万景峰92 (Mangyongbong 92)見学記


 メディアに「万景峰92」なる北朝鮮のフェリーの名前が盛んに登場するようになったのは、2002年10月あたりから

だったろうか。アジア競技大会に美女応援団を乗せて韓国の釜山(プサン)・多大浦(タデポ)港にやって来たとき

に韓国のメディアが大きく伝え、韓国KBSに船内を公開した映像が日本のNHKの衛星放送でも流れたものだっ

た。2003年5月以降は爆発的にニュースが増えたが、思えば金正日(キム・ジョンイル)国防委員長が、日本人拉

致疑惑問題について北朝鮮関係者による事件であることを認めて謝罪した日朝首脳会談が開かれたのは、2002

年9月17日のことだった。

年月日 北朝鮮による日本人拉致事件の経緯(概略)
1977年11月 新潟市寄居中学1年生の横田めぐみさん(13)が、新潟市寄居浜で北朝鮮関係者により拉致
1978年7月 中央大学3年生の蓮池薫さん(20)と奥土裕木子さん(22)が、柏崎市の中央海岸で北朝鮮関係者により拉致
1978年8月 曽我ミヨシさん(46)と曽我ひとみさん(19)が、佐渡島で北朝鮮関係者により拉致
1997年3月 「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」が発足
2002年9月 日朝首脳会談
2002年10月 拉致被害者5人が帰国
2004年5月 小泉首相再訪朝
2004年6月 特定船舶入港禁止特別措置法成立
2004年7月 曽我ひとみさんの家族4人が帰国・来日

 しかし2004年に入り、記事は出入港の事実を淡々と伝えるものに変化してきている。例えばこんな感じだ。

万景峰号 新潟西港を出港 次回入港時から安全検査実施 

 北朝鮮の貨客船、万景峰号は30日に新潟市の新潟西港に入港、1日午前10時、北朝鮮の元山港に向け出港
した。次回入港は14日の予定。また、国交省は1日に改正海上人命安全(SOLAS)条約が発効されたのに伴
い、次回入港時以降、船の安全検査「ポート・ステート・コントロール(PSC)」を行う方針を決めた。」(毎日新聞、
2004年7月1日)

