流氷砕氷船クルーズ おーろら
砕氷船クルーズ
不況打開の方策として各地で観光振興を図ろうとする動きがある。そうした中で日本でも「クルーズ振興を」という
声も聞かれる。しかしクルーズ船の単なる寄港地に留まっていてはあまり地元にお金は落ちないのが現実だ(港湾
使用料は2万総トン級の船で70万円。クルーズ客の消費額が高いといってもお土産を購入するくらいで、食料や燃
料は出発地で調達するのが一般的。)。そこで、富裕層を対象にした現在の豪華船による「不定期クルーズ」では
なく、「北米型の安価な定期クルーズ」を実施して大量の集客を目指すべきであり、起点港として「日本のフロリダ」
「日本のアラスカ」を実現しようという声もある。
しかしそうは言っても、日本のクルーズ客船会社の中で新たに大型船を調達して大衆的な定期クルーズを実施で
きる余力のあるところはなく、また外国の船社に進出してもらうとしても、マレーシアのStar Cruisesが2001年12月
に日本から事実上撤退したように、日本では「北米型の定期クルーズ」は、事業として成り立ち難いようだ。Star社
は、(安価な)船賃と同額の船内消費をしてもらおうと目論んでいたところ、日本人客はカジノや飲食でそれ程消費
しなかったため、利益が出なかったと聞く(日本人客は「料金全額込み」とのふれ込みを、額面通りに受け取ったら
しい。笑)。
ということで、同じ「船旅」でも「クルーズ船による船旅」は、前途多難と言う他はなく、暗澹たる心境になってしまう
が、実は日本で成功している「定期クルーズ」がある。それがこれから紹介する道東観光開発(株)の運航している
「おーろら」「おーろら2」の姉妹船による網走・知床でのクルーズだ。これは日本で最も成功した「定期クルーズ」の
一例である。
シンポジウム 海から開く北海道・クルーズ振興に向けて(参考資料)
知床観光船(4月―10月)
おーろら2(左)とおーろら(右)
ここは北海道、知床半島にある宇登呂漁港。「砕氷船クルーズ」は冬の間しかできないため、流氷のない期間は
「知床観光船」として活躍している。右が「おーろら」、左が「おーろら2」だ。同型の船であり、全長45.0m、全幅
10.0m、喫水3.7m、総トン数は491G/T(489G/T)、旅客定員は450人の砕氷機能を有するユニークな観光船だ。建
造は、日本鋼管(株)、楢崎造船。
おーろら
こちらが「おーろら」。赤い煙突で、青と赤の塗装が目印だ。観光船としてはなかなか立派な船。1991年1月15日
就航。
おーろら2
こちらは「おーろら2」。煙突が緑で、塗装はご覧のように赤と緑である点が違う。1997年1月20日の就航。
客室(遊歩甲板)
私は「おーろら2」に乗船した。客室はこうした感じで、コーヒーショップはあるが、食堂や宿泊設備はない。客室部
分は2階建てになっており(遊歩甲板と上甲板・係留甲板)、遊覧船としては大型だ。観光バスが早朝から大量の団
体客を送り込み、大変賑わっている(満員)。聞いたことのない方言が飛び交っていた(一体、どこからこんなに沢
山のお客を連れて来たのだろう。)。
出港(宇登呂漁港)
いよいよ出港。コースは知床岬まで行く「知床岬航路」(所要時間3時間45分、運賃6,000円)とカムイワッカの滝の
前で引き返す「硫黄山航路」(所要時間1時間30分、運賃2,700円)の2コースがある。是非とも「知床岬航路」に乗船
したかったが、時間的に無理だったので、今回は「硫黄山航路」だった。右に三角岩、中央にはオロンコ岩が見え
る。三角岩の麓には、「知床旅情 森繁の碑」があった。
ウミネコ
船が動き出すと、観光客の投げる「えびせん」を目当てにウミネコがやってくる。餌をやるのに夢中になる乗船客
も多い。オホーツク海の海の色は「緑がかった黒」であろうか。少なくとも「群青」や「青」ではない。
クンネポール
知床半島の海岸線はご覧のような断崖絶壁が連なり、海上からしか見ることのできない景観が続く。船はかなり
陸地に接近してくれる。大型のクルーズ船ではできないことだろう。
知床半島
知床半島はまだまだ続く。ここからカムチャツカ半島まで千島列島(クリル諸島)が連なっているが、いずれもこう
した感じの断崖絶壁の火山島である。知床半島は、「偶々北海道にくっ付いた島」と見て良いだろう。
ご存知のように所謂「北方領土」を巡ってはロシアと不毛の領土紛争があるため、日本人は未だにこれらの島々
を訪れることが難しく、観光地として認識している人は少ない。私個人としては、北方領土はもとより北海道も、実
はアイヌ民族の土地だったところであり、ここに後から入植した日本人(和人)やロシア人が「固有の領土だ」などと
主張しあっているのは、正に他人の土地を奪い合っているようで見苦しいと思っている。日本の内地はあくまで本
