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2008年11月

2008年11月の海外旅客船情報

ノロウイルスがクルーズ船の60人を襲う(ニュー・ジーランド)

昨日、ダニーデンを訪問したクルーズ定期船、Volendamの60人の乗客が、ノロウイルスに罹患したものと見られている。

しかしダニーデンの保健所職員のMarion Poore博士は、この勃発に対して船上では「大変に強固な」手続きが採られていることを理由に、乗客らがこの都市に危険をもたらす心配をしていないと語った。

Poore博士は、昨朝、ダニーデンに到着したとき、乗船していた2000人うち、60人がノロウイルスと思われるものにより、この1 週 間、嘔吐と下痢を伴う病気になっている、と同船の代理店から聞いたと語った。昨日は、21人が隔離されたままだった。(中略)

Cruise New Zealandの代表者は、胃腸炎、あるいはノロウイルスのクルーズ船での勃発は、珍しいものではなく、毎年「1件か2件」報告されていると語った。

Volendamは、今年のクルーズ・シーズン中、ニュー・ジーランドを訪問した2隻目のクルーズ船だった。

昨日の午後5時30分頃、ポート・シャルマースを出発し、今日、ミルフォード・サウンド(注、入り江)に向った。(Otago Daily Times: Sat, 1 Nov 2008)

イラクはコートダジュールに係留しているSaddamのヨット売却へ(イラク)

バクダッド発。イラク政府は、フランスの行楽地、ニースに係留している、かって独裁者Saddam Husseinが所有していた多くの贅沢品のひとつである豪華ヨットを売却する計画を立てている、と政府高官は日曜日に語った。

この豪華なOcean Breezeは、数週間内に売却される見込みだ、と政府広報官のAli al-Dabbaghは語った。

British Sunday Timesの記事によると、この270フィートの娯楽用の船は3000万ドル相当と見られ、金の蛇口のついた浴室、小型手術室、ヘリコプター発着施設、秘密の避難通路があ るという。

イラクの内閣は、財務省、外務省に、このヨットの売却を委任する決定を行った、と政府は話した。

Dabbaghは、このヨットを巡る所有権紛争はフランスの裁判所で決着したと語った。「判決はイラク勝訴でした。」と語った。

数十年に亘るSaddam政権は、2003年の合衆国主導の侵攻により、突然終了し、人類に対する犯罪により、2006年に絞首刑と なっ たが、浪費生活で有名だった。

彼の多くの宮殿は、一般のイラク人が厳しい経済制裁を受けていたにも拘らず、大理石、金飾りの家具、贅沢な庭園で満ち溢れていた。

2003年の合衆国による侵攻後、間もなくして、合衆国高官は、Saddamとその家族は、400億ドルの不正手段で得た資金を蓄えて い ると推測した。

2003年に合衆国のミサイルと爆弾が、もう1隻のSaddamの豪華ヨット、Al Mansurをイラク南部で破壊した。

一方、1981年に建造されたときは壮大だったOcean Breezeは、今流の大金持ちが就航させたメガヨットと比べると、小さなものになっている。例えば億万長者のRoman Abramovichが所有する115メートル、3億ドルのヨットは、ヘリコプター発着施設が2基あることを自慢にしている。(Reuters: Sun Nov 2, 2008 12:35pm EST)

中国最大の豪華定期船が進水(中国)

中国で設計・建造された最大の豪華定期船で、Shandong Bohai Ferry Co., Ltdが3億5000万元(5100万ドル)を投じた「Bohai Zhenzhu」という船が、東中国の山東(シャントン)省の沿岸都市、栄成(ロンチョン)にあるHuanghai Shipbuilding Companyで、10月30日10時30分に進水した。この定期船は、内装のため半年間かけた後に航海を開始する。

Bohai Ferryの総支配人のYu Xinjianによると、「Bohai Zhenzhu」は堂々とした船であり、重さ(注、重さは誤り、総トン数は容積)は20,000総トンで、全長は163.95m、幅は25m、1630人と200台以上の 車輌を収容する広さがある。

主要推進システム、操舵機、操舵制御システム、通信・航行システムは、その他の施設と同様、ドイツ、イタリア、日本の有名商標が製造し た もの。

本船には2基のフィン・スタビライザーが装備され、荒天でも船上の車輌が動いたり倒れたりしないようになっており、乗客の快適な乗り心 地 も保障する。

電子海図、全地球測位システム(GPS)は、最も進んだ監視システムと同様、船内における警備上の脅威を最小限にする。

「Bohai Zhenzhu」はまた、観光、寛ぎ、娯楽にも最高の船。乗客の生活空間は、中型の会議や大宴会を開くことができ、良い展示室にもなる大きな多目的室のある広い娯楽セン ターがあることを自慢としている。ネット・バー(注、インターネット・カフェ?)、広い喫茶室、3台のKTV、3室の将棋・カード・ルー ムがある、とYuは語った。

「渤海(ボーハイ)湾の輸送機関は、中国の北部、東部、南部、そして北東部とを結ぶ海上の中心地として大変に重要なものです。周辺地域 の 経済発展において、重要な役割を演じるものです。」とYuは語った。

Shandong Bohai Ferryは、渤海(ボーハイ)湾における大手旅客定期船運輸会社。主として、煙台(イェンタイ)―大連(ターリエン)、蓬菜(ポンライ)―大連(ターリエン)航路で、旅 客船運輸事業を扱っている。(DZWWW.COM: Nov. 3, 2008)

Tallinkの利益、2008年の夏は半分以上減少(エストニア)

Tallinkの純利益は、4億7000万クローンの予想に対し、3億1800万クローンに留まった。Aripaev.ee/LETA が報告する。

直近の四半期の利益は、前年比で54%減少した。

6月から8月までのTallinkの第4四半期において、Tallinkは4億6091万4000クローンの利益を上げたが、これは 10 億790万7000クローンの利益を計上した昨年同時期よりも54%少ない。同四半期における同社の売上高は4.4%増で、35億 5200万クローンから37億1100万クローンに増加した。

営業年度内における同グループの純利益は、3億1800万クローンを計上して終わった。7月中旬、Tallink Groupの取締役会は、8月31日締めの同営業年度の総売上高は122億クローンで、純利益が4億7000万クローン以上少ないことを予想していた。(The Baltic Course: 03.11.2008)

転覆したフェリーのその他の犠牲者の捜索再開(フィリピン)

フィリピン、マニラ発。Philippine Coast Guard(=フィリピン沿岸警備隊)は、水曜日の朝、火曜日にマスバテ州沖で転覆したフェリーの乗客の捜索活動を再開した。

Radio dzBBのAllan Gatusは、Philippine Coast Guard(=フィリピン沿岸警備隊)は捜索を行うために救助船のSAR-004、ヘリコプター1機、固定翼の飛行機であるIslander1機を展開していると報告し た。

沿岸警備隊の首席補佐官であるEnrico Efren Evangelista大佐は、事故の生存者を見つけ出す望みはあると語った。

MB Don Dexter Cathlynは、ソルソゴン州に近いマスバテ島中部の港を出港して直ぐに転覆し、火曜日現在、少なくとも40体の遺体が収容され、76人が救助されて、2つの病院に治療 のために搬送されている。

この船の乗船名簿には、119人の乗客と6人の船員が乗船していたと記載されているが、フェリーはしばしば正式に記載されている人より も 多くの人を乗せている。

当局者は、MB Don Dexter Cathlynが地元沿岸警備隊当局者の所要の認可を受けずに出港していることから、船主と船長はいずれも起訴されると語った。(GMA news.tv: 11/05/2008 08:45 AM)

嘔吐性のばい菌が勃発してクルーズ客は隔離(中国)

2億5000万ポンドのDiamond Princessで、乗船客がばい菌、すなわち冬の嘔吐性ウイルスとも呼ばれるものが広がるのを止めるために船上で隔離されている、とこの11万6000トンの船の乗客が 報告した。

この北京への16日間の旅では、乗客の多くが4,000ポンド以上の金を支払っているものと考えられる。

乗客らは、16日間の東南アジア・中国クルーズに、10月22日にバンコクで乗船した。日本、台湾、香港、ベトナム、シンガポール、上 海 に港した。この勃発は、日本の沖縄に寄港した後の、クルーズ11日目の週末に始まった。

ノロウイルスは、胃腸炎を引き起こすが、糞便で汚染された食べ物や水、あるいは人と人の直接接触によって広まる。クルーズ船や病院のよ う な密閉された環境の下で、とりわけ衛生意識が細部まで行き届いていないと、大変に急速に広まるものだ。

最大3日間、嘔吐と下痢の原因になるが、通常は、治療や長期間合併症を併発することなく、自然治癒する。

ノロウイルスは世界の多くの地域で一般的で、とりわけ熱帯や亜熱帯の地域では一般的だ。クルーズ船は滅多に勃発の原因ではなく、通常は 外 から持ち込まれる。このウイルスはしばしば、寄港地に下船して食事を楽しんだ乗客によって船に持ち込まれるものだ。

この船に乗船していた2,500人の乗客のうち、約500人が英国人で、その他の大半はアメリカ人だった。(中略)

