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2006年7月

2006年7月の海外旅客船情報

豪華な6日間(ベトナム)

高級品市場の育成戦略と一致して、Saigontourist Travel Serviceは金持ち相手の旅行の導入を継続している。5つ星のクルーズ船で豪華な休暇を提供する以上のものがあるだろうか。

Saigontourist傘下のPremium Travelは、Costa Allegraというクルーズ船で行く中国―日本―韓国旅行を売り出している。

この旅行は、航空機と船舶を組み合わせた1度のフライ・アンド・クルーズ休暇で、行楽客にアジアの3カ国の全てとその独特の文化と歴史 を 知る機会を与えるもの。

観光客は、飛行機でホー・チ・ミン市から中国の上海に向けて出発する。そしてCosta Allegraで日本の長崎という港湾都市と韓国の済州(チェジュ)島に行く。興味深い海路に加え、クルーズ客は、このヨーロッパの豪華定期船での甘やかしを楽しむことと なる。

上海は、上海港、Dong Town、そしてこの都会で最も高い建物であるJinmao等の名所のある経済の中心地。一方、長崎は、第二次世界大戦中に原子爆弾によって破壊された悲劇で最も知られて いるところだ。

しかしこの港湾都市は、今や平和の象徴であり、しゃぶしゃぶという名前の日本の名物昼食と並んで、島原半島の雲仙温泉や有名なハウステ ン ボスという遊園地を自慢としている。

日本を訪問した後、観光客は朝鮮海峡を横断して、「恋人達の楽園」として知られる済州島に向う。多くの韓国恋愛映画が、この地域の美し い 景色を背景に撮影された。更に訪問者は朝鮮料理を味わい、買い物をし、特別芸術公演を楽しむことができる。

Costa Allegraは1992年就航で、イタリアのCosta Crociere S.p.A,というヨーロッパにおける指導的な海運会社に所属する。全長190メートル、全幅25メートルのクルーズ船には、1,000人の観光客と500人の船員を収容 することができる。

この6日間の中国―日本―韓国旅行は、費用が1,700米ドルで、これには1人当たり10,000米ドルの旅行保険が含まれる。査証を 手 配するため、少なくとも4日前に旅行の予約が必要だ。(Nhan Dan: 16:13 - July 1, 2006)

政治家達は慌ててファンデー湾のフェリー救済へ(カナダ)

ノバ・スコシア州ディグビー発。政府の3つの段階で、ノバ・スコシア州ディグビーとセント・ジョンを結ぶフェリーを救済すべく作業をし ている。

Bay Ferries Ltd.は、乗客数の減少を引き合いに出して、10月31日をもって運航を廃止する計画を発表した。ディグビー市長のFrank Mackintoshは、今週末にオタワ(注、カナダ政府)が要求に応えてくれることを期待しており、明日、3人の地元自由党の政治家と緊急会談をする予定だと話した。 (Globe and Mail: POSTED ON 03/07/06)

ABBは中国の鉄道連絡船計画の契約を獲得(中国)

北京発。スイスに本拠を置くABBは、中国東部の都市、煙台(イェンタイ)と大連(ターリエン)間の鉄道連絡船向けの発電機と推進シス テムの供給契約を獲得した。

この新しいフェリーの建造は来年の4月に開始し、2008年5月に竣工する予定。このフェリーは鉄道車両50両、トラック50台、乗用 車 25台、そして480人の乗客を輸送することができるものとなる。

2004年10月に就航した渤海(ボーハイ)湾のフェリーにより、1,000キロメートル近く離れている両市を、鉄道で短縮して連絡す る こととなった。(後略)(Forbes: 07.03.2006, 06:55 AM)

定期船乗客に再びばい菌の直撃(英国)

先月、大規模な病気の勃発でリースに抑留されたクルーズ船が、再び直撃を受けている。

定期船Black Princeに乗船している約100人の乗客が、6月にこの同じ船を直撃したのと同じ嘔吐性ウイルスに罹患したものと考えられている。

その旅行では、乗客のうち136人が、ノロウイルスに罹患したものと確認されている。

Fred Olsen cruisesのマーケティング担当重役Nigel Lingardは、本船は水曜日に「完全消毒」のためにリースに接岸すると話した。(後略)(BBC News: Tuesday, 4 July 2006, 20:20 GMT 21:20 UK)

ヨーロッパの買い手がフェリーのSpirit III購入へ(オーストラリア)

フェリーのSpirit of Tasmania IIIは、売却された。

TT Lineはヨーロッパの買い手と覚書に署名したが、この買い手の身元や売却価格については明かさないと話している。

TT Line会長のDennis Rogersは、この取引は本船をヨーロッパに送り届けることはもちろん、船の購入価格や改装費用をも賄うものだと話している。Rogers氏は、タスマニア政府は、結構 な結果に終わったとRogers氏が表現したこの売却を承認していると話している。本船は世界で最高のものの1つなので、強い関心を引き 起こしたと話している。

Maritime Union of Australia (MUA)(=オーストラリア船員組合)は、酷く失望させるものだと話している。MUAは州政府に対し、同フェリーをシドニー―デボンポート航路に維持するよう説得しよう と試みてきた。

Spirit IIIは、来月の終わりまで、バス海峡の横断運航を維持することとなっている。(ABC Online: Tuesday, July 4, 2006. 4:20pm (AEST))

エストニア通商当局がフィンランドに本拠を置くSiljaのTallinkへの売却を承認(エストニア)

エストニア公正取引当局は、バルト海の海運会社であるSiljaのエストニアのフェリー会社Tallinkによる買収を、水曜日に承認 した。

エストニア公正取引当局の長、Aini Proosは、この買収される事業はTallinkの既存の事業活動と重なるところが何もないという事実に基づいて、本決定がなされた、と語った。

Tallinkは、Siljaの全てを買収するわけではない。実際、ヘルシンキとタリン間の高速単胴旅客フェリーの運航は、Silja の 親会社であるSea Containersの所有の下に残ることとなる。

Tallinkによると、同社ではフィンランドとスウェーデン間のSiljaの運航と、貨物海運に特に興味を持っているという。声明に お いてTallinkは、Siljaの現在の航路を不変のままにするわけではないとしている。

この買収の承認決定は、公正取引当局によって6月末になされていたが、この水曜日まで発表されていなかった。フィンランドの公正取引当 局 は、7月12日までに、この買収に関する自らの立場を表明することとなっている。(Newsroom Finland: 5.7.2006 at 16:01)

貨物は拒否(日本)

7月5日、日本政府は、ミサイル実験を行った北朝鮮に対する制裁として、北朝鮮の貨客船Man Gyong Bong 92の日本の港湾への入港を禁止した。

Man Gyong Bong 92は、その日、午前8時50分に新潟港に到着する予定だったが、午後2時30分に乗客を降ろすために埠頭にやって来ただけだった。荷役作業は許されなかった。写真は朝日 新聞の提供。(Dong-a Ilbo: JULY 06, 2006 03:00)

日本は北朝鮮に対する更なる制裁を考慮(日本)

日本政府は、北朝鮮という共産主義国家がミサイル発射に対する国際的な抗議を拒否したことから、更なる経済制裁を科すこととなると報じ られている。

日本は既に、両国間の唯一の定期直行連絡手段である北朝鮮のフェリーを、6ヶ月間に亘って入港を禁止している。このフェリーは、北朝鮮 に とっては重要な経済的連絡手段であり、この孤立した政権に金を輸送している。