州、四国、九州の3つの島なのだ(そう、沖縄も「日本固有の領土」と呼ぶのは難しい。)。北方民族に返還するの
が筋だろうが、しかしそうした理屈はともかく、早く自由に渡航できる地域にしたいものだ。「千島列島クルーズ」は
多分、面白いクルーズになることだろう。
*日本側の主張は、1951年のサンフランシスコ講和条約第2条で放棄した千島列島に北方四島が含められていなかったこと、1855年の日露和親条約第2条で
国境を択捉島とウルップ島の間に定めたこと、1875年の千島樺太交換条約第2条で千島列島に中に択捉島以南の島を含めなかったこと等を根拠にする。ロシア
(旧ソ連)側の主張は、1945年のヤルタ協定や国連憲章の敵国条項等を根拠に領土問題は解決済みとするものであった。同様の領土紛争は、バルト海の飛地、
「カリーニングラード」を巡ってもある。
カムイワッカの滝
この「硫黄山航路」は、「カムイワッカの滝」の前でUターンとなる。上に道路が見えているが、陸上からこの滝を
見ることは難しい。船でなければ楽しめない景観の一つだ。
知床五湖(三湖)
ということで、簡単に夏の船からの知床観光をご紹介した(簡単過ぎる?)。しかし実を言うと、知床は陸から見た
方が美しいように感じたものだった。海からだと、確かに海からしか見えないものが見えるものの、大部分が断崖
絶壁の崖であり、やや単調な印象は否めなかったからだ。こういうところをハイキングする方が良いと思いません
か。 (取材、2002年9月25日)
網走流氷観光砕氷船(1月―4月)
おーろらターミナル
さて、季節は一気に冬となる(インターネットは便利だね)。ここは網走港第二埠頭にある「おーろらターミナル」。
砕氷船としての実力を発揮する季節をいよいよ迎えた。
ターミナル内部
ターミナルの中。単なる観光船のターミナルというよりは、ちょっとしたフェリー・ターミナルの風情。写真には写っ
ていないが、左手の改札口前には数百人が既に行列を作って乗船を待っていた。白人のバックパッカーの姿を一
人見かけたが、大部分はアジア人だ。ここで「アジア人」というもってまわった言い方をしたのは、乗客の大半が台
湾からの観光客であり(80パーセント以上)、日本語を話す日本人は少数派だったからだ。台湾、香港では「冬の
北海道」が人気らしい。写真の手前にお土産物売り場があり、「おーろら関連商品」が売られている。お奨めは「チ
ョロQ」(消費税込み、1個1,000円)。他にビデオ(3,000円)、絵葉書(500円)がある(2003年2月現在)。
おーろら
しばらくして乗船開始となった。今回はご覧の「おーろら」に乗船した(ラッキー!)。「まずは船全体の写真を撮っ
て」などとやるものだったが、そんな余裕のないくらいの寒さだった。「フード付きの防寒具」、「携帯カイロ」は必須。
右手に見えるギャングウェイから乗船となる。
おーろら2
乗船して甲板に出てみると、後ろに「おーろら2」の姿があった。港内は「蓮葉氷」で覆われている。左に見えるの
が「おーろらターミナル」だ。
いよいよ出港。私はこの写真を見るだけで当時の寒さが蘇ってくる。この時点では甲板に出て写真を撮っている
物好きは私くらいだった。もちろん船内は暖房が効いており、窓越しに遊覧することは可能だが、どうせならば甲板
に出て寒さを体験する方を私はお勧めする(風邪をひかれても責任は負わないが。)。
「流氷クルーズ」の場合、コースは1時間程のコースのみであり、運賃は3,000円。流氷の位置により臨機応変に
コースを変えているようであり、流氷が不幸にしてない場合は、能取岬までの海上遊覧となっている。そう、流氷は
いつもいるとは限らないのであり、風の具合で沖に流れてしまうことがあるのだ。さらに欠航ということもある(因み
に2002年度の就航率は90.1%、流氷体験率は67.0%。)
この日は、前日に流氷本体が残念ながら沖に出てしまい、白い雪原のような海を進むということはできなかった。
しかし、「流氷帯」と呼ばれる氷の帯が多数浮遊しており、何とか砕氷クルーズを楽しむことができた。些か博打的
な側面があるのが、この「砕氷クルーズ」の特徴だ。
客室(遊歩甲板)
船内の様子は、「おーろら2」と殆ど変わらない。しかし夏の知床と違って、乗客の服装が明らかに違う。台湾から
の団体客は皆さん防寒具を用意されていたが、北海道旅行のために特に用意されたのだろうか。とすればかなり
贅沢な海外旅行なのかも知れない。ご覧のように海外からの集客に大成功している「定期クルーズ」である。国際
色が豊かで楽しい。
流氷帯
いよいよ流氷帯が見えてきた。気分は北極、あるいは南極だろうか。しかし網走の緯度は北緯44度であり、それ
程北に位置するわけではない。にも拘らずこうして流氷がやってくるのは、ロシアと中国との国境にあるアムール
