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2008年7月

2008年7月の海外旅客船情報

Spirit of Tasmaniaの運賃引き下げ(オーストラリア)

車輌フェリーのSpirit of Tasmaniaでバス海峡を横断する旅行費用が、本日から最高30パーセントの値下げとなる。

TT-lineの最高経営責任者、Charles Griplasは、この値下げは、連邦政府予算のBass Strait Passenger Vehicle Equalisation Scheme(=バス海峡旅客車輌平準化計画)の還付金の増額によって可能となったものだと語った。

標準車輌の片道の輸送費用が、72ドルから58ドルに、14ドル引き下げられる。

連邦政府の還付金は、計画における他の全ての旅客車輌の分類と比較して引き上げられた、と語った。(Herald Sun: July 01, 2008 12:00am)

ボリバルの男性が兵役に対して栄誉を与えられることに(米国)

第二次世界大戦のBataan Death March(=バターン死の行進)の退役軍人で、日本の地獄船、Shinyo Maru(=真洋丸)沈没の生き残りであるJohn Playter(90)が、ボリバルで7月4日午後4時に、自己の栄誉に捧げられた公園を見ることとなる。

John Playter Rotary Park(注、ロータリー公園)落成式典は、Bolivar High School Air Force Junior ROTCの若者達による国旗掲揚と「God Bless America」の合唱により、午後4時に始まる。

Bolivar High School Family Career and Community Leaders of Americaの会員が、Playterの体験が意味することを、将来ある若者達に紹介することとなる。

長年のロータリー・クラブの会員で、友人のEd Clarkが、共同体に代わってPlayterに、兵役とロータリーの51年間のうち49年に亘って完璧に出席をしてきたことに感謝を述べる。

この公園は、ボリバルの1700 S. Meadow Laneに位置する。屋根の付いた椅子が利用できることとなる。駐車場は、Duck Creek Technologiesの公園の西、2丁先で利用でき、往復バスも提供される。

2006年、Bolivar Rotary Clubは、開発業者のCharles Fraserが、仲間のRotarian Playterを表彰するために市に寄付した土地に、3.2エーカーの公園を造成した。

詳しい情報は、ウェブ・サイトか、電話(417) 777-5780番へ。(Republic Monitor: 07/01/2008)

Sulpicioは「Princess」の有毒貨物の件でDel Monteを批難(フィリピン)

四面楚歌の海運会社、Sulpicio Lines Inc.は、Del Monte Philippinesを、有毒貨物について明告しなかったと申し立てて非難した。今やフィリピン中部の環境と人々、そして沈没したPrincess of the Starsから遺体を回収する潜水夫らの明らかな脅威となっている。Sulpicio Linesが、このフェリーを保有している。

Sulpicio Linesの広報担当者でもある弁護士のVictoria Floridoは、ABS-CBNのモーニング・ショー、Umagang Kay Gandaで、Del Monteから疑問に思うことなく受け取った貨物が、有毒な農薬であるエンドスルファンの積荷であることが判明したと語った。

船社幹部は、Del Monteはこの貨物が有毒危険物であることを通告しなかったと語った。もしこれを聞いていたならば、Princess of the Starsには積み込まなかったと話した。

「弊社では(船積みする際のDel Monteの)申告を信頼しておりました。関連法令によって(弊社では貨物を開けることはできないのです)。」とFloridoは話した。そうした法令が何かについては話 さなかった。

この弁護士兼広報担当者は、沈没船の犠牲者の遺族は、保険金と補償金として、それぞれ200,000ペソを受け取ることとなると断言し た。船はロンブロン州のシブヤン島沖で6月21日に沈没し、恐らくは数百人死亡したものと見られている。Sulpicio Linesでは、沈没時に乗客・船員が862人乗船していたと話している。生存者は100人もいない。(中略)

フェリーは6月20日に、台風Frankに遭遇した。のろまな救助作戦は、Princess of the Starsが有毒な農薬のコンテナを積載していたことが判明して、6月27日に中断した。

Sulpicio Linesは1987年以来、少なくとも3回の大規模な沈没事故を起こしている。そのうちの1つが、Dona Pazが油槽船と衝突し、乗客・船員が4,000人近く死亡して、歴史上、平時における最悪の惨事となったもの。1988年には、別のフェリーのDona Marilynが、台風の中、レイテ島沖で沈没し、乗客・船員250人余が死亡している。

1990年から1999年の間に、Philippine Coast Guard(=フィリピン沿岸警備隊)では、1,825件の海難事故を数えており、年間平均182件が報告されている。

政府は、追って通知があるまで同社の運航を中止させている。調査委員会が同社の責任の可能性に関して、聴聞を行っている。 (Manila Times: Tuesday, July 01, 2008)

セサミ・ベイのフェリーの衝突で11人怪我(中国)

セサミ・ベイのランタオ島沖で2隻のフェリーが昨夜衝突し、11人が怪我をした。

この衝突に巻き込まれたのは、長洲(チュンチャウ)島から来たNew World First Ferryの船と、午後8時30分に澳門(マカオ)に向っていたCotai Strip Expoのフェリー。

澳門のフェリーには、約140人の乗客と船員が乗船していた。報道によると、怪我をした7人のうち4人は、船員だったという。明らかな 損 傷は、窓が割れたことだけだった。

このフェリーは、海上警察に護衛され、上環(ションワン)のShun Tak Centre Macauフェリー埠頭に戻った。

一方、New World First Ferryの広報担当者は、男性2人と女性2人が、衝突で気分が悪くなったと話し、フェリーの船首が僅かに損傷したという。

フェリーは248人の乗客全員を乗せて、長洲島に引き返すことができたという。(The Standard: Wednesday, July 02, 2008)

ヘルシンキとタリンは、クルーズ船客の心理戦を戦う(フィンランド・エストニア)

ヘルシンキとタリンは、クルーズ船客の気を惹く競争で、身動きが取れなくなっている。ヘルシンキ港は、昨年、エストニアの首都が達成し た乗客300,000人の記録を破ると明言している。

「タリンとの競争が激化していることは疑いのないところで、既に少しばかり抜かれてもいるのです。」とヘルシンキ港の広報担当者(注、 女 性)、Eeva Oittinenは、水曜日にFinnish News Agency (STT) に語った。

「タリンの方が、ヘルシンキよりも物価が安いのですが、しかし良い面を見れば、ヘルシンキは24対7で、医療のような良質のサービスを 誇 れるのです。」

今年の夏、空前の270隻以上のクルーズ船が、ヘルシンキに寄港する予定になっている。

「大金持ちのアメリカ人の年金生活者だけがクルーズ休暇を買っているという一般の印象とは違い、今日では多くの家族も乗っています。」 (Newsroom Finland: 2.7.2008 at 16:36)

Block Island Ferryと沿岸警備隊の艦船が衝突(米国)

乗客257人乗りのBlock Island Ferryと合衆国沿岸警備隊のカッター(注、小型船)が、水曜日、島の北、約3マイルの深い霧の中で衝突した。しかし怪我人の報告はない、と当局者は語った。

このフェリーは、ポイント・ジュディスからブロック島に1時間かけて走っているもので、一方、Morro Bayという名前の140フィートの浮標連絡船は、午後12時15分頃衝突したとき、コネティカット州ニュー・ロンドンの基地に戻るところだった、と沿岸警備隊は話した。

当時の視界は、約200ヤード(注、約183メートル)だった、とEtta Smith下士官は話した(後略)。(Turn to 10.com: Wednesday, Jul 02, 2008 - 12:56 PM Updated: 04:43 PM)

ヌークでのクルーズ船記録(グリーンランド・デンマーク)

7月7日月曜日、日本人、米国人、英国人の記録的な2,900人の観光客がヌークに上陸する。1日で、グリーンランドの首都にこんなに 多くの訪問客を迎えるのは、初めてのことだ。

クルーズ船のClipper Pacificは 1000人の日本人観光客を連れて訪問し、Auroraは1900人の米国人と英国人の訪問者を連れて来ることとなる。

Nuuk TourismのGrace Nielsenは、その日のために特別の行事は予定されていないが、バス・ツアーと、港と防潮堤の近くで業者の露店がやってくる観光客のために用意されると語った。

今年の夏、34隻の大型・小型のクルーズ船が、15,000人の乗客を乗せてヌークを訪れる。(Sermitsiak: 03. July 00:02 (Sidst opdateret 03. July 11:31))

Peace Boatは原爆の生き残り100人を世界一周航海に招待(日本)

東京発。非政府組織のPeace Boatは、木曜日、合衆国による1945年の広島と長崎の原子爆弾投下の生き残り100人を、他国の人々に自身の体験を語ってもらうため、今年の夏の世界一周航海に招待 すると語った。

