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ヨーロッパフェリー事情 ワイト島・チャンネル諸島のフェリー

石山 剛

イングランド南部に浮かぶワイト島は、気候が穏やかなことから多くの英国人に日帰り観光地として親しまれてきた。この島と英国本土を隔 てる「ソレント」と呼ばれる海域には、歴史的に個性的な船が多数就航してきた。

一方、フランス北部のノルマンディに近いチャンネル諸島は、1066年以来英国領とされたが、独自の政府を有していることで知られてい る。以前は鉄道連絡船が島と本土とを結び、最近ではここを舞台に高速フェリーが格安航空会社と激しい価格戦争を繰り広げている。

今回はこれら離島航路について概観し、イギリス海峡のフェリーの完結編をお送りすることとしたい。

ワイト島航路

(1)レッド・ファンネル

 ワイト島の北端に位置するカウズは、メディナ川を挟んでカウズとイースト・カウズの2つの町からなる。こことサウサンプトンを結んで いるのがレッド・ファンネル・フェリーズ。「赤煙突渡船」という名前通りの装いの船を運航するワイト島のフェリーの老舗であり、1861 年に3つの汽船会社が合併して誕生した。正式名称は「サウサンプトン・ワイト島及び南イングランド英国郵船株式会社」という意味の非常に 長い商号である。

 第二次世界大戦前はローナ・ドゥーン(1891年)、バルモラール(1900年)といった外輪汽船の遊覧船で人気を博し、フェリー運 航に使用されていたその他の船舶も、連絡船と遊覧船の2つの性格を併せ持つものだった。

 戦後、上陸用舟艇を利用して車両運送が始まり、1959年5月、この会社にとって初めてのカー・フェリー、キャリスブルック・キャッ スルが就航した。本船は45台の自動車を積載できるもので、その後改良型のオズボーン・キャッスル(1962年)、カウズ・キャッスル (1965年)、ノーリス・キャッスル(1968年)、ネットレイ・キャッスル(1974年)と続いた。

 1980年代、レッド・ファンネルはカウズ、ノーリス、ネットレイの3隻の「キャッスル級」のカー・フェリーを使用していたが、市場 占有率で他社に大きく差を付けられて、次第に時代遅れのものとなっていた。代替の必要性は感じられていたものの、資金難から代船建造には 踏み切れないでいたのである。

 転機は1989年に訪れた。サリー・ラインによる敵対的株式公開買付(TOB)に直面したのである。これを契機にレッド・ファンネル は、サウサンプトン港を経営する英国港湾協会(ABP)に買収された。失った顧客を奪還すべく、2,400万ポンドを投資して3隻の「ラ プター級」の新船が発注された。レッド・ファルコン(1994年3月)、レッド・オスプリ(同年10月)、そしてレッド・イーグル (1996年4月)である。これらの船によって、旧世代のフェリーでは大幅に制限されていたコーチ(大型長距離バス)や貨物自動車の市場 に食い込むことが可能となった。「キャッスル級」の古い3隻は、クロアチアに売却された。

 一方1960年代、英国国鉄がホバークラフトを投入したことに対抗して、レッド・ファンネルではイタリア製の水中翼船を就航させてい た。ABPは買収後間もなくして、カウズのFBMマリーンに2隻の高速双胴船を発注した。レッド・ジェット1とレッド・ジェット2である (1991年就航)。1998年には改良型の3が加わり、2003年にはオーストラリアで建造された260万ポンドの双胴船、4が就航し た。

 なおABPは1990年5月に、カウズ・エクスプレスという商標を用いて、同じカウズ/サウサンプトン間で別の高速船運航を試みたこ とがあった。しかしこれは成功せず、1992年2月に廃止している。

 レッド・ファンネルは、2000年12月にJPモルガンに買収されたが、2004年5月、レッド・ファンネルの経営陣がスコットラン ド銀行の支援を受けて6,000万ポンドで買戻し、今日に至っている。

