以上経ってから、この造船業者によって引き渡された最初のクルーズ船だった。

Diamond Princessは、P and OのPrincess Cruisesの船隊向けに起工した、2隻のうちの2番船だったが、先に就航した。

船はSapphire Princessと命名されることとなっていた。しかしDiamond Princessとして進水した1番船が、竣工予定の数ヶ月前に、火災により酷く損傷し、船名を交換したのだった。

約70%を再建しなければならなくなり、この船は2004年5月まで引き渡すことができず、Sapphire Princessに改名した。

日本のNYKグループ向けに建造されたAsuka II(=飛鳥II)とAmadeaは、Mitsubishi(=三菱)から、それぞれ1990年6月、1991年10月に引き渡された。両船とも以前、当地に元の船名で寄 港している。

50,142総トン、690床のAsuka II(=飛鳥II)は、Crystal Harmonyとして、1998年11月15日から2004年3月18日までの間に、5回寄港している。

当時はバハマのナッソーに登記されており、NYKのCrystal Cruises Incが保有していた(注、「NYKが保有し、Crystal Cruises Incに裸傭船」の誤り)。

2005年11月、Crystal Harmonyは、その船名でメキシカン・リビエラへの最後のクルーズを行った。

この船はその後、改造のため、ブリティッシュ・コロンビア州のVictoria Shipyardsに送られた。

この改造作業を終えて、太平洋を横断し、2006年に日本から世界一周クルーズに出かけた。そのときまでに、本船は現在の船名になり、 NYK Cruises Incに移籍し、日本船籍となった。

また本船は、同じ会社が日本船籍で運航していた、小型の28,856総トン、604床のAsuka(=飛鳥)を代替し、その船名を引き 継 ぐものでもあった。

横浜から東南アジアの港湾に向う33日間周遊航海の後、この船は2006年2月に、Amadea Shipping Company Ltdに売却された。

ナッソーに船籍変更となり、Amadeaに改名した。本船は現在、モンテ・カルロ(モナコ)のV Ships Leisure SAMが管理しており、ボンに本拠を置くPhoenix Seeereisen Cruise Lineが運航している。

Asuka(=飛鳥)は、当地に寄港した最初のNYKのクルーズ船であり、1995年2月5日から2005年2月2日までの間に、5回 寄 港している。

NYKの他のクルーズ船、51,044総トンのCrystal Symphonyは、当地には1998年2月の1回しか寄港していない。

2003年建造の68,870総トンのCrystal Serenityは、今月下旬に2度目の寄港をする。

27,795総トン、46,724重量トンの沿海油槽船のKakarikiは、先月で就航11年目に入った。

ポーランドのシュチェチンで建造のKakarikiは、1999年7月14日に、当地に初めてお目見えした。先週、この油槽船はダニー デ ンに100回目の寄港を行った。

今日まで、これよりも多く寄港したニュー・ジーランド船籍の油槽船は、Taikoが、1984年10月28日から2007年3月23日 ま での間に140回、Kuakaが、1976年3月14日から1996年1月27日までの間に107回となっている。(Otago Daily Times: Mon, 9 Feb 2009)

新しいManly Fast Ferryを抗議が出迎える(オーストラリア)

シドニーの新しいManly Fast Ferryを利用する乗客は、今朝、身の安全が危険に晒されていると主張する抗議者によって出迎えられることとなる。

Maritime Union(=海事組合)の組合員は、新しいライバルのManly Fast Ferryは乗客を危険に晒していると言って、サーキュラー・キーでデモを行う。

この主張は、運航事業者と、州政府の船舶監督機関であるNSW Maritime(=ニュー・サウス・ウェールズ州海事局)によって否定されている。

Maritime Unionは、民間のBass and Flindersという親会社によって所有されている2隻の船、Eye SpyとFantaseaは、現在は運休しているJetCatsによって以前、使用されていた埠頭を誉めてはいないと話している。

今日、運航を開始する予定の新しいフェリー運航の安全手順、賃金、船内の条件について「深刻な懸念」があると話している。

「我々は、連中は手抜きをしており、賃金や条件を切り詰めているだけではないことを懸念しているのです。」とシドニー支部書記 Warren Smithは話した。「同社は、我々の安全機能に関する質問に答えることを拒絶しているのです。」

昨日、NSW Maritimeは、Manly Fast Ferryに対して検査証明書を交付し、同社に対し、乗客300人乗りのEye Spyに4人の甲板員を乗務させるよう話した。昨年暮れに撤退したJetCatsには、2人の甲板員を要求していた。

両船と船員は、適切な安全要求事項に適合しており、Commercial Vessel Act(=商船法)による運航水準に適合している、とNSW Maritimeは話した。

昨日、Manly Fast Ferryは、午前6時15分より、マンリーからサーキュラー・キーに向う運航を開始すると話した。

しかし乗客には、当初の問題のため、遅延する可能性があることを警告している。(NEWS.com.au: February 10, 2009 12:00am)

ドバイのQE2ホテル事業は遅延に直面(アラブ首長国連邦)

アラブ首長国連邦発。英国の遠洋定期船QE2をドバイの洋上豪華ホテルに改装する数百万ドルをかけた転換作業は、景気の悪化によって行 き詰まるかもしれない。この最愛の船は、11月にCunardの船隊から引退している。

オンラインのMaritime Mattersによると、世界的な経済危機とそれに引き続くドバイの観光業の落ち込みで、QE2の事業は行き詰まるかもしれないという。消息筋はMaritime Mattersに対し、QE2の転換作業を扱っている国有企業のNakheelが、数件の主要事業を削減し、500人をバッサリと削減し ているので、このかってのクルーズ船を豪華ホテルに改造する計画は、変更になるか、延期になるかもしれないことを示唆している。

Nakheelの金融引き締めの影響が、QE2の事業にどれだけの影響を与えることとなるのかを正確に語るには時期尚早だが、しかし同 社 がもがいているというニュースで、海事関連のブログでは、QE2の違った運命についての推測がなされている。これには解体工場への片道切 符や、古典的な船舶としてCunardによって買い戻されるというものまである。

40年以上も運航して、QE2は、2008年11月末にドバイの新しい所有者に引き渡された。この事業の一環として提案されたQE2の 転 換には、QE2の煙突をガラス構造のペントハウス(注、屋上の)・スィートに替えるものや、ウェスト・エンド(注、ロンドンの歓楽街)流 あるいはブロードウェー(注、ニューヨークの歓楽街)流のショー向けの500席を加えた新たな劇場の創設、船室や公室を取り除いて、代わ りに広い部屋やアパート、更には他のクルーズ船の2倍近い5,000平方メートルの健康複合施設に替えるというものもある。 (Business Intelligence Middle East: 10-02-2009)

NCLは船の本拠をポート・カナベラルに(米国)

Norwegian Cruise Lineは、ポート・カナベラルをNorwegian Sunの母港にすると発表した。2010年10月に、東カリブ海及び西カリブ海クルーズを行うという。

本船は、1997年にNorwegian Crownがバミューダへのクルーズをして以来、ポート・カナベラルを母港にする最初のNorwegian Cruise Lineの船となる。

Norwegian Dawn、Norwegian Spirit、Norwegian Majesty、そしてNorwegian Gemを含む同社の他の数隻の船舶は、全てポート・カナベラルに寄港しており、2010年にはNorwegian Jewelも加わる。