東京(注、日本政府)はまた、日本の北朝鮮組織の当局者が北朝鮮訪問後に再入国することも禁止した。そして既に、このスターリン主義者 の 国家からの滅多にないチャーター航空便を差し止めている。

内閣官房長官のShinzo Abeは、日本はまた北朝鮮への資金の送金に制限を課すかもしれないと述べた。日本は2003年に、マネーロンダリング(注、不正資金浄化)とテロリスト金融を厳重に取り 締まるべく、外国送金と貿易を制限できる法律を成立させている。

外務大臣のTaro Asoは、同フェリーに対する6ヶ月間の禁止を日本が延長し得ることも示唆している。日本の農林水産大臣と通商大臣(注、経済産業大臣)は、北朝鮮の海産物の輸入を禁止す るよう、政府に要請した。(Chosun Ilbo: Updated July.6,2006 21:40 KST)

NorthLink Ferriesはオークニーとシェトランドの契約獲得(英国)

スコットランド行政府は、NorthLink Ferriesにオークニーとシェトランドへの生活航路フェリーの6年間契約を裁定したと発表した。

同社は、Caledonian MacBrayneが優先的入札者として指名されていたのに引き続いて新たに運航を約束したものであり、本日より同航路を引き継ぐ。

契約は初めて貨物と家畜の輸送も行うもので、来年から新たな家畜の輸送が始まる。(grampian tv: 06/07/2006 17:22)

COSTA CROCIEREはヨーロッパ最大のクルーズ船を進水(イタリア)

7月7日、ローマ発。Costa Crociereのフラグシップである「Costa Concordia」が、チベタベッキア港で進水した。これにより、船隊は11隻に上った。

本船は、FincantieriがSestri Ponente(ジェノバ)の造船所で建造した。トン数は約112,000で、3,780人もの乗客を乗船させることができる。イタリアのフラグシップとなるクルーズ船 で、収容力の点でヨーロッパ最大。(中略)

Fincantieriは現在、Costa Crociere向けに他に4隻建造中。Costa Concordiaの2隻の姉妹船は、Sestri Ponente造船所で建造される。Costa Serenaは2007年5月に進水することになっており、まだ名前のないもう1隻は2009年夏。92,700トンの船と、おそらく同等のもう1隻はマルゲラで建造さ れ、2009年、2010年に進水する。

これら4隻の船価は約20億ユーロであり、2000年からの船隊更新で、Costa Crociereが投資し始めた45億ユーロの一部。2010年にCosta Crociereの船隊は、合計30,700人の乗客を収容する15隻になるかもしれない。(Agenzia Giornalistica Italia: Friday July 7, 2006)

五大湖クルーズは雄大な景観、寛ぎを提供(米国)

2006年7月7日、デトロイト発。大型の貨物船から見れば小さく見える183フィートのクルーズ船が、今年の夏、五大湖を巡ってい る。

Grande Marinerとその65人の乗客がシカゴに到着するまでの間に、エリー運河と五大湖のうち4つを巡ることとなる。

復興しつつあるラスト・ベルト(注、斜陽化した鉄鋼業地帯)の諸都市、デトロイト川や何マイルも続く昔のままの沿岸に広がる工場密集地 域 だった古風な観光都市に寄港する旅。この旅行は、今年五大湖で計画された多くの何日間もの休暇クルーズの1つだ。1週間のミシガン湖沿岸 周遊旅行から、スペリオル湖の遥か北西にまで足を伸ばす秋の紅葉旅行までの幅がある。

1960年代以来、概して休止状態だったが、五大湖クルーズの伝統は1990年代中葉に復活した。半ダース以上の船が、今年、クルーズ を 予定している。(ABC7Chicago.com: July 7, 2006)

高速フェリーに大鉈(英国)

昨夜、議会の指導者はフェリー運航事業者を訪ね、東アングリアの主要港からの高速船による国際航路を撤退しないよう要請した。

Tendring District Council(テンリング地方議会)の指導者Terry Allenは、昨日、Stenaがハリッジとフーク・バン・ホラント間のジェット動力のHSS Discoveryの運航を取り止めることを確認したことから、陳情に赴いた。

この革新的な船は、9年前に両港間での運航を始めたもので、大型の双胴船。約40ノットで運航し、約3時間半で結ぶものだ。しかし燃料 費 の高騰と乗客数の減少で、同社にとって、運航はもはや維持できないものとなっている。

しかしAllen氏は、例え現在需要が僅かに落ち込んでいるとしても、テンリング地方は大きく経済復興を遂げることとなっており、 Stenaは嵐に耐えて将来の収益を得るのが良い、と力説している。

Stenaの運航関連の雇用喪失の恐れに伴い、バークレーズはクラクトン近郊のウーリッジのコールセンターを閉鎖することになっている と いうニュースが流れている。これにより500人の余剰人員が出るものと予想されている。(中略)

しかし昨日、北海地域取締役のPim de Langeは、この経済情勢ではDiscoveryの運航を継続することはもはやないと話した。

「昨年、大陸と英国間のフェリーの乗客数は、格安航空会社のために減少しました。一方、燃料価格はほとんど3倍になっているのです。2 年 前の燃料費はトン当たり160ドルでしたが、今やトン当たり700ドルなんです。そこで弊社ではHollandicaと Brittanicaを改修しているのです。全長188メートルから240メートルに延長し、お客様は優雅にお過ごしいただくことになり ます。最速横断から、最も快適なものにいたします。」

de Lange氏は、Discoveryは4月にStenaのスウェーデンの親会社に戻り、その後、船を処分することになると話した。

運航経費のため、北ヨーロッパでの運航は怪しくなっているが、湾岸諸国で買い手を見つけられると語った。(East Anglian Daily Times: 08 July 2006 | 08:15)

ALASKA MARINE HIGHWAY SYSTEMの素晴らしい船々(米国)

DAVE KIFFER

アラスカ州ケチカン発。皆の話では、それはケチカンの歴史において最大の交通渋滞の1つだったという。

Ketchikan Daily Newsによると、3,000人以上の住民がケチカンのウェスト・エンドの北のチャコール・ポイント地域にあるKetchikan Marine Highway System Terminalに向おうとして、何百台もの乗用車がTongass Avenueで渋滞したという。

大量の脱出によって起きた騒ぎではなく、それは到着だった。1963年1月23日、真新しい州のフェリーMalaspinaが初めて やっ て来たのだった。

ケチカン、そして南東アラスカの残りは、1954年にAlaska Steamship Companyが旅客輸送を中止して以来、10年近くも定期旅客船の運航がなかったのだった。

航空機による旅行が増加したとは言え、パンハンドルは概して20世紀初頭においては孤立しており、ケチカンの住民は、裕福なアラスカ州 が 孤立を緩和する動きに新たに出たことで、大喜びした。

Alaska Marine Highway Systemの起源は、これよりも14年ほど前のことであり、1949年にヘインズのSteve Homerが、リン入り江で商用フェリーを開始した。

