クルーズ客船概観


 このページでは、Douglas Ward, Complete Guide to Cruising & Cruise Ships 2001 (2000) から、クルーズ業界全

体を概観している部分をご紹介します。クルーズ船は観光船という性格からか、その紹介といっても一般に宣伝臭

いものであり、客観的に概説しているような文献が殆どないのが実情ですが、Douglas Wardさんのガイドは比較的

入手しやすく、率直にクルーズ船を語っているので信頼に足るものと言えます。毎年改訂版が刊行されているもの

なので、最新の情報は最新版をご覧下さい(例年9月に発行。以下は、2000年6月現在の情報です。)。なお、2003

年版は「Ocean Cruising & Cruise Ships 2003」という題名になり、大幅に増補されています。冒頭に増補された部

分を付け加えました。

cover

Douglas Ward, Ocean Cruising & Cruise Ships 2003 (2002)


 1885年、Shetland Journalの創刊号に面白い広告が掲載された。表題には「旅行者の皆さんへ」とあり、スコット

ランドのストームネスからアイスランドとフェロー諸島を周る想像上のクルーズが提案されており、冬にスペインの

陽光の下でクルーズを楽しむことが暗示されていた。この雑誌の創刊者Arthur Andersonは、このことからクルー

ズの概念の発明者であると言われている。ちょうど2年後、Andersonは共同経営者のBrodie Wilcoxと共に、偉大な

るPeninsular Steam Navigation Company(後のP&O)を設立した。

 そのすぐ後の1840年7月4日に、Samuel Cunardは、蒸気船のBritanniaを使って世界で最も危険な海である北大

西洋を横切るリバプール、ハリファックス間の大西洋横断航海を開始した。それから毎年Cunardの船舶は、新旧

両世界間を結ぶ大陸間定期運航をした。

 レジャーのための航海はすぐに始まった。William Makepeace ThackerayやCharles Dickensのような作家が航海

を楽しむために乗船して観光事業を思いつき、この考えを広く推し進めた。確かに1842年にCunardの船に乗船し

て大陸間を横断したDickensの書いたものや、当時のP&Oの船でコーンヒルからカイロまで乗船したThackerayによ

る1844年の伝説的な航海の記録は、面白い読み物である。1843年にロンドンから黒海に旅したP&OのTagusは、

1869年に出版されたMark Twainの「The Innocents Abroad」の舞台であった。

 1920年代には、クルーズは世界で最もよく行われているものとなった。とても贅沢なやり方は上流階級のものとさ

れ、そしてそれは未だにクルーズの概念の底辺に横たわっているものである。船はどこからでもどこへでも連れて

いってくれ、食事を提供し、部屋を提供し、リラックスさせ、楽しませてくれた。また、召使に食事の用意をさせたけ

れば、もちろん同行したのだった。


最初の大酒飲みクルーズ

 米国人向けのクルーズは、1930年代の禁酒法に多いに助けられた。数マイルも沖に出れば、思う存分酒を飲む

ことができたからだ。ニューヨークから出ていた3日から4日間の安価な「大酒飲みクルーズ」は、「ジンで浴槽を満

たす」には好都合だった。その後、アルコールばかりではなく、目的地のある短距離クルーズが始まった。短距離

クルーズは、当時の汽船会社の主たる収入源の一つとなっていった。

 1930年代、英国、フランス、ドイツ、米国は、空前絶後の豪華で優雅で魅力的で快適な定期船を建造し、世界の

巨大クルーズ会社間の戦いは熾烈を極めた。それぞれの国は最も大きく、そして最高の船を生み出すために競争

した。当時、品質はどういう訳か煙突と関係があった。つまり船はより良い煙突を持つようになっていったのだっ

た。速力は、とりわけ大陸間では常に品質の要素であり続けたが、今や国家の威信をかけたものになっていった。

 第二次世界大戦後、米国からのクルーズに特化して設計された最初の船は、Ocean Monarch(Furness Withy &