 普段ならば読み飛ばしてしまうような記事なのに、「次回入港は14日の予定」の部分に目が止まってしまった。

 「見て来ようか」

そんな好奇心が何故か頭をもたげ、次の瞬間には資料探しを始めていた(困った奴だなぁ)。

 まずは「新潟西港とその周辺の地図」の入手。以前ならば書店で地図を購入するか、公共図書館でコピーしたの

だろうが、今はネットで簡単に入手できる。早速、適当なものを印刷する。次に「万景峰」のキーワードで検索して

写真を何枚か見、どこに、どういう方向で接岸するのかを調べて、地図で適当な撮影場所の当たりをつけた。つい

でに新潟市のウェブ・サイトで新潟の観光案内を参照し、「下町(しもまち)」界隈の情報を集め、印刷した。かくして

新潟に旅立つこととなったのである(ちょっと簡単過ぎない?笑)。

 新潟西港は、信濃川の河口に作られた港で、日本海に近い方から、山ノ下埠頭(新日本海フェリー)、北埠頭、

中央埠頭(万景峰92)、万代島(佐渡汽船)と並んでおり、この間4キロほどある。このうち外船が入る北埠頭、中央

埠頭は、改正SOLAS条約に伴い、2004年7月1日以降フェンスが張り巡らされて一般の立ち入りが出来なくなって

いる。万景峰92が入港するときは、当然警備が厳しいだろうから、初めから中央埠頭に近づくことは諦めて対岸か

ら見ることにし、また入港時(7月14日)ではなく、出港時(15日)の様子を見ることに決めた。


Mangyongbong92

 左に見えるのが、中央埠頭先端部分に接岸している「万景峰92」である。呆気なく見てしまった。写真中央やや右

寄りに佐渡汽船の万代島ターミナルが見え、3隻のジェットフォイル「すいせい」「ぎんが」「つばさ」の姿も見える。ま

た右に見える高層の建物は、新潟コンベンションセンター(朱鷺メッセ)である。もう少し近づいてみよう。

Mangyongbong92

 ここが国際旅客ターミナルのある中央埠頭。ご覧のように万景峰92の煙突と、そこに描かれた「人共旗」(北朝鮮

国旗)が見え、手前で警察が検問しているのが見える。トラブルを避けるのならば、こんな感じで望遠で1枚撮影し

て立ち去るのが賢明。もちろんこの先を歩いて行って、警察官から「職務質問」を受けたり、「所持品検査」をされ

たり、「公務執行妨害罪で逮捕」されたりするのも楽しい経験かもしれないが、お薦めはしない(笑)。もっとも、乗船

者や見送り人、あるいは寄港に抗議している人の姿を見るのが目的ならば、ここを突破する必要がある。

 一時は騒然となっていたところなのだろうが、大変に静かな朝の港であり、入港に反対する右翼団体の街宣車の

姿も見かけなかった。途中、北朝鮮系の施設の前にパトカーが止まっているが、トラブル回避のため無視して通過

しよう。

 万代島の佐渡汽船のターミナルからは、万景峰92の真正面が見える。このターミナルの屋上に登ることが許され

たら面白い写真が撮れるだろうが、部外者は立入禁止。結局、ここから写真を撮るのは難しい。そこで、信濃川を

渡って、対岸に行くことをお薦めしたい(私は初めからその積りだった)。

Mangyongbong92

 2004年3月に開設された「みなとぴあ」(新潟市歴史博物館)の裏手からの眺め。結構良く見えるでしょ?しかし、

もう少し近づきたいもの。そこで「柳島町の路地裏の突き当たりにある駐車場」に行って見ることにする。

Mangyongbong92

 ここまで来ると、「万景峰92」をよく観察することができる。手持ちの資料によると本船は、総トン数9,672gt、全長

162.1m、全幅20.5m。ディーゼル機関2基、2軸、最高速力23ノット。旅客定員220人。建造は清津(造船所名不

明)、船主は元山の朝鮮大進船舶。金日成(キム・イルソン)主席80歳の誕生日を記念して1992年に建造されたも

ので、「万景峰」とは平壤(ピョンヤン)近郊の万景台にある丘の名前とのこと(標高48m)。また建造費用の大半

は、在日朝鮮人の寄付金に拠るものだという。1996年8月には、日本のNGOピースボートが本船を使用して「第19

回ピョンヤンクルーズ」(1996年8月8日‐18日)を実施したことがあり(248名参加)、1997年5月31日には就航5周年

を機に、日朝友好親善のため横浜港に入港したこともあった。

万景峰92新潟港入港回数
  1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年
入港回数

30回

23回

25回

26回

31回

28回

27回

25回

24回

21回

21回

 1965年12月以降、在日朝鮮人の祖国自由往来が日本政府により認められるようになり、1971年8月にそれまで

のソ連船に代わって「万景峰」(1代目)が就航し、新潟―元山(ウォンサン)間を50時間で結んだ。1979年8月には

「三池淵」(Samjiyon)が就航して航海時間を36時間に短縮し、1992年6月から現在の「万景峰92」が就航した。新潟

と元山を約28時間で結んでいる。

 本船に関してはスパイ船であったといった疑惑があるが、今となっては判らない。しかし軍事用ソーナー(探信機)