6月には、3,600床のP&O Cruisesの定期船、Venturaで、20人がノロウイルスで発病した。

昨年12月には、Cunardの新船、Queen Victoriaに乗船していた3,000人の乗客のうち78人が発病している。この船はDuchess of Cornwall(=コンウォール公爵夫人、注、カミラ夫人)によって命名された。(Telegraph.co.uk: 11:14PM GMT 05 Nov 2008)

高速船は海の神に因んで命名(英国)

Steam Packetの新しい96メートルの双胴船は、Manannanと呼ばれることとなる。

この名前は、同社の最高経営責任者のMark Woodwardのブログで行われた選考会で選ばれたもの。

この名前は、ケルトの海の神でマン島の守護神である、Manannanの神秘性を取り込みたいSteam Packetの願望が反映したものだという。

船は現在、Incat 050と呼ばれているが、来年就航するに先立ち、完全改装が行われているところだ。

Manannanは、アイリッシュ海で運航しているこの型の船では、最大のものとなる。(Manx Radio: 05/11/2008 01:02:31)

フロリダ州司法長官はImperial Majesty Cruise Lineを起訴(米国)

フロリダ州司法長官は、水曜日、燃料割増金について適切に開示しなかった件で、Imperial Majesty Cruise Line LLCに対する訴訟を提起した。

この訴訟によると、プランテーションに本拠を置くこのクルーズ客船会社は、2006年暮れから今日まで、燃料割増金として400万ドル 余 を集めていたという。

同社はバハマへの2日間クルーズを提供しているが、そうした料金を、政府の税金や手数料として偽って表示していた点でも告発されてい る。

司法長官のEconomic Crimes Division(=経済犯罪局)による捜査で、同社ウェブサイトに「…only if [they] have not paid the governmental taxes and fees at the time of booking(=予約時における政府の税金・手数料を支払っていない場合に限り)」「fuel/security(=燃料・保安)」割増金が、船上での会計に加算され る、と消費者に対し告知されていたことが判明している。

この訴訟では、多くの旅行者がクルーズで乗船した時に初めて20ドルから30ドルの割増金がかかることを知ったと主張している。苦情 は、 オンライン上か、電話(866) 966-7226番で申請することができる。

同社に連絡を取ろうとしたが、連絡は取れなかった。(Bizjournals.com: Wednesday, November 5, 2008 - 12:15 PM EST)

退役軍人を称えるクルーズ(米国)

Florida Aquariumの裏に停泊している復元貨物船SS American Victoryは、Salute to Veterans Cruise(=退役軍人栄誉クルーズ)で土曜日に出帆する。このタンパ湾でのクルーズでは、Merchant Marinersを承認する式典と、退役軍人と現役の軍関係者を称える式典を行う。クルーズでは、年代物の航空機による低空飛行、水葬、観光、兵器展示も行われる。

切符は125ドルで、ヨーロッパ式朝食と昼食の弁当が含まれている。午前8時乗船開始、午前9時出発で、Victoryは午後3時30 分 に戻る。切符は、電話(813)228-8766番か、ウェブサイトへ。(Tampa Tribune: November 5, 2008)

「Quinta(注、台風)」がイロイロ沖で船を沈め、10人死亡、他に行方不明(フィリピン)

フィリピン、マニラ発。イロイロ州のある島の沖で、小型の動力カヌーが沈没し、子供を含む少なくとも10人(当初報じられた11人では な い)が死亡し、他に数名が行方不明になっている、と地元当局者は木曜日の夕方に語った。

コンセプション町の副町長John Arcosaは、電話取材でGMANews.TVに対し、MB Roliv IVの10人の死亡者のうち9人しか身元が判明していないと語り、その中には5歳の子供もいたと語った。(後略)(GMA news.tv: 11/06/2008 07:03 PM)

Brittany Ferriesの値上げと人員削減(英国)

フェリー運航事業者が、議論のある港湾に課せられる税金の徴税方式の変更を伴う数百万ポンドの請求書の直撃を受けたならば、高い料金と 人員削減を強いられることとなる、と警告している。政治記者のNick Lesterが報告する。

フランスのロスコフとスペインのサンタンデルへの運航をしているプリマスに本拠を置くBrittany Ferriesは、英国港湾の格付再評価により、何百万ポンドも要求することとなる遡及的な「stealth tax(=秘密税)」によって損害を受けることを懸念している。

プリマスの格付は未だに再評価されていないが、同社は、740万ポンドの請求書を突きつけることに変更したハルの、P&Oと同 じ ような打撃を受けることを懸念している。

Brittanyは、もしこうなるならば、経費を減らすことを余儀なくされ、人員の削減と運賃の値上げの双方を強いられると警告してい る。

同社は337人の職員を雇用しているが、うち155人は、本店のあるプリマスを本拠にしている。Millbay Docks(注、埠頭)を所有・経営するAssociated British Ports(=英国港湾協会) (ABP)は、格付変更は取引上の損失を招きかねないとの懸念を表明した。

プリマス・サットンの労働党国会議員、Linda Gilroyは、閣僚に対しこの問題を提起することとしている。

閣僚らは、この変更は、四苦八苦している業界の影響評価をすることなく実施するものであることは認めている。

元々運航事業者は、地主であるAssociated British Ports (ABP)に地代を支払ってきた。そしてここがその後、事業格付に応じて、Treasury(=財務省)に総額を支払ってきたものだった。2005年にValuation Office Agency(=査定事務所庁)が、財産規模に応じて個別の港湾経営者に請求する方式に変更した。

この決定は今年発効したが、VOAは、請求を2005年4月1日に遡及させた。P&Oは740万ポンドの請求書を押し付けられ た が、うち500万ポンドは遡及されたものだった。Brittany Ferriesの広報部長Stephen Tuckwellは、The Heraldに次のように語った。

「弊社ではその点について大変懸念しているところです。というのは、弊社の負担になりそうだからです。金額が大変に重要なのです。」

ABPの広報担当者は次のように語った。

「これらの変更は、Valuation Officeによって無関係に決定されたものでありまして、ABPとしては、如何ともし難いものなのです。」

「ABPでは当然、この格付変更によって、港湾における取引減少を招きかねないことを懸念しております。」(Plymouth Evening Herald: Thursday, November 06, 2008, 06:59)

NCLは最高経営責任者のColin Veitchを更迭(米国)

NCLは金曜日、Kevin SheehanをColin Veitchに替えて、このマイアミに本拠を置くクルーズ客船会社の最高経営責任者とすると発表した。Sheehanは社長兼最高財務責任者だったが、社長の地位は維持す る。

Veitchは、Star Cruisesが2000年にNCLを買収した際に最高経営責任者となったが、取締役会の相談役として同社に留まることとなる。

9月30日締めの第3四半期は、同社は6億3900万ドルの収益で、純利益が1億7120万ドルだったと報告したが、2007年度同時 期 の6億3250万ドルの収益と比較し、860万ドル減少していた。(MiamiHerald.com: Posted on Friday, 11.07.08)

ディーサイドの第二次世界大戦の退役軍人が沈没の悲劇を回想(英国・日本)

第二次世界大戦中の英国の最悪の海難の1つの生き残りのディーサイドの退役軍人が、90歳の誕生日を祝った。

Royal Scots(注、英国陸軍最古の連隊)の元Lance Corporal(=下士官)のJames Wilsonは、現在、トーフィンズの複合擁護住宅であるAbbeyfield Houseの住人となっている。

日本の囚人船、Lisbon Maru(=りすぼん丸)が雷撃され、1942年10月2日に上海沖で沈没して、1,000人以上の戦友が死亡した。香港から日本に護送される途中の出来事だった。

Lisbon Maru(=りすぼん丸)の男達は、日本の太平洋での軍事作戦が始まり、香港で捕虜となった。

魚雷は、アメリカの潜水艦のGrouperが発射したものだったが、この船が英国人捕虜を輸送しているとは知らなかった。攻撃後、日本 軍 は日本の駆逐艦に移ったが、Wilson氏を含む捕虜達は、船倉に閉じ込められたままだった。

逃げ出すまで、更に26時間も、暗くゾッとするような状態のままにされていた。この海域の日本船は助けようともせず、多くが水の中にい る 男たちを射殺した。

Wilson氏は、娘のMargaret MacGregorが60年以上も前のことを思い出せるかと聞くまでは、家族の前では自分の恐ろしい体験を決して語ることはなかった。Lisbon Maru(=りすぼん丸)の船尾に命中した後については、こう語った。

「水がどっと押し寄せて来て船倉に流れ込み、船は沈み始めました。水が入り込む前に階段を上って、上の船倉に行かなければならないこと は 判っていましたが、上ることができなかったのです。」

「何度もやってみて、何とか上に出ることができたのです。仲間の多くが泳げず、船に留まったために、最終的には船と共に沈みました。」

「私は泳ぎが上手く、泳力があったし、正に最期の瞬間まで船にいて、それからもぐり、拾ってもらえることを期待して日本船の近くにいた 仲 間の方に泳いで行きました。」

「ところが、日本人が船に近づこうとしていた水の中にいる仲間を撃ち殺しているのを見て、急いで引き返したのです。大勢が殺されまし た。」

「私は戦前、スポーツに熱心で、泳ぎが上手かったし、クロス・カントリーもしていたし、私達のボクシング・チームのライトヘビー級の チャ ンピオンだったのです。こうしたことの全てが、ここから逃げ出すことのできる力となったし、一生懸命になって泳ぐことができたのです。」