Company Ltd)であり、米国意匠協会(US Academy of Designing)から「傑出した美しさと非凡なクルーズ船の意

匠」として金賞を受けたものである。1951年には、ニューヨークからバミューダに処女航海が行われた。私は短期

間、その船に乗船して働いていたことがある。

 全時代を通じて最も有名なクルーズ定期船の一つは、CunardのCaronia(34,183トン)であり、1948年に就航し

た。この船は夏季の繁忙期にのみ大陸間での運航に従事するために設計・建造されたもので、残りの季節は長距

離の高価なクルーズをして過ごした。前例の無い特徴の一つが、1本の巨大なマストと、当時最大の1本の煙突で

あった。船体は4種の緑色に塗装され、恐らくは断熱効果と識別を容易にするためであった。「緑色の女神(Green

Goddess)」として知られ、全ての船室に隣接した浴室を設けて本物の贅沢を提供した最初の船であった。


現代のクルーズの誕生

 1958年6月、大西洋間に最初の商用ジェット旅客機が飛び、それを契機に永久に大陸間の旅行業のあり方が変

わってしまった。それは北大西洋を空路よりも海路で行く乗客が多かった最後の年でもあった。1960年代の初期、

旅客海運業界の名簿には、100社を超える客船会社が掲載されていたものだった。1960年代中葉、大西洋横断は

航空機よりも船で行く方が安かったが、ジェット機の登場で急速に変わり、とりわけ1970年代のジャンボ・ジェットの

導入で変わった。1962年には100万人以上の人が北大西洋を船で横断したものだが、1970年にはその人数が25

万人にまで落ち込んだのだった。

 ジャンボ・ジェットの成功により、赤字垂れ流しで仕事のなくなった定期客船は、スクラップの山となる運命となっ

た。毎週大陸間を定期運航して知られていたあの有名で大きな「Queens」でさえ危険な状態となり、Cunard White

Star LineのQueen Mary(80,774トン)は、1967年9月に引退した。姉妹船のQueen Elizabeth(83,673トン)は、1996

年まで世界で一番大きな旅客定期船だったが、1968年10月に最終横断航海をしたのだった(私はこの偉大な船の

最後の航海に乗組んでいた。)。

 大陸横断の海運会社は老朽船を使う新たな道を模索していたが、ジェット機の急速な成長の中で生き残ったも

のは殆どなかった。船舶は売却されてバラバラにされた。多くの客船会社は倒産し、船はスクラップとなった。生き

残ったものは、大陸横断と共に陽光を求めて南に航海をすることを試みたものだった。そうした中で、カリブ海(バ

ハマを含む)は、脚光を浴びるようになり、クルーズがその代用として行われるようになった。そしてクルーズ専用

の新船を保有する全く新しい産業が生まれたのだった。

 その後、開発中だったカリブ海(当時、カリブ海に行く観光客のための商用航空会社はなく、ホテルも殆どなかっ

た)の島嶼の小さな港湾で使用できるより小型で専用に作られた船が現れ、同一の等級で十分な数の乗客を輸送

するために建造された。

 南部から例えばニューヨークのような北部の港湾に長距離のクルーズをするのとは対照的に、会社はフロリダに

本店を置いた。このことは、冷涼な気候や荒れた海、北部の港湾を使用することによる出費を避けたばかりではな

く、カリブ海への短距離運航で燃費を節約するものでもあった。クルーズは復活したのだった。カリフォルニアはメ

キシカン・リビエラへのクルーズの本拠地となり、カナダ西海岸のバンクーバーは、アラスカへの夏季クルーズの中

心地となった。

 港湾で乗船するため飛行機で来る客は、当然のことながらその次の段階であった。すぐにクルーズ客船会社と

航空会社とが提携して事業を始めた。「空路(エアー)・海路(シー)」や「航海(セイル)と滞在(ステイ)」のパッケー

ジ旅行(クルーズとホテル滞在を料金に含めたもの)は成長した。クルーズは旅行業の一部となり、船とホテルが

快適さと安らぎを提供し、飛行機が短時間のアクセスを可能にした。老朽船の何隻かが、現れ始めたクルーズ客

船会社に買われて温暖な気候の下でクルーズ運航をすべく改装され、しばしば内部も改装され修復された。かくし