(2)ワイトリンク

 ワイトリンクは、ワイト島東部のライドとポーツマス、フィッシュボーンとポーツマスを結ぶ航路の他、ワイト島西部のヤーマスとリミン トンを結ぶ航路を運航している。これら3つの航路は、フィッシュボーン航路を除いて、いずれも19世紀にまで遡ることのできる長い歴史を 持ち、運航していた会社もそれぞれ異なるものであった。しかし1923年1月にサザン鉄道が設立されてからは、同社が運航する鉄道連絡船 となり、1948年の四大鉄道会社国有化後は、英国国鉄がシーリンクの商標で運航していた。つまりワイトリンクは、国鉄の鉄道連絡船事業 を承継した会社なのである。簡単に3つの航路を眺めてみることとしよう。

 島東部のライドとポーツマスを結ぶ航路は、元々2つの鉄道会社が共同運航していたところで、20世紀に入る頃は8隻の船が就航してい た。サザン鉄道が形成されてからは、次の船が使用されていた。シャンクリン(1924年)、マーストン(1927年)、ポーツダウン (1927年)、サウスシー(1930年)、ウィッピンガム(1930年)、サンダウン(1934年)、ライド(1937年)である。多 くはワイト島の地名に因んで命名されたもの。詳細な島の地図で探してみると面白いかもしれない。しかし第二次世界大戦中、ポーツマスが戦 略上重要な拠点であったことから、この付近一帯は激しい空爆に曝されて港湾施設は大きな被害を受け、ポーツダウン、サウスシーは沈没し た。

 戦後、「マジック・アイ(魔法の目)」と呼ばれるレーダーを備えた、霧の中でも航行できる島で初めての船が就航した。サウスシー(2 代目、1948年11月)とブレーディング(同年12月)である。少し遅れてシャンクリン(2代目、1951年6月)が加わった。この3 隻は大変に長命な船で、シャンクリンは1980年3月まで使われ、ブレーディングは1986年3月、サウスシーに至っては1988年9月 まで遊覧船として使用された。

 現在はオーストラリアのインキャットが建造した高速双胴船、アワ・レディ・パメラ、アワ・レディ・パトリシア(いずれも312総ト ン、1986年)と、シンガポールで建造されたファーストキャット・ライド、ファーストキャット・シャンクリン(いずれも478総トン、 1996年)の高速船が島と本土とを15分で結んでいる。

 同じく島東部のフィッシュボーンとポーツマスを結ぶ航路は、1926年3月に始まった最も新しい航路であり、今日、最も交通量が多 い。サザン鉄道が本航路を開設した時、使用されていた船は、次に述べるリミントン航路でも使用されていた伝統的な「ホース・ボート(馬 船)」であった。これは艀に貨物や家畜、馬車などを乗せて、曳船が曳航して行くという船である。このような方法が取られたのは、この付近 の海岸は水深が浅い沼沢であり、干潮時には海が埠頭から遠く離れたところにあるからだった。しかし家畜と同じ艀に乗って行く船旅は極めて 不愉快なものであり、多くの乗客はライドから別の汽船で島に渡ったものだった。

 今日、セント・キャサリン(1983年)、セント・ヘレン(1983年)、セント・セリシア(1986年)、セント・フェイス (1990年)、セント・クレア(2001年)の5隻の「セント級」が就航している。

 一方、ワイト島西部のヤーマスとハンプシャー州のリミントンを結ぶ航路は、20世紀初頭には専ら前述の「ホース・ボート」が使われて いた。しかし1938年にリミントンが就航して、カー・フェリー時代が幕を開けた。この400人乗り16台の乗用車を積載する船は、日本 の瀬戸内海などでよく見られる両頭船であった。英語では「ダブル・エンデド・フェリー」と言う。両尻船と言うので面白い。

 現在、3隻の船が使用されているが、いずれも1973年に就航した約760総トンの小型船であり、船舶の大型化が要請されている。し かし付近はニュー・フォレストと呼ばれる自然景勝地であり、環境問題から実現できないでいる。今や船齢は30年を越えており、老朽船の代 替問題が目下の急務として浮上している。