川からの大量の淡水が、島と大陸とに囲まれた、言わば「閉じられたオホーツク海」に流れ込むことから、オホーツ
ク海の表層の塩分濃度が外洋に比べて低く、そのため氷結し易いという理由に基づくらしい。考え様に因っては、
居ながらにして「北極・南極クルーズ」が楽しめる便利な土地だとも言える。
航跡
振り返るとこんな具合。こうした航跡は滅多に見られないだろう。ところで余談だが、記念撮影の仕方にも、国民
性があるようだ。日本人の場合は、「ただ無表情に立っているだけ」、あるいは「Vサイン」というのが定番だが、台
湾人の場合は、「実に色々なポーズ」を取る。大陸の中国人も「空に手をかざしたり」と、モデル顔負けの人が少な
くないから、中国系市民一般に見られるものかも知れない。こういう文化比較も面白い。
ウミネコ
氷の上で鳥が羽を休めている光景に出くわした。こういうものを見るためには、多少寒くても、やはり甲板に出て
いなければならない。アザラシやキタキツネはいないかと、キョロキョロしていた。
オオワシ
するとオオワシが姿を現した。日本ではアザラシ程の人気はないが、米国では鷲は大の人気者だ。白熊も出てく
れば楽しいのにね(笑)。
流氷
時折、船がグォンと、つんのめったように前後に揺れる。流氷にぶつかった衝撃だ。それが面白い。甲板から見
ていると、船にぶつかった流氷が捲れあがるように回転しながら、緑がかった海を漂っていった。
流氷
「流氷」と言っても、こんなにデカイ。左端に見えている人と比較してみて欲しい。因みに「おーろら」の最大砕氷能
力は、厚さ約80cmとのこと。人が歩ける流氷の厚さは8cm以上とのことだ。歩いてみます?
おーろら2
姉妹船「おーろら2」が、満員の乗客を乗せてやって来た。氷の海を進む「おーろら2」は、どこか誇らしげだった。
船客のカメラのフラッシュが光る。
網走港
中央右寄りに見えるのは、烏帽子岩。この奥が網走港であり、その背後に網走の市街地が広がっていた。写真
の右手の方向に「オホーツク水族館」というユニークな水族館があったが、このとき既に閉鎖されていた。網走刑
務所は手前に見える丘の向うにある。
さて1時間の砕氷船クルーズ、いかがでした。面白いでしょ?
このクルーズ、1月から4月までの3ヶ月間で17万人以上の乗客を集めており(2002年度)、日本のクルーズ船が5
隻束になってもかなわない程の集客力を誇っている(因みに2001年度の日本船のクルーズ人口は10万人程。外国
船を含めても20万人程に過ぎないのが実情だ。この数字にはバルト海のフェリー客も含まれており、年々減少して
いる。)。
かくして「おーろら」によるクルーズは、日本で最も成功した「定期クルーズ」の一例だと言うことができるのではな
いだろうか。海外からの集客にも成功している。網走は既に「日本のバンクーバー」なのかも知れない。今後の発
展に期待したいものだ。
網走(付録)
博物館網走監獄・正門(復元)
折角、網走に来たのだから、有名な刑務所を見学しておこう。実は刑務所は1985年に近代的な鉄筋コンクリート
建ての舎房に建て替えられており、かっての設備は「博物館網走監獄」という天都山の山麓にあるテーマ・パーク
に移築、あるいは復元されている。従って、以前のように本物の刑務所の前で観光客がひしめくという光景は見ら
れなくなった。この正門はそのテーマ・パーク内に復元されたもの。本物とはどこか違う感じだが、かっては観光客
が門から中を覗こうとして、よく刑務官に注意されたものだった。
五翼放射状平屋舎房内部(移築)
正に刑務所の心臓部。1912年に建造され1984年まで使われた舎房を移築・復元した。こうして冬に訪れると、こ
この刑務所の感じがよく理解できる。当初は重罪人、戦前は治安維持法違反の政治犯などが収容された。因み
に現在の刑務所は暖房の設備が整い、冬は暖かいらしい。実は受刑者の間では、寒冷地にある刑務所の方が暖
房の設備が整っているので、南にある刑務所よりは人気があると聞く(もっとも希望通りの刑務所に収監されるわ
けではないが。)。
護送中の囚人
網走は刑務所によって栄えた町であった。辺境の地を開拓する際に、まず刑務所を造り、それを目標に内陸部
の開拓をするという方法は、ロシアがシベリアで、あるいは英国がオーストラリア等で採った遣り方であり、日本は
それを参考にしたらしい。網走から旭川までの陸路(北見峠経由ルート)はここの囚人達によって建設された。あま
り語られない、「もう一つの北海道開拓物語」である。
それにしても刑務所を観光施設に、それもテーマ・パークにしてしまうという発想は凄い。どうやら網走は完全に
国際的な観光都市に脱皮しているらしい。 (取材、2003年2月1日)
天都山から見た網走市
おーろら
流れている曲の著作権は、Classic MIDI Room に属します。
04/03/15