「世界には、原爆投下を生き延びた人々と実際に会ったことのある人は多くはないのです。」とPeace Boatの執行委員会の構成員であるDaini Nakaharaは、東京での記者会見で語った。このクルーズの狙いは、「世界中の人々に、広島と長崎の記憶を直接伝えることにある」という。(TMCnet: July 03, 2008)

国営メディア、ミャンマーの三角州でフェリーが沈没し38人死亡と報道(ミャンマー)

7月4日、ヤンゴン発。ミャンマーのサイクロンが直撃したイラワジ三角州の川でフェリーが沈没し、少なくとも38人が死亡した、と金曜 日に公式の新聞が報じた。

5月初旬のサイクロンNargisで最悪の被害を受けた三角州の町の1つ、ミャーンミャの近くのYway川で船が沈没した火曜日の朝、 他 に44人の乗客が救助されている。

「7月1日に近隣の村からミャーンミャに向う途中、船尾から浸水して船は沈没した。」と国有新聞のMyanma Alinは伝えた。

この貧しい軍事政権の国では、船舶事故はよくあるものであり、毎年、過積載の船が、数件の沈没・衝突事故を起こしている。サイクロンの 毎 時120マイル(毎時190キロ)の風と、12フィート(3.5メートル)の高波によって、イラワジ三角州の多くの船舶が破壊された。こ の嵐では、138,000人以上が、死亡または行方不明になっている。(Reuters: Fri Jul 4, 2008 2:25am EDT)

武装集団が海運会社幹部を殺害(フィリピン)

警察当局は、サンボアンガ市の海運会社幹部の殺人事件で、商売敵に動機の可能性があると見て、注目している。

Ever Linesという海運会社の支配人、Faustino Saavedra(69)は、Canelar村で木曜日の午後6時少し前に、自動二輪車のタンデムに乗った武装集団に撃たれた。

妻によると、Saavedraは自家用車を運転していたという。帰宅途中だった。

治療のためCiudad Medical Center(注、病院)に急送されたが、午後8時過ぎに死亡した。複数の銃創を負っていた。

Zamboanga City Police Office(=サンボアンガ市警察署) (ZCPO)の捜査課長のDanilo Tenderoは、商売敵がSaavedraを殺害する動機を最も持っていそうだと語った。

Tenderoは、Saavedra殺害の可能性のある武装集団の正体を暴くため、捜査を継続していると話した。Saavedraは過 去 数年間に亘って、海運業に関わって来た。

Ever Linesは、当市からバシラン島、スル州、タウィ・タウィ州、サンボアンガ・デル・ソル州を定期に結ぶフェリー船隊を保有している。(Sun.Star: Saturday, July 05, 2008)

フィリピンの海難一覧(フィリピン)

以下は、Board of Marine Inquiry(=海事調査委員会)によって長年に亘って記録されたフィリピンの主要な海難事故。

1980年
2月14日:MV Filnor IXが、パラワン州コロンで沈没、1人死亡。
4月22日:MV Don Juanが、MV Tacloban Cityと衝突。少なくとも18人が死亡、115人行方不明。745人が助かる。

1981年
7月7日:MV Juanが、カビテ市付近で出火。少なくとも52人死亡。
11月29日:MT Masbateが曳航していたLC-1702が、ミンドロ州イリン島沖で沈没。3人が行方不明。

1982年
3月7日:MV Dona Susanaが、パラリデル沖で沈没。16人が行方不明。4人が助かる。

1983年
3月8日:MV Sweet NameとMT Capiz Cityが、シェル島沖で衝突、1人死亡。
5月24日:MB Rommelが、カガヤン州サンタ・アナ沖で沈没。3人死亡、28人が行方不明。

1984年
9月1日:LCT Batasanが、アランガサ島沖で転覆、15人死亡。
10月28日:MV Venusが、ロンブロン州シブヤン海で沈没。少なくとも34人死亡、219人が助かる。

1985年
10月14日:MV Marcos Faberesが、バタネス州のバリンタン海峡で沈没。8人死亡、8人行方不明。
12月3日:MV Central Leyteが、ブルネイ付近で沈没。1人が死亡。
12月18日:MV Asuncion Vが、ミンドロ州ケープ・カランテ沖で沈没。115人が行方不明、少なくとも11人死亡。

1986年
4月24日:MV Dona Josefinaがレイテ州イザベル沖で沈没。34人死亡、61人行方不明。
8月1日:MV Beatrizが、パチジャン島サン・イジドロ沖で沈没。11人死亡、28人行方不明、101人助かる。
8月16日:MT MAYSUNが、ネグロス・オクシデンタル州マタリノク・ポイント沖で沈没。2人行方不明。

1987年
12月20日:MV Dona Pazが、フェリーで油槽船のMT Vectorと、マリンドーケ島とミンドロ島の間のタブラス海峡沖で衝突し、生存者26人。未確認の報道によれば、4,000人もの多数が死亡。BMI(=海事調査委員 会)の公式記録では、1,800人以上が死亡。

1988年
10月24日:MV Dona Marilynが、マニラからレイテ州タクロバンに向う途中、タンギンギ島とマノク・マノク島の間で沈没。少なくとも77人が死亡、2人が行方不明、300人が助かる。

1989年
3月10日:MV Lorcon Vが、ポーラ湾で沈没し、2人死亡。

1990年
7月26日:MV Central Boholが、カナヤン島沖で沈没、何人かの船員が行方不明。

1991年
3月28日:FB Toroshitaが、アンティケ州セミララ島沖で沈没。少なくとも5人死亡、2人行方不明、81人助かる。

1994年
12月2日:MV Cebu Cityが、MV Kota Suriaと衝突。73人死亡、41人行方不明、525人助かる。

1995年
5月16日:MV Viva Antipolo VIIが、ルセナ州ダラヒカン・フィッシュポート(注、漁港)付近で出火・沈没。62人死亡、10人行方不明、142人助かる。
12月13日:MV Kimelody Cristyが、フォーチュン島沖5マイルで出火。17人死亡、13人行方不明、100人が助かる。

1996年
2月18日:ML Gretchen Iが、カディス市付近で座礁。51人死亡、145人助かる。

1997年
8月15日:FB King Rogerが、マニラのサウス・ハーバー(=南港)のマニラ湾沖で転覆。少なくとも17人死亡、14人が助かる。
8月15日:MV Kalibo Starが、マリピピとビリラン島の間のティカサン・ポイント付近で沈没。12人死亡、13人行方不明、66人助かる。

1998年
9月18日:MV Princess of the Orientが、バタンガス州フォーチュン島付近で沈没。70人死亡、335人助かるも、80人行方不明。

1999年
7月22日:MT Mary Anneが、バターン州ムンガ・ライトハウス(注、灯台)付近で沈没。1人行方不明。
12月23日:MV Asia South Koreaが、セブ州バタヤン付近で沈没。58人死亡、699人助かる。

2000年
4月12日:ML Annahadaが、スル州ホロのホロ・ピア(注、埠頭)付近で沈没。138人死亡。
9月12日:MV ACX LilacとBarge Cargolift IIIが、マニラ湾で衝突。4人が行方不明、2人助かる。

2001年
12月22日:MB Island Service Boat-IIとFB Dondon Gulfが、セブ州ハングナヤ地区沖で衝突。10人死亡、69人助かる。

2002年
4月11日:MV Maria Carmelaが、ケソン州パグビラオ付近で炎上。39人死亡、6人行方不明、83人助かる。
5月11日:MB Nilode-Aが、バランゲイ・アンティポロ、ナバル、マリピピ、ブリラン、サマル島付近で転覆。この事故で19人死亡、79人助かる。

2003年
2月24日:MV Mahliaが、日本の鹿児島県奄美の北東付近で沈没。7人が行方不明、1人だけが助かる。
5月25日:MV Super Ferry 12とMV San Nicolasが、リンボネス島付近で衝突、43人死亡。21人が行方不明、182人が助かる。

2004年
2月27日:MV Super Ferry 14が、バターン州コレヒドール島近くのエル・フレール付近で炎上。この事故で94人が死亡、24人が行方不明、781人が助かる。

2005年
8月28日:MV Dona Ramonaが、バシラン島ラミタン、バランゲイ・クレイバトのクレイバト・ワーフ(注、埠頭)付近で出火。この事故で1人死亡、29人助かる。
7月7日:MV Princess of the Worldが、サンボアンガ半島のデュロンギン・ポイント付近で出火。この事故では、200人以上が助かる。