Wilson氏は遠くの陸地を目指した。おおよそ5マイル離れており、鮫がいなければ上手く行くと確信したのだった。

「私や他の仲間が陸地に近づいたとき、全てを海の底に沈める渦に巻き込まれ、多くの命が奪われ、悪夢となりました。大勢がそこで溺死し ま した。」と語った。

膝を擦りむいて岩の上によじ登り、他の仲間を海から引っ張り上げた。その中には、Royal Engineers(=英国工兵隊)の将校がおり、陸上で指揮を執った。

「夜間、食料を探して、地元の農民がタンジェリン位の大きさの小さなスイード・ターニップを植えていたことが判ったのです。硬い皮を切 る ナイフを持っていなかったので、歯を使って噛み付いたのです。」とWilson氏は話した。「その時は知らなかったのですが、これらの ターニップは人糞まみれだったのですよ。」

「深さが約4フィートで、3面が囲まれて1面が開いている穴を見たのですが、この農場の家族がこれを便所として使っていたに違いありま せ んでした。穀物の肥料にしていたのでしょう。」

「ターニップを食べてから、酷い病気になり、直ぐに捕まりました。日本人は我々のところに歩いて来さえすれば、すっかり疲れ切っている 我々を見つけることができたのです。」

その後小さな漁船に押し込まれ、そこで急激な腹痛に襲われ、体が硬直したと語った。

「不平を言っても無駄でした。」と語った。「私のタオルは濡れて冷たかったし、仲間の4~5人が酷く苦しんで亡くなってから後のこと は、 良く覚えていないのです。」

Wilson氏は、この惨事での生存者は724人だったが、1,092人が溺れるか、日本人に射殺されたと語った。「大勢の戦友が死に ま した。」

日本の陸軍病院で6ヶ月間過ごし、その後、1945年の降伏まで、日本の捕虜収容所に抑留された。娘のMargaret MacGregorは次のように語った。

「生に対する積極的で楽観的な態度によって、父は毎日を楽しく過ごすことができたのです。Remembrance Sunday(注、11月11日に最も近い日曜日のことで、戦没者を追悼する日)が近づくにつれ、父は人生におけるこの偉大な一里塚を祝うことができて、どんなに幸運だっ たのか判ったことでしょう。」

Wilson氏は、11月1日にアビーフィールドでちょっとしたことをし、土曜日にはBritish Legion(=英国在郷軍人会)で宴会を開いて、90歳の誕生日をお祝いした。

3年前に家族の近くで暮らすため、ロジアン州西部から北東部に転居し、毎日歩いて、通りで会う誰にも話しかけ、この共同体における 「weel kent」の顔にすっかりなっている。(Deeside Today: 07 November 2008)

SpeedFerriesの船が差し押さえ(英国)

ドーバーとブーローニュ間で高速フェリーを運航しているSpeedFerriesは、その唯一の船が港湾当局者に差押えられて、高い燃 料価格と需要減少の犠牲者となることが確実視されている。

ブーローニュ港が木曜日にSpeed Oneに対して行った行動は、同社が提供する運航を休止させたというもの。この会社は2004年に運航を開始し、デンマークの企業家、Curt Stavisによって所有されている。

同社は、港湾使用料や税金の未払いによって差押えられることは「totally unexpected(=全くの想定外)」だったと話した。同社では、未払い使用料・税金問題を解決するための提案を提出する計画を立てていた。(Financial Times: November 8 2008 02:00)

Delta Queenがビッグ・イージー(注、ニュー・オーリンズ)に最期の寄港(米国)

ルイジアナ州、ニュー・オーリンズ発。ミシシッピー河最古の木造クルーズ船が最期の航海を行った。

Delta Queenは、木曜日の晩にニュー・オーリンズに接岸し、80年の船歴の幕を降ろした。

この船は、木造船が1泊クルーズで50人以上の乗客を乗せることを禁止する新法のため、運航を終了しなけれなならなかった。

過去40年間、Delta Queenはミシシッピー河で運航している唯一の木造船だった。(WFIE-TV: Nov 8, 2008 01:51 AM)

パリ政府は造船所の持分を買収(フランス・韓国)

フランス政府は、大型クルーズ船を建造するフランスに残った最後の造船所の保有者である、STX France Cruiseの持分の33.3パーセントを取得する。

パリ政府は、同社に1億1000万ポンド(1億4100万ドル)を投入する。この会社は、かってChantiers de l'Atlantiqueとして知られていたサン・ナゼールのフランスの歴史的な造船所を保有しており、工学グループのAlstomによって保有されている16.65パー セントの持分と共に、少数派に転落することを防ぐ資本構成となる。

政府持分は、Nicolas Sarkozy大統領が年内の設立する予定である、新しい国家投資会社に移される。

大統領は、新しい所有者である韓国のSTXが、技術や雇用を海外に移転するのを恐れ、6月にこの造船所の株式を取得することを示唆して い た。(Financial Times: November 8 2008 02:00)

ノロウイルスがクルーズ船を風靡する(米国)

フォート・ローダーデール発。クルーズ船の乗客と船員の約10パーセントが、伝えられるところによると、ノロウイルスで嘔吐していると いう。

Holland America LineのZuiderdamは、日曜日の朝4時頃、ポート・エバグレーズに接岸した。乗客らは数時間後に解放された。

Holland America Lineと連携しているBuck Banksによると、2600人の乗客と船員がいたという。この病気は17日間のクルーズの間中、クルーズ船内で伝染したという。

船員らは現在、船を清掃している。(CBS 4: Nov 10, 2008 12:11 am US/Eastern)

ロシア当局者、サハリンの低気圧の損害は300万ドルと見積もる(ロシア)

11月10日、ユジノ・サハリンスク発。週末、極東ロシアのサハリン島に大きな被害を与えた低気圧による損害は、300万ドルと見られ る、と月曜日、同地域の副知事は語った。

金曜日、秒速40メートルの風と激しい雪を伴った低気圧が、この太平洋の島を襲った。島の7地方で緊急事態が宣言された。

「発電関係だけでも、電線に3000万ルーブル(100万ドル)の損害と見積もられています。」とSergei Sheredekinは語った。「その他、この地域の7つの自治体の重要施設の修復に、5000万―6000万ルーブル(190万―220万ドル)が必要になります。」

低気圧は100棟以上の建物の屋根に被害を与えたが、犠牲者は報告されていない。

Sheredekinは、同地域にはこの低気圧の影響に対処するための必要な資源はあり、防災用品を積んだトラックが既に派遣されてい る と語った。

島と本土を結ぶフェリーは、タタール海峡(注、間宮海峡)の嵐のために2日間運休したが、再開されている。(RIA Novosti: 09:58 10/11/2008)

おっと!CunardのQE2が最後のクルーズで座礁(英国)

Cunardの伝説的なQueen Elizabeth 2は、40年間の運航最後のクルーズを記念する式典に向う途中、今朝、イングランド、サウサンプトンの近くで座礁した。

USA TODAYの姉妹紙であるサウサンプトンのDaily Echoは、この歴史的な遠洋定期船は風に流され、この港町近くの砂洲に乗り上げたが、短時間だったと報じた。

Gannett所有のDaily Echoは、曳船がQE2を素早く浅瀬から引き出したと報じており、船は予定された送別式典に30分遅れただけだった。同紙は、QE2には損傷はない模様で、この事故で怪 我人はいなかったと報じている。

Duke of Edinburgh(=エジンバラ公)である連合王国のPrince Philipが、この式典を主宰し、Royal Air Force(=英国空軍)のHarrierジェット機が、敬意を表して上空飛行を行った。

また、1982年のフォークランド諸島戦争時に軍隊輸送船として過ごしたことを感謝し、Veterans Day(=退役軍人の日)に出発することを記念して、無数のポピーの花びらがQE2に降り注がれた。

この老朽船は、グリニッジ標準時間の今晩7時15分に最後の航海に出帆することとなっている。サウサンプトンのEastern Docksの伝統的な係留場所をそっと離れて、船はこの港町のMayflower Parkの直ぐ沖を、花火を背景に浮かぶこととなる。QE2はドバイに向かい、そこで洋上ホテル兼博物館になる。

1967年にQueen Elizabeth II(=エリザベス二世女王)によって進水したQE2は、250万人以上の乗客を乗せ、Cunardの歴史上、最も長く運航した船であった。(USA Today: Tuesday, November 11, 2008)

クルーズ客船会社は金融の荒海に新たな船出(米国)

Royal Caribbean Cruises (RCL)の船隊の最新船は、11月23日にフォート・ローダーデールから処女航海に出発する。7億5000万ドルのCelebrity Solsticeは、ウンザリしたクルーズ狂でさえもアッと言わせる設備を備えている。ピクニックやゴルフ用の本物の草の生えた半エー カーの芝生、2階建てのスパ、ワイン試飲貯蔵室。バスローブを羽織って海を見つめたい?船体に更に甲板を積み上げ、1,425室の85% にプライベート・バルコニーを設けている。他船よりも3分の1も多い。

