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2007年6月

2007年6月の海外旅客船情報

病気に襲われたクルーズ船が戻る 少なくとも200人発病(米国)

マイアミ発。土曜日の朝、少なくとも200人の乗客・乗員が発病したRoyal Caribbeanの船がマイアミ港に戻って来た。

このクルーズ客船会社は、同社のLiberty of the Seasというクルーズ船の7泊航海で、乗客3,846人のうち200人と乗員12人が、恐らくはノロウイルスと見られる胃腸風邪で倒れたと話した。

当局者は、ウイルスは恐らく乗客によって船に持ち込まれたものだと話した。このばい菌に倒れた者で入院が必要な人はおらず、一般に市販 さ れている薬で治療を受けた、と声明にはあった。

Liberty of the Seasは、5月26日にマイアミ港を出港し、サン・ファン、プエルト・リコ、サン・マルタン、そしてハイチに寄港した。

予定通り、土曜日の午前6時に帰ってきた。(NBC6.net: 12:42 pm EDT June 2, 2007)

アフガニスタンのフェリーが沈没して60人死亡(アフガニスタン)

カブール発。土曜日、タリバン兵士を含む約60人が、アフガニスタンのヘルマンド州の川を横断中に、乗っていた船が沈没して死亡した、 と合衆国国防省は話した。

アフガニスタン陸軍が、タリバン兵士と疑われる者が何人いて、船に何人の市民が乗船していたかを調査中、と同省は話した。

船はヘルマンド川を横断中に沈没したもので、この川は、世界有数のアヘン・ケシ地域で、過去数ヶ月間以上に亘って激しい戦闘のあったヘ ル マンド地方を蛇行して流れている。

合衆国では、ヘルマンド州に多数のタリバン兵士がいるものと考えている。(News24: 02/06/2007 14:29)

P&OはStar(=星)からDawn(=夜明け)へ(オーストラリア)

2007年5月31日、P&O Cruises AustraliaのPacific Star売却の発表があった。乗客1350人乗りのPacific Starは、スペインのクルーズ運航事業者Pullmantur Cruisesに売却されており、ニュージーランドのクルーズの夏季シーズンを終えて、2008年3月に船隊を離れることとなっている。

P&O CruisesのPacific Star売却は、南太平洋のクルーズ事業が成長を継続する中での、船隊刷新計画の実施である。P&O Cruisesでは、今年11月に初めての超定期船となる乗客2050人乗りのPacific Dawnを迎える準備もしている。これによって船隊全体の収容力は、大幅に増強されることとなる。

「Pacific Starを売却し、P&O Cruisesの船隊収容力は、オーストラリア最初の超定期船Pacific Dawnが今年11月に到来する中で、20パーセントも増大することとなります。」と、P&O Cruises社長Gavin Smithは話した。

「Pacific Dawnは、P&O Cruisesの船隊において、最大かつ最も近代的なクルーズ船となり、オーストラリア市場に初めて、手ごろな価格のバルコニー付き船室と「your choice dining(注、「自由選択の食事」の意)」をもたらすこととなります。」

世界的に高く評価されている建築家Renzo Pianoによって設計されたPacific Dawnは、184室のバルコニー付き船室を呼び物とし、船の正面に沿って曲がるイルカのような船首と半球形の展望ラウンジを含む独特の外観で知られている。

Smith氏は、Pacific Sunは、元々はこれよりも小型のPacific Starで2008年3月に予定された、大変に人気のある日本への42泊の桜クルーズを行うと語った。(e-Travel Blackboard: Monday, June 04, 2007)

フェリーがバルナとコーカサスを結ぶ(ブルガリア)

ソフィア発。ソフィアとモスクワは、ブルガリアの海港バルナと黒海のコーカサスの港湾間でフェリー航路を開設することで合意した。

この連携の次の段階は、バルナとコーカサス間にコンテナ貨物輸送の航路を開設することである、とDnevnik Dailyの電子英語版は報じた。

この合意は、インターモーダル(注、陸海空の交通機関を合わせて利用する)輸送の発展のためのブルガリアの最優先計画と一致するもの。 政 府は、ソフィア、ルセ、ブルガス、バルナ、プロブジフに、インターモーダル・ターミナルを建設する意向だ。(Focus News: 4 June 2007)

NCLはMarco Poloにサヨナラ(米国)

Marco Polo1隻だけを運航しているOrient Linesを所有するNorwegian Cruise Lineは、この由緒ある船を売却した。船齢42年のMarco Poloは、現在運航している最古の船の1隻で、2008年3月23日に船隊を離れることとなる。

奇妙なことに、両社の社長であるColin Veitchから出されたNCLの今日の声明の中では、買い手は公表されておらず、「このたぐい稀な船は、2008年夏より、とある確立された商標の下での新しい市場にお いて、新たな人生を送ることとなる」とされていた。またMarco Poloがいなくなると船がなくなってしまうOrient Linesの将来については、言及していなかった。

この知らせは全く予期せぬものではなかった。新しいSafety of Life at Sea(=海上人命安全)規制が2010年に発効することで、強化された安全要求事項に応えるために何百万ドルもかけるのが経済的に実現不能の古いクルーズ船を、手放すよ う促進することになるからだった。(中略)

ドイツで建造され、1965年にAlexander Pushkinと命名された本船は、まずロシア極東でクルーズをし、その後サンクト・ペテルブルグとモントリオール間で定期運航していた。長距離クルーズ用に建造され、北 極・南極で航海できるよう耐氷船体仕様だった。

Orient Linesは、クルーズ企業家のGerry Herrod(現在、Discovery Cruise Lineを所有している)が設立したもので、1991年に本船を購入して、7500万ドルもかけて広範に亘って大改造をし、Marco Poloと再命名した。1993年11月に処女航海に出て、以来、概して世界広域に亘る旅程を提供し続けている。Orient Linesは、1998年にNCLによって買収された。

Marco Poloの最終クルーズは、リオ・デ・ジャネイロからリスボンに再配置となる3月2日となる。Orientでは、この最終航海に至る一連の特別お別れ行事を企画しており、 詳細は近々発表するという。(Cruise Critic: June 4, 2007)

フェリー船長が格闘して死亡(英国)

熟練のフェリーの船長が、乗客に頭を殴られて死亡した。

この67歳の被害者の氏名は明らかになっていないが、暴行を受けて倒れた。この3人の子供を持つ父親は、頭部を殴られたものと思われ る。 その後、病院で死亡した。船主であるCity Cruisesは、昨夜、次のように語った。

「大変な衝撃を受けております。ご遺族にはご同情いたします。」

土曜日の午後8時頃にこの騒動が起きた時、船長はテムズ川のMillennium of Peaceというフェリーで勤務中だった。

3人の男がリバー・クルーズのためにTower Pier(=タワー埠頭)で切符を買ったが、1人の乗客に嫌がらせを始めた。フェリー会社の広報担当者は次のように話した。