Homerは、Robert Sommersと仲間と共に、第二次世界大戦で余剰となった海軍のLCT(注、戦車上陸用舟艇)を1隻購入して、Chilkootと命名した。この全長100フィートの船 は、13台の自動車、20人の乗客、そして船員7人を乗せることができた。休憩室、便所、厨房、船員用寝室を擁し、約9ノットでリン入り 江を煙を吐いて走った。Stan Cohenの1994年のMarine Highway Systemの歴史『Highway on the Sea(=海の幹線道路)』によると、Chilkoot Motorship Linesは、ティー・ハーバーからヘインズ・ポート・チルクート、スカグウェーに運航していた。Chilkootは週1便であったが、需要があれば増発した。

当時スカグウェーは、ホワイトホース、ユーコン準州と鉄道で連絡していたが、実際、南東部が外界と連絡していたのはヘインズであり、そ こ から道路がヘインズの北150マイル程のヘインズ・ジャンクションでアラスカ・ハイウェイと連絡していた。Chilkoot Motorshipは、州の残りの地方と州都との間の交通の便を図る機会を狙っていた。

しかし1隻での運航は、費用に関連して金がかかり過ぎることが判明し、Chilkoot Motorshipは、Territorial Board of Road Commissioners(=地域道路委員会)に1951年に運航を引き渡した。

1951年初頭、ジュノーから声が上がり、準州政府はシアトルからアラスカ内航航路向けの大型旅客車輌フェリーの建造に関心を持った。

ニューヨーク・シアトルの船舶設計会社が、45台の車輌の他、2つの等級で、豪華・商用の400人の乗客を乗せることができる407 フィートの「高速」フェリーの基本設計を思いついたのだった。甲板の下にある車輌甲板は、31台の列車を荷役できるよう特別に設計されて いた。この「高速」フェリーは、18ノットで走るものだった。

しかし数年間に亘る議論と資金計画は無駄に終わった。Chilkootがリン入り江でその後6年間、運航を継続し、そして準州政府は提 案 されていたものよりも小型の新しいフェリーを建造する決定を行った。Chilkootは37,000ドルで売却された。

元祖「Blue Canoe」
MV Chilkatは全長99フィートで、59人の乗客、15台の車輌を輸送できるものだった。タコマのJ.M. Martinac Shipbuilding Companyで、300,000ドルをちょうど超えた価格で建造された。はっきりと判る船尾のランプ(注、傾斜路)は、埠頭の他、浜辺でも荷役できることを意味した。

今では当たり前になったアラスカの旗の青色と金色が塗装され、直ぐに「Blue Canoe(=青いカヌー)」のあだ名がついた。

1957年6月、Chilkatはジュノーとリン入り江の共同体の間で毎日運航を開始した。

南東部の共同体の残りをフェリーで結ぶということの関心は依然として高く、アラスカが1959年に州になってから、有権者はフェリー船 隊 の拡張に総額1800万ドルにもなる債券発行を承認した。300万ドルが埠頭の設備とケナイ半島とコディアック地方間の新しいフェリーに 充てられた。残りがアラスカ南東部の7つの埠頭と3隻の船に充てられた。

新船の第1船が、1963年1月にマラスピナで就航した。Philip Spauldingによって設計されて、シアトルのPuget Sound Bridge and Dry Dockで400万ドルで建造された。この352フィートの船は、乗客500人、100台以上の車輌を乗せることができ、18ノットで巡航した。

4月にTakuが加わり、Matanuskaが6月に続いた。Takuは何だか幸先が悪かった。引き渡されて数週間内に、ピーターズ バー グ・ターミナル接近中に岩礁に衝突し、船体の70区画が損傷を受けた。5月に運航に復帰したが、その後、別の「事故」が待っていた。

「3ヶ月も経たない内に、更に不幸なことに襲われた。」とCohenは自著の中で書いている。「再びピーターズバーグで、10歳と15 歳 の2人の少年が操舵室に入り込んで、制御不能となったのだった。機関は空転しており、フェリーは出港寸前だった。船は前に進み、2棟の塔 に突っ込んだ。この衝撃で捻じ曲がって壊れ、180フィートの荷役用ランプが海に落ちた。ターミナルの修理に3ヶ月かかった。」

この少年はサン・ディエゴから来た者で、船に乗って両親と旅行中だった。両親は少年の行為によって500ドルの罰金刑に処せられた。こ れ は当時、アラスカ法令において科される最高額であった。船と埠頭の修理は、総額で100万ドル以上に上った。

Takuは1970年に更に悪い事故に遭っている。港に入り損ねてプリンス・ルーパート近郊のWest Kinihan Islandに座礁したのだ。当時の写真を見ると、本船の船首はこの小さな島の木々の上に乗り上げている。乗客と車輌の大半はカナダのフェリーQueen of Prince Rupertに載せ替え、Takuが転覆するのは時間の問題と見られていた。しかし無事、島から引き離なされ、自力で乾船渠に向ったのだった。

1963年にブリティッシュ・コロンビア州のプリンス・ルーパートとスカグウェーの間で3隻の「幹線」フェリーが運航されたが、 Chilkatは、Cordovaがバルディーズで運航するため、プリンス・ウイリアム湾に転配となった。

「Trusty Tustyが船隊に加わる」
1964年、第4船の新しいフェリーTustemenaが、コディアック―ケナイ半島航路の船隊に加わった。この350万ドルのウィスコ ンシン州建造船は、元々、全長240フィートで、200人の乗客と40台の車輌を積載した。「Trusty Tusty」はまた、船尾に独特の荷役昇降機を備え、荷役用のランプを使わないで、どんな埠頭でも車輌や貨物を降ろすことが可能だった。

残念なことに、Tustemenaの当初の設計では、アラスカ湾で深刻な横揺れが生じることが判明した。1969年、造船所に送られ て、 時化の海で横揺れする傾向を抑えるべく、56フィート延長した。

Good Friday 1964 Earthquake(=1964年の聖金曜日地震)の後で、Chilkatはバルディーズ―ホィッテア間の運航に転じた。その後1969年にジュノー―ホーナ航路に就航 するために南東部に戻った。1977年、ホリス―メトラカトラ航路に就航。1988年、アラスカ最古の「フェリー」は売却され、2000 年代の初頭まで地域の水産業で使われた。

1969年、州は小型フェリーE.L. Bartlettをホィッテア、バルディーズ、コードバ航路向けに建造した。この320万ドルのフェリーは、インディアナ州ジェファーソンのJeffboatで建造され た。この全長193フィートのフェリーは190人乗りで、41台の車輌を収容し、12ノットで運航した。氷河にちなんで命名されなかった 最初の州のフェリーだった。長年の政治指導者「Bob」Bartlettが死亡し、彼にちなんで船に命名する決定がなされたのだった。

Bartlettはプリンス・ウイリアム湾で当初運航されたものだったが、2004年になって余剰船となり、最終的にはEBAYに 400,000ドル近くで売却された。

1960年代中葉まで、州政府はワシントン州に向うフェリー運航の拡大に関心を向けていた。Canadian Ferryの問題とプリンス・ルーパートの幹線道路の岩盤崩れによって、遂にアラスカ州は南の終点にまで伸ばすことを確信した。シアトルとべリンガムが新しい運航の終点を 巡って激しく争った。1967年、シアトルが勝利したが、1989年にAHMAが移転し、べリンガムが最後に笑ったのだった。