しかしながらRoyal Caribbeanは、船出するのに大変な時期を避けることはできなかった。旅行業界は、7年前の9月11日のテロリスト攻撃以来、最悪の不況の中にある。顧客の気を惹こ うと、クルーズ客船会社は大幅に価格を引き下げ、燃料割増金を廃止し、船を異国風の場所から、高い飛行機旅行代のかからないような港に転 配している。

「弊社の予約は、9月中旬までは良く持ちこたえておりました。」とRoyal Caribbeanで長年、会長兼最高経営責任者をしているRichard D. Fainは話している。「9月中旬を過ぎ、大きく落ち込んだのです。」

需要の低迷は、唯一の問題ではない。数年前は顧客がウヨウヨいたことから、業界は、より大きな、より夢のような船を発注したのだった。 建 造にかなり時間を要したことから、今になって就航することとなっている。Royal Caribbeanは2012年までに、60億ドルの費用をかけて、更に6隻を加える。競合他社のCarnival Cruise Lines (CUK)は、今後3年間に北米とヨーロッパで業界は38隻就航させるものと見ており、収容力を28%増加させることになる。

旅行者の減少は、既に大損害を与えている。Majestic America Lineと歴史ある外輪船Delta Queenは、今年、最期の汽笛を鳴らすこととなっている。非公開投資会社のApollo Global Managementが50%保有しているNorwegian Cruise Lineは、フランスでの巨大船建造で、予算超過だと泣き言を言っている。業界の多くの者は、これをNorwegianが契約から手を引くための手段だと見ている。 Norwegianは論評を避けた。そして洋上での40年を終え、CarnivalのCunard Lineが保有するQueen Elizabeth 2は引退し、ドバイでホテルになることとなった。

Royal Caribbeanは、Solsticeのような巨大な船舶の助けがあるものの、衰えにも襲われているところだ。2007年度に6億340万ドルの純利益を上げた後、この マイアミに本拠を置く会社は、今年65億ドルの売り上げで、5億8000万ドルを稼ぐものとSusquehanna Financial Groupの分析者Robert LeFleurは予想している。このクルーズ客船会社は、保有船の多くを埋めるために、1人がクルーズを予約すると、2人目の乗客は半額になるという特売を行ってきた。し かしSolsticeの値引きはしていない。旅行ウェブサイトのcruisedirect.comによると、バルコニー付きのカリブ海7 日間クルーズで、1人当たり1,300ドルとなっている。同程度のパッケージと比べ、約30%高い。

特大船は、多くの顧客に固定費用を分散させ、船上の食堂や売店での売り上げを促進させるための多くの手段があるため、より利益を上げる こ とができるものだ。

「今日の経済情勢においてさえ、これらの船舶は大変に経済的で、大変に健全な手元資金を生み出すのです。」と最高経営責任者のFain は 力説している。それでもRoyal Caribbeanの株価は、昨年よりも3分の2以上も急落しており、2001年以来、最低水準の12より下である。

Solsticeは、クルーズをしたことのないアメリカ人の80%、とりわけ中年女性に訴えようとしている。Royal Caribbeanは、Synecticsという市場調査会社を雇った。ここは2006年に5人のベビーブーマー世代の女性を、クルーズ船、ビジネス・ホテル、家具屋に 4ヶ月間派遣している。このフォーカス・グループはまた、ドイツのSolsticeの造船所も訪れている。設計上の特徴は、彼らが示唆し たものだ。ベッドの上や下の収納スペース、開けると隣接する船室と結ぶことのできる観音開きの扉、足の毛を剃るためのシャワー室の足載せ 台など。

Royal Caribbeanは、世界最大の2,700室のOasis of the Seasの就航と共に、2009年12月に大きな波飛沫を立てることを希望している。航空母艦よりも長い15億ドルの船は、刺青店や占い師のいる遊歩道の他、野外カフェの あるセントラル・パークを含む7つの「neighborhoods(=ご近所)」を備える。旅行代理店のCruise Holidaysの最高執行責任者であるPeter Thomsonは言う。「売り物になる多くの興奮がありますよ。」

世界的な経済不況において明るい兆しがあるとすれば、休暇を滅多にない低価格で取ることができるというものだ。Los Angeles Timesの記者のPeter PaeとJane Engleが11月10日に注目したように、需要の急減が、航空会社、ホテル、クルーズ会社に、価格の引き下げを強いている。Delta Air Lines (DAL)は、ロサンゼルスからハワイに行く往復運賃を244ドルで提供している。3日間のカリブ海クルーズの中には100ドルもしないものがある。ラス・ベガスのあるホ テルでは、最近、部屋を1ドルで提供している。(BusinessWeek: November 13, 2008, 5:00PM EST)

フェリーは管理下に(フランス)

海峡横断フェリー会社SpeedFerriesは、管理下に置かれた。同社は未払いの税金と料金を巡る紛争において、Boulogne Port Authority(=ブーローニュ港湾局)に唯一の船であるSpeedOneを差し押さえられ、先週の木曜日に窮地に陥っていた。同社は取締役らの請求により、管理下に 置かれた。(Times Online: November 14, 2008)

BC Ferriesの乗客は爆発物探知犬に様々な評価(カナダ)

BC Ferriesは過去6ヶ月間に、主要ターミナルのうちの5箇所で、爆発物探知犬を使ってきていると話している。Tsawwassen Ferry Terminalの乗客は、それを聞いて驚いていた。

「そんなことをしているとは知りませんでした。安心ですね。」

しかし他の乗客は安心していなかった。BC Ferriesが爆発物探知犬を使用しなければならなかったことを知って、明らかにフェリーが脅威に直面していることになったと話している。

他の人は、例え爆発物探知犬がいても、本当の悪党はそれをかいくぐるだろうと感じていた。

BC Ferriesは昨年、少なくとも2度の爆弾脅迫を受けており、それには21便が運休した事件が含まれている。(News1130: Friday, November 14 - 02:21:42 PM)

島民はフェリーがないのを抗議して港を封鎖(ギリシャ)

アルゴリコス湾のヒュドラ島の住民は、昨日、2日間に亘り島の主要港を封鎖した。在来型フェリーによる運航がもはや無くなり、かなり料 金の高い高速船だけになった事実に抗議するためのもの。

昨日、地元民は港に集まり、高速フェリーが接岸するのを妨害した。過去2年間、ヒュドラ島では在来型フェリーの運航がない状態が続いて い る。(Kathimerini: Friday November 14, 2008)

黒海のフェリー運航は30周年を記念(ウクライナ)

11月17日、キエフ発。黒海のフェリー運航は30周年を祝った。UKRINFORMは、Association of Shipowners of Ukraine(=ウクライナ船主協会)の報道担当のOleksandr Fedorovから情報を得た。

この報道担当によると、とりわけウクライナに本拠を置くUkrferry Shipping Companyの専門家と船員が、黒海地域全般とウクライナにおける輸送の見込みを行動で示したという。Ukrferryは、既に9000万トン以上の貨物を輸送してき た。我が国におけるフェリーの効率的運航により、EU主導のTASISとTRACECA(=欧州コーカサス・アジア輸送回廊)事業の成熟 した参加国となり、BSEC(=黒海経済協力機構)とGUAM(=グルジア・ウクライナ・アルメニア・モルドバ)諸国の連携のための信頼 できる輸送動脈を作り上げた。

Ukrferryによると、GUAM諸国との間のウクライナ製品の売上高は、2001年度の4倍の16億米ドルにまで成長したという。 同 時にウクライナの貿易黒字は、12億米ドルを計上した。参考までに昨年のウクライナとロシア間の貿易赤字は51億米ドルであり、一方 CIS(=独立国家共同体)諸国間(GUAM諸国を除く)は81億米ドルだった。黒海諸国間の協調力学は、輸送に影響を与えており、何よ りもフェリー航路の取り組みであり、GUAMの主要な輸送動脈となっている。例えば2001年には、イリチフスク―ポティ・バトゥーミ航 路で合計47万3800トンが輸送されていたが、昨年のこの航路における貨物は、12億7870万トンに達している。

SC Ukrferryは、鉄道連絡船のGeroi ShipkiとGeroi Plebny、旅客フェリーのCaledoniaとYuzhnaya Palmyra、Akademik Tupolev型の裸傭船のRo-Ro船を所有している。同社はその伝統的事業を発展させ、新しい道を切り開いている。Ukrferryは2008年暮れに、ケルチに新し いフェリー・ターミナルを開業するものと見られている。専門家らは、TRACECA(=欧州コーカサス・アジア輸送回廊)に第二の風を吹 かせるものと考えている。(BSANNA NEWS: 2008-11-17)

Royal Caribbean Cruisesは配当見送り(米国)

火曜日、Royal Caribbean Cruises Ltd.は、1株1四半期当たり15セントの定時四半期普通株配当を打ち切ると話した。

会長兼最高経営責任者のRichard D. Fainは、会社は配当の重要性を認識しているが、「弊社の全株主に報いる最善の方法は、将来も収益を伸ばし、経済と金融市場の不安定さが増大している時期において、流動 資産を強化する地位に会社があり続けること」だと語った。

同社は、配当見送りは、運航経費・一般管理費・設備投資の軽減といった他の費用削減の動きに応じたものだと話した。同社では、配当の一 時 停止によって、年間約1億2500万ドルの節約ができると予想していると話した。