「仲裁しようとした方もおりました。その後、数人の船員が向かい、船を降りるよう求め、返金すると話しました。埠頭で口論となり、この 被害者は頭を殴られたものと思われます。」

近くに係留していたもう一隻の船にいた医師が、このイースト・ロンドンのバーキングの船長を介抱すべく駆けつけた。Royal London Hospital(注、病院)に搬送され、そこで死亡した。

2人の男が逮捕され、イースト・ロンドンの警察署で刑事の取調べを受けている。(Mirror.co.uk: 04/06/2007)

イスラエルのクルーズ船「Dream」がマルマリスに到着(トルコ)

マルマリス発。イスラエルのクルーズ船「Dream」が火曜日の朝、マルマリスの町の西部に到着した。

この船には1,250人の乗客が乗っていたが、到着するや、マルマリスで買い物を始めた。

大半の乗客は、マルマリスの食堂や酒場を楽しむことを好んだが、マルマリスの沿岸で、船に乗って短い航海をする大集団もいた。 (Turkish Press: 6/5/2007)

フェリー船員の状況を調査へ(アイルランド)

アイリッシュ海のフェリーは、船員を搾取から守るための国際的な政治運動の対象になっている。

International Transport Workers Federation(=国際運輸労連)(ITF)と傘下労働組合は、数日中に北ヨーロッパの港湾で。調査官を乗船させる。

この調査は、自国船と規制が緩い国に通常登録している便宜地籍船を対象にするもの。

調査では、状況の検査、未払い賃金の改善、労働者を保護するための協約締結の模索などを行う。

アイルランドのITF傘下のSiptuは、13ヶ月間に行った82回の検査で、700万ポンドに上る賃金の未払いを21隻の船で解決し て いることを承知しており、更に多くの未払い賃金があることが判ったという。

未熟な労働者の使用増加で、深刻な健康・安全問題の懸念が複雑化していることも、ITFがアイルランドで今日、運動を開始したように、 今 では注目されている。

Siptu委員長Jack O'Connorは、「労働者の権利を守るための法律の施行、政治」の欠如が、アイリッシュ海における低水準の主な原因になっている、と語った。

「これは全く嘆かわしいことであります。目先のことを考えると、我々は海上輸送によって輸出入の90パーセントがなされている経済の中 で 生きているのです。」とO'Connor氏は付け加えた。

この問題は、2005年暮れに表面化したもので、このとき、Irish Ferriesが500人以上の船員を余剰人員とし、賃金・労働条件の低い外国人労働者と代替する計画を打ち出したことから、激しい論争を巻き起こした。

この運動に参加した国は、次の通り。ベルギー、デンマーク、エストニア、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、ラトビア、リ ト アニア、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ロシア、スウェーデン、そして英国。(Irish Times: 05/06/2007 17:20)

ソレントのフェリー会社は2億ポンドで売却(英国)

サウサンプトンとワイト島を結ぶフェリー運航事業者RED Funnelは、伝えられるところによれば、私的な取引において2億ポンド以上で売却されたという。

同社は、7隻の船を24時間営業で運航しており、サウサンプトンからカウズに3隻のフェリーと4隻の双胴船を運航している。これが巨大 保 険会社Prudentialに売却される。

持分の51パーセントを保有する経営陣は、この取引で、3250万ポンドの利益を相殺すると報じられている。

経営陣と銀行のHBOSは、3年前に負債を含め1億ポンドで、JP MorganからRed Funnelを買収した。

新たな持ち株会社の取締役会に留まることとなるTom Docherty代表取締役は、次のように語った。

「弊社では、将来、弊社の興奮するような計画を実現するにあたり、Infracapital(Prudentialの社会基盤基金)の 仲 間達と仕事をすることとなるのを楽しみにしており、Red Funnelは、ソレント横断旅行においては1番に選ばれるものとなるのを確実なものとすることでしょう。」

唯一の競合他社がWightlinkであるRed Funnelでは、最新のソレント横断船隊を保有しており、ワイト島には最大の車輌フェリーを運行していると話している。同社は140年に亘って、この航路を定期運航して きている。

この会社では、島での休暇と日帰り旅行も取りまとめており、貨物輸送を行う物流部門も保有している。(Daily Echo: 06/06/2007)

オークランドから大阪に向うクルーズは第二次世界大戦の戦場を探訪(オーストラリア)

29泊のフライ・クルーズ旅行(注、飛行機と船を組み合わせた旅)は、2008年2月29日にオーストラリアを出発する。

ms Statendamが、風光明媚なニュージーランドのベイ・オブ・アイランズからニュー・カレドニア、ソロモン諸島、パプア・ニューギニア、そして日本に行く航海で、恐れ 入るのは軍事オタクばかりではないだろう。

歴史的な戦いの遺産が、この航海には満ち溢れている。ラバウルの地下壕、ソロモン諸島のVilu War Museum(注、戦争博物館)、そして長崎の平和祈念公園。また、ミクロネシアの小さな環礁、最近、観光に開放されたばかりのヤップ島、更にはグアム島やサイパン島にも 訪れる。

Holland America Lineの2008 WWII Historical Cruise(=2008年第二次世界大戦歴史クルーズ)は、2008年3月1日にオークランドを出発し、Travel the Worldがフライ・クルーズ旅行を手配する。オークランドの前日宿泊1泊、大阪での後日宿泊2泊、そして帰りの飛行機の他、25泊のオークランドから大阪へのクルーズを 一括にしている。日本の大阪、二条城への小旅行、パプア・ニュー・ギニアの火山登山を含む遊覧や寄港地観光までが提供される。

フライ・クルーズ旅行は、シドニー発2人利用で、1人当たり7,270オーストラリア・ドルから。メルボルン・ブリズベーン発で 7,276オーストラリア・ドルから。ケアンズ発が7,430オーストラリア・ドルからで、何れも内側の船室。海の見える船室は、シド ニー発が8,119オーストラリア・ドルからで、ベランダ付きの船室は、2人利用で1人当たり10,919オーストアリア・ドルからとな る。その他のオーストラリア諸都市からのフライ・クルーズ旅行も要望があれば受付け、ビジネス・クラスに変更することも可能だ。(中略)

予約及び詳しい情報は、電話02-8296 7072のTravel the Worldか、ウェブサイトまで。(e-Travel Blackboard: Wednesday, June 06, 2007)

ハワイのカヌーが太平洋横断(日本)