2006年
1月15日:MB Sunjayが、サザン・レイテ州サン・リカルド付近で転覆。16人死亡、12人怪我、4人行方不明。252人助かる。
8月11日:MT Solar Iが、ギマラス島付近で沈没。2人が行方不明、16人助かる。
11月20日:Barge Rasが、ミサミス・オリエンタル州プラディデル北東5キロメートルで時化のため沈没。犠牲者はなし。
11月25日:MB Leonida IIが、スリガオ市ヒナタン島のバシラン・ポイント付近で沈没。この事故で19人死亡、66人助かる。

2007年
6月10日:MV Catalyn-Dが、ミンドロ州パラオ湾のパントコミ・ポイント付近で出火。5人死亡、283人助かる。
7月12日:MV Blue Water Princess Iが、ケソン州サン・フランシスコの沿岸付近で座礁、沈没。この事故は台風Bebengが国内を通過したことから起きたもので、11人死亡、120人以上が助かった。

2008年
2月14日:MV Don Wilfredoが、ソルソゴン州ブールサン、バランゲイ・ブハンの海岸付近で沈没。1人死亡、17人助かる。
6月21日:MV Princess of Starsが、台風の直撃したフィリピン中部のシブヤン島3キロ(2マイル)に沈没。約800人が行方不明。(Manila Times: Sunday, July 06, 2008)

クルーズ客船会社2社が台湾海峡での運航を計画(中国・台湾)

台北(タイペイ)発。台湾の中国との新しい航空路によって勢い付いた2社の国際的なクルーズ客船会社が、台湾海峡を横断するクルーズ運 航の開始を計画している、と日曜日に報じられた。

世界第2位のクルーズ会社であるRoyal Caribbean Internationalと、世界第3位のクルーズ運航事業者であるStar Cruisesは、来年の3月と4月に、台湾―中国間での運航開始を計画している、とCommercial Timesが報じた。

Royal Caribbean Internationalは、70,000トンのLegends of the Seasを使って、中国の上海と台湾の基隆(キールン)、台中(タイチュン)、花蓮(ファーレン)を網羅する6本のクルーズを計画している。

マイアミに本拠を置くRoyal Caribbean Internationalの3人の幹部が、台湾の港湾を調べに台湾に来ている。

Royal Caribbean Internationalの台湾代表のLu Li-lingは、第一段階においては、Royal Caribbean Internationalは、台湾の中国への直行海路禁止に適合させるために、日本の石垣島を通る台湾―中国クルーズを手配しようとしていたという。

「台湾が禁止を撤廃すれば、Royal Caribbean Internationalは台湾―中国直行航海を申請します。」と語った。

Star Cruisesは1997年以来、台湾と日本の沖縄諸島の間で、夏季クルーズを実施してきた。台湾支配人のLu Kuan-chunは、もし台湾が10月より前に中国との直行海路禁止を撤廃したならば、会社では、台湾と中国の上海、厦門(シアメン)間でクルーズを計画すると語った。

そうなれば、Star Cruisesは、台湾の消費者から中国本土の消費者に、重点を切り変えることとなる。(後略)(Monsters and Critics.com: Jul 6, 2008, 12:32 GMT)

クルーズ船がアラスカのグレーシャー入り江付近で座礁(米国)

アラスカ州ジュノー発。クルーズ船が、アラスカ州グレーシャー入り江付近のター入り江で座礁した。

沿岸警備隊では、船体には異常はなく、怪我人は報告されていないと話している。

当局者によると、全長178フィートのSpirit of Glacier Bayは、月曜日の午前8時少し前に座礁した。

沿岸警備隊は、航空機と艦船を現場に展開し、National Park Service(=国立公園局)の船舶も、グレーシャー入り江から向っている。

Spirit of Glacier Bayは、ジュノーを母港にし、Cruise West Enterprisesによって保有されている。

沿岸警備隊によると、現在の天候状態は晴天、海は穏やかだという。(KOMO News: Jul 7, 2008 at 5:41 PM PDT)

賭博船がポート・カナベラルを去ることに(米国)

フロリダ州、ポート・カナベラル発。有名な賭博クルーズ船会社が、ポート・カナベラルでの運航を休止した。

ケープ・カナベラルに本店を置くSterling Casino Linesは、今月下旬の賃貸契約が切れる前に同港を離れるものと見られている。FOX 35への電子メールで、Sterlingの従業員の1人は、この港を離れる決定は、賃貸契約の更新が不調に終わったことによるものだという。

Canaveral Port Authority(=カナベラル港湾局)の最高経営責任者、Stan Payneは、Space Coast紙に対し、新しい賃貸契約の条件を巡って議論してきたことを確認した。

「Sterlingと交渉をして参りました。骨を折って参りました。」とPayneはFlorida Todayとのインタビューで答えた。

Sterlingは、1996年にポート・カナベラルに初めてやって来た。そのAmbassador IIという船は、50のテーブル・ゲームと1000台以上のスロット・マシーンを備えた75,000平方フィートの賭博施設を擁している。

Sterlingのポート・カナベラルにおける主要な競争相手は、Oceans Casino Cruisesによって保有され、フロリダ州のダニア・ビーチに本店を置くSunCruz Casino。(MyFoxOrlando.com: Monday, 07 Jul 2008, 7:13 PM EDT)

Achille Lauroの乗っ取り犯が出獄(イタリア)

イタリアのクルーズ船Achille Lauroの乗っ取り犯人の1人が、イタリアの監獄で20年以上も過ごした後、自由の身となった。

Ibrahim Fatayer Abdelatif(43)は、1985年に同船を攻撃したパレスチナ過激派の一員だった。身障者の合衆国の観光客が、この乗っ取りで射殺された。

当局は、このレバノン生まれのIbrahimをイタリアから退去させるよう命じたが、弁護人によると行き場所がないという。

分析者は、現在、Ibrahimは、法律上、宙ぶらりんの状態になっていると話している。

公的には退去処分となったものの、受入国が見つかるまでイタリアを出国することはできない。レバノンのパレスチナ難民キャンプの生まれ だ が、レバノン国籍を取得していない。

弁護人のFrancesco RomeoはAssociated Pressに対し、レバノンは既に入国を拒否しており、イタリアは政治亡命の申請を拒否していると話した。

BBCのローマのDavid Willeyは、Ibrahimの「stateless person(=無国籍者)」としての苦しい立場は、イタリアにおける多くの外国生まれの犯罪者と同様だと話している。

Ibrahimがイタリアに留まるのならば、絶え間なく逮捕される必要がある、とこの特派員は話した。

1985年10月7日の地中海におけるAchille Lauroに対する攻撃で有罪判決を受けた乗っ取り犯人の中では、最年少だった。

Palestinian Liberation Front(=パレスチナ解放戦線)の一員であり、これはYasser ArafatのPalestinian Liberation Organisation(=パレスチナ解放機構)の分裂組織だった。2日間の乗っ取りの間、同団体はパレスチナ人捕虜の解放を要求した。

乗っ取り犯人の1人が、車椅子の69歳の合衆国の観光客、Leon Klinghofferを射殺し、船外に投げ捨てた。

イタリアの裁判所はIbrahimに対し、乗っ取りに関与した件で、25年間の懲役刑を科した。他の3人も、長期の刑期を科せられた。

この作戦の首謀者、Abu Abbasは、有罪とされたものの、イタリアで刑に服することはなかった。2004年、イラクで捕えられ、合衆国による拘留中に死亡している。(BBC News: Page last updated at 23:39 GMT, Monday, 7 July 2008)

LD Linesが新しいフェリー運航を発表(フランス・英国)

フランスのクルーズ会社LD Linesは、2009年6月1日にドーバーからブーローニュに行く新しいフェリー運航を始めると発表した。

新航路は横断時間が約1時間で、新商標を使用し、初年度に乗客300,000人、乗用車130,000台、貨物自動車120,000台 を 扱うこととなる。

船は乗客1,850人、乗用車700台、貨物自動車100台を積載することが可能。LD Linesは現在、ポーツマスとル・アーブル間、ニューへブンとル・アーブル間、ニューへブンとディエップ間の横断運航を行っており、これに新商標を用いたドーバー・ブー ローニュ航路が加わることとなる。(Compare-Airport-Parking: Tuesday 8th July 2008)

ストライキで海峡横断フェリーは混乱(フランス・英国)

海峡横断フェリーの船客は、フランスの機関士らによる航海中止という「wildcat strike(=山猫スト、注、組合実態のない労働者集団による違法スト)」で、長時間待つことを余儀なくされている。