同社は、残存している全ての船舶注文の政府保証、あるいはその資金を調達するための資金を確保していると話した。

Royal Caribbean株は3.4パーセント、33セント下落して、火曜日は9.50ドルで引けた。(Forbes: 11.18.08, 05:54 PM EST)

Washington Stateフェリーは脅迫の標的に(米国)

脅迫によりWashington Stateのフェリーは、ブレマートンを出発後、5分間、遠回りを余儀なくされた、と当局は報告している。

脅迫の内容やフェリーの接岸場所についての報道は混乱している。Associated Pressは、Washington State Patrol(=ワシントン州警察)を引用して、フェリーはテロリストの脅迫を受けてブレマートンに戻ったとし、Seattle Post-Intelligencerは、船はベーンブリッジ島に航路変更し、不特定の脅迫を受けて、ブレマートン・フェリー埠頭は閉鎖されたとしている。

シアトルからブレマートンへのフェリー運航は、ベーンブリッジ島に航路変更になった、とこの州営フェリー運航者は話している。

Department of Homeland Security(=国土安全保障省)が現在、本件を扱っている。続報は、情報が入り次第提供する。

東部標準時間午後5時更新。KING 5 TVは、このフェリーは、太平洋標準時間午後12時50分(東部標準時間午後3時45分)頃、電話で脅迫を受け、ブレマートンに戻ったとしている。爆発物検知犬が船を調べ ている。

東部標準時間午後7時11分更新。Washington State Patrolは、Seattle P-Iに対して、爆発物は見つからず、フェリー運航は再開されたと話している。(USA Today: 04:57 PM/ET, November 18, 2008)

Tallinkの船がカナダへ(エストニア・カナダ)

Tallinkの子会社、Baltic SF IX Ltdは、カナダ政府が出資している企業であるMarine Atlantic Incに、Superfast IXを5年間提供した。

Marine Atlantic Incは、この船をカナダ領海でゴミの輸送のために運航する。この間の船名は、Atlantic Visionとなる。

この取引はドイツ航路の再編の一環であり、ドイツ航路の収益性を引き上げるために役立つ。船は幾つかの技術的な準備をした上で、11月 14日に引き渡された。

9月以来、フィンランド―ドイツ航路には2隻のSuperfastの船舶がいる。(Baltic Business News: 18.11.2008 16:06)

ホリーヘッド―ダブリン航路のStena Lineの新しい船(英国)

STENA Lineは、ホリーヘッド―ダブリン航路に新しい船を就航させた。

Stena Seatraderが修理のためにホリーヘッドを離れ、Stena Nordicaが代替する。

Stena Nordicaは旧P&O European Ambassadorで、2004年にP&O Irish Seaの運航の幾つかがStena Lineに売却された後で閉鎖された、短命のだったダブリン―モスチン航路に転配されるまで、ダブリンからリバプールに航海していた船。

ごく最近は、Nordicaはスウェーデンとポーランド間の航路を運航していた。(Daily Post: Nov 18 2008)

Color Lineは66人の従業員を一時解雇(スウェーデン)

イェーテボリ発。海運会社のColor Lineは、同社の異なる国内事業所で働く66人の従業員を一時解雇する。同社では、ここ数年、船舶を10隻から6隻に減船しており、従業員が多過ぎると話している。

この一時解雇は、販売・営業部で働く職員に影響を与えることとなる、とFaedrelandsvennenのウェブサイトでは報じてい る。(SSG: 18.11.08)

トンガのフェリー運航事業者は運航を確信(トンガ)

トンガの大手島嶼間フェリーの運航者は、内閣府に苦情があるものの、船は現在の運航予定をこなすことができると話している。

MV Olovahaはハアパイ島の埠頭に衝突し、首都ヌクアロファに修理のために戻らなければならなかった。このフェリーは1981年以来、トンガで運航してきた。

この運航は、離島の島民にとっては生命線となっており、クリスマス、正月で労働者や学生が帰省する繁忙期が始まろうとしている。

Shipping Corporation of Polynesiaの会長(注、女性)でトンガ司法大臣のAlisi Taumoepeauは、このフェリーは重要な休暇の時期には運航できると話している。

「懸念があります。というのは首相に対する苦情があったと考えているからです。」と語った。

「ハアパイとバブーへの予定運航に合わせることでは問題はありません。そうなる予定です。」(Radio Australia: November 19, 2008 08:07:54)

クルーズ船客が埠頭から転落(ニュー・ジーランド)

ネーピア訪問中のクルーズ船の乗客が、火曜日、港の埠頭から転落し、救助を余儀なくされた。

警察広報官Kris McGehanは、75歳のオランダ人男性が、埠頭に駐車していたビンテージ・カー(注、1919年―30年に生産されたクラシック・カー)の写真を撮っていたところ、後 ずさりして5メートル下の海に転落した。

McGehan女史は、クルーズ船Voledamの職員の1人が海に飛び込み、この男性を助けたと話している。

乗客は、治療のためへースティングスのHawke's Bay病院に搬送された。今週後半に、タウランガで船と合流する見込み。(Radio New Zealand: Updated at 6:28am on 19 November 2008)

新しい旅客フェリーがロスレアに「大景気」(アイルランド・フランス)

ロスレア・ユーロポートとル・アーブル間の新しい旅客フェリー運航が、日曜日にMinister of State(=国務大臣)のNoel Ahernにより、正式に始まった。

この新しい運航は11月9日に開始されたもので、最新鋭のThe Norman Voyagerにより運航される。この20年間において、ロスレア・ユーロポートに就航した初めての新船。

ユーロポートの総支配人John Lynchによると、LD Linesによって保有されるこの船は、ロスレア港に大景気をもたらすという。(中略)

The Norman Voyagerは、乗客800人、乗用車200台、そして120台の貨物車輌を積載できる。船内設備には、船室110室、酒場、食堂、休憩室がある。

LD Linesは、フランスの巨大海運企業Louis Dreyfus Armateurs Groupの子会社。(Wexford People: Wednesday November 19 2008)

Golden Gate Districtは2隻のお蔵入りのWSFのフェリー購入へ(米国)

サン・フランシスコのGate Bridge, Highway and Transportation Districtの委員会は、Washington State Ferriesが一度はeBayで売却を試みた、2隻のお蔵入りになっていた船齢10年の高速フェリーの購入を承認した。

この2船は、乗客350人乗りの双胴船、ChinookとSnohomish。

計画は、この2隻を合計400万ドルで購入するというもので、他に改装に1910万ドルを費やすという。(後略)(Marine Log: November 20, 2008)

日本とアセアン諸国からの300人以上がベトナムに来る(ベトナム)

日本とアセアン諸国からの328人の若者が、Ship for Southeast Asian Youth Programme (SSEAYP) 2008(=2008年東南アジア青年の船)で、11月26日から29日までホー・チ・ミン市を訪れる。

ホー・チ・ミン市での4日間、日本とアセアン諸国の代表者らは、家庭訪問を行い、ダイ・ナン娯楽公園を訪問して、29人のベトナムの若 者 と文化交流を行う。Becamex Binh Duong工業地区の企業も訪問する。

歓迎式典は、11月26日に開催される。Ship for Southeast Asian Youth Programme(=東南アジア青年の船)は、1974年に日本とアセアン諸国との間での協力合意が署名されて以来、実施されている。

この行事は、加盟国の若者の間の友情を促進し、国際関係を発展させることを目的としている。この事業は毎年、日本政府の後援で、アセア ン 諸国が支援している。

船は、横浜港(日本)から航海を始め、ムアラ(ブルネイ)、ジャカルタ(インドネシア)、バンコク(タイ)に寄港する。ホー・チ・ミン 市 に接岸してから、船はマニラ(フィリピン)に向かい、12月10日に東京(日本)で航海を終える。(VietNamNet Bridge: 09:49' 20/11/2008 (GMT+7))

TallinkはRomantikaを代替(エストニア)

来春、Tallinkは、タリンとストックホルムの間で航海しているクルーズ船、Romantikaを代替する、とERR Newsは報じている。

Romantikaは、現在、Regina Balticaが運航しているリガとストックホルムの間を航海することになる、とTallinkの広報担当のLuulea Laaneは話した。

新船は2800座席で、Romantikaよりも300席多い。新船の名称はまだないが、12月には洗礼式が行われる。

Laaneは、9月と10月にストックホルムとタリン間を航海したRomantikaの乗客数を話さなかったが、1年で乗客数は増加し た と語った。

この会社は、10月は54,448人の乗客、9月には53,930人の乗客を扱った。(Baltic Business News: 21.11.2008 16:20)

旧Star Ferry埠頭で戦時の爆弾発見(中国)

戦時中の爆弾が、セントラルの旧Star Ferry埠頭近くで発見され、直ぐに爆破された。

この英国製の爆弾は、過去2週間に発見された2発目のもので、建設作業員によって掘り起こされたもの。

上席爆発物処理官のDominic Brittainによると、爆弾は直径約6インチで、爆発すると、半径100メートル以内の作業員に危険をもたらし得るものだったという。(The Standard: 11-21 20:08)

Oasis of the Seasが浮揚(フィンランド・米国)