日本、横浜発。土曜日、ハワイのカヌーHokuleaが、日本の横浜港に入り、太平洋を横断する8,500マイル以上の5ヶ月間に及ぶ 旅を終えた。

オレンジ色とワイン色の帆をなびかせた船は、ほら貝の音、フラダンスの踊り子、そしてこの東京南部の港の数百人の群集に出迎えられた。

10人の船員の船長であるBruce Blankenfieldは、この古代ハワイ島民に使用された船を模範とした62フィートのカヌーは、太平洋のマーシャル諸島、トラック諸島、ヤップ島、パラオに寄港した 後、沖縄に接岸し、それから日本沿岸を北上して来たと話した。

「これで私達の旅も終わりました。後は帰るだけです。」と語った。

Blankenfieldは、この1月にハワイを出発したカヌーは、7月に帰国すると話した。

日本に来た理由の1つは、日本の移民がハワイを築いたことを記念するためであり、この国に感謝するためであると語った。船は、宇和島、 広 島に寄港してから、北上して横浜に来た。

「再連結のようなものです。」と語った。「文化と我々の歴史が認識されることも希望しています。」

この到着には、日本で最も有名なハワイの息子の1人、相撲力士の横綱だった曙が出席していた。

「Hokuleaという遺産には大変に親しみを感じています。」と話した。「日本で見ることができるとは、夢にも思いませんでした。」

Hokuleaは、1976年にタヒチに初めて航海した。今回は10回目の大航海。Blankenfieldは、次の冒険はどこになる の かは判らないと話した。

「もう一度ニュー・ジーランドに行く可能性について、話し合っているところです。」と語った。「しかし当面は、帰国するのが先決で す。」 (Monterey County Herald: 06/08/2007 10:42:42 PM PDT)

ミンダナオ島沖の旅客船火災で、少なくとも5人死亡(フィリピン)

5歳の少女を含む少なくとも5人が、日曜日、ミンダナオ島沖の旅客船MV Cathylynを襲った火災で死亡した、とDZBBラジオが報じた。

フィリピン沿岸警備隊の広報官Joseph Coyme中佐は、dZBBに対し、日曜日の午前8時頃、San Nicolas Lines所有のMV Cathylyn(注、Catalyn-Dの誤り)がパラワン州に向う途中で悲劇に見舞われたとの通報を受けた、と話した。

別のdzBBの報道では、死者のうち2人がマニラに空輸され、現在、Roxas Boulevard(=ロハス大通り)にあるフィリピン沿岸警備隊本部に安置されているという。

「遺体2体が、沿岸警備隊本部に運ばれています。」とCoymeは話した。「乗客の大半は救助されておりますが、行方不明者数は、こち ら ではまだ確認できません。」

この船は、マニラから南西部のパラワン州に向っていたもので、出火当時、少なくとも乗客216人、船員21人が乗船していた。 Coyme によると、乗客は迅速にフェリーから避難したという。

数隻の通りがかりの船が乗客を救助し、沿岸警備隊では現在、乗船名簿の記録と照合しているところだという。

これまでのところ、128人の生存者が数えられているが、通りがかりの船に救助された約100人は含まれていない、とCoymeは話し た。

船主であるSan Nicholas Lines Inc.の予約係Tess Delgadoは、乗客の他、船には米や雑貨等の貨物も積載されていたと話した。

救助された乗客の一団はマニラに向っており、別の一団は、パラワン州のコロンという町に運ばれていると付け加えた。その他詳細は、現在 の ところ不明。(GMA news.tv: 06/10/2007 04:52 PM)

ドバイのフェリーが具体化(アラブ首長国連邦)

ドバイのRoads and Transport Authority(=道路・運輸庁)は、2009年に開始する計画の、都市フェリー運航について、更に詳細を明らかにした、とGulf Newsは報じた。

最初の航路は、Dubai Gold SouqとDeira City Centreを結ぶもので、第二航路は2010年に予定され、Al GhubaibaとDubai Maritime Cityを結ぶ。2020年までに、5航路が開設され、うち1つがシャルジャと結ぶという。(AME Info: Sunday, June 10 - 2007 at 07:35)

BoSIはグループのフェリー会社入札を支援(アイルランド)

Mark DuffyのBank of Scotland(=スコットランド銀行) (Ireland)は、5億3000万ポンド相当のフェリー会社であるICGを攻撃しているOne51/Doyle Groupの一部に資金援助している。

これは、Bank of Scotland (BosI)がコークの海運会社Doyle Groupに対し、8050万ポンドの借入協定に署名したことから明らかになったもの。

Philip Lynchが率いる企業体には、DoyleやOne51が含まれているが、4月以来、買収の可能性に関し、先にEamon Rothwellやこのフェリー会社の経営陣から申し出のあったICGと話し合いをしてきている。

Takeover Panel(=買収委員会)は、この企業体は、来週の水曜日の午後5時までに、その意図を発表しなければならないものと裁定している。消息筋は、この企業体は、最終期限に 先立って、来週早々にも申し出を公表すると示唆している。

One51/Doyle Groupは、合わせてICGの20.5パーセントを保有している。Doyle Groupは、約150万株を保有しており、最近、約3000万ポンドにまで増やしている。

入札が成功したならば、Bank of Scotland (Ireland)の資金援助により、Doyle Groupは、同社の約21パーセントまで手に入れることとなる。(Irish Independent: Sunday June 10 2007)

Carnivalは新船の選択権を行使(米国)

月曜日、クルーズ船運航事業者のCarnival Corp.は、そのHolland America Line商標向けに、新船を1隻購入すべく選択権を行使した、と話した。

この86,000トン、乗客2,100人乗りの船は、425ユーロ(5億6860万ドル)(注、ユーロの額は誤り)の見積もりで、イタ リ アの造船業者Fincantieriにより、Marghera造船所で建造することとなる。

本船は、現在建造中で、来夏お目見えするEurodamの姉妹船となる。この2隻の船は、Holland Americaの船隊において最大のものとなる。

Holland America Lineの社長で最高責任者であるStein Kruseは、声明の中で、この2隻の船により、2008年から2010年にかけて、収容力が23パーセント増大すると述べている。新船の引渡しは、2010年秋の予定。

この新船を含め、Carnivalは17隻の新船を発注しており、12隻がFincantieriで建造されている。

Carnival Corp. 株は、朝の取引で11セント下落し、48.89ドル。(Forbes: 06.11.07, 9:56 AM ET)

クルーズ船従業員に結核の疑い(米国)

州保健局によると、カウアイ島に寄港したクルーズ船の従業員(注、1人)に結核の疑いがもたれているという。

同局では検査結果を待っているところで、この従業員と密接な接触のあった者が誰であったかを特定しようとしている。というのは、この病 気 は一定の期間内に密接な接触のあった場合にのみ、伝染するものだからである。

一方、この従業員(注、男性)は、結核患者として州内の病院で治療を受けているところで、いくぶん回復している、と州保健局広報官 Janice Okuboは話した。

患者の身元、クルーズ船の名前は公表されなかった。(Honolulu Advertiser: Posted at 3:29 p.m., Tuesday, June 12, 2007)