 1984年、英国国鉄の民営化に先立ち、その海運部門のシーリンクは、シー・コンテナーズに買収された。そして1990年に更にステ ナ・ラインに買収されたものの、ワイト島航路はこの買収には含まれておらず、シー・コンテナーズによって維持された。1990年11月か らは、現在のワイトリンクという商標が用いられたが、1995年にヨーロッパの投資会社に買収され、更に2001年にはワイトリンクの経 営陣が買戻して今日に至っている。この辺りの経緯は、レッド・ファンネルと良く似ている。

(3)ホバートラベル

 サー・クリストファー・コーカレルの発明にかかるホバークラフト(エアークッション船)は、ホバーロイド(スウェディッシュ・ロイド とスウェディッシュ・アメリカン・ラインズの合弁)、シースピード(英国国鉄のホバークラフト部門)、そしてタウンゼント・カー・フェ リーズが、1960年代に相次いでイギリス海峡を中心に運航を開始して一世を風靡したものだった。ホバートラベルは1965年7月、ポー ツマスのサウスシーとワイト島ライド間で純客船のSRN6型ホバークラフトを用いて世界最初の通年運航を始めた会社として知られている。 そして今日でも運航を継続している唯一の会社である。当初はソレント・シースピードという商号だった。

 全ての船舶がホバークラフトに進化するかのように語られていた時代があったが、運航費用がかかり過ぎることが最大の欠点であった。ホ バーロイドとシースピードが1981年に合併して誕生したホバースピードが、2000年までドーバー/カレー間で2隻のホバークラフトを 運航していた。自動車も積載できるSRN4型ホバークラフト、ザ・プリンセス・マーガレット(1968年)、ザ・プリンセス・アン (1969年)は、現在、ソレントのリー(リー・オン・ザ・ソレント)にあるホバークラフト博物館に保存・展示されている。したがって現 役のホバークラフトに乗船するためには、ホバートラベルの船に乗るしかないのである。

 ダブル・オー・セブン(1989年)という面白い名前の船を運航していたこともあったが、今は98人乗りのAPI88型の2隻のホ バークラフト、フリーダム90(1990年)とアイランド・エクスプレス(1985年)が島と本土を10分で結んでいる。

チャンネル諸島航路

 チャンネル諸島はジャージー島、ガーンジー島、オルダニー島、サーク島、ハーム島の5つの主要な島から構成されている。税率が低くて 付加価値税(VAT)が課せられず、英語が通じてフランス気分が気軽に味わえる島であることから、英国では人気の観光地の一つとなってい る。

 英国本土と諸島とを結ぶ船は鉄道会社が運航してきたもので、1923年以降はサザン鉄道、1948年以降は英国国鉄がシーリンクの商 標で運航していた。1984年にサッチャー政権下でシーリンクが民営化されると、民営化されたシーリンク・ブリティッシュ・フェリーズ は、ポーツマスからは富裕層向けオリエント・エクスプレス風の「スターライナー」、ウェイマスからは昼間の運航を売り物にする「サンライ ナー」を開始した。しかし運賃が高過ぎて夕方に到着する運航は、観光客や島民には不評だった。こうした中、チャンネル・アイランド・フェ リーズが登場して競争が激化し、1986年9月、巨額の赤字を垂れ流していたシーリンクは同社と合併してブリティッシュ・チャンネル・ア イランド・フェリーズ(BCIF)となる旨発表された。ところが旧国鉄のシーリンク側で合併に反対する船員らが労働争議を起こし、合併手 続きは難航したのである。

 こうした混乱の中で、今度はガーンジー島のコモドア・シッピングが参入し、コモドア・フェリーズがポーツマス航路で貨物運航、その子 会社のコンドル・フェリーズがウェイマス航路で高速船による旅客運航を開始した。当然のことながら、BCIFと激しい価格戦争を展開する こととなった。1994年1月、驚くべきことにコモドアがBCIFを買収して、この戦いに勝利している。コモドア・グループは2003年 にコンドル・グループに再編され、今日ではコンドル・フェリーズが貨物と旅客の双方を扱っている。