世界最大のクルーズ船、Oasis of the Seasが、船渠から出て浮揚した。

乗客5,400人乗りのRoyal Caribbean Internationalの船は、フィンランドのトゥルクで工事中。

この船は現在、世界最大のFreedom of the Seas、Liberty of the Seas、そしてIndependence of the Seasよりも40%大きいが、乾船渠を出て係船ドックに移り、1年後のお披露目に先立ち、内装工事の最終段階を始める。会長兼最高経営責任者のRichard Fainは語った。

「3年以上に亘る熱心な計画と共同作業を終え、本船の65%は既に完成しております。Oasisが最終段階に入ったのを見て興奮いたし ま す。」

Oasis of the Seasは、William S. Wright船長とTor Olsen船長の指揮の下、就航する。

Oasisが2009年12月にフロリダからカリブ海に就航すると、7つの区画で乗客に提供されるご近所構想が呼び物となることにな る。 (TravelMole: 21 November, 2008)

3隻目の新しいフェリーがブリティッシュ・コロンビア州に就航(カナダ)

B.C. Ferriesの新船、Coastal Celebrationが今日、シュワルツ湾から乗客を乗せて初めて航海した。

フェリー会社社長のDavid Hahnは、このドイツ建造船は、予算よりは少なくとも2000万ドル少なく済んだと話している。

このフェリーは、今から12月の休暇期間中までの間は、金曜日と日曜日の午後にシュワルツ湾とTsawwassen間を運航する。

乗客1600人、車輌370台を積載するブリティッシュ・コロンビア州の3隻目の大型船。(CTV British Columbia: Fri Nov. 21 2008 14:08:41)

「我々は英雄だと思っている」ソマリアの海賊語る(ソマリア)

Asad 'Booyah' Abdulahi(42)は、自身をアデン湾やインド洋で船を略奪する海賊の親分だと名乗った。次のように語った。

私は42歳で、子供が9人いる。アデン湾やインド洋で稼いでいる船を持つ親分だ。

高等学校を終えて大学に行きたかったが、金が無かった。それで親父のように、パントランドのアイルで漁師になった。それでも会社で働く 夢 を持っていたね。しかしソマリア政府が(1991年に)崩壊して、国が不安定になり、夢は決して実現はしなかった。

海では、外国の漁船がしばしば我々に歯向かって来た。免許を持っていないのもいたし、パントランド当局から許可を得ていたのもいた。し か し連中は、我々とそこで競い合うことを望んでいなかった。我々の船を破壊して、追い払ったのだ。

1998年に、こうした漁船を乗っ取り始めたんだ。特別な訓練は何も受けていないが、怖くは無かった。最初に分捕った船で、 300,000ドルを手に入れることができた。その金で、AK-47s(注、カラシニコフ銃)と小型高速船を買った。それ以来、何隻の船 を分捕ったかは正確には知らないが、大体60隻だと思う。船を乗っ取りに行くと、時々強風に直面して、仲間には病気になった奴も、死んだ 奴もいた。

我々はヨーロッパから来た船を優先した。というのは、身代金がガッポリ取れるからだ。連中の気を惹くために、船の近くで発砲するんだ。 船 が止まらない場合は、乗り込むために縄梯子を使う。船員を数え、国籍を割り出す。貨物を調べてから船長に、船主に電話して、船が略奪さ れ、身代金が支払われるまで抑留されることになると言え、と要求するんだ。

欲しいのは金であって、殺しはしないと話して、人質とは仲良くなるよ。時々、米や魚、パスタを一緒に食うこともある。我々の船に金が届 く と、銭を勘定してから人質は解放よ。

それから仲間がアイルで我々のご帰還を歓迎し、ランド・クルーザー(注、大型車)でガロウェに行く。そこで金を使う。例えば180万ド ル を手に入れたら、この仕事に資金提供してくれる投資家の男に380,000ドル送金する。そして残りを山分け、ってわけだ。

我々の共同体では、海賊は非合法な金を得ていると考えている。しかし我々は、貧困から逃げ出した英雄だと思っている。我々は乗っ取りは 犯 罪行為とは考えない。道路税だと思っている。というのは、我が領海を支配する中央政府はないのだからね。外国の軍艦が巡回するようになっ て、厄介になってきた。

しかし、新しい船や武器を手に入れている。領海を支配できる中央政府を持つまで、我々は止めない。(The Guardian: Saturday November 22 2008)

ある戦争捕虜の話(英国・台湾・日本)

いつ
Walter Kirkbyは、第二次世界大戦の始めに英国陸軍に召集されたが、ヨークシャーの渓谷を再び見るのに6年以上も、しかも地球を一周することになろうとは、思いもよらなかっ た。

1939年8月に動員され、Kirkbyはイングランド中の様々なところで務めた。所属するRoyal Artillery(=英国砲兵隊)の80th Anti-Tank Regiment(=第80対戦車部隊)は、フランスとノルウェーでの戦闘を経験することなく、海外に行くよう命じられたのだった。

「始めは砂漠の中東に向うのかと思っていたのですが、違っていました。ダーバン、ボンベイに行き、それから最終的にはシンガポールでし た。満員の船で、合計約6週間かかりました。大きな船で、この大きな定期船を輸送船にしていました。」と強いヨークシャー訛りで話した。 「シンガポールに到着すると、当然のことながら、全く見知らぬ土地でした。しかし食料が豊富で、国内の配給とは大違いでした。」

数週間で新しい環境に慣れると、現在のマレーシアである北部に向かい、そこでKirkbyは、初めて日本陸軍と遭遇した。そして不幸な こ とに、それは最後ではなかったのだった。部隊は日本軍の上陸を阻もうとコタ・バルーの海岸に移動したが、手遅れだった。日本の飛行機の爆 撃と機銃掃射を受けたのだった。

数日間は撃退したが、次の数週間は獰猛な日本軍のマレー半島南下に直面して退却し、部隊は、結局はシンガポールに退却することとなり、 本 土に通じる土手道が爆破されて、取り残されることとなったのだった。

1942年2月にシンガポールが陥落し、Kirkbyと連合軍の残りは、この都市のChangi Prison(=チャンギ収容所)に収容された。「とんでもないところで、3人か4人ずつ、狭いコンクリートの独居房に押し込められたんですよ。」と回想した。

状況は良いものではなく、捕虜達は近くの井戸から水を引いていたものの、数日で井戸は枯れ始めた。

収容所で3週間過ごした後、Kirkbyは最初のいくつかの作業班に志願した。戦勝した日本人が、シンガポールのBukit Timah Hill(=ティマ山)に神社を建立するのを手伝うものだった。

こう判断したのは、もっと食料にありつけるかもしれない、ひょとすると自分や自分の部隊が北部に船で連れて行かれて、タイとビルマを結 ぶ 悪名高い「Death Railway(=死の鉄道)」での作業から逃れることができるかもしれないと考えたからだった。

しかしシンガポールでは、死の催促状は決して遠くにあるようなものではなかった。Kirkbyは、恐らくは中国人の協力者と思われる 「row of severed heads(=切断された頭部の列)」が、毎朝、作業に向う途中、車で運ばれて行くのを見たことを覚えている。

それから1942年10月になり、「England Maru(=英蘭丸)に積み込まれて、そう文字通り積み込まれたんです。鰯みたいにぎっしりと積み込まれたのです。」と回想した。

台湾への「地獄船」
England Maru(=英蘭丸)は、第二次世界対戦中に沢山あった日本の輸送船の1隻で、その多くは、国名や都市に因んだ名前だったが、航海中、戦争捕虜達は身の毛のよだつような状 況に耐えたことから、「hell ships(=地獄船)」として知られるようになった。

「便所の代わりにバケツがありました。ありつけた米は酷いもので、同じバケツか、あるいは、もう話せませんよ。」そう笑って語った。

この船は、14日後に基隆(=キールン)で陸揚げとなり、男達も上陸した。短時間、汽車に乗り、それから丘を登り、現在の台北(=タイ ペ イ)県金瓜石のKinkaseki Mine(=金瓜石鉱山)に着いた。

数日後、男達は銅山で労働させられた。当時、日本帝国の中で最も産出高のあるところだった。

最初はどこにいるのか判らなかったが、最終的には自分達が台湾にいることが判ったのだった。

「脱走をよく議論していたものでした。中国の海岸から1時間半のところでしたからね。しかし望み薄でした。」とKirkbyは話した。

「厚紙のヘルメットと腰巻一枚、神のみぞ知るもので出来たシャツ1枚」だけを持って鉱山に送られ、自分と仲間の捕虜達は、夜明けから夕 暮 れまで、僅かな米と栄養補給のための僅かな野菜だけで働かされ、見張りには毎日殴られたという。

「鉱山から帰って来ると、大体、5時か6時でした。」と回想した。「約400人から600人の男達用に、約10フィートに6から7 フィー ト四方(3m×2m)のコンクリート製の大きな風呂がありました。最初の20人と一緒だったら幸せですよ。適度に洗えますからね。しかし 最後の20人と一緒の場合は、だし汁に浸かるようなことになりました。」

これが1944年夏まで1年以上も続き、Kirkbyの天井は、文字通り崩落した。天井が崩壊し、腕を骨折し、背中を怪我し、数ヶ所の 酷 い裂傷のため、数週間も身動きが取れなくなったのだった。傷跡は今でも残っている。