新しい運航における最大の挑戦が、プリンス・ルーパートからシアトルに向う航路であり、それは「外洋航路」に分類されるもので、3つあ る アラスカのフェリーの主要航路の何れも、外洋航路としては適法とは考えられなかった。

州政府はこの問題を、フェリーをシアトルに向わせて、その後連邦政府に同航路を内航航路として再分類するように働きかけて解決した。し か し州政府は、航路に沿った開放水域で扱える新しいフェリーをなおも欲していたのだった。

数年かけて新船が建造されたが、費用は1,000万ドルに上った。そこで州政府は、スウェーデンでStena Brittanicaと呼ばれていた新しい全長363フィート、1300人乗りの外洋フェリーを、600万ドルで購入した。本船は初期のアラスカの判事で政治指導者であっ たJames Wickershamにちなんで、Wickershamと再命名された。

Jones ActがWickershamを沈める
しかしこの計画は直ぐに数十年前に成立したJones Act(=ジョーンズ法)と呼ばれる海事法令によってもつれることとなった。このJones Actは合衆国の造船業者を保護するために1920年に成立したもので、外国建造の船舶が合衆国の港湾間を商品や人々を輸送することを禁止している。

1968年から1972年まで、プリンス・ルーパートに寄港する限りにおいて、合衆国の港湾間を運航することはできた。また船首の荷役 方 式も、ケチカン、ジュノー、シトカ、ヘインズへのアラスカ運航では制限された。

Wickershamの喫水の深さもまた、シトカ近郊のペリル海峡のような狭い浅瀬での往来を不可能にするものだった。冬になると、バ ラ ノフ島の外の開放水域での大胆な嵐の航海を、このフェリーに強いることとなったのだった。

Wickershamの配船では骨を折っていたものの、乗客は一般に外国船が好きだった。宿泊設備は豪華ではなかったが、確かに船隊の 他 の実用的な船よりも愛好家好みであり、本船は優れた船であった。

1972年、Jones Actの正式な放棄が連邦議会から出されたが、州政府は既にWickershamの代替フェリーの建造を開始していた。

1974年、Columbiaが船隊最大の船として稼動し始めた。全長418フィート、1,000人乗りの旅客船は、2200万ドルで シ アトルのLockheed Shipbuildingで建造された。Wickershamは売却された。

収容力を増強するために、そして追加船を建造しないように、州政府は1970年代にMalaspinaとMatanuskaを、56 フィート延長して408フィートにした。

しかし主要船が大型化するにつれ、南東部の小さな港湾の幾つかに運航することが難しくなった。2隻の小型フェリー、 LeConte(1974年)とAurora(1978年)がウィスコンシン州で建造された。この全長235フィートの船は、乗客250 人、車輌444台乗りで、船価はそれぞれ450万ドル、770万ドルだった。

LeConteはピーターズバーグの北部のパンハンドルに就航。Auroraは南部の南東部に就航したが、これにはアラスカ州ハイダー と ポートランド海峡の突端にあるブリティッシュ・コロンビア州のスチュワートという幾つかの不成功に終わった試みが含まれていた。

不確実な1990年代
その後の10年間は、Marine Highway Systemは概して現状維持だった。しかし世紀の変わり目の少し前に、大きな変化が降りかかった。

1990年代中葉までに、元の3隻の船は、当局者が「その有用性は終わった」と考えるような代物になりつつあった。1989年の Exxon Valdezの油濁事故により、州政府は更に大規模の危機対応体制が必要となった。

新しい8000万ドルの外洋フェリーの建造が決定され、これは移動式危機対応センターとして使えるものだった。大仕事であり、実際、こ の 20年近くの間、合衆国で大型の旅客フェリーを建造した者はいなかったのだった。

契約は1995年にミシシッピー州のHalter Marineと締結し、船は1998年に竣工した。しかし建造中に紛争があり、Halter Marineは変更は限界を超えるもので会社に損害を与えるものだと主張して、追加の4600万ドルを求めて州政府を訴えた。州政府は船の引渡しが遅れるとして反訴した。 最終的には同社は破産し、州政府は下請け業者に500,000ドルを支払うことで訴訟は決着した。

全長382フィート、乗客750人、車輌120台乗りのKennicottは、直ぐに船隊においてべリンガムからアリューシャン列島の ダッチ・ハーバーまでのすべての港に寄港する最も多芸な船となった。その最終的な設計は住民によって多くの賞賛を得ることはなかったが、 アラスカ海域においては扱いやすい船だった。

1990年代において、州政府はまた、AHMSに対する州の補助金を年間40ドルから50ドル削減しようとしていた。計画は運航をより 安 価に、そしてより効率的にするものだった。

南東部とプリンス・ウイリアム湾での航海を短縮化するために、初めて「高速」フェリーの使用が必要となった。元々の計画では4隻の高速 フェリーを建造して、幹線フェリーの1隻か2隻を残して全部を徐々に代替していくというものだった。

再びJones Actが頭をもたげることとなった。高速フェリーの建造が始まる前に、British Columbiaフェリー・システムは、高速フェリーのうち数隻が余剰となると発表した。暗に、新船建造のためのアラスカの数百万ドルが節約されるとするものだった。

しかしカナダの船が合衆国で建造されなくなったために、Jones Actの要請に適合しないものとなって、アラスカの連邦議会陳情団は、州政府はJones Actの廃止、あるいは恒久的放棄を行うことは殆ど不可能だと警告した。

コネティカット州のDerektor Shipyardsが2隻の全長240フィート、乗客250人、車輌35台乗りの双胴船の第1船の契約を獲得した。この高速フェリーは毎時40マイルで運航するもので、幹 線フェリーのどんな船よりも約2倍速いものだった。

第1船のFairweatherは、2004年に運航を開始し、第2船のChenegaは2005年就航。しかし両船とも議論のあるも の だった。というのは、いずれのこの地の最も過酷な天候の下では運航できなかったのであり、予想よりも多くの機関不調が発生したからだっ た。今年の2月、州政府は高速フェリーは今度の冬は係船し、提案された高速フェリーを2隻追加して建造することはない、と発表した。

多くの道路を視野に
一方、州政府は、南東部の航路を変更して、少数の大型船にする計画を検討していた。こうした計画は、道路と定期フェリーを結合させた体制 にするために多くの道路と小さなターミナルを建築することを必要とするものだった。幹線フェリーの中で維持されるものもあったが、船隊の 大半の船は、この計画の下では余剰船となるものだった。

計画はまた議論のあるものでもあった。というのは、この地域に更に道路を作ることに反対する住民がおり、またある者は一連の「定期」 フェ リーが非効率的で、長い目で見たときに費用がかかることになることを恐れたからだった。

また近年、とりわけケチカン地方のような支線フェリー航路の中には変化が生じている。プリンス・オブ・ウェールズ島とメトラカトラは、 信 頼できる運航をして欲しいという要請をAMHSが無視していると、長年に亘って批判してきた。

結局、POW(=プリンス・オブ・ウェールズ島)は自前でフェリーの運航を始め、今やケチカンとウランゲル/ピーターズバーグの両方 に、 船を毎日向わせている。またAHMSは、メトラカトラに毎日運航するために、全長180フィート、乗客149人、乗用車18台乗りの Lituyaを特別に建造した。