Norwegian Sunは、ナッソー、セント・トーマス島、サン・マルタン島を含む東カリブ海の旅程を提供し、一方西カリブ海クルーズは、メキシコのコズメル、グアテマラのサント・トーマ ス・デ・カスティリャ、ベリーズのベリーズ市、そしてキー・ウェストから構成されることとなる。

Carnival Cruise Linesは、同港を本拠にする2隻の船を保有している。乗客2,052人乗りのSensationは、3泊と4泊の旅程を交互に行っており、乗客2,974人乗りの Gloryは、7泊の東カリブ海と西カリブ海の旅程を交互に行っている。

Disney Cruise Lineは、同港に2隻の船を保有している。乗客2,400人乗りのMagicは7日間の旅程で、乗客2,400人乗りのWonderは、3泊と4泊の旅程を交互に実施し ている。

Royal Caribbean Internationalは、乗客2,744人乗りのMonarch of the Seasを、3泊と4泊の旅程で運航している。乗客4,375人乗りのFreedom of the Seasは、現在、マイアミを本拠としており、5月には同港にやって来る予定。(Bizjournals.com: Tuesday, February 10, 2009, 5:24pm EST)

高速フェリーの設立者が沈み行く日本の銀行の指揮を執る(日本・米国)

短命だったトロントへの高速フェリーの実現に助力し、そして腐心した男が、今度はもがいている日本の銀行を預かることとなった。

Brian Princeは、今やAozora Bank(=あおぞら銀行)の最高経営責任者である。この東京に本店を置く銀行は、Cerberus Capital Management LPに支配されている。Aozora(=あおぞら)は21億ドルの損失が予想されており、日本の銀行業84社中、業績が下から3番目に格付けされている。

Princeは、CATSの2人の創立者のうちの1人として、ロチェスターの歴史に記録されることとなる。この今は亡きフェリーの運航 事 業者は、多くの者に後味の悪いものを残している。

Princeは、Canadian American Transportation Centersを、Dominick DeLuciaと共に設立した。CATSは、2004年に60日間、オンタリオ湖を走り、そして資金が尽きた。

その後、ロチェスター市がこの船を2005年に3200万ドルで購入し、10ヶ月間運航した。この運航は、1000万ドルの赤字となっ た。納税者は、CATSの子会社のMaplestarとの間で署名した所謂「sweetheart(=恋人)」取引に縛られて身動きが取 れないことともなった。

市は港湾を改修することで合意し、一方、シャーロットのロチェスター港のターミナルは、Maplestarに二束三文で貸し出された (年 間1ドルで40年間)。2008年、市役所は、Maplestarの財産になることを前提に、同取引のうち400,000ドルを支払うこ とで合意した。

Aozora(=あおぞら)は、苦闘している世界経済において、記録破りの赤字から生き延びようとしていることから、 Prince(45)は、自分に適した仕事に就くことになる。(WROC-TV: Tuesday, Feb 10, 2009 @10:54am EST)

Captain Cook CruisesはRed Cross Victorian Bushfire Appealに寄付(オーストラリア)

小さなクルーズ会社のCaptain Cook Cruisesは、今日、今週末、シドニー港とマーレー川の船隊でクルーズする大人、子供の各人から、2ドルを、Red Cross Victorian Bushfire Appeal(=赤十字ビクトリア州野火支援)の寄付に回すと発表して、ビクトリア州の野火の被災者への支援を表明している。

「Captain Cook Cruisesは全てのオーストラリア人のように、ビクトリア州の至るところの町を破壊した恐ろしい野火に、深く悲しんでおります。弊社は、観光業の中で率先して、最愛の 人や家や共同体を失った全ての皆さんに対する支援を表明したいのです。」とCaptain Cook Cruisesの最高経営責任者、Nick Hortleは語った。

「観光業は低迷しておりますが、痛ましい天災に接し、影響を受けた皆さんに衷心より、弊社ができる範囲で義援金を贈りたい。」と Hortle氏は続けた。

Captain Cook Cruisesは、20隻以上の観光、食事、宿泊クルーズをシドニー港で毎日運航し、マーレー川で3泊、4泊、7泊のクルーズを実施している。

クルーズの予約と、ビクトリア州の被災者に対するCaptain Cook Cruisesの募金に協力したい者は、ウェブサイトか、電話1800 804 843番へ。(e-Travel Blackboard: Wednesday, 11 February 2009)

フィラデルフィアの遠洋定期船「S.S. United States」はくず鉄になるかも(米国)

フィラデルフィアに係留しているSS United Statesは、売りに出されている。このお蔵入りになった遠洋定期船の保存団体が、買い手は結局はくず鉄として利用するのではないか、と心配している。

上記ビデオの志願製作アシスタントのSteven Ujifusaは、本船の売却の可能性と、The S.S. United States Conservancyが本船を救うために始めた啓蒙活動についてのPlanPhillyに関するネタを持っている。このビデオは、彼が話さなければならないことの一部 だ。

今日、多くの観察者が、ニューヨークからサウサンプトンまで、記録破りの処女航海を行って、1952年7月に世界の新聞の見出しを飾っ た この船が、最後の航海をするのではないかと恐れている。解体業者の下に曳航されることになれば、リボンもなく、愛好家らの歓声もなく、あ るいは海軍の飛行機が最後の出港を記念して舞い上がることもないだろう。

2003年、NCLは、世界に誇るクルーズ定期船として復活させる意図で、本船を購入した。しかしこうした約束は、無に帰してしまっ た。

フィラデルフィアのデラウエア川にSS United Statesが見られなくなるのは、寂しくないですか。もし改修するのに十分な金もなく本船を所有していたとすれば、どうしますか。本船を復活させることのできる買い手が 見つかると思いますか。(It's Our City: Wednesday, February 11th, 2009 at 11:52 am)

オアフ島の通勤フェリーは赤字(米国)

ホノルル発。カラエロアからホノルル中心街に走っている通勤フェリーは、赤字になっている。

ウェスト・オアフから中心街にTheBoatに乗った人は、往復切符がたったの4ドルだ。しかしホノルルの納税者は、この運航を維持す る ために、乗客1人当たり、120ドルも支払っている。それが、年間400万ドルの助成金。

Mufi Hannemann市長と何人かの市議会議員は、現在の運航契約が今年の暮れに終了した時、3年目のフェリー運航を継続すべきか否かを検討している。

Wayne Yoshiokaは、市のDepartment of Transportation Services(=運輸局)長だ。Yoshiokaは、市はこの費用を賄うことはできるが、最高の効率を求めていることから、無視はできないと語った。 (KITV.com: 2:27 pm HST February 15, 2009)

Matsonの「白い船隊」の栄光の日々を想起(米国)

Duncan O’Brien著、THE WHITE SHIPS 1927-1978: A Tribute to Matson’s Luxury Liners(=白い船隊、1927年―1978年、Matsonの豪華定期船に捧げる)(283ページ、図版あり、 Pier 10 Media、65ドル)

我々の大半は、Matson Navigation Co.の白い船隊の最後の時には生まれていなかったが、Duncan O'Brienの見て楽しめるような研究の驚きの1つとして、Matsonが1978年に旅客海運事業を終えてから、それぞれの船が長い船歴を有しているということが挙げ られる。