企業短信(エストニア)

海運会社のTallinkは、現在、ヘルシンキとタリン間で運航している旅客フェリーのGalaxyを、Siljaの塗装にしてトゥル ク―ストックホルム航路に就航させ、既存の船員をフィンランド人とスウェーデン人に代替する。

一方Galaxy IIは、竣工後、ヘルシンキ―タリン航路に就航する、とTallinkの広報担当者Tuomas Nylundは話した。更にTallink Siljaは、乗客2,800人乗りのクルーズ船であるGalaxyをトゥルク航路で運航開始するとき、フィンランド人とスウェーデン人の船員が必要となると付け加えた。

「フィンランドやスウェーデン船籍の下で運航する場合には、このやり方が職場環境がより自然に適合したものとなるからです。」と Nylundは話した。(Baltic Times: Jun 13, 2007)

船舶沈没で令状(ギリシャ)

サントリーニ島沖で4月に沈没したクルーズ船、Sea Diamondの船長と2人の同社幹部に対し逮捕令状が発布された、と当局者は昨日語った。

ナクソス島の検察官は、この海域の汚染を回避するために適切な行動に出ず、沈没船のタンクに残る燃料を除去する点に関し、当局に対して 計 画を示さなかった3人に対して、逮捕を命じた。この燃料問題に関しては、既にこの海運会社に対して546,000ユーロの罰金刑が科せら れている。昨日まで当局者は、この逮捕を発表していなかった。

Sea Diamondの船長と5人の上級船員は、既に、過失、国際海運安全規則違反、環境汚染の容疑で起訴されている。

Sea Diamondの船主であるLouise Hellenic Cruise Linesは、この大事故、すなわち人為的ミスによって人気のギリシャの島の沖にある岩礁に船を座礁させた事故について、責任があるものと考えられている。 (Kathimerini: Thursday June 14, 2007)

グジャラートの「Blue Lady」解体作業員に検診(インド)

6月15日、アーメダバード発。有害なアスベストを積んだノルウェーのクルーズ定期船「Blue Lady」の解体作業員の健康診断が、グジャラートの船舶解体工場のあるアランで実施されている。

4日間の医療キャンプの間、National Institute of Occupational Health(=国立労働衛生研究所)の専門家が、有毒物質の扱いと防護マスクの使用について、作業員に注意を喚起することとなっている。

「以前、そうしたことはなかったのですが、Blue Ladyが錨泊して以来、健康問題を心配しています。それで医療診断となったのです。」と作業員の1人、Dharmendra Yadavは語った。

医療当局者が、船舶解体工場で作業する従業員全員の一般的な検診を実施している。

「状況からして、作業員に有毒なものと思われています。それで政府の支援を受けたチームが当地にやって来ており、作業員の医療診断を実 施 しているのです。」とアラン病院の医師、G.B. Makwanaは話した。

これに先立ち最高裁判所は、この船がインド領海に入ることを許可したものの、船内にある有毒廃棄物の量に関する専門家委員会の報告書が 保 留となり、解体には待ったをかけた。

インドの専門家が、この議論のあるクルーズ定期船の解体に許可を与えたことから、陸上に引き揚げることは許可された。しかし環境保護主 義 者は、船舶解体作業員に有害な有毒物質が、この船には含まれていると言っている。

Gujarat Pollution Control Board (=グジャラート公害防止会議)(GPCB)とNational Institute of Occupational Health (=国立労働衛生研究所)(NIOH)、Gujarat Maritime Board (=グジャラート海事会議)(GMB)の15人からなるチームは、同委員会が5日間に亘る船舶検査を行った後、許可を与えた。

Greenpeaceやその他の団体が懸念を表明し、Blue Ladyに対して抗議している。それによると、アラン船舶解体工場沖に6月に錨泊している46,000トンのクルーズ定期船には、900トン以上のアスベストが含まれてお り、作業員の健康を危機に晒すものだという。

最近のGreenpeaceの報告では、インド、中国、パキスタンといった国々の何千もの船舶解体作業員が、恐らく過去20年間におい て、事故や有毒廃棄物により死亡しているとしている。

昨年2月には、フランスは廃船となった航空母艦Clemenceauを、アスベストを含むとの抗議を受けて、呼び戻している。

しかしアランの工場を貸与しているGujarat Maritime Boardでは、有害廃棄物を処理できると話している。(NewKerala.com: June 15)

Savoie下院議員の法案はクルーズ船廃棄物を対象(カナダ)

カナダ領海をクルーズ船廃棄物の便所にしてはならない、とVictoria NDPのDenise Savoie下院議員は、昨日語った。

Savoieは先週、House of Commons(=下院)に法案を提出した。これはクルーズ船の廃棄物排出と燃料の内容に関する更なる規制を課すClean Cruise Ship Act(注、「清潔クルーズ船法」の意)を提案するもの。

新規則は十分なものではなく、カナダは、ブリティッシュ・コロンビア州の北部南部沿岸の隣人が廃棄場にならないよう保護している水準に 合 わせるか、それを上回るものにする必要がある、と語った。

「任意の指針と緩やかな新規則で、連邦政府は、我が国の貴重な海を保護することに進んで無力になっているのです。」とSavoieは話 し た。

NorthWest CruiseShip Association(=北西クルーズ船協会)会長John Hansenは、今年早春、この協会の代表する27隻のカナダと合衆国の船舶の全ては、進んだ廃水処理システムを具備しており、「私がブリティッシュ・コロンビア州で承知 している如何なる陸上処理システムよりも遥かに超えたもの」だと語った。(Victoria Times Colonist: Saturday, June 16, 2007)

祭りと平和公開討論会で日本船がベトナムに到着(ベトナム)

Peace Boatの乗客は、大半が日本人の若者で、これに加え14ヶ国が所属するGlobal Partnership for the Prevention of Armed Conflict (注、「武力紛争回避国際連携」の意)(GPPAC)の20名の会員から構成されている。

到着後直ぐに訪問者らは、Danang-Beach Appeal Festival(注、「ダナン浜魅惑祭り」の意)の開会式に参加した。

土曜日にDanang Friendship Organization(注、「ダナン友好団体」の意)とGPPACによって催されるWar Aftermath: Agent Orange, Peace and Justice(=戦争の後遺症:枯葉剤、平和と正義)と題する公開討論会に出席する。

Peace Boat(=平和の船)は、平和、人権、平等、環境維持開発、そして環境保護を推進するために活動している同名の日本のNGO(注、非政府組織)に所属している。

この船は、ベトナムへの58回目の訪問で、土曜日の午後に出発する。(Thanh Nien Daily: Saturday, June 16, 2007 12:58:42 Vietnam)