 一方、フランスと諸島を結ぶ航路は、1904年に設立されたフランス企業BCEが経営し、1977年からはBCEの子会社、エメラル ド・ラインズが運航してきた。しかしコンドル・フェリーズとの激烈な競争、英国ポンドの下落などの事情から、2003年10月に400万 ユーロの負債を抱えて倒産してしまった。幸いルーアンのフランス企業が事業を引き継ぎ、2004年2月にエメラルド・ジャージー・フェ リーズに商号を変更して、今日に至っている。高速船ホバースピード・グレート・ブリテン(1990年)を傭船しているが、本船はかっての ユナイテッド・ステーツ・ラインズの遠洋定期船、ユナイテッド・ステーツが1952年に出した北大西洋最速横断の記録を塗り替え、ブ ルー・リボンを獲得した船として有名である。

 2003年8月にはオルダニー島に本拠を置くユゴー・エクスプレスがフランスと諸島を結ぶ運航を開始した。ガーンジー島で亡命生活を 送ったビクトル・ユゴーに因み、同名の双胴船を運航している。またアイル・オブ・サーク・シッピング、インター・アイランド・フェリーな どの小さなフェリー会社も諸島を結んでいる。

 1952年にジャージー島に大型機が発着できる滑走路が完成して以来、チャンネル諸島航路では常に航空機がフェリーの脅威となってい た。近年は格安航空会社(ロー・コスト・エアライン)が飛び始め、その激安運賃を武器にフェリーから乗客を奪い続けている。この事態に上 手く対処できなければ、将来、イギリス海峡のフェリー客は半減するのではないかと危惧されている。チャンネル諸島航路に限らず、海峡フェ リー全体の運航が危うくなって来ているのである。

(2004年10月現在)

おまけ!

 英国では新聞にもCDが付録に付くのが当たり前になっている昨今、付録がないと損をしたような気分になるのは誰しも同じ。そこで大 サービスとして、おまけのフェリー観光情報!!

 ワイト島周辺のソレントには、実は小さなフェリーやクルーズ船(観光船)がひしめき合っている。そんな船々の中で、ポーツマスのゴス ポート・フェリーとサウサンプトンのホワイト・ホース・フェリーズは注目すべきフェリー。どちらも小型船で対岸と15分程度で結んでいる 通勤渡船兼港内遊覧船。港に有名クルーズ船がやって来た時に、見物人で満員になるところも同じ。19世紀にまで遡る長い長い歴史があっ て、そんなものを克明に調べ上げた本が出版されているところも同じだったりする。

 ワイト島のカウズとイースト・カウズの間を流れるメディナ川には、チェーン・フェリー(索道式フェリー)が動いている。川に渡された チェーン(ケーブル)を手繰りながら進むカー・フェリー。運航しているのはワイト島議会で、一般に「カウズ・フローティング・ブリッジ」 と呼ばれている。使われている船は1976年に就航したNo.5という船。殆ど投げやりとも言える命名法だと思うけれど、英国にはこうし たチェーン・フェリーが各地にある。とは言え、このNo.5での船旅は、たったの2分で終わってしまう。これだとカップ麺を食べる暇もな いよね。

 チャンネル諸島にも小さな遊漁船やヨット、海上タクシーが、ひしめき合うという程ではないものの、それなりにある。情報はインター ネットで得られるけれど、立ちはだかるのは英語の壁!そこで……、と書き始めたところ、残念ながらここで紙幅が尽きてしまった(そ、そん な!笑)。では楽しい船旅を!

Information

 本稿は、「ヨーロッパフェリー事情 ワイト島・チャンネル諸島のフェリー」、フェリーズvol. 4(海事プレス社、2005年)に加筆・訂正したものです。古くなっている情報もありますが、記録として掲載することにしました。