を装着しているのは事実のようであり、その点だけでも、大変にユニークなフェリーであると言えるだろう。

 ここは地元の人が知る穴場のようで、私が朝7時30分頃に行くと、近所の男性2人が見物していた。ところが私が

カメラを構えて上の写真を撮ると、直ぐに巡視船が移動して来た。向こうもこちらを望遠で撮影していたことだろう。

そうした物々しい警備体制である。

 この「柳島町の路地裏の突き当たりにある駐車場」の先は、新潟造船の工場の敷地になっていて、西港突端の

「入船みなとタワー」まで見物できるところはない。そこで近所の(数少ない)コンビニで朝食のおむすびを調達し

て、「入船みなとタワー」まで歩いて行った。

 「入船みなとタワー」は午前9時に入場でき、無料。管理者は新潟県新潟港湾事務所。ここから信濃川を横断す

る「新潟みなとトンネル」(長さ1,423m)が伸びていて、対岸にも同様の「山の下みなとタワー」がある。しかし至ると

ころに防犯カメラが設置されており、しかも録画している。こうなると、ちょっとした逃亡者、テロリスト気分になる。

天井の火災報知器のようなカメラに一礼して、7階の展望室にエレベータで上がり、新潟仕様の塩辛いおむすびを

食べる。すると柔道の選手のような体格の男性が、「どうも」などと言いながら早速登ってきて、辺りを見渡すフリを

しながら降りて行った。どうやら私服警官のよう。実は無人ではなく、隠れてテレビで見ているらしい(覗き部屋?)。

益々逃亡者、テロリスト気分となってしまう(笑)。

 ところがこの展望室は、眺めは良いもののガラス張りで、写真には不向きとなっている。そこで下りることにする。

実は4階から下は信濃川に面して階段になっているところがあって、ここに立つと、信濃川通過時に良く船が見え

る。そこで、ここから撮影することに決めた。

 午前10時、タグボートが動き出した。どうやら定刻通りの出港らしい(良かった!)。「ボォ〜」と汽笛が聞こえたよ

うな気がした。すると、入り船付け(左舷付け)で接岸していた万景峰92は、河口に向けて後進し、それからゆっくり

と回転し始めた(「柳島町の路地裏の突き当たりにある駐車場」からは全角度から観察できるので、模型を作られ

る方はそちらがお薦め)。

 ところがこのとき、大粒の雨が降り出したのである。しかし私はすかさず携帯用の傘を取り出し、雨には負けなか

った(どんなもんだ!)。すると2機のヘリコプターが、威嚇するように飛んで来たのである(次々に襲いかかる困

難!)。気分は映画のダイ・ハードかランボーか。やっぱり逃亡者かもしれない(笑)。うるさいヘリは撃墜したいとこ

ろだが、生憎武器はなし。絶体絶命、もう無視するしかない。こんな状況の中で、万景峰92が川を下ってくるのを待

っていた。

Mangyongbong92

 ご覧のように目の前を通過。左に見えるのは、新日本海フェリーの「ゆうかり」。万景峰92の甲板には人影が見え

る。報道によると、乗客は220人で雑貨約79トンを積んでいたとのこと。乗客の大部分は修学旅行の朝鮮中高級学

校生の生徒。しかしこういう厳戒体制の下での修学旅行というのは、どんな気分だろうか。

Mangyongbong92

 巡視船が付き添い、一見、大歓迎をしているよう。何から万景峰92を守っているのだろうか。抗議活動家というこ

とだろうか。それとも万景峰92を監視しているのだろうか。その両方だろうか。とにかく、尋常ではない出港風景だ

った。

Mangyongbong92

 あっという間に通過。ハングルの船名が真近に見えて、ゾクゾクした。

Mangyongbong92

 かくしてパレードは終了。見学者は私1人のような感じ。新潟市民は本船には格別の関心はないのかもしれな

い。「誰もいないところで、警備だけは厳重」という印象だけが残ったものだった。ヘリコプターも去って行った。


Mangyongbong92

 最後に、再び中央埠頭に戻って、「ボトナム通り」の由来を紹介して、この「万景峰92見学記」を終わろうと思う。

ご覧のように、案内板は傷つけられており、一部読めないところがある(■で表記)。

Mangyongbong92

ボトナム(柳)通りの由来

 1910年(明治43)年の日韓併合で、日本が朝鮮半島を植民地にした後、朝鮮人が日本内地に渡航してきた。

 第二次世界大戦さなかの1944(昭和19)年になると朝鮮人に対して「国民徴用令」が適用され、強制的に連行さ

れてきた人が多数いた。

 戦後、朝鮮出身者の多くは祖国に帰りたいという強い意志を表していたが、日本と朝鮮民主主義人民共和国と

は国交が途絶えたままで、帰国は実現しなかった。