こうした変化によって、州政府はAuroraをプリンス・ウイリアム湾に転配することになった。

差し当たり州政府は、老朽化している船隊の残りを、予見できる将来において余剰船とする決定をしていない。

2004年、5隻の幹線フェリーを減船して、2010年に3隻にする計画を発表したが、それはジュノーからヘインズ/スカグウェーへの 道 路網がつながり、バラノフ島を横断してシトカへの交通の便が改善される道路が作られた場合限りのこと。

その間にも、アラスカの青いカヌー達(注、フェリーのこと)は、州海域を定期運航し、孤立した共同体を結びつけ、風や波が州政府によっ て 継続的に引っ掻き回されていることには気がついていないのである。(SitNews: July 08, 2006)

ブリティッシュ・コロンビア州で新しいフェリー建造(カナダ)

ノース・バンクーバーのVancouver Shipyardsは、B.C. Ferries向けの新しい中型船の4550万ドルの建造契約を獲得した。

この新しい、乗用車125台乗りのフェリーは、船齢46年のQueen of Tsawwassenと代替されるもので、2008年夏にサンシャイン・コーストのアール入り江とソルトレイ湾間に就航するものと見られている。600人の乗客を収容でき るもので、新船には休憩室と軽食堂が備えられる。

「公定価格契約の下で、造船所は詳細設計と船舶建造に責任を持つこととなります。」とB.C. Ferries社長David Hahnは話した。「造船所は速力、積載能力、操作性能、燃費、そして引渡に関して保障しています。」

B.C. Ferriesは船隊に新船を8隻加えるべく、今後5年間に10億ドル以上を支出する計画。3隻の大型Super C-級のフェリーがドイツで建造中であり、第1船は2007年の暮れまでに引き渡される見込みだ。(Chilliwack Progress: Jul 09 2006)

Pentairはクルーズ船の濾過器の評決で上訴(米国)

ミネソタ州、ゴールデン・バレー発。Pentair, Inc.は、後にPentairの子会社となったところによって製造された、欠陥があるとされるプールの濾過器によって、事業に損害が生じたと主張するクルーズ客船会社に 対して行ったニューヨークの陪審による最近の1億9300万ドルの評決に対し、破棄判決を求めることとなる。

子会社のEssef Corp.は、Celebrity Cruise Linesの船、Horizonで、レジオネラ症(注、在郷軍人病、一種の肺炎)が1994年に勃発した後、Pentairに5年前に買収された。この勃発は訴訟となり、 乗客の病気について保健機関と関連のあるものだったが、St. Paul Pioneer Pressの最近の記事によると、少なくとも1人が死亡している。

Pentairは、この評決は公判で提出された証拠と一致するものではなく、とりわけ損害の因果関係と企業価値の喪失の主張に関して、 公 判後の申し立てを行うと話している。

Pioneer Pressの記事では、乗船客の請求は2004年に860万ドルで解決したという。(Water Technology Online: 7/12/2006 1:17:16 PM)

FCAはTallinkのSilja Line買収を審査(フィンランド)

Finnish Competition Authority(=フィンランド競争当局)(FCA)は、エストニアの海運会社TallinkによるフィンランドのSilja Line買収を承認した。

FCAは水曜日の声明において、この買収によりフィンランド市場の競争を著しく抑制することとなる支配的市場地位を創設あるいは強化す る ことはないとした。

この取引は、既にエストニア競争当局によって審査されている。スウェーデン当局は、同取引を審査中。(Newsroom Finland: 12.7.2006 at 15:33)

Eurotunnelは破産保護申請へ(フランス)

EUROTUNNELは、新しい融資が得られなかったならば、9月末をもって清算することになった、とこの赤字を抱える海峡トンネル事 業者の長は警告した。

会長のJacques Gounonは、90億ユーロ(114.4億ドル、62億ポンド)の再編のための融資合意を確実にするための努力が水泡に帰した後、新しいフランス法令の下で Eurotunnelが破産保護申請を行い、警報を鳴らした。

パリでの再編会談が行き詰まり、株主と上位債務者は混乱状態に置かれた。

経営陣は劣後債務者、とりわけ公債証書所持者が42億ユーロに切り詰めた借金をする取引概要を拒絶したことから、裁判所に債権者からの 保 護を求める劇的な一歩を記したのだった。

Eurotunnelの担保付社債の社債権者を代表するArco groupは、Deutsche Bankにより指示を受け、会社経営陣によって支持された計画の提案に反対した。Gounonはドイツ銀行を批判した。

「私はDeutsche Bankのような機関が、Eurotunnelの2,300人の従業員、800,000人の株主の行く末を考慮せずに、無理難題を押し付けることが理解できない。」

Eurotunnelは、Goldman Sachs、Macquarie、Axa Private Equity、Barclays Capitalの指示を受けた協定草案を少しずつ進めてきた。激しい交渉の後で、Eurotunnelの負債の50.4%を保有する債権 者が、5月23日にこの噂されている取引を受け容れた。

Eurotunnelは、協定の概要は劣後債務者の要求の大半に応えるものであり、承認のために先週水曜日の深夜に期限を設定してい た。

予備的にEurotunnelは、会社が営業を継続する間は債権者から保護されるという1月に成立した破産法の下、フランスの商事裁判 所 に書類を提出した。

水曜日に合意に達することに失敗し、Eurotunnelは正式に債権者からの保護を求めることとなった。これはフランスの合衆国破産 法 第11章に相当するもの。

「Eurotunnelは今や、フランス法令「procedure de sauvegarde」の下で、パリの商事裁判所の保護に置かれるべく、法的手続きを進めることを余儀なくされている。」と同社は話した。

裁判所は、7月25日に決定すると見られている。(Business Online: 16 July 2006)

合衆国の避難にクルーズ船を借り上げ(レバノン)

7月17日、ワシントン発。Pentagon(=国防総省)によると、State Department(=国務省)は、火曜日より合衆国市民をベイルートから避難させるためにクルーズ船のOrient Queenを借り上げた。

アメリカ海軍の駆逐艦USS Gonzalesは、安全上の理由から同船を護衛することとなる。

Pentagonの広報官Bryan Whitmanによると、Orient Queenは約750人の乗客を約5時間でベイルートからキプロスに輸送することができる。

レバノンの凡そ25,000人のアメリカ市民の少なくとも8,000人が、イスラエルとテロリスト集団のHezbollah(注、神の 党)との間で戦争が始まる前にアメリカ大使館に登録している。数百人が避難に興味を示している。

合衆国海兵隊のCH-53ヘリコプター2機が、月曜日にベイルートからキプロスに43人の避難者を移動させた。日曜日には21人の「特 別 の必要のある」避難者を移動させている。

Whitmanによると、それぞれのCH-53は、キプロスからベイルートの合衆国大使館に36人の乗客を1時間で輸送することができ る。3機目のヘリコプターは月曜日に作戦に加わり、必要に応じて更に加わることとなる。

「空輸は多く(の避難者)を輸送するには最も効率的な手段とは言えないものです。」とWhitmanは話した。

ヘリコプターは継続的に空輸する能力を有し、必要とあらば、3機で24時間に少なくとも10往復で、ベイルートとキプロス間で 1,000 人以上を輸送することができる。