サウジ・アラビアはエジプトに2隻のフェリーを寄付(サウジアラビア・エジプト)

2007年6月17日、ジッダ発。サウジ・アラビア王国は早晩、エジプト政府に対して、6億サウジ・リアル相当の2隻の新しいフェリー を、2国間の海上輸送を支援するため供与する。

エジプトの運輸大臣Mohammed Mansourは、この2隻のフェリーは近代的な高速船で、最新の技術と安全性を備えているものだと語った。同相は、2隻のフェリーは、現在、オーストラリアで建造中で、 年末までには就航する見込みだと話した。また、このフェリーの航路は季節によって異なり、ヤンブーからエジプトのサファーガ、エジプトの フルガタからJeddah Islamic Port(=ジッダ・イスラム港)に向うという。

この2隻のフェリーは、他のフェリーと共に、まずはエジプト人の巡礼者を輸送することとなる。エジプトとサウジ・アラビア間の年間の フェ リー交通量は、約300万人。

ジッダのエジプト領事Afifi Abdul Wahabは、この寄付は、定期に友人を援助しているサウジ政府の努力と一致するものだと語った。更に、この新しいフェリーは既存のフェリーの混雑を緩和し、サウジとエジ プトの双方の港湾での、乗客の渋滞を回避することになると語った。(Arab News: Sunday, 17, June, 2007)

QE2は洋上ホテルへ(英国)

ドバイは、クルーズ船Queen Elizabeth 2を、1億ドル(5050万ポンド)で購入することとなり、湾岸首長国の人工島沖で洋上ホテルとなる。

この70,000トンの船は、1967年に女王によって進水したものだが、世界最大のクルーズ運航事業者Carnivalにより、 Dubai Worldという会社に売却される。

ドバイ国有の不動産開発業者Nakheelは、沿岸沖にシュロの葉の形をした3つの島を造成中。船は、開発中のPalm Jumeirahの岸壁に、2009年から停泊することとなる。

Dubai Worldの投資部門Istithmarが、本件購入を行った。Istithmarでは、QE2の元の内装や建具を刷新し、この船の歴史を記す博物館を設立する希望。 Dubai World会長、Sultan Ahmed bin Sulayemは次のように語った。

「ドバイは海洋国家であり、QE2の豊かな遺産を理解しております。大切にされるところに来るのです。」

本船は1969年に就航し、大西洋を800回以上も横断し、250万人以上の乗客を輸送した、とIstithmarは話した。

スコットランドのクライドにあったJohn Brown造船所で建造された本船は、1967年9月に女王によって正式に進水するまでは、単に「Job number 736(=製造番号736号)」として知られていた。

この有名な定期船は、長さ963フィート、幅105フィートで、1,778人の乗客、1,000人以上の船員を乗せることができる。

初代船長はBill Warwickで、1969年4月22日に出発して、ラス・パルマスに処女航海を行った。(BBC News: Monday, 18 June 2007, 08:45 GMT 09:45 UK)

クルーズ船は人種差別訴訟に焦点(米国)

6月18日、ニューヨーク発。あるニューヨークの男性によって提起された訴訟で、Norwegian Cruise Linesの船の美容師が、男性が黒人であるために髪を切ることを拒絶したと訴えている。

法廷文書によると、Gordon Gainerは、昨年3月にクルーズ船に乗船中、身元不明の美容師により、人種を理由にサービスを拒否されたと訴えている、とNew York Postは月曜日に報じた。

Rainerは、クルーズ中にNorwegian Dawnの美容室を訪れた際、この女性美容師はどうして男性がサービスを受けられないのかを、ためらうことなくも言った、と話した。

「彼女は私を仰ぎ見るや、こう言ったんです。『うちでは黒は切らないんですよ。』」。Gainerはこのクルーズ船従業員のことをこう 話 した。

「侮辱されたのです。それでこう聞いたのです。『どういう意味なんですか。』するとこう言ったのです。『うちでは黒い髪は切らないので す。』」

Gainerは新婚旅行でクルーズ中だったが、この新婚夫婦両名分の料金全額の返金と懲罰的損害賠償請求を、この訴訟で求めている。

Norwegian Cruise Linesの広報担当者はPostに対し、この出来事は、美容師の英語力が乏しかったために生じた誤解に過ぎないと話した。(United Press International: June 18, 2007 at 2:48 PM)

D. BahnはScandlinesを15億6000万ユーロで売却と話す(ドイツ・デンマーク)

6月19日、ベルリン発。デンマークとドイツの海運会社Scandlinesは、投資家団体に15億6000万ユーロ(20億9000 万ドル)で売却する、と所有者の1人であるDeutsche Bahnは火曜日に話した。

Deutsche Seereederei (DSR)、Allianz Capital、英国の投資家3iは、同社をBahnとデンマーク政府から購入する、と広報担当者は語った。(Reuters: Tue Jun 19, 2007 6:49AM EDT)

行方不明のクルーズ船客を捜索(米国)

マイアミ発。行方不明の乗客を探すために方向転換したクルーズ船は、この24歳の男性の捜索の2日目を沿岸警備隊が始めたことから、火 曜日に航海を再開した。

Royal Caribbean Internationalによると、月曜日の午前1時45分頃、船室のバルコニーにいるこの男性を親族が最後に見ており、約7時間後に行方不明になった旨の通報をしたと いう。このFreedom of the Seasという船は、バハマのエリューセラ島の東の海域で男性を発見しようと方向転換した。

FBIとバハマ海事当局は、この乗客が行方不明になっていることを承知している、とこの会社は話した。氏名は公表されなかった。

マイアミに本拠を置くRoyal Caribbean Cruises Ltd.により運航されている本船は、水曜日にプエルト・リコに寄港し、予定より1日遅れの日曜日にマイアミに帰ってくる見込み。

クルーズ船から転落して助かった乗客は、3月だけでも3人いる。3月16日に、フロリダ州沖のCarnival Cruise Linesの船から転落した35歳の男性が、約8時間後に海から引き上げられている。数週間後、20代の男女2人が、Princess Cruisesの船の船外へ転落し、約5時間後に無傷で救助されている。(CBS2 Chicago: Jun 20, 2007 12:23 am US/Central)

バミューダでクルーズ船観光客が死ぬ(バミューダ島)

水曜日、クルーズ船の4層の甲板から転落し、22歳のアメリカ人客がバミューダで死亡した。

警察では、死亡した男性はRichard Malloyと特定しており、バミューダ第2の町であるセント・ジョージに停泊しているNorwegian Majestyに乗船していた。

Malloy氏は、セント・ジョージの近くの酒場で少し酒を飲んでから、従兄弟と共に船に帰ってきたと報告されている。男性らが第7甲 板 にあるディスコに向おうとしていたときに、この事故が発生した。