SS Monterey(1963年にLurlineに改名されたもので、それ故、年配のハワイ住民が記憶している船)は、1931年に就航し、1990年代終わりまで使われて いた。2000年に船舶解体業者の下に行く途中、遂に沈没した。Montereyは1952年建造、1956年に定期船に改造されている が、僅か2年前に解体されている。

白い船隊は、元々白かったものでない。最初、1927年のSS Maloloは、北大西洋の定期船のように黒っぽい色で塗装されていた。

しかしずっと小型だった。Malolo(後のMatsonia)は、太平洋では大きさ、速力、快適さの点で、ずっと目立った定期船だっ た し(ついでに言えばアメリカ建造だった)、大西洋の猟犬(注、快速船)の半分の大きさで、数ノット遅いだけだった。

ホノルルであったMaloloの最初のBoat Dayは、諸島(注、ハワイ)最大の、最も興奮した市民の出来事の1つとされている。

子供の時、Matsonで旅をしたことのあるO'Brienは、Matsonの堅苦しさとサービスの水準の高さを力説している。しか し、 以前行っていたものとの正確な比較は、決してしていない。Maloloは、1等に乗客389人、2等に163人乗せていた。移民船として 北大西洋を横断していた時は、かなり小型だったものの、1000人以上の旅行者を乗せていたのだった。

裕福な者が白い船隊を愛したというのは、不思議ではない。全部で6隻だった。Matsonの定期船がサン・フランシスコやロサンゼルス か ら、ホノルルに、5日間で走っていたが、Pacificは大変に大きかったため、シドニーに到着するのに3週間もかかっていた。

「The White Ships」は、殆ど図鑑と言っても良いものだが、ビジネス・ストーリーも掲載されている。助成金の援助により、MatsonはDepression(=大恐慌)の間で あってさえも、上手くやっていた。しかし白い船隊の第1期は、ちょうど14年で終わった。

軍隊輸送船として使用するために改造され、1946年まで、船体の様子は大幅に変更されたため、Matsonは定期船の第1船、 Lurline(この名前は改名3度目のもの)1隻を改修する余裕しかなかった。更に多くの船を就航させるのに、10年以上もかかったの だった。

元々の白い船隊の最後の船は、MontereyからMatsonia、そしてLurlineとなった船で、1970年に売却された。し か し新しいが小型のMariposaとMontereyは、1978年まで、Matsonの下で運航を継続した。

(Cunardを除く)大西洋の会社と違って、Matsonには素晴らしい安全の記録がある。そのため「The White Ships」には、語るのが興奮するような話がない。白い船隊の話は、長く気だるい、その他大勢の航海のようなものとなっている。(Maui News: February 15, 2009)

海運会社は景気後退で船旅促進を期待(フィンランド)

海運会社は、この現在の不安定な経済において、多くのフィンランド人が船の旅を選択するものと期待している。

これは1990年代の景気後退時に起きたもので、これが繰り返される徴候がある。正月の前後の月に、旅客海運会社は、殆ど例外なく、1 年 前よりは良くなっていた。

値引きだけでこの現象を説明することはできない。というのは、1月の特別割引は前年のと殆ど同じ水準のものだったからだ。

通年では、船客は前年より4.4パーセント増となっている。海運会社の非公式の数字によると、昨年、1730万人近くが船旅をしている と いう。

世界経済の落ち込みは、10月までは海には影響を与えておらず、それ以降でさえも、その主たる影響は、カー・フェリーによって輸送され る 貨物に生じており、そこでは収益が何百万ユーロも減少している。

少なくとも昨年、3つの要素が影響を与えていた。1つはバルト海諸国にシェンゲン地域が加わったこと。関連諸国の経済は、昨年末まで は、 まあまあの状態を保っていたこと。そして海運会社が新船の引渡しを受けていたことだ。通常は、それは乗客数に肯定的な影響を与えてきたも のだ。

Tallinkはヘルシンキとタリンを結ぶ航路に、2隻の高速フェリーを展開し、Viking Lineは1隻を配船した。トゥルクとストックホルムを結ぶTallink-Siljaの航路では、Silja Festivalが、より大型のGalaxyに代替された。

Tallinkによって所有されているSilja Lineの衰退は継続しているが、以前のように急降下しているわけではない。

Siljaが2007年に、前年よりも約290,000人乗客を減らしたのに対し、今期の減少幅は、そのちょうど3分の1になってい る。

Silja Lineの代表取締役Keijo Mehtonenは、会社は秋に新たな勢いが付き、とりわけトゥルク―ストックホルム航路で見られることとなる、と話している。昨年末に先立つ数ヶ月間は、2008年度全 体では赤字だったものの、良かったという。

トゥルクからの同航路のSilja LineとViking Lineの乗客数の合計は、昨年と変わらず、一方、これより長距離のヘルシンキ―ストックホルム航路では、乗客数が減少している。

フィンランドとエストニア間の旅客輸送は、新記録を打ち立てた。この状況は聖書のように描写されてきた。持てる者には多くが与えられ る、 と。大手海運会社のViking LineとTallinkは益々強くなり、この傾向は続くものと見られている。

夏、Viking Lineの成長は60パーセントにも達していた。年末には成長は減速した。12月はまだ採算が採れていたが、利幅は僅かに7パーセントだった。

Tallinkは、1年前よりも乗客数が20パーセント近く増えて、昨年末は良かった。

この航路の先導者は明らかにTallinkであり、市場占有率は50パーセントにまで増加している。

Nordic Jet LineとSuper SeaCatは、いずれも小型の高速船を使用していたが、運航を廃止しており、小型のカー・フェリーに特化しているEckero Lineは、乗客数の減少が続いている。12月は同社にとっては厳しく、乗客数は20パーセント減少している。

Viking Lineはオーランド島への運航の先導者であり、フィンランド本土とこの半自治領の島との間を旅した430万人の乗客の50パーセント以上を占めている。

Eckero Lineと、その子会社のBirka Lineは、市場占有率を減らしている。(Helsingin Sanomat: 16.2.2009)

サハリンの空港、フェリーは運休、道路は不通(ロシア)

2月16日、ユジノ・サハリンスク発。ロシアのサハリン島は、吹雪を伴う強力な低気圧に襲われており、地元道路の視界は、0から50 メートルになっている。ユジノ・サハリンスク空港は閉鎖されている。ワニノとホルムスク間のフェリー運航も運休。強力な嵐は、フェリー航 路に沿って、日本海北部のタタール海峡(注、間宮海峡)で猛威を振るっている。Dolinsky及びTomarinsky地方の自動車道 は不通となっている。ユジノ・サハリンスクの輸送機関は遅れており、人々が通りを歩くことは困難になっている。

サハリン地方自動車道路局の技師長、Nikolai Arefyevは、道路に送られた除雪機は、視界がゼロのため、低気圧が通過するのを待って途中で止まっていると語った。

この強力な吹雪は、明日も同地域に影響を与えることとなり、天候は2月18日までには回復する、とサハリン水文気象学センターは報告し た。(ITAR-TASS: 16.02.2009, 09.40)

SeaFranceで650人以上削減(フランス・英国)

問題を抱えたフェリー運航事業者SeaFranceで、ここが財政難で沈没したことから、約650人が削減されることとなった。同社は 将来を確かなものにしようと、船隊の削減も、経費を減らすために検討中だ。