Orient Queenは、レバノンのAbou Merhi cruisesに所属する船として登録されている。Whitmanによると、ギリシャのクルーズ船だという。

Defense Department(=国防省)の18人の計画者のチームが、避難のための軍事活動を調整するために、日曜日にベイルートに到着した。(United Press International: 7/17/2006 12:15:00 PM -0400)

Royal CaribbeanはMeyerに3隻目の豪華船を発注(米国)

7月18日、オスロ発。世界第2のクルーズ・グループであるRoyal Caribbean Cruisesは、火曜日、ドイツの造船所Meyer Werftに3隻目の118,000総トンの船を発注したと話した。

この船の第1船はCelebrity Cruises部門向けに建造されており、2008年の暮れに引き渡されることとなっている。第2船は2009年半ば、第3船は2010年半ばに引き渡される、と声明には あった。

「Celebrityでは、現在の為替相場で、1寝台当たり約245,000ドルの船舶建造費と見積もっている。」とRoyal Caribbeanは声明において述べた。

本船は2,850人の乗客と1,250人の船員を輸送し、長さ1,033フィート、幅121フィート。

Royal Caribbeanが最初に発注した2005年7月には、1寝台当たりの費用は、225,000ドルになると話していた。

Royal Caribbeanは、Carnivalに次ぐ第2のクルーズ客船運航事業者。(Reuters: Tue Jul 18, 2006 6:26am ET184)

キプロスは大勢が殺到することに備える(キプロス・レバノン)

ギリシャのフェリーIerapetraが、昨日イタリアの軍艦が接岸した近くのベイルート港に入港した。この船はイスラエル軍による空 爆後、取り残された何百人もの市民を避難させるためにレバノンに送られたもの。このギリシャ船は、フランス政府によって傭船された。この かっての植民地であるレバノンには、20,000人余の自国民がいる。

昨日、キプロスは、多くの外国政府によって組織された航空機、船舶によってレバノンから避難して来た何百人もの人々の流入に備えた。

ギリシャのクルーズ船が、迷子になった200人の子供を含む何百人ものフランス人やヨーロッパ人をベイルートから収容するためにフラン ス によって傭船されているが、今日、リマソルに到着する、と大臣は話した。Ierapetraはこれから1連の臨時航海を行う、と大臣は 語った。

ギリシャは約100人を収容するために、レバノンに海軍のフリゲート艦を差し向けている。また別の3隻の軍艦を待機させている。

400人近い避難者を乗せたイタリアの軍艦は、昨日の朝にラルナカに到着する見込みだった。スウェーデンも、スウェーデン人をベイルー ト からキプロスに移送するために3隻傭船している。英国は40人余を、昨日、Chinook(注、チヌーク型軍用ヘリコプター)によって Akrotiri基地に避難させ、地中海に航空母艦1隻と軍艦1隻を展開している。合衆国は、21人のアメリカ人をヘリコプターでラルナ カに運び、キプロスに対して、避難作戦の中心地になるよう要請した。(Kathimerini: Tuesday July 18, 2006)

ブルックリンに向う途中のクルーズ船がフロリダ沖で一方に傾く(米国)

カリブ海からブルックリンに帰る途中の真新しいクルーズ船が、火曜日の午後にフロリダ沖で激しく一方に傾き、少なくとも10人の乗客が 重傷を負い、うち1人の子供が重体となっている。

Princess Cruisesでは、「Crown Princess」は今日の午後、フロリダからニューヨークに向けて航海を始めたとき、突然方向転換し、一方に傾いた、と言っている。このクルーズ客船会社の幹部は、船に 操舵上の問題があったと話している。

Princess Cruisesの幹部によると、乗船していた乗客のうち、40人もの人が負傷した。10人は重傷で、子供1人が重体となっているという。事故後、全ての乗客の確認を取って いる。

ブルックリンからの乗客の1人は、携帯電話でNY1に、恐ろしい体験だったと語った。

「正に船全体が転覆するか、引っくり返るかするようでしたよ。」とファースト・ネームがTroyだとだけ教えてくれた男性は話した。 「私 と妻は15階のリドにあるデイケアに子供をちょうど預けたところで、船室に入るや否や、船の後ろ全体が前のめりになって、それから横に傾 いたんです。私はドアに押し付けられました。」

船は、医療関係者が怪我をした乗客の世話をすることができるよう、フロリダ州のポート・カナベラルに接岸している。(NY1: July 18, 2006)

Sea ContainersはSiljaのフェリー事業の売却完了(バミューダ)

7月19日、バミューダ島ハミルトン発。Sea Containers Ltd.は本日、バルト海のフェリー子会社Silja Oy Abの、エストニアのフェリー事業者AS Tallink Gruppへの売却を完了したと発表した。

この売却は、6月12日に発表されていたもので、フィンランド、スウェーデン、エストニアの競争当局の許可を受けることを条件にしてい た ものだが、全ての許可を受けた。Siljaの中核事業の売価は、現金の4億5000万ユーロ(5億6300万ドル)と、Tallinkの 普通株500万株(2200万ドル相当)。Tallinkの株主による承認は、6月22日の株主総会でなされている。

この取引には、フィンランドのヘルシンキとエストニアのタリン間のSiljaの高速フェリー運航と、2隻のSuperSeaCatフェ リーは含まれていない。これらはSea Containersの下に留まり、SuperSeaCatの商標で、独立した事業として営業することとなる。

Siljaの売却は、銀行からの借入金関係の約5億300万ドルの返済に充てられる。(PRNewswire-FirstCal: Wednesday July 19, 8:00 am ET)

捜査官は横に揺れたクルーズ船を実況見分(米国)

2006年7月19日、ニューヨーク発。連邦捜査官は今日、何故全長951フィートの船が突然、片側に揺れて20人が重傷を負ったのか を究明しようと、このブルックリンに本拠を置くクルーズ船を調べた。

沿岸警備隊はまた、何故この事故を船長ではなく、船から電話をかけた乗客の母親から当局が通報を受けたのかについても疑問だとしてい る。 National Transportation Safety Board(=国家運輸安全委員会)の元委員長James Hallは、この事故で連邦当局者がクルーズ業界の規則を強化することになることを期待していると話した。

Crown Princessは昨日の午後、ポート・カナベラルの約11.5マイル沖で、右に15度傾き、乗客らは甲板や壁に投げ出された。船はゆっくりと復原し、港に向った。

Princess Cruisesによると、約240人の乗客が軽傷で、船上で手当てを受けた。98人が病院に搬送され、うち子供1人と大人1人が重体となっている。

何人かの乗客は、昨夜の船上での映画は「Titanic(=タイタニック)」だったと思うと話した。(13abc.com: July 19, 2006)

女王は離島クルーズでフェリーに乗船(英国)

女王陛下と王族は、ウェスタン・アイルズ州を巡るクルーズの手始めに、かってのカー・フェリーに乗船された。

アイレイ島でHebridean Princessに乗船される際、波止場には200人近い篤志家が集まった。このクルーズは、廃船にする前にRoyal Yacht Britanniaで王族が休養するもの。英国海軍のフリゲート艦が護衛する。

Charles皇太子とRothesay公爵夫人は、後でこの王族一行に加わることとなっている。その後、ケースネスのCastle of Mey(=メイ城)の故皇太后の故郷に向う。