ポーツマスとロスコフ間のBrittany Ferriesの運航は、月曜日にフェリーのPont L'abbeの船員らによる争議行為のため、運休となった。

Brittany Ferriesの広報担当者は、ロスコフ発プリマス行きの午後3時の便と、午後10時の帰りの便は、両便とも運休となると話した。

乗客には、バス連絡のあるカンとポーツマスを経由する代替航路か、運航の再開する翌日の便を提供した。(Plymouth Evening Herald: 07:00 - 09-07-2008)

クルーズ(米国)

S.S. Lane Victoryの夏季クルーズ。第二次世界大戦の完全装備の貨物船が、「Victory At Sea(=洋上の勝利)」クルーズを実施する。これには、模擬空襲、ヨーロッパ式朝食、立食形式の昼食、生演奏の音楽も含まれる。

乗船時刻は、午前7時30分から8時。クルーズは、午前8時30分から午後4時30分まで。この土曜・日曜日の他、8月16日・17 日、 9月27日・28日も実施。125ドル、15歳以下は75ドル(クルーズを実施しない日は埠頭での見学も行い、午前9時から午後3時ま で。3ドル、15歳以下は1ドル。)。

サン・ペドロのBerth 94(=第94番バース)。電話(310) 519-9545か、ウェブサイトへ。(Long Beach Press-Telegram: 07/10/2008 05:49:01 PM PDT)

Tallinkは新しいクルーズ・フェリーを受領(エストニア)

AS Tallink Groupの子会社Tallink Fast Ltd.は、ヘルシンキのAker Yards OYの造船所で、新しいクルーズ・フェリー、Baltic Princessの引渡しを受けた。

全長212メートルのM/S Baltic Princessは、乗客2800人を収容し、車輌甲板のレーン長は1130メートル。このクルーズ・フェリーは、船室が927室、食堂と酒場が12あり、3つの売店、 450人以上収容できる会議場が1つある、と同社は発表した。

この1億6500万ユーロの事業は、HSH Nordbank、Nordea Bank、SEB、European Investment Bank(=ヨーロッパ投資銀行)といった債券発行引受銀行連盟から1億3200万ユーロの融資を受けている。

M/S Baltic Princessは、7月15日にタリン―ヘルシンキ航路で運航を始め、Tallinkの前の最新クルーズ・フェリー、M/S Galaxyと代替する。この船は、トゥルク―ストックホルム航路に航路変更となる。

M/S Baltic Princessは、この6年間においてAS Tallink Groupが新たに引渡しを受けた6番船にあたる。(Baltic Business News: 10.07.2008 16:05)

人種差別はまだ根強く生き残っている(カナダ)

M. K. Dosanjh

昨年の夏、私はオレゴン州の伯父を訪ね、そこで俄かには信じがたい場面に遭遇したのでした。

私と私の家族を見たある一団が、指を指し、私たちをPakis(注、パキスタン人の蔑称)と呼び始めたのです。この出来事には腹が立ち ま した。というのは、2007年のことであり、時代が変わっているはずだからでした。

しかし、合衆国である種の無知な人々がこうした反応を示すことは予期していたことでした。ところが最近、新聞に目を通していて、ある女 性 が次のように言っている投稿に出くわしたのです。

「Komagata Maru(=駒形丸)について謝るべきではない。」

カナダでこうした人種差別主義者の意見が出てくることは、決して予期していないことでした。私のカナダは、世界の各地からやって来た 人々 が暮らしているところです。この投稿を書いた御婦人を正す、いや、Komagata Maru(=駒形丸)の乗客は、何も間違ったことをしていなかったのです。単に、より良い生活を望んでいただけだったのでした。そして英国法令の適用があるので、当時、大 英帝国に行けたのと同様、カナダにも入国できると考えたのでした。

念のために言っておくと、その政策に従っていたものの、単にインドからカナダに直行しなかったというだけで、許可されたなかったのです (無寄港は難しかった)。

カナダ政府が考えていた計画は、全員が白人だけの国にする、というものだったのです。1914年5月23日から7月23日まで港に留 め、 外に出ることや、食料や水を拒否しても、法律違反ではなく、犯罪を犯したことにもならなかったのです。

なぜ大量のヨーロッパ人の移民がカナダに入国できて、アジア人には許されなかったのでしょうか。バンクーバー地方では当時、 「Hindu Invasion(=ヒンドゥー人の侵略)」と呼んでいました。何がヒンドゥー人の侵略なのでしょうか。376人の人々が、より良い生活 を求めて当地にやって来たのであって、土地を奪ったり、危害を加えるために来たのではなかったのです。そのどこが違法だったのでしょう か。

私たちの地域社会において、未だに無知な人種差別主義者がいることを知って腹が立ちます。あの投書を書いた御婦人には、指を指して、自 分 達が他の誰よりも優れていると考える前に、ご自分の現実を直視しろと言いたいものです。

私達は皆、人間であり、皆、平等です。(Surrey Leader: July 11, 2008 7:00 AM)

男性がフェリーから転落して死亡(英国)

警察によると、男性がポーツマスからの海峡横断フェリーで転落し、死亡したという。

金曜日の午前3時過ぎ、この男性はフランスのル・アーブルに向う途中のLD Linesの船、Norman Spiritから船外に転落した。

Solent Coastguard(=ソレント沿岸警備隊)が連絡を受けたが、フェリーがフランス領海にあったため、男性の遺体は、フランスの海難救助ヘリコプターによって海から回収 された。

付近にいた英国海軍の軍艦、HMS Lancasterに移され、ポーツマスに搬送している。

ハンプシャー州警察の広報官は、この死亡の状況については捜査中で、遺体が帰国次第、検死すると語った。(Hastings Observer: Friday, 11th July 2008)

タスマニアは停滞している、と立腹のCliffordは話す(オーストラリア)

造船業者のIncatは、拡大の機会を海外に見ている。というのは、タスマニア州における投資は停滞していると考えているからである。

Incatの創業者であるRobert Cliffordは、故郷の州の発展計画の経過や姿勢に対し、攻撃を開始した。

半分以上、澳門や日本、ヨーロッパといった海外で過ごしており、そこでは投資が急騰している。

しかしホバートに帰ってくるといつも、変化が遅々として進んでいないので落胆すると話す。

「ここに帰ってくると、何にもできないのでがっかりするのですよ。」とClifford氏は話した。「州中で見る殆ど全ての事業が、1 つ か2つの理由で頓挫しているんです。」

例として、もがいているGunnsのパルプ工場、議論の続いているウェリントン山のケーブル・カー、Brooke Street Pier(注、埠頭)の再開発の提案を指摘した。(中略)

「こうしたことから判断すると、将来、日本やアメリカで船舶を建造するようになるかも知れません。」(中略)

Tasmanian Chamber of Commerce and Industry(=タスマニア州商工会議所)の会頭、Damon Thomasは、発展が停滞しているという見方に異を唱えた。

タスマニア州のような小さな州と、シンガポールや香港のように急速に発展している中心地を比較するのは間違っていると語った。

「Robert Cliffordは、この州に偉大な貢献を果たしていますが、しかし彼の論評は現在の状況を反映したものではありません。」Thomas氏は語った。

「発展が停滞し死んでいると語るのは、否定的な側面を誇張して話しているものです。この州では、5億ドル以上の事業を実施しているので あ り、州予算で決められたものの多くが、まだ始まっていないのです。」(The Mercury: July 11, 2008 12:00am)

バングラデシュでフェリー労働者がストライキ(バングラデシュ)

ダッカ発。バングラデシュのフェリー労働者が、賃上げを要求して無期限全国ゼネストを行い、重要な内陸水運が予期せぬ中断に見舞われて いる。

フェリー運航事業者と当局者は、労働者と船主との間での賃上げ交渉が不調に終わり、金曜日以来、国内の3,000キロメートル近い河川 航 路を定期に結ぶ民間のランチ、汽船、貨物船が止まったと話している。

記者や目撃者によると、何千もの乗客が、首都のSadarghatにある国内最大のターミナルを含む、フェリー・ターミナルで立往生し て いるという。

労働者らは、生活必需品の価格が急騰し、僅か1,900タカ(1米ドルが70タカ)の月給で生き延びていることから、ストライキをせざ る を得なくなったと話した。

フェリーの船主らは、基本給を20パーセント増にすることで合意したが、労働者らは、最低賃金を3,000タカに固定しろと要求してい る。

船主も労働者も、この行き詰まりを打開すべく、政府の調停を要求している。

当局者は、海運部門に1250万人以上の労働者が従事していると話し、陸路による連絡が急速に発展し、河川航路が縮小しているにも拘ら ず、未だに旅客輸送が30パーセント余、貨物輸送が20パーセントも占めているという。