SeaFranceの幹部は、計画はまだ確定しておらず、仮にこの提案が実行されたとしても、ドーバーでは「very few(=大変に僅かな)」削減になると力説している。しかしカレーでは、600人以上の失業を伴う大打撃となる。

この再生計画は、月曜日にSeaFranceの取締役会がフランスの所有者であるSCNFに提出したもの。討論に引き続いて、このフェ リー・グループの広報担当者(注、男性)は次のように語った。

「SeaFranceは海峡横断貨物市場の急落で、未曾有の事態に直面しております。困難な財政難に接し、会社では、黒字転換を確かな も のにし、それが将来長期に亘るようにするために、不可欠な手続きを進めているところです。」

同社が提出した再建計画には、「significant(=特筆すべき)」変更が含まれることとなり、SeaFranceの現状と海峡 横 断輸送の中期予測を取り込んでいる。広報担当者は語った。

「幾つかの対策は、計画の中に取り込まれております。とりわけ、市場に合わせて経費を削減すべく、SeaFranceの船隊を縮小させ る ものです。」

再建の結果、海上及び陸上職員は影響を受けることとなる。メディアの報道によると、同社は2007年度に2000万ユーロ(1750万 ポ ンド)の損失を出しており、2008年度の損失は、これを僅かに上回るものと見られている。(Kent News: 17/02/2009 17:05:02)

ギリシャのフェリー会社はエーゲ海運航を開始(ギリシャ)

ミュンヘン発。ミュンヘンのギリシャのフェリー会社であるAnek Linesの総代理店によると、Anek Linesはエーゲ海の新しい目的地に向う運航を開始するという。同社は現在、ギリシャ本土のピレウス港から、キクラデス諸島のナクソス島、サントリーニ島、パロス島に週 6回出発しており、北東エーゲ海のレスボス島、ヒオス島には週5回出発している。

以前、Anek Linesは、イタリアのベネチアとアンコーナの諸都市とギリシャ西部の港湾間と、ピレウスとギリシャのクレタ島を結ぶ諸航路を運航していただけだった。

同社では、新船のF/B Elyros(注、旧さんふらわあ つくば)は、乗客を1,880人まで乗せることができ、ピレウスとクレタ島のハニア間を運航することとなると話している。Anek Linesは、全部で10隻からなる船隊を保有している。

3月末までに同社の予約をした旅行者は、10パーセントの早期割引を受けることとなる。その他の特価提供と20パーセント引きの新たな 家 族割引は、初めて一年中の提供となった。(Earthtimes: Tue, 17 Feb 2009 03:12:01 GMT)

105人乗りのクルーズ船が南極で座礁(南極)

アルゼンチン、ブエノス・アイレス発。乗客64人と船員41人が乗船したクルーズ船が、火曜日、南極のアルゼンチンの基地付近で座礁し た。しかし乗船している者には危険はない、とアルゼンチン海軍とこの船の運航者は語った。

バハマ船籍のOcean Novaは、「extremely high winds(=極端な強風)」によって、ごつごつした岩礁に押し出され、サン・マルティン基地から約1マイル(2キロメートル)の地点で座礁した、とQuark Expeditions社長のPatrick Shawは、The Associated Pressに語った。

長さ240フィート(73メートル)のこのデンマーク建造船を運航しているコネティカット州ノーウォークの会社は、「差し迫った危険 も、 生命の危険も生じてはいないとする損傷初期評価」を新聞発表で述べた。

「船からは、何らかの漏出が生じている徴候はございません。」と同社は付け加えた。

乗客と船員の内訳は、アメリカ人が21人、フィリピン人が18人、英国人が17人、カナダ人が7人、オーストラリア人が7人、ドイツ人 が 4人、アイルランド人が5人、南アフリカ人が5人、オランダ人が3人、ニュー・ジーランド人が3人、デンマーク人が3人、アルゼンチン人 が2人、更に、スイス人、ルーマニア人、ウクライナ人、パナマ人、グアテマラ人、コロンビア人、ロシア人、インドネシア人、ホンジュラス 人が、それぞれ1人ずつとなっている。

乗客らは、アルゼンチンの最南端の都市、ウスアイアから乗船して、極地を探検する2週間近い遠征旅行の8日目だった。

Ocean Novaの上級船員は、潮が満ちてきたので自力で脱出できる、とサン・マルティン基地に対し、連絡して来た。

「乗客の皆さんは全員、極めて無事に救助されているところです。」とShawは語った。

船の検査は時折していたかも知れない。そして会社としては、乗客がこの遠征旅行を継続できることを希望している、と話した。

チリとアルゼンチンの海軍は、スペイン船籍の船のHesperidesと、もう一隻の船のClipper Adventureを、乗客の救助のために派遣している。(The Associated Press: Tuesday, February 17, 2009)

日本の秘宝、小樽で北海道再発見(オーストラリア・日本)

昨年、3900人の外国人客が日本の小樽という都市で過ごしたが、オーストラリアからの訪問者は、たったの395人に過ぎなかった。

小樽市長のKatsumaro Yamada(=山田勝麿)氏は、オーストラリア人観光客の大半は、日本第2の島である北海道を訪れた際、札幌やニセコ、富良野といった良く知られた目的地に目を奪われ て、小樽という都市を見落としていると語った。

Otaru International Tourism Promotion Campaign Executive Committee(=小樽国際観光推進運動実行委員会)は、この都市を「必見の」目的地にすることを狙うJapan National Tourists organization(=国際観光振興会) (JNTO)と共同して、これを変えようと試みている。

この2つの組織は、先週の金曜日、クルーズ定期船、Pacific Venus(=ぱしふぃっく びいなす)に、小樽という美しい港湾都市がどのようなものを提供しているかを教えるため、多くの旅行業者や報道関係者を招待した。

で、一体、小樽はどこにあるのか。勝麿氏(注、「山田氏」の誤り)は、出席者に小樽の場所の説明を試みた。

市長によると、小樽は、札幌からちょうど30分のところにあり、オーストラリアのスキーヤーやスノーボーダーに大変な人気のあるニセコ に 近接しているという。

「日本では、小樽は確立した観光地の一つであり、小樽運河や歴史的建造物の郷愁に満ちた雰囲気のある小樽は、日本人観光客ばかりではな く、多くの外国人訪問者も惹き付けているのです。」と語った。

勝麿氏(注、「山田氏」の誤り)は、小樽では、夏に多くの活動が観光客向けに行われており、それには温泉訪問、地元マリーナでの船遊 び、 ヨット遊び、更には海での魚釣りもあると述べた。

小樽での冬の活動には、天狗山でのスノー・シューイング(注、雪の上をかんじきを履いて歩くこと)や、バック・カントリー・スキー (注、 整備されたスキー場ではなく、自然の森の中で滑る自然と親しむことを目的とするスキー)があり、更にOtaru Snow Gleaming Festival(=小樽雪あかりの路)では、雪の中の15万個の蝋燭の明かりで、この都市が照らし出されるのが見られるという。

小樽はまた、伝統的な職人芸体験見学でも有名で、地元職人が、着物地の染色、指輪の製造、日本の伝統的な紙(注、和紙)、硝子吹き製法 の 技術を、観光客に教えるという。この情報講座の後、招待客は歓迎会を楽しみ、伝統的な日本の酒樽の開封(注、鏡開き)を目の当たりにし、 寿司、天麩羅、ラーメンといった地元の美味しい料理のご馳走を、大いに楽しんだ。(e-Travel Blackboard: Tuesday, 17 February 2009)