この1週間旅行のため王族は、Caledonian MacBrayneのフェリーだった船を傭船するのに、約125,000ポンドを支払ったと報じられている。

小さなクルーズ船会社のHebrideanが、現在、Hebridean Princessを保有している。通常は、オバーンからスコットランドの離島やノルウェーに航海している。乗客49人を輸送でき、いつもは38人の船員によって運航してい る。

Hebrideanによると、このグラスゴーに登録された船には、30室の「広々とした、優雅な、設備の整った」船室と、11室のひと り 旅用の部屋があるという。(BBC News: Friday, 21 July 2006, 15:17 GMT 16:17 UK)

I-Team:クルーズ船が傾いたのは人為的ミスが原因(米国)

フロリダ州オーランド発。WESH 2 Newsは、Princess Cruiseの船舶事故は、機器の故障ではなくて、人為的なミスによるものであるという情報を得た。

Brevard郡沖の開放海域でCrown Princessが傾き、240人の乗客が怪我をした。

National Transportation Safety Board(=国家運輸安全委員会)の2人の捜査官とU.S. Coast Guard(=合衆国沿岸警備隊)の2人が、ニューヨークの母港に戻る際、Crown Princessの船橋に一緒に乗って行った。

自動操縦機構の最終的な検査を行っているが、高官筋がWESH 2 I-Teamに語ったところによると、事故の原因は自動操縦装置ではなくて、人為的なミスによるものだったという。

火曜日の午後のCrown Princessで撮影された一連の静止画像によると、楽しいクルーズになるはずだった最終行程において、混乱が生じたことが判る。この船は大西洋の11マイル沖で左舷に 急に傾いたのだった。

連邦捜査官が同船に乗船し、直ぐに何が起きたのか判ったのだった。コンピュータの誤作動ではなかった。機関不調でもなかったのだった。

失職の恐れがあるため匿名を希望するある高官筋は、WESH 2 I-Teamに、単なる人為的なミスだったと語った。

「世間は知るべきです。この船は安全です。自動操縦機構には何の問題もないのです。人為的なミスだったのです。連中は間違ったのです。 間 違いが起きたのです。」と語った。ここに同筋が説明したことを紹介する。

ポート・カナベラルを離れ、船長は、同船の自動操縦をニューヨークに向うよう設定した。その後、船長はこのクルーズ船の船橋を離れた。 全 ては、標準的かつ適切な手続きだった。

自動操縦がニューヨークに戻る針路であることを認識し、下級士官が船橋を管理していたとき、左に舵を切り始めた。するとこの士官は、船 の 自動操縦の針が左に振り過ぎていることに気がついたのだった。

消息筋によると、この下級士官は「うろたえ」、計器が船が一方の側に急速に旋回しているものと考えて、自動操縦を解除したという。

しかしCrown Princessを右に戻すのではなく、この下級士官は図らずも、船を更に激しく左に旋回するようにしたのだった。ちょうど車で急ハンドルを切ったように。

これによって、この巨大な113,000トンのクルーズ船は酷く傾き、乗客、プールの水、その他船上のあらゆる物が宙を舞って、混乱し た のだった。

I-Teamは論評を求めて、Princess Cruise Linesに連絡を取った。

「弊社では捜査結果について、まだ承知しておりません。弊社の知る限り、捜査中です。」と広報担当のJulie Bensonは話した。「お話の件につきましては、私は聞いてもいませんし、確認もしておりません。(捜査官からの)正式な報告書を見るまでは、どなたかが仰ったことに関 して、弊社は論評いたしません。」

更にPrincess Cruiseは、船の安全性を危うくするような機関問題や運航上の問題はないものと確信していると話している。そして沿岸警備隊は、木曜日にそれを確認した。

「沿岸警備隊は、危険だと考えたならば本船を航海させないので、ご安心を。」とPatrick Eiland副官は話した。「操舵装置に問題があったり、沿岸警備隊が本船に乗客が航海するのに安全ではないと考える何らかの機構上の問題があったりしたならば、そのとき は航海を許可しません。現在のところ、航海をさせるつもりです。」

実際、船は現在、ニューヨークに向っており、土曜日に3,000人の乗客が乗船して、別のクルーズに出発することになっている。 (WESH.com: 12:23 pm EDT July 21, 2006)

エオーリエ諸島:フェリーの扉が故障し乗用車が立ち往生(イタリア)

7月21日、リパリ発。Siremarのフェリーの外部扉が突然故障し、何百台もの乗用車、トラック、自動二輪車がエオーリエ諸島のブ ルカノ島で下船できなくなった。

フェリーの「Antonalles da Messina」が接岸しようとしたとき、船員がこの装置が適切に動作していないことが判り、障害が判明したのだった。100人の乗客は徒歩で下船できたが、車輌は船に留 まり、この故障が修理されるまで運航は一時休止となっている。

他のエオーリエ諸島に向う旅行者は、Siremarのホバークラフトに乗船した。(Agenzia Giornalistica Italia: Monday July 24, 2006)

イスラエル軍、トルコのフェリーを攻撃(トルコ)

トルコの運輸大臣Binali Yildirimは、月曜日、イスラエル軍は、オーストラリア市民を退避させるためにベイルートに派遣したトルコのフェリーに対して砲撃した、と話した。

Yildirimは、このイスラエルの攻撃は、フェリー「Akcakoca」に乗船していた乗員・乗客に命中しなかったと述べた。

Yildirim大臣は、イスラエル海軍はこのトルコのフェリーの妨害をしており、航海中、数時間に亘って停船させようとした、と主張 した。

イスラエル側は、トルコとオーストラリア当局による抗議後、同船がその針路を取ることを遂に許した。

またYildirimは、メルシンにレバノンから到着した避難者は、合計7,194人に上ったと付け加えた。もちろん、1,029人は ト ルコ国民だった。

イスラエルの攻撃の報は、トルコ史上最大の退避作戦の行われているメルシンに届いた。このトルコ史上最大の退避作戦を実施すべく、フェ リーは月曜日の午後7時15分にベイルートを出発した。

ベイルート港でのトルコ市民の乗船は7時間かかり、その間、トルコ特殊部隊が避難の安全を確保した。(Zaman Online: Tuesday, July 25, 2006)

研究者はクルーズ船に警鐘(カナダ)

ある大学教授がシャーロットタウンに、クルーズ船がやって来たときに過剰な期待はすべきではないと警告している。

Memorial Universityの社会福祉の教授でCruise Ship Bluesの著者であるRoss Kleinは、CBC News Wednesdayに、クルーズ船は小さな町を苦しめることになると話した。

「人々はいつものように自分の街を利用できなくなるのです。食堂、店など、街にあるものは混雑するのです。」と語った。

クルーズ産業に関するInstitute of Island Studies(=島嶼研究協会)の会議のために町を訪問しているKleinは、環境に関する懸念も警告した。あまりにも多くの船舶がゴミを捨てるので問題の原因となる、 と語った。

シャーロットタウンはクルーズ業界に多大な投資を行っており、これにはより大型のクルーズ船を扱うことのできるようにするための何百万 ド ルもの投資も含まれている。

P.E.I.(=プリンス・エドワード・アイランド州)のTourism Advisory Council(=観光諮問機関)のRob Shawは、島のクルーズ客は毎年倍増して、2010年までには57,000人にしたいとしている。