船の2人の看護師が、この犠牲者が意識不明の状態であることを認めた。2人は、心肺機能蘇生術を施し、転落によって負った頭部の怪我の 手 当てをした。

Malloyは、その後病院に搬送され、そこで死亡した。(radiojamaica.com: Wed Jun 20, 2007)

男性が船外に転落、クルーズ船が救助(米国)

フロリダ州、ポート・カナベラル発。水曜日の晩、岸から何マイルも離れた洋上で数時間を過ごした53歳の男性は、無事だった。

この男性は、水曜日の午前9時30分頃、魚釣りをしていたときに自船から転落したもの。

5時間近くも漂流して、Sterling Casinoのクルーズ船Ambassador 2に救助された。

救助されたとき、鮫が現れていたので、クルーズ船は危ないところで間に合った、と目撃者は語った。(WESH.com: 5:52 pm EDT June 20, 2007)

フェリー会社が崩壊し失業の懸念(英国)

フェリー会社が管理下に置かれ、今日、イプスウィッチでは多くの雇用が危ぶまれている。

Ferrywaysは、先週、イプスウィッチとオーステンド間のロール・オン、ロール・オフ船の運航を休止し、この町で働く同社管理職 12人の職員の職が失われる結果となった。

今や、今月初旬にFerrywaysを購入したベルギーの会社であるCobelfretが運航を再開しなければ、更に多くの職がイプス ウィッチ港で失われることとなった。

イプスウィッチでAssociated British Ports(=英国港湾連合)(ABP)に勤務しているという男性は、既にFerrywaysから解雇された職の他に、この港では45人分の雇用が失われる可能性があると 話した。

PKF会計事業顧問の支払不能問題の専門家、David Merrygoldが、Ferryways (UK) Ltdの管財人に指名された。

英国におけるFerrywaysの全従業員、21人は失業しており、更に港の労働者の雇用にも懸念が生じ得ると語った。「フェリーが来 な ければ、雇用は危機に瀕することとなります。」と話した。

ABPの広報担当者は、次のように話した。

「状況は不透明のままでして、憶測を語らないのが最善であると考えております。」(Suffolk Evening Star: 20 June 2007 11:20)

TT-LineはBoonieの広告を止める(オーストラリア)

TT-Lineは、タスマニア行きのバス海峡のフェリー振興のための宣伝広告活動で、クリケットの伝説的人物David Boonを使った広告を止めた。

この動きは、Spirit of Tasmaniaという一連のフェリーが、2002年以来、デボンポートとメルボルン間で最低の乗客数を輸送した後で出てきたもの。

昨日、TT-Line社長のPeter Simmonsは、Tourism Tasmania Conference(=タスマニア島観光会議)で、次のように話した。

「テレビ・タレントのGeoff Coxを使った全国的宣伝活動をすることにしました。Boonieではなく、タスマニア人の愛国心に訴求するような宣伝を行おうというのが現実の構想なのです。ちょうど Kitchener卿の言葉で言えば「Your country needs you(=国が貴方を必要としている)」みたいなもので、ま、これはタスマニア人の共感を特に得たものではないですが。」

この宣伝活動の失敗は、Carlton and United Breweriesに市場現象を巻き起こしたBoonie人形とは対照的なもの。

2隻のフェリーの乗客数は、昨年が441,000人であったのに対して、392,000人と見込まれている。これはデボンポートとシド ニー間の運航が失敗に終わり、Spirit of Tasmania IIIが8月に売却された後に出てきた数字だ。ピーク時には、Spirit of Tasmania IとIIだけで、504,000人の乗客を輸送していた。

Simmons氏によると、TT-Lineでは乗客の22パーセントから25パーセントが、タスマニア人だという。近時の半額キャン ペー ンで、冬季の乗客数を引き上げたと語った。

「今年の冬(注、北半球の夏のこと)は、昨年3隻の船で輸送した以上の乗客を2隻の船で輸送します。」と話した。

Simmons氏は、今年、177,000人の乗用車と78,320個のコンテナを輸送し、TT-Lineの収益は、昨年が1億 5800 万ドルであったのに対して1億5100万ドルになると語った。

3月、議会は、TT-Lineは2006年から2007年度において約1000万ドルの赤字を計上するとの報告を受けている。昨年の運 航 赤字は、3300万ドルであった。

Simmons氏は、今年、燃料価格が200万ドルにまで上昇しており、保安費用が年間600万ドルに上っていると話した。

Simmons氏は同会議において、TT-Lineは船舶が輸送できる乗用車数を55台にまで増加させるため、650万ドルを費やして い ると語った。(NEWS.com.au: June 20, 2007 12:00am)

新しいアランモア島のFerry Serviceの野望(アイルランド)

アランモア島と本土を結ぶ新しいFerry serviceには、より多くの人々を島に恒久的に住めるようにしようという野望がある。

Department of the Marine(=海事局)は昨日、新しいフェリーに免許を与え、今朝、最初の乗客が横断を始めた。全天候型の船は、車輌を搭載しないが、10分足らずで横断することが可 能。

このフェリーは、地元男性、Seamus Boyleが運航しているもので、長らく毎日通勤していたことからFerry Serviceの設立を思い立ったという。(Highland Radio: Jun 22, 1:49 pm)

業界別企業の話題(米国)

Carnival Corp.は、Peter Ratcliffeは2003年以来職務としてきたP&O Princess Cruisesの最高経営責任者を辞任すると話した。Ratcliffeは、60歳の誕生日となる2008年3月6日に引退する予定。

Ratcliffeは、Carnivalが2003年に買収して、これに先立ってなされたPrincessとRoyal Caribbean Cruises間での合併合意を動揺させた時、P&O Princessの社長だった。

Ratcliffeは、来年3月まで相談役として会社に留まるが、Carnivalは、David DingleをCarnival UKの最高経営責任者に指名した。ここは同社の英国商標であるP&O Cruises、Ocean Village、Cunard Lineを所轄している。Princess社長Alan Buckelewが、Princessの最高経営責任者に昇格した。両人の昇進は、即時発効した。(Sun-Sentinel.com: Posted June 22 2007)

酩酊した女性がフェリーから転落するところだった、と警察は話す(米国)

昨日の午後、マンハッタン行きのStaten Island Ferryから飛び降りたと当初思われていた人は、足を踏み外した酩酊した女性であることが判り、警察官によって救護されなけらばならなかった、と昨日、警察筋は話した。

この事故は午後2時頃、ホワイトホール行きのフェリーSamuel I. Newhouseで発生した。

身元不詳の女性は、Department of Transportation(=運輸省)筋によると、Emergency Medical Services(=救急医療班)によってNYU Downtown Hospital(注、「ニューヨーク大学下町病院」の意)に搬送されたという。