この事故の後、収容所の医師によって回復してから、「a marvelous fellow(=素晴らしい仲間)」である仲間のカナダ人の戦争捕虜のBen Wheelerの後について行った。それからずっと背中にギブスをしていたので、Kirkbyは「tabbies(=足袋)」すなわちゴム靴を縫う仕事が与えられたのだっ た。

1945年2月、捕虜達は再びバスに乗せられて、基隆(=キールン)に戻り、そこで日本の門司に向う別の地獄船に押し込まれたのだっ た。

日本に上陸後、行き先の知らされていない目的地に到着した。「周りはボタ山でした。本当に大きな鉱区で、同じようなところに戻ったのだ と 判りました。」

しかし石炭堀りは、銅山に比べて窮屈でなく湿気もなく、見張りは年寄りで、台湾のような暴力は少なかったと話した。

当時、合衆国軍の日本本土上陸の合図となる連合軍の空襲が始まっており、間もなく捕虜の作業のための資材や道具が欠乏し始めた。それか ら 作業のない期間を経たある朝、男達は捕虜収容所の見張りが姿を消していることに気がついたのだった。米屋に押し入って、その田舎で 「scrounging parties(=漁り回り)」、鴨や鶏や、沢山の野菜を見つけたのだった。

間もなくして「装備品で膨れ上がった2人のアメリカ人が収容所に遣って来ました。こう言ったんです。『君達に食料を持って来た。』そし て 飛行機に来るよう連絡したに違いありません。」と話した。

続いて覚えていることは、B-29爆撃機が、収容所に封印した食料、42ガロン(159リットル)のドラム缶をパラシュートを付けずに 投 下し、結局は予想通りの惨憺たる結果に終わったことだった。

旅路の果て
「鉄道線路、岩の上にフルーツ・サラダがあり、不幸なことに(ドラム缶の)1つは病院の屋根を突き抜けて、少なくとも仲間の1人、 Johnsonが死んだのです。」とKirkbyは言った。「上手く切り抜けて来たのに、そんな風に死んだのですよ。」

次の投下はパラシュート付きだったが、「食料が多過ぎて、これまで長年、こんな生活をしていたので、食べられませんでした。」と話し た。

数週間後、「風があまりに強くて逆立ちして歩くような」台風がやって来たので、アメリカ人が戻って来て、出発する準備をするよう話した と いう。

「私達は(汽車で)かなり遠いところに行き、屋根の無い家や、電柱が吹き飛んだりしたものを見たのですが、台風が通過した跡だと思いま し た。」とKirkbyは回想した。

しかし、そうではなかったのだった。男達が目の当たりにしたものは、2発目の原子爆弾の惨状だった。長崎に向っていたのである。

列車は、その線路の終点で停車した。それで「私達は降りて、長崎の埠頭の方に向って歩いて行きました。酷い光景でした。」と話した。 「埠 頭に行くと、急ごしらえのシャワーがありました。アメリカ人がそこにいて、私達を裸にし、全てを投げ去ってから、DDTの粉をかけて虱を 取り、それから小型の航空母艦に乗せられました。」

最終的には、男達はマニラに到着した。3年以上もの間で、初めて味わう自由の味だった。

2週間過ごし、その後、Lady Mountbattenの訪問があり、それから「フリスコ(サン・フランシスコ)に向う船に乗りました。しかし港湾労働者がストライキをしていて、結局はバンクーバー島の ビクトリアに上陸しました。」そこで更に2週間過ごした。

そこから男達は、汽車でカナダを横断してニューヨークに連れて行かれ、そこで乗船した。今回はより寛げるもので、サウサンプトンまでの 大 旅行の最後の旅程は、RMS Queen Maryの乗船だった。それから短い列車の旅をして、母親のために合衆国で買った巨大なMaxwellのコーヒーの瓶を土産に、帰宅したのだった。1945年11月下旬の ことだった。

今や63年が経ち、Kirkbyは元の場所であるアジアに戻って来た。元の収容所で先週あった毎年恒例のリメンバランス・デー(注、 11 月11日に最も近い日曜日)の式典のために、戦後初めて台湾に戻ったのだった。そこで倒れた戦友を弔った。

上手く切り抜けられなかった男達のために収容所に記念碑が建てられていることを知った1998年以来、戻って来るつもりだったが、どう い うわけだか今年までその機会がなかった。

収容所に戻って来た時の気持ちを、Kirkbyはいつものように気取らないで、こう話した。「そこで何があったか知るのは、悲しいこと で す。言ってみれば、現場の蔭に全てがあるのです。残念ながら大勢の若者達は、ここから戻ることができなかったのです。」

「忘れることは、ちょっとできませんね。というのは、この種の事柄で悩み過ぎると、自分自身の問題になってしまうからです。」と上唇を 強 張らせながら語った。

忘れることはできるかも知れないと言うが、しかし、決して日本人を許さないと語った。

「確かに(日本人は)好きではないです。それは確実なことです。連中が私から遠くにいればいるほど、良いことなのです。そんな風に表現 さ せて下さい。」(Taipei Times: Sunday, Nov 23, 2008, Page 13)

ドーバー―ディエップ間のフェリー運航が2月に始まる(英国・フランス)

あるフェリー会社が、2月にドーバーとディエップ間で新しい運航を開始する。

フェリーで両港が結ばれるのは初めてのことで、LD Linesは1日1往復の運航を計画している。

このフェリー、Seven Sistersは、午後12時30分にディエップを出発し、午後3時45分にドーバーに到着。ドーバーを午後6時に離れ、ディエップに午後11時15分に到着することとな る。

同社では、この運航はイングランド南東部と北フランスのノルマンディー地方を結ぶ「特筆すべき、新しい観光・商取引直行航路」が開設さ れ るものだと話している。

フェリーには、52台の貨物車輌、300台の乗用車、600人の乗客を乗せることができる。横断時間は4時間15分で、導入時切符は、 乗 用車1台と乗客4人の片道が30ポンドとなる。LD Linesの代表取締役、Christophe Santoniは次のように語った。

「ドーバー海峡は世界最大のフェリー市場で、この新航路が、海峡西部とドーバー海峡で航路網を提供する上で、LD Linesにとって営業上の利点となることを、弊社では認識しておりました。」

詳しい情報はウェブサイトか、電話0844 576 8836番へ。(Kent Online: Report published 12.03am Monday 24 November 2008)

英国人がドイツの川下りクルーズ船で隔離(ドイツ)

ベルリン発。ドイツ当局は、感染力の強いノロウイルスの勃発後、ライン河でクルーズをしている英国船を隔離した、とGerman Red Cross(=ドイツ赤十字)の広報官(注、女性)が火曜日に話した。

Lady Anneに乗船している乗客と船員、100人全員は、約42人がノロウイルスの症状を呈して船長がバート・クロイツナハの救急隊に連絡を取った後、船から離れることを禁じ られた、とRed Cross(=赤十字)は語った。

乗客の大半は年金生活者で、ドイツ西部のボッパルト近郊に停泊している船の上でドイツ人医師の治療を受けた。

地元メディアの報道では、保健機関はどのくらいの間、隔離を続けるかハッキリしないが、消毒されるまで船から離れることは誰も許されな い と話しているという。

とりわけよく知られているこのウイルスの勃発は、英国のHealth Protection Agency(=医療保障庁) (HPA) がヨーロッパで最も一般的な胃腸ウイルスの1つと宣言しているもので、2002年に英国で発生した。

ウイルスの症状は、吐き気、嘔吐、下痢、発熱、そして筋肉痛である。死亡することは滅多にないが、幼児、高齢者、免疫力の弱い者は、死 亡 の危険が高い。(Reuters UK: Tue Nov 25, 2008 5:31pm GMT)

歴史的に有名な奴隷船Trouvadoreの残骸が東カイコス沖で発見(英国)

海洋考古学者は火曜日、タークス諸島・カイコス諸島の東カイコス沖で歴史的に有名な奴隷船の残骸の船名が、最近判明したことを発表し た。

「これがTrouvadoreである有力な証拠を持っています。」と水中考古学研究機関、Ships of Discovery代表のDon Keithは、電話記者会見で話した。

Trouvadoreの発見は、数年に亘る根気強い調査の後になされたもので、些か予期せぬものであり、National Oceanic and Atmospheric Administration(=海洋大気庁)の支援を受けていた。

2004年、考古学者らは、沈没船の位置はBlack Rock(=黒岩)として知られるタークス諸島・カイコス諸島の目印の近くであることを突き止めた。記録では、この船は残骸のあるBlack Rockから約2マイル離れたBreezy Pointで沈没したことになっていた。しかし風と潮流によって、船は別の場所に押しやられたのだった。

船体を計測し、更に調査をして、この作業班は8月に、Black Rockの残骸はTrouvadoreでしかありえないことを確認した。この船は、違法な大西洋横断奴隷貿易に関わっていたスペインの船だった。作業班は更に前に進んだ。

僅かな科学技術と歴史調査を以って、科学者らは後日、Trouvadoreの192人のアフリカ人の生存者が、この諸島の現在の大半の 住 民の祖先であることを確定した。

1841年、Trouvadoreはキューバのサンチャゴに向う途中、タークス諸島・カイコス諸島の暗礁に乗り上げた。カイコス当局 は、 スペイン人船員を逮捕し、アフリカ人の生存者の大半は、グランド・ターク島に定住した、と科学者らは話している。 (MiamiHerald.com: Tuesday, 11.25.08)

ラトビア人がTallinkのフェリーから海に投身(ラトビア)

昨夜午後10時20分頃、ラトビア人の若い男性が、Tallinkのフェリー「Festival」から海に飛び込んだ。LETAが Tallinkの営業支配人Baiba Mucenieceから知らせを受けた。

飛び込んで間もなく、船長が救助活動を開始した。Gothenburg Marine Rescue Forcesがこの活動に加わり、2隻の艦船と2機のヘリコプターが派遣された。

捜索して数時間後、Gothenburg Marine Rescue Forcesは、何らの手掛かりを得ることなく活動を終了した。Tallinkは、この事故をState Police(=国家警察)に通報した。

フェリーは、ストックホルムからリガに向う途中だった。(The Baltic Course: 26.11.2008.)