「否定的なことよりも、肯定的なことの方がずっと多いと思いますよ。」とShawは話した。

観光業界は、この地方を訪問するクルーズを推進すべく設立されたAtlantic Canada Cruise Association(=大西洋カナダクルーズ協会)の後援を受けている研究計画を基礎にしている。

研究では、2002年のこの地方でのクルーズ船客の消費動向を調べている。シャーロットタウンのような中規模の港湾では、乗船客の95 パーセントが下船することが期待でき、こうした客は平均、一人当たり63ドル消費するという。

Tourism Charlottetownの最高経営責任者Kim Greenは、こうした数字から、島では今年、クルーズ船から300万ドルが期待できると話した。(CBC Prince Edward Island: Thursday, July 27, 2006)

地元自動車会社の女相続人がクルーズ船で行方不明(米国・イタリア)

Galeana Auto Groupの所有者の娘であるElizabeth Kay Galeanaが、イタリアのRoyal Caribbeanのクルーズ船で火曜日以来、行方不明になっている。

Galeana(22)は、両親が客室で就寝した火曜日の午前12時30分に最後に見かけられた、とRoyal Caribbeanの広報担当者Lyn Sierra-Caroは話した。

Royal Caribbeanは、合衆国とイタリアの沿岸警備隊、FBI、イタリアのナポリの合衆国領事館、ナポリ警察に通報した。

「弊社の思いと祈りは、この女性とご家族と共にあります。」とRoyal Caribbean Internationalの社長Adam Goldsteinは語った。(The News-Press: Originally posted on July 28, 2006)

フェリー社長が行方不明(ギリシャ)

当局者は、昨日、存在しないフェリー航路の切符を会社が違法に販売してきた証拠を捜査後、このNELという海運会社の社長、 Apostolos Ventourisの行方が分からなくなったと語った。沿岸警備隊当局者は、自宅または事務所で、Ventourisを見つけることができなかったと話した。 (Kathimerini: Friday July 28, 2006)

Camillaが船を飛び降り、Charlesはカンカン(英国)

一緒に暮らそうと話したのはそう昔のことではない。しかしそれは結婚前のことだった。

ウェスタン・アイルズ州を巡るクルーズ後、Duchess of Cornwall(=コンウォール公爵夫人)は、文字通り船を降り、Charles皇太子が1人残された。

CharlesとCamillaは、土曜日に終わった8日間女王陛下80歳誕生クルーズに水曜日に合流した。

この公爵夫人は、スコットランドの北端からこの元フェリーが接岸することになっていたスクラブスターを巡る旅をすべく、夫と共に船に留 ま るものと思われていた。

ところが女王、Philip王子、その他の王族は、今や小さな豪華クルーズ船となったHebridean Princessから群れを成して下船し、Camillaは後に残されたのだった。

公爵夫人(58)は、この船に1人で3日間過ごし、十分に海を満喫した。Charlesについては明らかではない。

彼女の怒りは隠すことはできず、皇太子は船に戻った。一方、付き人らは、Camillaは船に弱いためにルーイス島のストーノウェイで 別 れたのだと強調している。王族筋はこう話した。「Camillaは船に弱いのです。」

しかし目撃者によると、Charlesは予定を切り上げて降りることに不満だったという。

最近、公爵夫人は、地位を得てから王族の公務をそれほど務めていないと非難されている。夫の公務の僅か半分しか、同伴していないのだ。

消息筋はこう付け加えた。「Charles皇太子は、昨日、Hebridean Princessの船尾で妻を見送ったとき、何だかムッとしていたように見えました。」(後略)(Daily Mail: Sunday 22:00pm 29th July 2006)

クルーズ船事故で業界に打撃(米国)

合衆国、フロリダ州、ポート・カナベラル発。洋上の事故の報道で、とりわけフロリダ州に本拠を置く客船会社は、クルーズ業界に150億 ドルの打撃を受けること恐れている、とある合衆国の新聞は言っている。

怪我と事故のニュースは、たとえ業界が安全記録の統計を指摘したとしても、クルーズ休暇の安全性について疑問を生じさせている、と South Florida Sun-Sentinelは報じた。

マイアミに本拠を置くCarnival Corp.の子会社Princess Cruisesは、とりわけ過酷な年を迎えている、とこの新聞は伝えている。3月にここの船員は深刻な火災と戦い、その最大船の2隻が今月初めと2月に突然傾いて多くの 人々が怪我をしている。

概して、業界の売り上げは減速しており、今年は値引率が上がっている。とりわけ全体のクルーズの半数を占めるカリブ海がそうだ。

「弊社ではかなり宣伝に力を入れております。」とRoyal Caribbean社長Adam Goldsteinは、投資家向けの電話会議で語った。「そうしたことで、時折、満船にすることになるのです。」

10社のクルーズ客船会社の本店がフロリダ州にあり、17,000人の住民がクルーズ客船会社で働いている。これは北米における業界の 従 業員総数の約半数にあたる。(Monsters and Critics.com: Jul 30, 2006, 18:15 GMT)

クルーズ船病(米国)

多くの病気の乗客を乗せたクルーズ船が、Brevard郡に接岸した。

3,000人以上の乗客を乗せた船は、バハマ、バージン諸島、サン・マルタンといった港湾で1週間を過ごして、今朝早くポート・カナベ ラ ルに到着した。

Brevard County Health Department(注、郡保健局)は、Royal CaribbeanのMariner of the Seasで200人以上の乗客と6人から10人の従業員が、ノーウォーク・ウイルスに罹患していると話している。

クルーズ客船会社側によると、水曜日に嘔吐と下痢を訴える病気の乗客が出始めたと話している。

保健当局者が今日、ポート・カナベラルで検査を行うこととなっており、次の航海が安全に行えるよう、このクルーズ船を清掃する。

これはMariner of the Seasで起きた2度目の勃発。同様のウイルスが、ちょうど1年前の正にこのクルーズ船で報告されていた。このときは、300人近い乗客と27人の船員がウイルスに罹患し た。(Central Florida News 13: Jul 31, 2006)

中国のもう1隻のクルーズ船がベトナムに戻って来た(ベトナム)

中国、広西壮族(コワンシーチョワンツー)自治区の北海(ベイハイ)市から来たクルーズ船のMing Fai Princessは、7月29日、ベトナムに240人以上の中国人観光客を乗せて、ハ・ロン観光港に戻って来た。

クワン・ニー県観光局局長Nguyen Van Thanhは、これは広西壮族自治区の北海とハロン湾を結ぶ航路で、湾を訪れた2隻目の中国のクルーズ船だと話した。

このクルーズ船は800人以上の観光客の需要に応えることができ、1日に2回ハ・ロンに遣って来るという。

クルーズ船のHaiyang Princessと合わせ、ハ・ロンは1日に400人から600人の中国人観光客を迎えるものと見ている。Saigon Timesは、Thanh氏の次の発言を引用している。

「これはクワン・ニーの観光部門の特別の出来事です。というのは今後、このクルーズ船が、月に約10,000人もの多くの乗客を、本県 に 連れてくることになっているからです。」

クワン・ニー観光局は、名声を維持すべく、サービスの質を確かなものにするようベトナムの旅行会社に要請している。(Nhan Dan: 15:42 - July 31, 2006)