民間のBangladesh Inland Water Transport Agency(=バングラデシュ内海輸送機関)筋は、22,500隻以上のランチ、その他5,000隻以上の登録船舶、更に1000万隻以上の未登録船舶が、河川航路に就 航していると語った。

毎日、1億人が、ランチやその他の水運によって旅をしているものと見られ、貨物の60パーセント以上が海運業者によって輸送されてい る。 (Hindu: Saturday, July 12, 2008: 1725 Hrs)

Camillaはコンウォール州でのフェリーの命名式で船長になる(英国)

船出には完璧な天候ではなかったかもしれないが、それでもDuchess of Cornwall(=コンウォール公爵夫人)であるCamillaを引き止めるものはなかった。土曜日、新しいフェリーの命名式に夫と共に出席したとき、笑みを浮かべてい た。

傘で安全に守られたPrince Charles(=チャールズ皇太子)と気品ある淡青色のスカートを着たその妻は、セント・モーズを訪問され、そこで船に乗船されて、船名刻板を除幕し、誇らしげに 「Duchess of Cornwall」の称号を授与した。

それから2人は、港を横断してファルマウスのPrince of Wales Pier(=プリンス・オブ・ウェールズ埠頭、注「チャールズ皇太子埠頭」の意)に20分間の船旅を楽しまれ、このフェリーの舵を取られて高速で前進した。

「新しいフェリーは素敵なもので、お2人が舵を取られることに興味を示めされたときには、皆が驚きました。」とCornwall ferriesの支配人は報告した。

「大変に寛がれたご様子で、お2人とも、明らかに旅行を楽しまれておりました。」(hellomagazine.com: 13 JULY 2008)

Sunborn Yacht Hotelはドックランズを離れることに(英国)

ロンドン・ドックランズ(注、波止場地域)は、そこで最も見慣れた洋上の目印の1つを失うこととなる。Sunborn Yacht Hotelは、アフリカでの新生活に向け、ロイヤル・ビクトリア・ドックのエクセル・センター沿いのバースを離れると報じられている。

ラゴス州政府は、この5,800トンの船に2000万ポンドを支払ったと伝えられており、8月6日に曳航して移動する。Sunborn は クルーズ船のような外観で、ロンドン・ボート・ショーの訪問者にとっては見慣れた光景の1つになっていたが、機関は付いておらず、ホテル として利用されるために特別に建造されたものだった。(Motor Boats Monthly: 14 July 2008)

新しいフェリーはリミントン向けに十分(英国)

ポーツマスのフェリー会社が新しいフェリーを就航させた。

リミントンとヤーマス間を結ぶこととなるWight Sunは、6月28日の日曜日にクロアチアのKraljevica造船所で進水した。

2009年に就航することとなっており、それぞれ1月と4月に進水したWight LightとWight Skyに加わって、リミント ン―ヤーマス航路に就航することとなっている。

これは新しい3隻の「Wight Class」の船舶の最終船で、同航路の古い「C-Class」の船隊と代替する。

同社が進水させる次の船は、2隻の新しい双胴船で、現在、フィリピンで建造中。2009年7月にポーツマス―ライド航路に就航し、現 在、 就航している3隻の古い双胴船と代替する。

この改善された船は、フェリー船隊を近代化し、埠頭設備を向上させる同社船隊に対する5700万ポンドの投資の一環である。

ポーツマスで600人の労働者を雇用するWightlinkの商業監督であるClive Tilleyは、新船は、同社の長年運航している船隊にとっては、歓迎すべき機能向上だと語った。

「これで弊社は、目的に応じて建造されたフェリーを入手できることとなります。」(Portsmouth News: Tuesday, 15th July 2008)

フェリー・ターミナルはナンバー・プレート・カメラ・システムを実験(米国)

シアトル発。Washington State Patrol(=ワシントン州警察)は、ライセンス・プレート(注、自動車の「ナンバー・プレート」のこと)を確認するため、水曜日、2ヶ所のフェリー・ターミナルで、カ メラのシステムを実験し始めた。

この自動ナンバー・プレート認識システムは、現在、コールマン・ドックとベーンブリッジ島のフェリー・ターミナルに設置されている。カ メ ラは、地面の低い位置にあり、2ヶ所の混雑するフェリー・ターミナルの全ての自動車のナンバー・プレートの写真を撮影する。

カメラはナンバー・プレートを読み取り、番号をデジタル化する。車輌の登録所有者に関連する情報は、4つの重要なデータベースで審査さ れ ることとなる。すなわち、盗難車輌か、アンバー・アラーツか(注、誘拐事件速報システム)、所有者が令状を欲しているか、当該車輌がテロ リズムと関連しているかである。(中略)

車輌ナンバー・プレートの写真は、カメラ保安システムに60日間保存され、その後、写真と関連する情報は全て廃棄される。

州警察がこのシステムを気に入ったならば、他のフェリー・ターミナルにも設置すべく、財政支援を求めることとなる。 (KING5.com: 09:56 AM PDT on Wednesday, July 16, 2008)

旅行会社はイラクへの連絡再開へ(バーレーン・イラク)

バーレーンの旅客海運代理店は、9月にもイラクへの旅行の再開を願っている。

Uco Travelは、船でこの地を行く旅客を扱う国内唯一の代理店となる。代表取締役のAli Al Musalamは、9月から運航を行いたいものの、船と旅客の保険を確かなものにすることが難しいことが判ったという。また、バーレーンからの運航が利益になることを船主 に説得する必要もある。

同社は1999年12月に、バーレーンからイラクに行く旅客海運運航を開始した。しかし合衆国主導のイラク侵略によって、2003年2 月 に運航停止を余儀なくされた、とAl Musalam氏は語った。

当時、同社は、200人から600人の人々を輸送する週1回の船便を提供していた。巡礼の時期には、800人までの乗客を輸送すべく、 同 社は週3隻の船を用意した。

「バーレーンからイラクへ行く航海を再開したいのですが、少しばかり面倒な問題に直面しているのです。」とAl Musalam氏はGDNに語った。

「全ての保険会社が、船と人々の保険を拒否したのです。それで説得する必要があるのです。」(中略)

「イラクの治安が改善しているので、恐らくは1ヶ月以内に運航を開始できることになるでしょう。」

バーレーンからイラクへ行くという旅客海運の動きは、両国間の直行航空便が、来月始まるという今週初めの発表の後に出てきたものだ。 (後 略)(Gulf Daily News: Wednesday 16th July 2008)

Incat 050が英国に到着(英国)

Steam Packetの新しい高速船が、連合王国に到着した。

今朝早く、双胴船のIncat 050は、タスマニア島からの長旅の最後にポーツマスに接近してきた。

この船は、現在同社が使用している高速船よりもかなり大きなものであり、アイリッシュ海横断の新しい水準に応えるものだ。

マン島航路に来年就航する前に、大改装することとなる。(Manx Radio: 16/07/2008 08:28:49)

クルーズ船がニューヨーク港で抑留(米国・日本)

沿岸警備隊は、1,200人以上の乗客と船員を乗せているクルーズ船を、ニューヨーク港で抑留した。

この船がニューヨークに寄港する予定の数時間後の日曜日の朝、乗客らは船から降ろされた。

全長637フィートのClipper Pacificは、立ち入り検査を受けた日曜日の朝、グリーンランドから到着したところだった。

沿岸警備隊では、定期安全検査で、重大な船体損傷と数々の矛盾を発見したと話している。

船体が浸水していることが判明したという。火曜日まで続けられた調査で、火災安全、救命艇の損傷、救命胴衣の問題といった船上の66ヶ 所 の矛盾を発見した。(myfoxny.com: Wednesday, 16 Jul 2008, 2:04 PM EDT)

壊れたクルーズ船にニューヨーク出発の許可(米国・日本)

ニューヨーク発。船体に損傷があるため抑留されていたクルーズ船は、ニューヨーク出発の許可を得た。

木曜日、沿岸警備隊は、今やClipper Pacificは、フロリダ州タンパに本修理のために安全に行って良いと話した。この船は、元々はベネズエラに向っていた。

乗客らは応急修理の間、船の出入りをすることが許されていた。

Clipper Pacificは、ニューヨーク港での定期検査のために日曜日に寄港した際、グリーンランドから到着したところだった。その後、Brooklyn Cruise Ship Terminalに移動していた。

沿岸警備隊は、最初の検査では、救命艇の損傷や救命胴衣の問題など、66ヶ所の安全性の問題も見つかったと話している。

この船の船主である、マイアミに本拠を置くInternational Shipping Partnersには伝言を残したものの、直ぐには返事をもらえなかった。本船の母港はバハマ。(Newsday: July 17, 2008)

先月のクルーズ船の病気はノロウイルスだった(米国)