SpeedFerriesはお終い(英国)

フェリー運航事業者のSpeedFerriesは、管財人が買い手を見つけることに失敗し、閉鎖となった。

管財人のErnst & Youngは、ドーバーとブーローニュ間の全ての運航は休止しており、予約切符を持っている顧客は代替旅行の手配を模索するよう話している。

NorfolklinesとLD Linesの両社が、SpeedFerriesの予約切符を持つ旅行者に対して割引をしている。

切符を買った旅行者の権利に関する更に詳しい情報は、次週、購読者と、その後、新聞販売店に配達されるDecember Connexionをご覧ください。(The Connexion: November 26, 2008)

サウジのフェリー会社が全紅海の港湾間で定期運航を直ぐにも開始(サウジ・アラビア)

ジッダ発。紅海の港湾、ジッダのフェリー輸送の歴史上初めて、サウジが所有・経営するフェリー輸送会社が開設され、取締役会が正式に成 立次第、2009年の第1四半期に運航を開始する。

新たに設立されたIBHARという会社は、当初の資本金は10億サウジ・リアルで、数人の著名なサウジの実業家と共有。当初は5隻の フェ リーを使って始める。ジッダからエジプト、スーダンの港湾に紅海を横断し、いずれのフェリーも、乗客1200人、乗用車500台を含む 500トンの貨物を積載できるものだ。(中略)

IBHARは有限責任会社として始め、3年後に新規株式公開により株式を売却するつもりだ、とBabiadan船長は話した。同社に は、 個人から海運会社までの10人の設立委員がいるという。

IBHARはジッダに登記され、フェリーはサウジ船籍となる、と指摘した。(Saudi Gazette: Tuesday, 25 November 2008 - 27 Thul-Qedah 1429)

アラブ首長国連邦国旗がNakheelの遠洋定期船QE2にはためく(アラブ首長国連邦)

ドバイ発。QE2の英国国旗が降ろされ、この豪華定期船が木曜日、Nakheelの財産になったことから、アラブ首長国連邦国旗が掲揚 された。

木曜日の式典には、多くの重要人物が出席した。船は、ドバイのポート・ラシードに係留している。

「今や、弊社の最も長く就航した船に別れを告げる時がきました。」と前船主であるCunardの社長、Carol Marlowは語った。

「QE2が、ここドバイに新居を見つけることができ、喜んでおります。」

Marlowは、Cunardの船隊で最も長く船長を務めているIan McNaught船長に特別の賛辞を贈った。

Dubai World会長のサルタン、Ahmed bin Sulayemは次のように語った。

「船を静かに迎え入れることができ、40年前に進水して以来、本船を大変上手く扱ってきた方、遠洋定期船としての際立った輝かしい一生 の 間、本船のもてなしを受けた方の全員に賛辞を贈りたいものであります。」

「この慶事において、QE2、すなわち海洋国家としての我が国の輝かしい歴史により尊敬・補完される遺産により代表される、豊かな遺産 を 深く意識する次第であります。」(Khaleej Times: 28 November 2008)

クルーズ客船会社はムンバイ寄港を取り止め始める(インド)

今週、大々的に報じられたムンバイのテロリスト攻撃によって、既にクルーズ客船会社の1つ、Royal Caribbeanは、この都市への次回の寄港を取り止めた。更に多くの客船会社が、この後に続くものと見られている。

Royal Caribbeanの乗客2,076人乗りのLegend of the Seasは、このインドの商都に2日間訪問するため日曜日に到着する予定だったが、今や別の場所に向っている。この船は、ローマからシンガポールに、27泊のクルーズをし ている。

テロリスト攻撃は、観光客を含む西洋人に明らかに狙いを定めたもので、今後数週間にムンバイに寄港する予定の他の数隻の船に影響を与え 得 る。これにはSeabourn SpiritとAzamara Questが含まれるが、他の客船会社は、休止の発表をまだしていない。

インド西海岸に位置するムンバイ(以前はボンベイとして知られていた)は、ヨーロッパからアジア、あるいはその逆に向うクルーズ船の人 気 の途中寄港地。世界第5の人口密度の高い大都市圏と言われ、インドの金融・娯楽の中心地となっている。

テロリスト攻撃は、しばしば西洋人観光客が訪問する有名なムンバイのホテルを中心になされた。(USA Today: 28 November, 2008)

Star Cruisesは台湾―中国クルーズ運航開始を計画(中国・台湾)

台北(タイペイ)発。世界第3位のクルーズ客船会社で、指導的なアジア太平洋クルーズ客船会社であるStar Cruisesは、2009年初旬に台湾と中国の間でクルーズ運航を開始する計画をしている、と台湾の支配人が金曜日に語った。

「台湾が中国との直行海運の禁止を解いたので、弊社では来春、台湾と中国間の定期クルーズ運航の開始を申請いたします。」とAndy Lewは語った。

「まず始めに、弊社は台湾と中国南東の都市、厦門(アモイ)との間で3本運航を開始し、需要に応じて運航を増加させたい所存です。」

香港に本店を置くStar Cruisesは、現在、台湾と中国の行き先を分けて運航しており、1998年に台湾市場に参入し、毎年4月から11月まで、台湾―日本間と、台湾北部の基隆(キールン) 港からの沖合航海を提供している。

2008年、Star Cruisesは、こうした台湾航海で110,000人の乗客を扱った。4隻のStar Cruisesの船は、香港と外国の船客も台湾にもたらしている。

台湾と中国は、1949年の中国内戦の終結時に分裂した。それ以来、台湾は、中国との直行の海路・空路・貿易を禁止してきた。

この禁止のため、多くの外国のクルーズ会社は、台湾からの国際航路を断念し、台湾観光業に大きな打撃を与えてきた。

しかし6月4日、台湾と中国は、直行海路、直行郵便、毎日のチャーター便、食品の安全性に関する条約に署名した。

この条約が12月15日に発効すると、台湾と中国の船舶は台湾海峡を横断することが可能となり、7月4日に始まった週末のチャーター便 は、毎日運航のチャーター便となる。

この条約は台湾と中国の航空機と船舶にのみ適用されるものだが、Taiwan Deputy Transport Minister(=台湾運輸大臣代理)のYou Fang-laiは、木曜日、外国のクルーズ客船会社も、台湾海峡を横断して外国人乗客を乗せることが許されると語った。

しかし台湾は、成長の遅い観光業界を急騰させるべく中国人観光客を誘致したいため、外国のクルーズ船も中国人観光客を乗せることができ る ように禁止を緩和するよう、台湾は中国と交渉していると語った。(Earthtimes: Fri, 28 Nov 2008 04:57:03 GMT)

トルクメンバシとバクー港間の鉄道連絡船が再開(トルクメニスタン・アゼルバイジャン)

トルクメンバシとバクーを直接結ぶ鉄道連絡船が、再開される。アシガバートであったトルクメニスタンとアゼルバイジャンの大統領の会談 の成果として、11月28日に合意文書が署名された、とTurkmenistan.ruの特派員がアシガバートから報告した。Ilham Aliyevは、最初の公式訪問でアシガバートに到着した。

トルクメニスタンとアゼルバイジャンは、船積み、多くの貨物船、コンテナの使用、トルクメンバシとバクー港間の国際鉄道連絡船の使用に 対 する支払いに関する政府間協定にも署名した。

「カスピ海地域における輸送面での協力体制の確立には、大きな可能性があります。署名された協定は、具体化された活動であり、事業なの で あります。」とアゼルバイジャンの大統領は、新聞記者を前に語った。(Turkmenistan.ru: 28.11.08 18:39)

船員がポート・エバグレーズで船から脱走(米国)

当局は、政府の保護からこっそりと抜け出した解雇されたクルーズ船労働者を探して、ポート・エバグレーズから離れる乗用車を検問してい る。

この労働者は合衆国市民ではないが、Princess Cruisesに解雇され、逃走時、U.S. Customs and Border Protection(=米国税関国境警備局)によって本国に送還されるため手続き中だった、とポート・エバグレーズの広報担当者(注、女性)のEllen Kennedyは話した。

同港は、クルーズ客で混雑する日曜日は開放されたままだったが、当局は、乗用車を検問しているという。

Emerald Princessという船で就労していたこの男性は、港のどこかに隠れているものと見られている。

男性は、他の5人の労働者と共に解雇された。5人の労働者は、Customs and Border Protection(=税関国境警備局)に抑留されたままにとなっている。(MiamiHerald.com: Posted on Sunday, 11.30.08)