この出来事によって、フェリーはマンハッタン側で約10分遅れ、一方、警察とEMS職員が、女性を移動させた。(Staten Island Advance: Friday, June 22, 2007)

Titanicの所産が競売に(米国)

ニューヨーク発。Titanicの生存者からの手紙や、この不運な乗客を捜索した船の航海日誌が、来るべき遠洋定期船記念品の競売で売 りに出される。

R.M.S. Carpathiaに続いて現場に到着した海底ケーブル敷設船S.S. MacKay-Bennettの航海日誌が、顧客向け特別販売で30,000ドルから40,000ドルに見積もられている。Christie‘sは、この航海日誌は、これ までに売りに出された救助船関係のものとしては、最も重要なものだと宣伝している。

7日間の捜索で、306体の遺体が収容されたが、これは用意された棺桶の2倍近いものだった。

ニュージャージー州ニューアークの3等船客で、生存者の1人Laurie Marie Cribbの8ページに亘る手書きの報告原本は、10,000ドルから15,000ドルの値が付くものと見られている。彼女はR.M.S. Carpathiaに救助されたものの、父親は亡くなった。

この競売では、別の有名な難破豪華定期船、Andrea Doriaから回収されたものも提供される。このイタリアの遠洋定期船は、1956年、大西洋を横断してニューヨークに向けて航行していたが、旅客船と衝突して沈没、46 人が死亡した。この難破船の残骸は、マサチューセッツ州ナンタケット島の南の海底に横たわっている。(Pioneer Times-Journal: 23 June, 2007)

上海の船舶衝突で観光客23人が怪我(中国)

病院筋によると、上海を流れる川で、豪雨の中、貨物船と船が衝突し、外国人11人を含む少なくとも23人の観光客が怪我をした。

この衝突は、昨日の午後6時40分頃、上海の繁華街に近い黄浦江で発生したもの。新華社通信の報道によると、乗客216人が乗船してい た 旅客船「Shikumen」は、反対の方向に向って航行していた貨物船と衝突したという。

日本から来た8人と、スペインから来た3人を含む、怪我をした23人の観光客は、治療のためにShanghai No. 1 People's Hospital(注、「上海第一人民病院」の意)に急送された。別の病院に搬送された者もいた。

左の肩を脱臼したスペイン人観光客1人を除き、怪我人の大半は、頭部や腕に軽い打撲を負ったものだ、とこの病院の医師の1人は話した。

「2回大きな音がして、私は落雷だと思いました。」とQin Zhengbingという名の中国人観光客は回想した。この男性は、衝突の衝撃で柱にぶつかり、額にこぶを2つ作っていた。

「衝突の前、雨のために観光客の全員が船室に留まることを余儀なくされていました。そうでなかったら、もっと大変なことになるところで し た。」と観光案内人の1人は話した。

事故後、この旅客船は、何とか近くの埠頭に接岸した。貨物船は、隣接する浙江(チョーチアン)省から来た船であったが、逃走前に警察に よって拿捕された。

海事当局が、事故原因を調べている。(Shanghai Daily: 2007-6-24)

2つのバルト海の都市と海底トンネルのお話(フィンランド・エストニア)

タリン発。僅か16年前の冷戦最後の年、タリンとヘルシンキを隔てる狭い海峡は、世界の難攻不落の障壁の1つであった。

今や、拡大EUにおける最も交通量の多い海上交通路の1つとなっており、この2つの首都は、更に緊密に結びつくための方法を模索してい る。

「ヨーロッパで最も近い首都なんですが、本当に小さく、世界の主要経済からは遠く離れています。国境を越えようとするのは極めて自然な こ となんです。」とタリンに本拠を置くNGO、Euregio Helsinki-Tallinnの理事、Merle Krigulは語った。

エストニア人とフィンランド人は、長年、特別の関係を持ってきた。北ヨーロッパのフィノ・ウグリック語族の2つの代表として、スラブ族 と チュートン族の海に囲まれた小さな島だと伝統的に自身を見てきた。

首都は大変に近く、エストニア人の中にはヘルシンキに通勤する者がおり、一方、フィンランド人は一様にタリンに買い物に出かけている。

しかし同時に、フィンランドはEUで最も豊かで、最も発達した国であるのに対し、エストニアは50年間もソビエトの支配の下に置かれ、 未 だに貧民国の1つである。

多くのフィンランド人は、エストニア人の密輸業者や泥棒の話をし、一方、タリンの住民は安酒を買う所とタリンを看做している飲み騒ぐ フィ ンランド人について、痛烈な冗談を飛ばしている。

「ソビエト時代は、誰もがフィンランドを最高のお手本として見ていました。しかし国境が開放されるや、人々は好ましからざる側面に気が つ いたのです。」とKrigulは、Deutsche Presse-Agentur dpa(=ドイツ通信社)に語った。

しかし2004年にエストニアがEUに加盟して以来、両都市は国際化が進展する世界において競争するために地理的・文化的に接近してい る。

1週間前、タリンとヘルシンキの市長が、連携強化を議論するため会合を行った。この会議の結論は、どうみても野心的なものだった。つま り 双方は、フィンランド湾の下に鉄道トンネルを作る実現可能性を研究するすることで合意したのである。(中略)

現在のところ、トンネルは夢に過ぎない。両国の運輸省の間で如何なる実現可能性の研究がなされたとしても、トンネル完成のためには、莫 大 な投資が必要となるからである。

しかし既にフィンランド湾を横断する車の流れはあり、Krigulは、少なくとも試みるに値するものだと信じている。

「トンネルができたら、この地域は更に生き生きとし、経済的な効果があると確信しています。」と語った。

フィンランドとエストニア間の貿易は既に成長著しく、50年間に亘り冷戦の克服できない分割の象徴であったフィンランド湾は、バルト海 の 双子の都市の特別な関係の象徴となリうるところに来ているのである。(Monsters and Critics.com: Jun 25, 2007, 11:18 GMT)

ギリシャ正教の愛国者達がゲイ・クルーズをしたモスクワ川を「浄化」(ロシア)

6月24日、日曜日、モスクワ川で儀礼的な行進が行われた。ロシア・ギリシャ正教愛国者団体の200人近い会員が、「我々は神と共に歩 むロシア人である。」という標語の下、発動機船に乗船した。この発動機船は、国旗、聖人の肖像、そして王族国旗で飾られていた。

(2007年の2回目の)ゲイ・クルーズが、このギリシャ正教の行進の前日にモスクワ川の同じ航路で行われた。Union of Orthodox Brotherhoods(=ギリシャ正教協会連合)の取りまとめ役Yuri Ageshchevによると、この活動の狙いの1つは、同じ発動機船の同じ航路で行われた同性愛者の大会社の旅行で、モスクワ川に溢れた堕落を浄化する点にあったという。 (Russia-InfoCenter: 26.06.2007)