 1958(昭和33)年、朝鮮民主主義人民共和国は「帰国したい者は受け入れるし、日本に船を向ける用意もある。」

と表明した。

 翌1959(昭和34)年、日本政府は朝鮮民主主義人民共和国への帰国を認め、日本赤十字社と朝鮮民主主義人

民共和国赤十字会との間で、「在日朝鮮人の帰国に関する協定」が成立し、調印された。

 帰国者を送り出す港については、当時反対勢力の妨害が予想される状況の下で引き受ける都市がなかったが、

当時の新潟市長は、戦前から交流があったこと、また、将来の対岸交流の進展を予測して新潟港から帰国者を出

港させることを決断した。

 帰国は1959(昭和34)年12月14日から行われ、一時中断があったものの、1984年(昭和59)年7月25日の第187

次帰国まで、延べ28,409世帯、93,339人が新潟港から帰国した。

 1959(昭和34)年12月の第1次県内帰国者が、在日本朝鮮人総聯合会新潟県本部と新潟県在日朝鮮人帰国協

力会の■力を得て、日朝友好親善のシンボルとして、東港■沿道約2キロメートルにおいて305本のボトナム(柳)

を植栽して寄贈したことから、当時の北村一男新潟県知事が、その行為に■■され、この道を「ポトナム通り」と名

付けた。                                                    2000年6月新潟県

在日朝鮮人の人口数の推移(1904年−1944年)
  人口数   人口数   人口数   人口数   人口数
        1920

30,175

1930

298,091

1940

1,190,444

    1911

2,527

1921

35,876

1931

318,212

1941

1,469,230

    1912

3,171

1922

59,865

1932

390,543

1942

1,625,054

    1913

3,635

1923

80,617

1933

466,217

1943

1,882,456

1904

233

1914

3,542

1924

120,238

1934

537,576

1944

1,936,843

1905

303

1915

3,989

1925

133,710

1935

625,678

   
    1916

5,638

1926

148,503

1936

690,501

   
    1917

14,501

1927

175,911

1937

735,689

   
1908

459

1918

22,262

1928

243,328

1938

799,865

   
1909

790

1919

28,272

1929

276,031

1939

961,591

   

金賛汀『関釜連絡船・海峡を渡った朝鮮人』(朝日新聞、1988年)33頁掲載の表を修正( 内務省警保局等調べ)

 

北朝鮮帰国者数

 

累計

1959

2,942

2,942

1960

49,036

51,978

1961

22,801

74,779

1962

3,497

78,276

1963

2,567

80,843

1964

1,822

82,665

1965

2,255

84,920

1966

1,860

86,780

1967

1,831

88,611

1971

1,358

89,969

1972

1,003

90,972

1973

704

91,676

1974

479

92,155

1975

379

92,534

1976

256

92,790

1977

180

92,970

1978

150

93,120

1979

126

93,246

1980

40

93,286

1981

34

93,320

1982

24

93,344

1983

0

93,344

1984

36

93,380

鄭箕海『帰国船 北朝鮮 凍土への旅立ち』(文春文庫、1997年)34頁掲載の表を修正
(1968年、69年、70年の3年間は中断)


Mangyongbong92

万景峰92

                                                     (2004年7月15日取材)


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07/10/13