ジュノー発。連邦政府のCenters for Disease Control and Prevention(=疾病対策予防センター)は、6月にクルーズ船のVeendamで124人が病気になった原因は、ノロウイルスだったと最近報告した。

CDC(=疾病対策予防センター)では、556人の船員のうちの12人、1,313人の乗客のうちの112人が、バンクーバーからアラ ス カを周ったHolland America Lineのクルーズ船の航海の間に発病したと話している。報告では、発病した者の大半は、下痢と嘔吐に見舞われたとしている。

Juneau Empireによると、記録では、Veendamは2004年に2回、2005年に3回、2006年に1回、ノロウイルスの勃発事件を起こしているという。

ノロウイルスは、下痢と嘔吐の原因となる。大半の者は、1日か2日で回復する。食べ物を食べたり、ウイルスで汚染された人と接触したり す ることによって罹患する。(Fairbanks Daily News-Miner: Friday, July 18, 2008)

Komagata Maru Heritage Foundationは記念日を祝してセミナー、散策、夕食会(カナダ)

サリー発。100年前、カナダ政府はContinuous Journey Act(注、「無寄港旅行法」の意)を通過させた。これはカナダの歴史を大いに変えることになった差別的な法律だった。この新法は、母国からカナダに無寄港旅行のできない 移民を禁止するものであり、インドからやってくる南アジアの移民と、ハワイからやってくる日本人移民を標的にするものだった。1908年 の新法は、カナダへのこれ以上のアジア移民を止めることを狙った1907年にバンクーバーであった反アジア暴動に引き続いて取られた一連 の法的措置の1つだった。

6年後の1914年、Komagata Maru(=駒形丸)に乗船した376人の南アジアの移民団が、勇敢にもContinuous Journey Actの正当性を試すべく、インドから航海して来た。その結果起きた論争は、世界の注目を集め、インド人の民族主義に火を点け、カナダの移民政策の白人の優越性を批判に晒 すこととなったのだった。Komagata Maru(=駒形丸)は接岸が許されず、南アジアからの移民が再びカナダに相当数来ることが許されるのは、半世紀以上も後だった。

The Komagata Maru Heritage Foundation(=駒形丸遺産財団)は、Continuous Journey Actの100周年と、Komagata Maru(=駒形丸)事件94周年を合同して記念し、Anniversaries of Change(=変化の記念)を実施している。

「Komagata Maru(=駒形丸)に乗船した人々の勇気を称え、永遠に変えることになった共同体の悲劇を記念し、今日、人種差別撤廃のために必要なものについての教訓を学ぶために、私 達は団結します。」と広報担当者のHarbhajan Gillは語った。

これを記念して、多くの行事が行われる。以下は3つの行事の情報。

*2008年7月19日、土曜日、午前11時~午後1時30分。The Fall and Rise Again of Pacific Canada: A Community and Scholarly Forum(=カナダ太平洋岸の転落と興隆:共同体・学術公開討論会)
場所:Fairmont Social Lounge, St. John's College, University of British Columbia, 2111 Lower Mall。

*2008年7月20日、日曜日。午後5時~午後7時30分。Komagata Maru Historic Walk(=駒形丸歴史散策)
場所:Starting at Lumberman's Arch, Stanley Park, and ending at Portal Park。

*2008年7月23日、水曜日。Reconciliation Dinner(=和解の夕食会)
場所:Surrey Convention Center, 7475 - 135 Street, Surrey, B.C.。

7月20日日曜日のKomagata Maru Historic Walk(=駒形丸歴史散策)、7月23日水曜日のReconciliation Dinner(=和解の夕食会)についての情報は、Komagata Maru Heritage Foundationのウェブサイトから、Harbhajan Gill理事に連絡してください。電話:604-763-1736番。(South Asian Link: Monday -July 21, 2008)

燃料費がRoyal Caribbeanを直撃、400人削減(米国)

フロリダ州、マイアミ発。クルーズ運航事業者のRoyal Caribbean Cruises Ltd.は、月曜日、第2四半期の売り上げが燃料費の高騰により急落したことを報告し、400人削減すると語った。

Royal Caribbeanは、8470万ドル、1株当たり40セントの収益で、ウォール街の予想と合致するものだった。1年前の同時期には、1億2870万ドル、1株当たり60 セントの収益だった。

同四半期において、クルーズ需要は高止まりであったが、燃料費が55パーセントも急騰した。その結果、同社は約1億2500万ドルまで 費 用を切り詰めるため、幾つかの措置を採ることになったと語り、その中には人員削減も含まれる。

「弊社の大変な収益性は、燃料価格の上昇により侵食されております。」と最高経営責任者のRichard Fainは、声明において述べた。「これは受け容れがたいものであり、弊社では、より能率的かつ効果的な方法を見つけるために、あらゆるものを査定しているところでありま す。」

Royal Caribbeanは、陸上勤務の約400人を削減することとなる。また、非中核事業である「The Scholar Ship」のような、洋上で大学生が勉強する教育事業のようなものも削減する。

同社では、リストラ関連で第3四半期には、約1500万ドル、1株当たり7セントの損失を被るものと予想している。

Royal Caribbeanは、リストラ費用を含めた第3四半期の1株当たりの収益は、1.65ドルから1.70ドルになるものと予想しており、燃料費の上昇を除くと、当初の予想 と殆ど変わらないと話している。

同社株は、22.70ドルの終値で、営業時間後取引でも変化がなかった。(Forbes: 07.21.08, 6:09 PM ET)

エジプト南部のフェリー事故で9人溺死(エジプト)

エジプトの公式通信社は、ナイル河でフェリーから軽トラックが転落し、少なくとも9人が溺死したと話している。

この報道によると、事故はカイロの南のミンヤ州で火曜日の晩に発生したものだという。犠牲者は、女性4人と子供5人。

ナイル河の両岸で暮らすエジプト人は、しばしば河を横断して通勤したり、車輌や必需品を牽引したりするためにフェリーを利用している。

フェリー、鉄道、自動車事故は、エジプトでは良くあることであり、主として、貧弱な保守と規制の欠如によるものだ。 (Jerusalem Post: Jul 23, 2008 16:12)

ギリシャ:フェリーの衝突で3人怪我(ギリシャ)

ギリシャ、アテネ発。水曜日、ギリシャの離島の港で、1,500人以上を乗せたフェリーが衝突し、3人が怪我をした、と当局は話した。

Super Ferry IIは、接岸していたフェリーのTheologosに突き当たったとき、エーゲ海の島嶼であるアンドロス島に接岸するところだった、と商船省は話した。両船の乗客は全員、 安全に下船した。

「3人が怪我をし、男性が2名、女性が1名です。治療を受けていますが、危険はありません。」と同省の広報官、Andreas Theofilouは語った。「いずれの船も、沈没や海洋汚染の危険はありません。」

しかしSuper Ferry IIは「significant damage(=重大な損傷)」を受けたという。衝突原因は調査中。

Super Ferry IIは、アテネに近いラフィナ港からアンドロス島、チノス島、ミコノス島に向っていたもので、1,000人の乗客を乗せていた、と同省当局者は語った。Theologos は、ラフィナへの出港準備をしていたところで、566人の乗客を乗せていた。

怪我をした乗客の国籍は、直ちには分からなかった。国営NETテレビジョンは、乗客の1人は衝突で割れたガラスで負傷したと伝えた。 (The Associated Press: Jul 23, 2008)

安全性の問題で日本のクルーズ客はもう1日足止め(米国・日本)

タンパ発。金曜日、検査官はクルーズ船のClipper Pacificで新たな安全性の問題を発見し、タンパで立往生している約675人の日本人乗客は、少なくとも、あと1日は足止めになった。

バハマ政府と船の耐航性を保障した船級協会の代表者は、救命・安全設備の「several deficiencies(=幾つかの欠陥)」を発見した、とタンパの沿岸警備隊安全検査長であるKevin Carroll次席中佐は語った。

沿岸警備隊は、この問題が解決されるまでは、港で乗客を乗船させることを許可したり、船を出港させたりすることはない、と Carroll は語った。

Clipper Pacificは月曜日、Tampa Bay Shipbuilding & Repair Co.で船体に生じた1インチの裂け目を修理すべくニューヨークからタンパ港に到着した。乗客は、繁華街にある4軒の高級ホテルに宿泊している。

乗客らは、5月に日本を出発し、世界一周クルーズをしている。この3ヶ月間の旅行はPeace Boatが資金を出しており、そのウェブ・サイトによると、平和、人権、環境尊重を推進している日本の非営利組織だという。この団体はClipper PacificをマイアミのInternational Shipping Partnersから傭船した。同社は金曜日、求められた論評に答えることはなかった。