て1970年代の終わりには、クルーズ産業は急成長した。


今日のクルーズ

 今日のクルーズの概念は、進歩し洗練され拡大し、消費し易いようにパッケージにされるようになったとはいえ、

初期の頃とそれほど変わってはいない。もはや裕福な引退した人達の領域なのではなく、今日のクルーズ産業

は、明るく活き活きとしたあらゆる年代の、あらゆる社会経済的環境にある乗客を扱っている。クルーズはもはや

海運業なのではなく、接客業(hospitality industry)なのだ(もっともあるクルーズ船の乗組員は、敵対的産業

(hostility industry)で働いていると思っているようだが…。)。

 新船は過去のものに比べ一般に大型化している。しかし船室の広さは、劇場や公室の空間に取られて、「標準的

なもの」となってしまっている。今日の船は、温度を保ち湿気を除去するエアコン、船を水平に保つスタビライザー、

保守・安全性・衛生の高い水準、そして健康がより強調され、フィットネス設備などを自慢としている。

 クルーズ船の意匠は、以前の伝統的・古典的な丸みのある輪郭から、今日では四角に切り落とされた艫を持つ、

極端に箱型の形状となり、上部構造がそびえたっている。船舶愛好家はこうした意匠の変化を嘆いてはいるが、

出来るだけ空間を作り出すためにそういう結果となってしまったのだ(見た目は美的ではないとしても、丸いものよ

りは四角いものの方に多くのものを詰め込むことができるということ。)。後述の機能から、船は海の輸送機関では

なく、洋上の休暇を過ごすリゾートに変化してしまっている。

Grand Princess

 船は長らく、快適に食事や安らぎを与えてきたが(「ゆっくり旅をすれば早くのんびり出来る」という格言を広げて

きた)、今日の船は以前と比べて、より活動的で、より教育的で、人生を豊かにするものとなっている。そしてクルー

ズで行けるところが増えている。南極からアカプルコ、バミューダからベルゲン、ダカールからドミニカ、上海からセ

ント・トーマス島、あるいはお好みならばどこへでも行けるのである。

 クルーズ産業は世界で150億ドルの事業となっており、成長している。多くの雇用を直接的に産み出し(船上には

上級船員、職員、下級船員が6万人以上おり、クルーズ客船会社の事務所には約1万5000人の従業員がいる。)、

間接的にも産み出している(食料品や機械、電器部品の納入業者、港湾の代理店、運輸会社、目的地、航空会

社、鉄道会社、ホテル、レンタカー業者など。)。

 1999年には、世界で900万人以上の人がクルーズやパッケージ旅行に出かけ、クルーズはクルーズ客船会社に

より旅行業者を通じて販売された。最も最近(1999年)の外航クルーズに参加した国別の乗客の統計は、以下の

通りとなっている(数字はMaritime Evaluations Groupの調べによる。)。

 米国:6,250,000人/英国:746,000人/アジア(日本を除く):800,000人/ドイツ:283,000人/カナダ:250,000人/イタリ

ア:250,000人/オーストラリア:250,000人/日本:200,000人/フランス:223,000人/他のヨーロッパ:120,000人/キプロ

ス:75,000人/貨物船の旅行者:3,000人/合計:9,400,000人。


現代のクルーズ船の建造

 他のタイプの船以上に、クルーズ船は、おとぎの国のような異国風の想像力で満たされるようなものでなければ

ならない。こうした空想を海事法令や安全規制に反することなく鋼を曲げて船にするのが、造船所の仕事である。

予算の範囲でなければならないことは、言うまでもない。

 完璧なクルーズ船というものは存在しないが、船主の夢や概念を、船というものに具体化するのが、コンサルタン

ト、インテリア・デザイナー、多くの専門の納入業者と共に、造船技士や造船所の仕事である。船側の経営陣や運

航部の職員は、現実よりも理想を追うデザイナーにしばしばイライラさせられるものだが、コンピュータはこうした複

雑な手続きを単純にした。船舶というものは、理想と、空間や財政との妥協の産物であり、それは船の特別の区画

やサービスの状態を考慮することで解決されている。