Cape May - Lewes Ferryの6%運賃引上げ承認(米国)

Cape May - Lewes Ferryは、4月1日より、平均で6%運賃を引き上げる。

この引上げは今日、予算との均衡を図る必要があると話してきたDelaware River and Bay Authority(=デラウエア河川・湾当局)の委員により承認された。

同委員会は、新聞発表において、フェリーの燃料価格は2008年に高騰し、フェリー輸送は減少したと語った。

DRBA(=デラウエア河川・湾当局)は、燃料割増金も承認し、船舶用ディーゼル燃料が、1ガロン当たり2.50ドルを超えて値上がり し ていることから、車輌25セント当たり1ドル追加することとなる。当局では現在、1ガロン当たり1.47ドルを支出している。

また、今年の夏のフェリー運航も減らす。(Cherry Hill Courier Post: February 18, 2009)

新しいフェリー航路がブルガリアのバルナとロシアのカフカス港を結ぶ(ブルガリア・ロシア)

ブルガリアの黒海の都市のバルナと、ロシアのカフカス港を結ぶ新しいフェリー航路が、2009年3月1日に始まる。

このニュースはPari Dailyが報じたもので、ブルガリア運輸省のRailway Administration Executive Agency(=鉄道行政執行機関)長官、Simeon Ananievの話を引用していた。

ブルガリア国鉄のBDZ、ロシア鉄道、そしてロシアの海運会社が、最近、バルナ―カフカス港のフェリー航路の開設契約に署名した。現行 の 契約は、2009年末まで有効であり、その後、更新されるかもしれない。

この協定の一環として、ブルガリア国鉄のBDZは、バルナ港の港湾事業者として登録することとなる。新しいフェリー航路の様々な商品や 物 資などの貨物は、ロシアの鉄道車両によって輸送されることとなる。(Sofia News Agency: 18 February 2009, Wednesday)

150人以上を乗せたバングラデシュのフェリーが転覆(バングラデシュ)

2月19日、ダッカ発。150人以上の乗客を乗せた小型船が、火曜日の朝、ダッカから170キロメートル(106マイル)近く離れたバ ングラデシュ南部のバリサール地方のKirtonkhola川で転覆した、と警察は話した。遺体が1体、発見され、約50人の乗客が、何 とか岸に泳ぎ着いた。

地元警察幹部のNuruzzaman Chowdhuryは、Reutersに対し、18人の乗客が救助され、救助作業は継続していると語った。

その他の詳細については、直ぐには判らなかった。(Reuters: Wed Feb 18, 2009 11:38pm EST)

オーストラリア男性がニュー・ジーランドで船の扉に挟まる(ニュージーランド・オーストラリア)

オーストラリア人男性が、ニュー・ジーランドのホーク湾に係留していたクルーズ船の水密扉に挟まり、危篤状態に陥っている。

この20代の男性は、Oceanic Discovererの船員で、この船が木曜日にネーピアで係留していた際に扉に挟まれた、とホーク湾地区St John Ambulance(=セント・ジョン救急隊)部長、Steven Smithは語った。

救急隊が到着する前に、船員らが救出し、蘇生術を施した。現場で救急医療士が治療し、Hawke's Bay Hospital(注、病院)に搬送したが、そこで危篤状態となった。

目撃者はNZPAに対し、男性は、乗客の最大搭載人員が72人の長さ63メートルの小型クルーズ船で働いていたと話した。

同社のウェブサイトによると、この船はオークランドを出発し、ミルフォード・サウンドで終わる12日間ニュー・ジーランド沿岸クルーズ の 途上だった。(Sydney Morning Herald: February 19, 2009 - 1:49PM)

バヌアツの首相はクルーズ船の訪問を注視(バヌアツ)

Edward Nipake Natapei首相は、今年訪れるクルーズ船の数は、昨年2008年の倍になることを明らかにした。更に2009年の数字が、2010年には再び倍増する期待を表明した。

Natapei首相は、この増加は、政府が率先して船舶の総トン数当たり、20バツから10バツに引き下げたことの影響だと語った。

観光業は、収益を生み出す主要部門の1つであり続けており、国内経済の体力を維持するためには、政府がそうした決定を行うことは重要な こ とだと語った。(Port Vila Presse: Thursday, 19 February 2009 11:32)

日本船でダーウィンが動揺(オーストラリア・日本)

テリトリアン(注、ノーザン・テリトリーの住民)は昨日、1942年のダーウィン空爆を偲んで黙祷を捧げたが、ある者にとっては、港に 日本船が接岸したことから、この記念行事は台無しになってしまった。

1942年2月19日、ダーウィンに対する日本の2回の奇襲攻撃で、少なくとも243人が殺害され、数百人が負傷した。

退役軍人、生存者、高官、そして犠牲者の遺族が、67年前、オーストラリアの国土が初めて敵の攻撃を受けたことを記念するDarwin Cenotaph(=ダーウィン・セノタフ、注、「セノタフ」は「葬墓」の意)に花輪を捧げた。

東京大学(注、東京海洋大学の誤り)の船、Umitaka Maru(=海鷹丸)が、この式典からほんの数メートル離れたStokes Hill Wharf(注、埠頭)に接岸していたことから論争が沸き起こった。

「多くの人々が、そこにあれがいることについて、大変に動揺しています。」と、Maritime Union(=海事組合)のAndrew Burfordは話した。

Burford氏は、ダーウィンで補給品を積み込んでいるこの船が、式典にかなり近いところに停泊することになって激怒した人々からの 電 話が、自分のところに殺到していると話した。

Darwin Port CorporationのTerry O'Connorは、港では大量の船舶をやりくりしていることから、「an oversight(=落ち度)」があったことを認めた。

「Stokes Hillでこの船を扱うことは普通ではないですし、それに、よりによって今日、この船を接岸させるというのは、かなり無神経なことになってしまいました。」(The Age: February 20, 2009)

歴史との結びつき:10ポンド英国人の船(オーストラリア)

新婚夫婦のMichael ChlopickiとMichelle Chlopickiは、1962年にオーストラリアでの新生活を始めるためにArcadia(注、「理想郷」の意も)に乗船した時、寝床の手配をして大喜びをしていたわけ ではなかった。

我が国の移民史において最も良く知られた船の1隻に到着した他の「10 pound Poms(=10ポンド英国人)」と同様、性別によって厳格に分けられ、船底のツーリスト級の他の5人と相部屋の船室で寝台を割り当てられたのだった。洋上での33日間 は、共用の便所やシャワーに行列し、ヘトヘトだった。

2人は第二次世界大戦後、中欧から難民としてイングランドにやって来た。当時26歳だったMichaelが結婚を申し込んだ時、 Michelleは18歳で、スウィンドンの百貨店で働いていた。

「『オーストラリアに行きたいけれど、一緒に行かないか。』と聞いたんです。」とMichelleは回想した。「私は言いました。『そ れってプロポーズ?』すると答えたんです。『そうだよ。』それで結婚したんです。」