「立腹している方もいれば、気楽にしている方もいらっしゃいます。」とタンパで乗客の手配をしていたPeace BoatのRyo Ijichiは話した。(Tampabay.com: Jul 25, 2008 07:07 PM)

コンゴ民主共和国:フェリー沈没、42人死亡、100人行方不明(コンゴ民主共和国)

7月25日、キンシャサ発。コンゴ民主共和国でフェリーが沈没し、少なくとも42人が死亡、100人以上が行方不明になっている。

恐らくは過積載と思われる船は、旧ザイールと中央アフリカ共和国の国境となっているウバンギ川本流のグバドリテ近郊で沈没した。

このニュースは、国営ラジオで地元河川警察のFelix Ibulaの広報官によって発表された。救助隊によって救出されたのは、僅か22人の乗客だった。死者数は、溺死した者と川から回収された者の数。(Agenzia Giornalistica Italia: 25 July)

87人以上のSulpicioのフェリー労働者が一時解雇(フィリピン)

Sulpicio Lines Inc. (SLI)の87人余の従業員が、金曜日、この海運会社のフェリーが座礁したままになっていることから、一時解雇された。

セブ島に本拠を置くAssociated Labor Unions-Trade Union Congress of the Philippines(=労働組合連合・フィリピン労働組合会議)の広報担当、Joy Limは、この87人の従業員は3隻のフェリー、すなわちPrincess of the Caribbean、Cagayan Princess、Palawan Princessの船員だと語った。

一時解雇された労働者の大半は、これらのフェリーの雑用係、給仕、客室係だという。

この3隻のフェリーはマニラ港に接岸しており、Maritime Industry Authority(=海運業局)の検査を受けていた。SLIは22隻の旅客船を保有しており、これらの船では貨物も輸送している。

不運なM/V Princess of the Starsが、先月、台風Frankの最中にロンブロン州のシブヤン島海域で転覆した後、全ての船が陸上待機を命じられている。(後略)(ABS CBN News: 7/26/2008 9:48 PM)

タスマニアの会社が日本に最初のフェリーを輸出(オーストラリア・日本)

Parliamentary Secretary to the Premier(=州知事政務次官)のLisa Singhは、今日、日本向けのRichardson Devine Marineの特注フェリー、Premium Dreamを進水させた。

Singh女史は、Premium Dreamはタスマニアの事業がいかに卓越した品質の製品を製造することができ、国際舞台において評価を得ることができるかを示す偉大な一例であると語った。

「Richardson Devine Marineは新しい高品質の船舶を加えることによって、タスマニア州の海運輸出市場の形成に役立っております。」と語った。

「タスマニア州の造船業は、近年、活気のあるものとなって来ています。」

「今年初め、Incatは日本の顧客(注、東日本フェリー)に最大の双胴船の1隻を輸出しました。同じ顧客は昨年の8月に、同様の Incatの船舶の引渡しを受けています。」

「この業界の拡大でタスマニア州の経済が発展し、地域共同体において、臨時の雇用をもたらすということになっているのです。」

「過去12ヶ月間のPremium Dreamの工期中、Richardson Devine Marineは、3倍に要員を増強しました。」

Singh女史は、新しいフェリーは全長32メートルで、乗客205人乗り、10月に日本で運航を開始すると語った(注、石垣島ドリー ム 観光のこと)。

「この会社は建造に対応できることが判明し、現在、3隻の船舶を製造中です。」とSingh女史は語った。(Tasmanian Government Media Releases: Saturday, 26 July 2008)

エジプトの裁判所は沈没したフェリーの船主を大衆の怒りの中で無罪に(エジプト)

カイロ発。日曜日、エジプトの裁判所は、紅海に沈没して約1,032人の乗客を溺死させたフェリーの船主とその息子、そして3人の同社 役員を無罪にして、遺族らの怒りに火をつけた、と裁判所筋は語った。

エジプトの紅海の港町、サファガの裁判所は、al-Salam Boccaccio 98の船主Mamduh Ismailに対する殺人罪の嫌疑について無罪とした。この船は、ドゥーバからサウジ・アラビアのサファガに向う夜間航海の途上、エジプトの海岸から約80キロメートルの 海域で2月3日に沈没した。

Ismailとこの船の会社el-Salam Maritime Transportの部長をしている息子のAmrは、エジプトの海運史上最悪の惨事の後、間もなくして、裁判所によって釈放された。

遺族らは法廷で判決が言い渡されるや、怒って叫び、その中には、テレビのインタビューで判決を「travesty of justice(=茶番裁判)」だと明言する者もいた。

el-Salam Maritimeによって保有されているSaint Catherineという別の船の船長であるSalah Gomaaには、禁錮6月が言い渡された。

Gomaaは自船の乗客を守るために支援したというフェリーの船員らの嘆願は却下された。このフェリーは航海中に出火して、午前2時頃 沈 没し、約422人の乗客しか助からなかった。

エジプト政府は遺族の批難の的となっており、同社は事故の後、6時間近く通報しなかったと話していた。救助作戦が本格化するのに、どう し てそんなに長時間かかったのかと批判されていた。

フェリーの不適切な検査を実施した政府役人の汚職疑惑の中、その船が航海に適するものだったかという疑問が上がっている。

この船の保有会社は、以前にも死亡事故を起こした船舶を保有している。

同社の社主は、エジプト上院Shurahの非選議員。国外に逃れ、英国で現在、生活しているものと思われている。このため、国外に逃 れ、 罪を免れることを許す高水準の繋がりが疑惑として浮上している。(Monsters and Critics.com: Jul 27, 2008, 9:04 GMT)

ギリシャのピレウス港でクルーズ船が衝突、怪我人なし(ギリシャ)

ギリシャ、アテネ発。数百人が乗船した2隻のクルーズ船が、ギリシャの主要港であるピレウスで月曜日に衝突して損傷したが、怪我をした 者はいなかった、と商船省は語った。

乗客1,819人、船員619人を乗せていたマルタ船籍のZenithは、ギリシャ船籍のAegean Pearlと衝突した。Zenithは港に係留しようとしていたところだった。同省によると、Aegean Pearlは乗客504人、船員349人を乗せていたという。

怪我をした者はいなかったが、港湾当局は両船の損傷が判定されるまで航海を許可しない、と同省では話した。両船とも危険はないので、乗 客 は船に留まっているという。

Aegean Pearlは、月曜日の朝にピレウスを出発して、ミコノス島、トルコのクサダシに寄港し、その後、ギリシャのパトモス島、クレタ島、サントリーニ島へのクルーズを行う予定 だった。

Zenithは、イタリアのベニスを出発してピレウスに到着したところで、クロアチアやギリシャのロードス島、ミコノス島、サントリー ニ 島に寄港していた。(International Herald Tribune: July 28, 2008)

北海道は意外な発見(日本)

日本、函館発。私の日本旅行は、7年かけて準備したものだった。2年前に行こうとしたものの、昨年も行きそびれて、遂に今年の夏、実現 したものだった。

しかし1つのことが、この計画の中心をいつも占めていた。つまり北海道という北にある大きな島に行くことだった。その名前は文字通り、 North Sea Way(=北海の道)を意味する。

私はここ、北海道は函館の外国人を扱う宿にいる。インターネットでここを探し当てたのだが、確かに大正解だった。この都市と港の景色が 素 晴らしい函館山の麓にあるのだ。しかも半月状の湾に沿った埠頭から1ブロック離れたところにある。

しかし、この旅の最初から始めないといけないだろう。息子と私は、同行者のYasu Tsutsuiと共に、日本の中部にある甲府から、借り物のコンパーチブル(=オープン・カー)に乗って走りに走った。水戸にある由緒ある偕楽園に立ち寄り、湾内に松の生 えた幻想的な島々が散在する雄大な松島の海岸に寄ってから戻り、急いで北海道の南部の苫小牧に向う15時間かかるフェリー(注、太平洋 フェリー)に乗船したのだった。

上陸するや、南部の海岸を走り、終いには北北西に針路を取り、北海道の首都である札幌に向った。進むにつれ、日本の本島(注、本州)に そ びえている山々は、北海道にはないことが判った。

ここでは大地は平坦で、広々と開けている。そのため通リや自動車道は幅が広い。日本の南部で、小型車や小型トラックを賞賛したものだっ た が、今や私は、この景観を走り回るセミ・トラクター・トレーラー(=セミ・トレーラー・トラック)やSUV(=スポーツ用多目的車)に驚 いたのだった。