 かって船は竜骨(キール)を横たえる巨大な造船台で建造されてきたものだった。今日、船は巨大なブロック毎に

建造され、その後、結合させることにより組み立てられる(大型船では50以上のブロックからなる。)。このブロック

は造船所で建造されないこともあるが、組み立ては造船所で行われている。

 以前は、旅客の空間は、船体の空いたところに押し込められてきたものだった。今日では、コンピュータが船の

設計では大きな役割を果たしており、1950年代には4年や5年かかっていた新船の建造を、2年で行うことを可能に

している。

 客室や娯楽区画の騒音や振動の最大水準は、船主と造船所のと間の契約で定められている。船を建造し進水

してから、所定の計器を用いて振動試験が行われる。これにより騒音や振動の原因、すなわち船のプロペラや主

機関を分析することになる。

 今日、便所や配管工事が終った浴室の付いたプレハブ式の船室は、使用されている。甲板の主要な鉄骨が部

品を取りつけて準備ができると、船室の部分が甲板に取り付けられていき、動力や配管設備が連結される。すべ

てのくずと力が連結され、お湯と水のバルブが一つになって浴室の洗い場が整えられ、やがて船室は外の廊下か

ら保守点検のために入って行けるようになる。


クルーズの明日

 船の意匠については、今日、次の二つの道があるものと考えられている。すなわち大型船と小型船だ。

 大型船は、「割合の経済性」から、運航事業者は乗客一人当たりの費用を引き下げることができる。3社

(Carnival Criuse Lines、Princess Cruises、Royal Caribbean International)が、「大きいことは良いことだ」という原

則を追求して、10万トンを超え、3000人以上の乗客を収容する船を保有している。しかしこれらの船は、パナマ運

河を通過するには幅があり過ぎ(非パナマックス型)、カリブ海に限定されている。

 小型船は、「小さいことは高級だ」という概念を確固とした立場とし、とりわけ豪華な範疇に属する。クルーズ客船

会社は、収容人員を押さえて各人に高い品質のサービスを提供できる高級品質の船を提供している。

 その他のクルーズ客船会社には、その保有船舶を「延長」して拡大したところがある。これは文字通り船を真っ二

つにして、新たに組み立てた中間部を挿入して成し遂げたものであり、喫水は同じままで客室や公室を加え、即席

に収容人員を増やしたものである。「延長」船には次のものがある。Black Watch (旧Royal Viking Star)、

Carousel (旧Nordic Prince)、Costa Classica、Hyundai Kumgang (旧Royal Viking Sky)、Norwegian Dream (旧

Dreamward)、Norwegian Majesty (旧Royal Majesty)、Norwegian Star (旧Royal Viking Sea)、Norwegian Wind

(旧Wibdward)、Sundream (旧Song of Norway)、そしてWesterdam(旧Homeric)だ。

 将来のクルーズ船の意匠の進む道が何であれ、船はますます環境に優しいものになっていくだろう。アラスカや

南太平洋のような環境問題に敏感な地域では、とりわけ懸念が増大しており、環境汚染をしないような船が建造さ

れている。

 クルーズ産業は早くから「廃棄物ゼロ」に取り組んできた。すなわちいかなるときも世界の海で何も廃棄しないと

いうことである。老朽船は時代遅れの設備のために廃棄物ゼロを達成することは難しいが、最新の船では達成は

容易な目標だろう。


(詳細情報)

大手クルーズ客船会社紹介

クルーズ客船40年史(1960年‐1979年)

クルーズ客船40年史(1980年‐1989年)

クルーズ客船40年史(1990年‐2002年)


(参考)

クルーズ船ブルース:クルーズ産業の裏側


From Douglas Ward, Berlitz Complete Guide to Cruising & Cruise Ships 2001 (2000)

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04/03/16