今や74歳と66歳になったChlopickis夫妻は、今朝、47年前にシドニーに到着したCircular Quayで、5人の子供のうちの1人に出迎えてもらうこととなっている。古き昔の思い出のために、バンコクから「新しい」Arcadiaに乗って、昨夜、この船が初めて寄 港したシドニーに到着したのだった。

83,781トン、11層の旅客甲板、700席の劇場、2つのプール、5つの健康施設、賭博場、ミシュランの星を持つシェフの Garry Rhodesが監督する食堂を擁する5億ドルの成人専用のクルーズ船は、前の船とは大違いだ。

1953年に就航したArcadiaは、その生涯の大半をオーストラリアとの往復に費やし、10ポンド計画の下、50年代、60年代 に、 オーストラリアに移住する何百万人もの英国人を運んだ。P&Oの船隊から引退してからは、Arcadiaはクルーズ船となって、 70年代にシドニーから航海していた。

Column 8がP & Oと連絡を取るため、この船で航海したことのあるシドニーサイダー(注、シドニーの住民)を招待する記事を書いたところ、多くの読者から反響があった。今日、この船が今 夜、ブリズベーンに出発するに先立ち、昼食会が船上で催された。

その中には、1954年にArcadiaで家族と共に航海したことのあるドーバー・ハイツのLucille Ross夫人がいた。彼女は今でも、当時10歳だった自分が子供用の座席だったのに対し、兄のNevilleが大人用の食堂で食事ができたことを知って腹を立てたことを覚 えている。「イングランドを出発してから、そのことで憤慨していたんです。」と話した。

Arcadiaでは、まずコカ・コーラで乾杯した。「ビールみたいなものだと思っていました。特別なものだったんです。」しかし最も記 憶 していることは、移民達の楽観的な雰囲気だった。

飛行機での大衆旅行が始まる前は、Arcadiaのような船は、ヨーロッパに向う向こう見ずな若いオーストラリア人を満載して航海もし た。

ハンターズ・ヒルのオペラ歌手、Geoffrey Chardも今日の昼食会に参加したが、ソプラノのMarjorie Conleyだった妻に突然先立たれてから、1961年にArcadiaで旅行をしたことがあるという。「妻は抜群の才能のある若い歌い手でした。」と話す。「恐らくは [Joan] Sutherlandのような経歴を歩んだはずです。」

少しの間、2歳の息子Davidを両親の元に置いて、Chard氏は運試しに英国に行った。Arcadiaの熱狂的な若い旅行者は 「オー ストラリアとの臍の緒を断ち切ることで興奮していたように見えた」とChard氏は回想した。(Eyre Peninsula Tribune: 21/02/2009 12:30:01 AM)

ケント州のフェリー運航事業者は買収を模索(英国)

ケント州の港湾の最新のフェリー会社は、数百人の雇用を救うための方策として、競合する運航事業社の買収を提案されている。

ドーバーとブーローニュ、ディエップを結ぶフェリー運航を行っているLD Linesは、SeaFranceに入札すると発表した。

カレーからの海峡横断運航を経営しているSeaFranceは、貨物市場が減少し続けていることから、フランスで650人を削減しなけ れ ばならないこととなるかもしれないと話している。

SeaFranceの所有者であるSNCFは、正式な株式公開買付の申し出は受けてはいないと話した。

LD Linesに代わってChristophe Santiniは、このフェリー運航事業者は拡大しており、買収が成功したならば、350人分かそれ以上の雇用が救われると話した。

このフェリー運航事業者は、2月12日にドーバーからの運航を開始した。これは、当初の計画より5ヶ月早いものだった。現在、ブーロー ニュへの往復航海を1日2回、ディエップへの往復航海を1日1回行っている。7月1日、この航路に第2船が加わり、合計で毎日7往復の横 断をすることとなる。

先週の火曜日、SeaFranceは、景気の低迷を生き残るために再編を行い、人員を650人削減する必要があるかもしれないと発表し た。

LDの広報担当者は、SeaFranceの買収でヨーロッパのフェリー業界の首位に立つこととなり、結果として、現在の景気後退を生き 残 れるだけの規模になると語った。(Car Rentals: February 23rd, 2009)

フェリー運航事業者は一般入札を求める(中国)

Taipaフェリー運航免許に入札している会社の1つであるNorth West Express (Macau)の支配人、Francisco Albinoは、昨日、公開入札のため一般入札を求めた。同社は2007年11月16日、政府が入札を公開しない決定をしたことに対して、Court of Second Appeal(=第二上訴裁判所)に差し止め命令を求め、先週、本訴で勝訴した。Albinoは、政府は一般入札を行わずに、Sheldon AdelsonのCotai Waterjetsに免許を与える違法行為を行ったと主張した。

「弊社は、判決が執行されることを望んでおります。というのは、私は弊社の航路が観光業界のみならず、一般住民にとっても利益になるも の であると強く信じているからです。弊社では、独特のものを提供しております。この澳門(=マカオ)からTuen Munに向う航路は、澳門と九龍(=カオルーン)北部を結ぶだけではなく、深川(=シェンチェン)を経由して、中国本土により近くなるものなのです。」とMacau Daily Timesに語った。

これは、澳門政府とLas Vegas Sandsの子会社に対して、フェリー事業を求めて競合する運航事業者が起こした第二訴訟。North West Expressは、澳門に向うフェリーの運航を申請していたと伝えられているが、却下されていた。Albinoは、異なる航路を提供することは、Cotai Waterjetsだけが香港への同一航路を提供していることから大衆の利益になる、という見方も示した。

「弊社の主目的は、一般住民を満足させることにあり、弊社の不満というのは、免許付与の方法に関することだけです。どの会社も、何を求 め られていたのかを知る機会が与えられるべきなのです。」と付け加えた。

North West Expressを代理する弁護人は、土曜日に、判決から10日以内にいずれの当事者も上訴しない場合は、フェリーは運休になると語った。

「上訴しない場合、判決が確定します。運航は休止することになります。」とNorth West Expressの弁護人Nuno Simoesは、The Associated Pressに電話で答えた。

政府は昨日、Macau Daily Timesに対し、声明文で、香港とVenetian Macaoというカジノ・リゾート・ホテル近くの港の間で運航しているCotaiJetは、行政府が免許の正当性を再検討する間は、運航が維持されると語った。

North West Expressは、越境旅客フェリー運航を経営すべく、香港政府との間で、2003年12月に、既存のTuen Mun Ferry Pier(注、埠頭)の一部を占有・変更・使用することを認める不動産賃貸借契約に署名している。(Macau Daily Times: Monday, 23 February 2009)

Las Vegas Sandsは澳門のフェリー禁止を争う(米国・中国)

2月25日、ロサンゼルス発。Las Vegas Sands Corpは、このカジノ経営者の香港と中国の賭博居留地である澳門(=マカオ)間のフェリーの運航免許を無効にした判決に対し上訴する計画だ、と水曜日に語った。

マカオで2つのカジノ行楽地を経営するSandsは、マカオのCourt of Final Appeal(=上告裁判所)の判断か、この件に関する他の解決策があるまで、フェリー運航を継続する見込みだ、と語った。

今週、下級裁判所が、政府は一般入札を行うことなくSandsが支配するフェリー運航事業者であるCotaiJetに対し、違法に免許 を 与えた、と判決した。

「弊社では、マカオ当局が、本件の解決策を見つけることに尽力されているものと信じております。とにかく下級裁判所の判決は、破棄では な かったのです。弊社は、CotaiJetのフェリー運航が一時休止にならないことを確実にし、公共の利益が守られることを確実にする所存 です。」とSandsの会長兼最高責任者のSheldon Adelsonは、声明文の中で述べた。