私はYasuに尋ねると、巨大なトラックは南部海岸の港湾と結んでいるのだという。合衆国にあるのと同じ大きさのSUV(=スポーツ用 多 目的車)があるのは、冬に大雪が降るためだからだという。

札幌へ行く途中、そしてこの都市の中で、私は家屋の建築様式について、大変に興味深いものに気がついた。冬に雪が降るので、(注、日本 の)南部のような大変に飾り立てられた艶出しタイル(注、瓦)の屋根は避けられ、相当量の雪に堪えられる軽い構造になっている。したがっ て、典型的な北海道の家屋は、日本の他の場所で見るようなものよりは、むしろ現代のデンマークの町で見るようなものと想像するものにかな り近い設計だと思える。

1868年以降、復活した明治天皇は、首都を防御不能な函館から札幌に移転するよう命じた。札幌は西洋の技術者の助言を得て建造され、 碁 盤の目のような通りと、広い並木道がある。

上記の点からして、北海道は明らかに日本的ではない。

さて、函館の宿に戻ろう。この北海道南部にある美しいサン・フランシスコ風の港湾都市では、息子のWillと私は7月20日に到着し て、 驚くべき幸運を得た。宿から歩いて5分のところにある波止場の夏の花火大会の日だったのだ。夏の着物(注、浴衣)を着た女性がいる波止場 の観衆は、90分間の花火の芸術を堪能した。

私は函館に心を奪われた。こうしたことが初めてのことではないとは思うんだが。

出発しなければならないこととなって、高速双胴船のフェリー(注、東日本フェリー)で本島(注、本州)に戻った。この4基の機関をもつ 船 は、200台以上の乗用車と数百人の乗客を、毎時50キロメートル近い速力で輸送することができる。私は北海道を離れたくなかったが、ど う見ても私達は、堂々と離れていた。

Rossにはnapanet.netで連絡可能。(Napa Valley Register: Tuesday, July 29, 2008)

Clipper Pacificはタンパを出発(米国・日本)

フロリダ州、タンパ発。バハマ船籍のクルーズ船Clipper Pacificは、大修繕を終えて、火曜日の午前12時にタンパ港を出発した。

United States Coast Guard(=合衆国沿岸警備隊)は、本船の船籍国であるバハマと、船級協会のBureau Veritasと共同し、適用される国際・国内安全基準を船が全て満たすよう作業した。Clipper Pacificは、月曜日の午後6時頃、タンパ港を出発することを許可された。

この船の修理には、5フィート×6フィートの船体部分の交換、船体の内部構造の付加的な修理も含まれていた。

船の修理中、900人以上のClipper Pacificの乗客は、地元地域のホテルに滞在した。(Military.com: July 29, 2008)

フェリーは危険、とMwakwereは語る(ケニア)

政府は白状した。モンバサのフェリーは古くて危険だ、と。

Transport Minister(=運輸大臣)のChirau Ali Mwakwereは、Kilindini、Mtongwe、Likoniの3つの海峡で運航している6隻のフェリーは、至急、代替しなければならないと語った。

「このフェリーは大変に古くなっており、大変に危険であると認めたい。」とMwakwereは話した。

ナイロビの事務所での記者会見で、Mwakwereは「最も新しい」フェリーが船齢30年で、最も古いものは40年も運航してきたと 語っ た。通勤者の生命が危険に晒されていることの懸念を表明した。

しかしMwakwereは、Kenya Ferry Services (KFS) は、運航可能な限り、これらのフェリーの運航を継続するだろうと語った。

大臣は、政府はこの7ヶ月間に2隻の新しいフェリーを発注したと語った。

「現在の我々の希望は、ドイツに発注した2隻の新しいフェリーの投資です。」と大臣は報道関係者に語った。

大臣によると、このフェリーは、ケニアの港湾に特化して建造されたもので、20億ケニア・シリングの国庫を投入したものだという。

MV NyayoがKilindiniで立往生したとき、Mwakwereは代替フェリーに乗船して、この事故は恥であると述べ、長年に亘ってKFSを放置してきた前政権を批難 した。

「MV Nyayoが人々を乗せて立往生したとき、私は苦痛と衝撃を受けて見ました。あれは一種の惨事になりうるものでした。」と語った。

大臣は、KFSが運航を改善して、更に新しいフェリーを獲得するためには、資金が必要だと語った。

一方Mwakwereは、同省が運輸部門の秩序回復に失敗したという批難の容疑を晴らした。その代わり、同省による政策実行の失敗を、 交 通担当警察に責任転嫁した。(Standard: Published on 29/07/2008)

女性がフェリー会社を「ダニの悪夢」で訴える(イタリア)

イタリア人女性が、1等船室で「頭からつま先までダニだらけ」となって目が覚め、フェリー会社を訴えるという。Cristina Sassudelli(41)は、北部のジェノバの街からイタリア南部のサルデーニア島のオルビア港に、週末、夜間横断をしていた。

イタリアの日刊紙数紙によると、「午前6時30分に腕が痒くて目が覚め、頭からつま先までダニだらけになっていたことが判ったんで す。」 と語ったという。

「いつも犬を飼っているので、直ぐに昆虫の類でないことが判りました。何百匹もいたんです。」と話した。

La Tirreniaという会社の運航するフェリーの職員が代わりの服を用意してくれたものの、新しい服は大き過ぎたと話した。

同社は1等切符の返金には応じなかったという。(Gulf Daily News: Wednesday 30th July 2008)

NierenbergはOrient Linesの職に任命(米国)

Bruce Nierenbergは、Orient Linesの副社長に任命された。

Nierenbergは世界販売で責任を負い、商品開発の監督を行うこととなる、とセレブレーションに本拠を置くOrientの社長で 最 高経営責任者のWayne Hellerは語った。

1973年以来、クルーズ業界の第一人者であるNierenbergは、業界における多くの「一番手」で功績がある。それには、最初の 特 大船であるSS Norway、最初の全国規模の海陸事業の創設、最初の電子制御の予約システムの活用が含まれる。Premier Cruise Linesの創業者として、Nierenbergは、Walt Disney World(注、遊園地)と組み合わせた最初のクルーズ旅行を作り上げた。

Origin Cruise Group LLCは最近、Star Cruises LtdからOrient Linesを買収した。Hellerは、同社は7大陸の全てに向うクルーズを行い、豊かな歴史と個性のある600人から800人の旅客船を購入する意向だと話している。 (Bizjournals.com: Wednesday, July 30, 2008 - 1:06 PM EDT)

フェリーで出火(英国)

今日、ペンブローク埠頭でフェリーから出火し、200人以上の乗客がフェリーから脱出する準備をした。

水曜日の午後2時30分、Irish Ferriesの船、Isle of Inishmoreに消防隊員らが召集された。船はロスレアに向けて出港準備中だった。

消防ホースと消火器を用いて、機関室から上がる小さな炎に立ち向かった。

乗客227人と船員89人はフェリーに留まっていた。船は午後2時30分頃、出港する見込み。(WalesOnline: Jul 30 2008)

今日:Staten Island Ferryが爆発、125人死亡(米国)

1871年7月30日。Staten Island Ferryの船、Westfieldでボイラーが爆発し、フェリーが破壊され、乗客125人が死亡した。

Westfieldは、スタテン島のサウス・フェリー・ターミナルで、このマンハッタン行きのフェリーに200人以上の通勤者が乗船す る のを待っていた。多くの者が「長さ24フィート、直径10フィート、前部が12フィート」の鉄のボイラーが爆発寸前であることを知らない で、その上に立っていた。

爆発原因は、公式には決定されなかったが、このフェリーの機関士は、底部に載せたボイラーを繋いでいた鋼板が緩んで割れたと考えた。

結果は大惨事だった。ボイラーの上の甲板は「分厚い鋼板で出来ていたが、紙のように引き剥がされた。…この壊れた塊の中で、100人も の 人々が火傷を負い、押し潰され、人類の歴史における最悪の激戦地よりも遥かにおぞましい光景が展開されることとなった。」とThe New York Timesは報じた。

初期予測では死者数は40人と見られたが、全ての死亡乗客数は125人に達した。1817年に運航を開始したStaten Island Ferryの歴史上、最悪の事故となった。

フェリーの船主であるJacob Vanderbiltと、船の機関士で「死を招いた酷い機関を完全に制御する」責任のあったHenry Robinsonが、過失罪で起訴された。両名とも、後に無罪となっている。

最近では2003年に、「Staten Islandのフェリーが接岸中に埠頭に突っ込み、…10人死亡」している。船長には過失があったものとされた。

今日、Staten Islandのフェリーは、5隻の船を使用して1日109便を運航し、1日に約60,000人の乗客を輸送している。(findingDulcinea: July 30, 2008 11:00 AM)