クック海峡フェリーは予定より遅れて運航(ニュー・ジーランド)

クック海峡を横断するフェリー運航は、昨日の5メートルのうねりと30ノットから40ノットの風のため、約1時間30分遅れで運航して いる。

この悪天候のために運休し、乗客の積み残しが生じたが、現在では解消された、とInterislanderの広報担当者(注、女性)は 話 した。天候は幾分荒れているものの、穏やかになっていると語った。

胃をムカムカさせていたInterislanderの顧客達は、穏やかな天候の下で旅行すべく切符の交換を申し出ている。(New Zealand Herald: 3:00PM Wednesday June 27, 2007)

グリーンランド沖で小型クルーズ船が座礁、54人避難(デンマーク)

デンマーク、コペンハーゲン発。水曜日、グリーンランドの西海岸沖で小型クルーズ船が座礁したが、50人以上が安全に避難した、と旅行 業者は話した。

Disko IIは、Qeqertarsuaq島近くの岩礁に衝突したが、深刻な損傷を受けなかったものと思われる、とデンマークの旅行業者Albatros TravelのSoeren Rasmussenは語った。

52人の乗客は全員がデンマーク人で、これと2人の旅行ガイドが、用心のため船の救命艇で陸地に向かい、島の村に到着した、と Rasmussenは話した。18人の船員は船に留まった。

「岩礁に衝突することは常に大変深刻な事態を招くことになるものですが、皆さんは大変に落ち着いており、危険はありませんでした。」と Rasmussenは話した。

「船、及び二重船殻に損傷は発見されませんでした。」と語り、Disko IIは、北極海域で航海するために建造されたものであることを付け加えた。

北極圏の北方約250キロメートル(155マイル)にあるQeqertarsuaqに乗客は留まっているが、当局は更に約250キロ メー トル(310マイル)(注、約510キロメートルの誤りか)北のUummannaqにクルーズを継続することが可能かどうか、船を調べて いる。

このクルーズは、以前、合衆国空軍基地があったグリーンランド南西部のKangerlussuaqから出発したもの。

Disko IIは、氷結しない時期にグリーンランド西海岸に沿って乗客が航海できるよう1992年に建造されたもので、2004年にクルーズ船に改造された。

最近数十年間にグリーンランド沖で起きた最悪の事故は、1959年に起きたもので、グリーンランド最南端で嵐の中、グリーンランドから デ ンマークに向っていた最初の旅行で沈没し、デンマークの定期船Hans Hedtoftに乗船していた95人の乗客・乗員の全員が死亡している。(International Herald Tribune: June 27, 2007)

オアフ島のフェリーが9月に始まる(米国)

ホノルルでは、9月初めにカラエロアと中心街との間に、通勤者用フェリーが就航するものと期待している。

Federal Transit Administration(=連邦運輸行政庁)との300万ドルの助成合意が承認され、この街では、Washington Stateフェリー運航会社の72フィートの2隻の船の代金支払をするための資金が使えるようになった。船は、Melissa AnnとRachel Marieと命名されることとなっており、それぞれ149人までの乗客を乗せることができ、車椅子も利用可能。10台の自転車用の空間も用意される。

このフェリーは、午前中3回、午後は3回、カラエロアと中心街との間で運航し、片道の運賃は平均2ドルとなる。フェリー利用者促進のた め、リーワード・コーストの住民向けに、新しく都市バスが直行運行することとなる。

更に他のバスが、中心街とマナオアのUniversity of Hawaii(=ハワイ大学)、ワイキキとを結ぶ。

1年間の運航実験で多くの利用者を惹きつけることができたならば、市当局者が言うには、このフェリー運航は恒久的なものにするという。 (Pacific Business News: 1:24 PM HAST Thursday, June 28, 2007)

オーストラリアで建造された最大の双胴船(オーストラリア・日本)

オーストラリアで建造された最大の双胴船が、ホバートで進水する。2億ドル以上相当の取引における最初の製品となる。

この112メートルの船は、タスマニア州の造船会社のIncatが、日本のフェリー会社向けに建造したもので、日本の本州と北海道とい う、2つの島の間で乗客を輸送することとなる。

10,800トン、幅30メートルの船は、乗客800人乗用車355台を収容できるもので、昨年5月に発注され、Higashi Nippon Ferries(注、東日本フェリー)には、来月の末に引き渡される見込み。同じ大きさの姉妹船は、建造中。

Federal Minister for Trade(=貿易連邦大臣)のWarren Trussは、タスマニア州の会社の2船建造契約の達成は、とりわけ意義深いものだと語った。

「日本の造船業者は、Incatの10倍以上の資産を有する造船業の世界における巨人です。だからIncatの成功は、大変に際立った も のなのです。」

Truss氏は、オーストラリアは、Incatとウェスタン・オーストラリア州のAustal Shipsの技術のお陰で、車輌搭載高速フェリーの世界市場の75パーセントを占めていると語った。

Incatの創業者Robert Cliffordは、40年以上も前から「ヨーロッパの物まねではない」事業を始めていると話した。

「弊社は先を行っているのです。船舶の特許権に頼るのではなく、向上を継続させているのです。だからどこかが弊社の最新の船を真似たと し ても、それは昨年の製品になるに過ぎないのです。」と語った。

Clifford氏は、更に大型の船について、ヨーロッパや南米から引き合いがあると話した。

ホバートで土曜日の晩に行われる進水兼命名式では、約1,500人の客が、花火の中、本船が乾船渠から出て、ダーウェント川に進水する さ まを見守ることとなる。(Sydney Morning Herald: June 29, 2007 - 2:39PM)

QE2の最後の航海の切符は、36分で売り切れ(英国)

洋上ホテルに改造する前に行われるクルーズ船QE2の最後の航海の切符は、僅か36分で売り切れた。

本船が来年11月11日にサウサンプトンを離れる際に1,800床の占拠することとなる乗客らが、300万ポンド以上もつぎ込んだ。 Grand Suites(=グランド・スィート)を予約した2組の夫婦は、ドバイへの16泊の片道旅行に、1人当たり18,000ポンド近くも支払ったのだ。内側の標準船室である最 安の部屋の寝台は、1人当たり4,000ポンド以上で販売された。

ロンドンのNational Maritime Museum(=国立海事博物館)の船舶史の学芸員、John Gravesは、次のように語った。

「少なくとも切符が直ぐに売り切れたことは驚くに値しませんね。というのは、こうした偉大な船は、段々と珍しくなってきているからで す。」

1969年に就航したQE2は、今月、5050万ポンドの取引において、ドバイ政府の投資部門であるIstithmarに売却された。 船 主のCunardは、来年9月に、10泊の英国一周さよなら航海を行うと話した。(Times Online: June 30, 2007)