このフェリー運航は、香港とVenetian Macao Resort-Hotelを建てた造成地の一片であるCotai間の輸送手段を改善するためのAdelsonの計画の一部。(Reuters: Wed Feb 25, 2009 4:44pm EST)

Scandlinesは400人削減(ヨーロッパ)

バルト海の指導的なフェリー貨物定期船会社のScandlinesは、ヨーロッパの近海海運業界で極端な再編を強いている貨物量の深刻 な落ち込みの中で、2,400人の従業員のうち400人を一時解雇することを確認した。

市場環境は過去数か月間で「dramatically changed(=激変した)」とロストクに本拠を置くScandlines社長、Michael Hassingは語った。この人員削減は、輸送業者として長期間に亘る成功を確実なものとするためには不可欠なものだ、と語った。

バルト海航路と北海航路は、この市場に金融投資家を惹きつけて来たことから、過去5年間に2桁台の成長をしてきた。英国の Montagu Private Equityは2007年に42隻の船舶を保有する海運業者Unifeederを買収し、英国のベンチャー・キャピタル会社の3iとドイツのAllianz Partnersは同年、Scandlinesを約15億ドルで買収した共同事業体の構成員だった。

ところが2008年第4四半期、ロシアの輸入が減少して、ドイツの輸出が低迷して、バルト海諸国の経済危機が深刻化し、輸送量が激減し た。そのため、海運業者は船舶を整理し、航路を削減し、従業員を一時解雇することを進めることとなった。

A.P. Moller-Maerskの近海子会社であるNorfolk Lineは、今週、オランダと英国、アイルランド間航路の輸送量の低下に収容力を合わせるため、船隊縮小計画を2ヶ月前倒しにすることを発表した。

フィンランドの指導的なロール・オン、ロール・オフ輸送業者のFinnlinesは、輸送量の「dramatic(=劇的な)」減少 で、 4半期の損失が1970万ユーロ(2520万ドル)に及んだことから、職員を削減し、非中核事業を売却すると話している。

フランスの国有鉄道SNCFの完全所有部門であるSea Franceは、先週、「grave economic and financial difficulties(=深刻な経済的・財政的困難)」を理由に、全従業員1700人の3分の1に当たる650人を削減し、船隊を縮小すると話した。英国への海峡横断 航路の輸送量は、1月には1年前と比較して、23パーセントも落ち込んでいる。

フランスの海運会社Louis Dreyfus Armateursは、Sea Franceを引き継いで、ここのフェリー部門であるLD Linesと合併させる提案をしたが、SNCFはこの動きを拒絶した。

業界は、貨物量が2009年中は減少し続けるものと見られることから、更なる整理統合に直面している。スカンジナビア最大のトラック運 送 会社であるデンマークのDSVは、最近、バルト海と北海における指導的な海運業者であるコペンハーゲンに本拠を置くDFDSの持分の25 パーセントを買収している。(The Journal of Commerce Online: February 25, 2009 10:57:43 AM)

Oasisのために現金が干上がった?(米国)

220,000トン、乗客5,400人乗りのOasis of the Seasは、建造作業が完了して、今年の暮れまでに乗客を乗せれば、明らかに世界最大のクルーズ船になる。

Royal Caribbeanのこの最新の巨船は、その記録破りのFreedom級の船の3分の1増しの大きさになる。ところが旅行業界においては、その支払いのための十分な金がな いのではないかという噂が蔓延している。

この噂話は、65億ドルを2隻のOasis級の船とCelebrity商標向けの4隻のSolstice級の船に振り向けることを詳述 し たRCCLが出した報告書に、細かい文字で書かれていたものに基づくものだ。

Oasisと姉妹船のAllure of the Seasは、2010年に竣工することとなっているが、それぞれ12億ドルの費用をかけてフィンランドで建造中であり、フィンランドの輸出信用代理人のFinnvera が、費用の80パーセントを保証している。

RCCLは、現在の財政環境において、もちろん受諾可能な条件で、残りの金が確保されることとなる保証は全くない、としている。

しかし確かに、これは財務当局をなだめるための余りにも用心深い声明文だ。どれほど貸し渋りが厳しいものとなろうとも、Oasisが 12 月に処女航海をすることができなくなるとは考えられない。恐らくはフロリダ州に行く途中で、英国に寄港することになるだろう。 (Mirror.co.uk: Feb 25, 09 10:06 PM)

景気後退にも拘らず、値引きが「クルーズ販売を刺激」(英国)

Carnival UKによると、景気後退に直面する中、値引きでクルーズの販売が刺激を受け、昨年のこの時期の水準よりは高くなっているという。

同グループの2009年クルーズの費用は、5パーセントから10パーセント引き下げられている。その結果、1月・2月の最高売上期間に お ける予約水準は、改善されているという。

顧客の予約が遅くなっているにも拘らず、同社商標のクルーズ販売は、前年比で25%―30%増で、2009年度の全収容力の85%が売 れ たという。例えばCunard Lineの販売は、50%増になっている。

この数字を公表して、Carnival UKの最高経営責任者のDavid Dingleは、P&O Cruises、Cunard Line、Ocean Villageといった商標からなるこの組織体は、1年を通して「reasonable shape(=妥当な姿)」になるだろうと予想している。

顧客の大部分が2008年と同じ、あるいは更に休暇に金を使うことを示唆する調査結果を載せている、年刊のCarnival UK Cruise Reportの発表に言及し、Dingleは次のように語った。

「もちろん不確実なものを感じていることから、人々は予約を遅らせています。」

「業界としては、昨年の同時期に比べて、5パーセントから10パーセント引き下げた料金にして、予約を奨励するために価格刺激策をとっ て いるところです。」

「クリスマス以来、弊社では、昨年の同時期よりも予約が上回っているのを見ているところです。」

事業は、新船が投入されないことから、2009年度の英国クルーズの収容力が不変であるため、偶然にも助かっている。

P&O Cruisesの新船、Azuraが夏に投入され、2010年には7パーセント増となるが、これにも拘らず、年末にはCunardのQueen Elizabeth、そして競合するCelebrity Cruisesの新船1隻が、年間平均12%成長している英国業界に立ち向かって来ることとなる。

Carnival UKの商業取締役Peter Shanksによると、旅行業者が2009年度の収容力を16%削減し、価格を10パーセント引き上げた時に、Cunardによって販売されているような、格安価格と一体 になった包括クルーズが同時に生じたという。

このことで、標準的な休暇とクルーズの間にある隔たりが狭まり、クルーズ休暇によって提供される価値が浮かび上がることとなった、と主 張 した。

大手グループ商標の2010年度のクルーズ販売は、来月始まる。(TravelMole: 25 February, 2009)

新しいフェリーが就航(英国)

WIGHTLINKの新しい2隻のフェリーが、今朝(水曜日)、ヤーマス―ライミントン航路で定期運航を始めた。コンサルタントとは、 未だにライミントン川に与える影響に関して意見が食い違ったままだ。

第1船は3時55分の便に就航したが、Wightlinkでは、Wight LightとWight Skyにより傷つき易い環境に対して識別できる影響はない、とする専門家調査の詳細に亘る分析に満足していると話している。(中略)

Wightlinkは、最終的にはヤーマス―ライミントン航路に3隻の新船を投入することを狙っている。(Isle of Wight County Press: Wednesday, February 25, 2009)

Queen Mary 2がシドニーに来た(オーストラリア)

Queenが街に現れることは、毎日あることではない。

何百人もの人々が、Queen Mary 2がシドニー港に入港するのを見るために、夜が明ける前に目を覚ました。

この長さ344メートルの船は、世界最大の旅客定期船の1隻であり、午前5時頃、埠頭を通過した。

Fort Denisonを通過してHarbour Bridgeに向った時、乗客がこの豪華定期船の甲板に並んで、大きな汽笛を3回鳴らして到着を告げ、Garden Island海軍基地に接岸した。

2007年にQueen Mary 2と姉妹船のQueen Elizabeth 2が揃ってシドニーにやって来た時に出迎えたような、交通渋滞はなかった。

前回、大群衆に巻き込まれたAristos Karpathiouは、最初にこの船を一瞥すべく、家族をMrs Macquarie's Chairに連れて行った。

「初めて見た時の方が、より印象的でした。」と語った。「あの時は沢山の小型船が取り囲んでいて、その大きさが良く判ったものでし た。」

2450人の乗客のうち、約1900人がシドニーで交代することとなる。本船は、深夜に出港する予定。(The Canberra Times: 26/02/2009 11:34:00 AM)

イタリアのクルーズ船がプラーテ川で小事故(ウルグアイ)

乗客を1.400人乗せたイタリア船籍のクルーズ船Costa Romanticaは、発電室であった火災のために、昨夜、短時間停電したため、木曜日の真昼もウルグアイの海辺の行楽地、プンタ・デル・エステ沖、7マイルで投錨してい た。

この53.000トンの船は、先週の月曜日にリオ・デ・ジャネイロを出発して、木曜日の早朝にブエノス・アイレスに到着する見込みだっ た。

Costa Cruisesの発表によると、火は直ぐに消し止められ、乗客、船員、船には危険はないという。旅行者には直ぐに事故が知らされ、非常設備によって、電力は直ぐに復旧し た。

地元沿岸警備隊の支援を受けたウルグアイの専門家チームが、現在、損傷の程度を評価し、修理の手助けをしている。船は、夕方には予定通 り 再開する見込み。

「乗客は平静で、船員に力を貸してもらっている」と発表にはあった。プラーテ川の天候状態は素晴らしく、クルーズ旅行者らは夏の天候と 船 上での快適設備を楽しんでいる。乗船客の大半は、ブラジル人、アルゼンチン人、チリ人、そしてメキシコ人。

Costa Romanticaは、ベニスのFincatieri造船所で1993年に建造され、10年前に改装している。Costa Cruisesが提供した技術資料によると、本船には船室が678室あり、1.697床、船員は596人。この長さ220メートルの船 は、13層の甲板を有し、巡航速力は18.5ノット。

Costa Cruisesはイタリア最大の旅行グループで、昨年、1.200.000人のクルーズ客を乗せてヨーロッパ業界の記録となった、ヨーロッパ第1のクルーズ会社。 (MercoPress: Thursday, February 26, 2009)

84人の乗客がクルーズ船でノロウイルスに感染(米国)

サン・ディエゴ発。サンディエゴを出港したクルーズ船で、船員4人、乗客84人がノロウイルスに感染した、と10Newsが報じた。

Holland AmericaのOosterdamという船は、2月21日にサン・ディエゴを出発して、先週末にバハ・カリフォルニアへのクルーズに出かけ、土曜日の早朝に帰ってくる予 定になっている。

胃腸風邪に似た症状を呈するノロウイルスに感染した乗客は、各自の船室に隔離された、とHolland Americaの代表者は語った。

同代表者はまた、船はサン・ディエゴに帰港するや消毒することとなる、とも語った。(KGTV, 10News.com: 11:16 am PST February 27, 2009)

Star CruisesはResortsの問題となり続ける(マレーシア)

クアラ・ルンプール発。香港とシンガポールに上場しているStar Cruises Ltd (SCL)に対するResorts World Bhdの投資価値は、このクルーズ会社が、2008年12月31日締め会計年度の同グループの業績を引きずり降ろし続けていることから、疑問のままだ。

Resortsは、2006年12月31日の時点で、SCLの株式を36.01%から19.58%に減らして、2007年にはSCLの 持 分会計を止めており、それ故に、SCLの株式の損失はもはやないにも関わらず、2007年7月以来のSCLの株価の下落により、 Resortsは2008年第4四半期に7億8150万リンギットの損失を計上することを余儀なくされている。

結果として、Resortsは2008年第4四半期は赤字となり、前年は3億4400万リンギットの純利益を計上していたのに対し、3 億 8784万リンギットの純損失を計上することとなった。

昨日、株価は引き続いて下落し、朝の商いでは、3週間で最低の2.21リンギットにまで下落した。昨日は900万株、10セン安い、 2.22リンギットで取引を終えた。

Resortsは、この損失を除けば、2008年第4四半期はレジャー・ホスピタリティー事業の業績が好調だったことから、純利益は 14%増だったと報告して来たと話した。

地元銀行系の調査機関のある分析者は、SCLは常にResortsの問題になっていたと語った。

「行く行くはSCLは、バンカー重油が安くなったにも関わらず、手腕が問われるような環境に直面し続けるものとみられます。SCLは、 2008年度の業績を報告していないですが、ここの競合他社が業績下方修正を発表しており、同様の状況にあるものと思われます。」

「クルーズは、実にアメリカ的なもので、そこの市場が景気後退のために悪化しています。そこでのSCLの運航も、同様に打撃を受けてい ま す。」と、この分析者はThe Edge Financial Dailyに語った。

当初は冬のクルーズ需要の低下の影響で、その後は合衆国の減速する経済の影響を受けて、SCLの株価が、2007年7月から下降線を 辿っ ていることから、2008年度のResortsのSCLでの損失は、2007年度の6320万リンギットから増加している。

別の分析者(注、女性)は、この損失は、会社の評価に対する景気後退の影響から異常なものではなく、SCLは、景気の後退が始まる前で さ えも、スバ抜けた業績を上げていたわけではなかった、と付け加えた。

一方SCLは、台湾北東部の基隆(=キールン)港と、中国の福建(=フーチェン)省の廈門(=アモイ、シアメン)との間の直行クルーズ 運 航を、台湾政府によって阻止されている。

台湾の運輸当局者は、SCLの運航はクルーズ運航というよりは、むしろフェリー運航に相当するもので、それは地元船舶か、台湾系中国人 の 合弁企業のみが運航することが許されているものだ、と強く考えている。

SCLはまた、澳門(=マカオ)の賭博業界の大立者、Stanley Hoとそこでのカジノ事業で提携している。しかし今日に至るまで、その事業実態はハッキリしないままだ。

SCLはフィリピンでの冒険的事業も持っており、そこではPhilippine Amusement and Gaming CorpのBagong Nayong Pilipino Manila Bay Integrated City Projectの一環をなす、10億米ドルのレジャー・リゾート集合施設を開発している。(The Edge Daily: Friday, 27 February 2009 11:54)