ヨーロッパのフェリー概観
このページでは、ヨーロッパのフェリー事情を概観します。テキストとしたのは、私も編集に協力している、
ferryguide2002 (2002)です。このガイドは、フェリー・クルーズ船業界の内部で配布されているものであり非売品で
すが、要領良く全世界のフェリー業界の動向が纏っていて極めて有用なものです。なお、以下はそのガイドの完全
な翻訳ではなく、読みやすくするために私なりに構成を変えている個所があります。
ヨーロッパのフェリー
ヨーロッパの中で、ギリシャはこれまで北ヨーロッパの中古船が送られるところとされてきたが、中古船を40年間
も持たせていることから優れていると思われてきたギリシャ人に対する信頼は、2000年の9月26日のExpress
Saminaの事故で失われることとなった。実は規律は緩み統制が全く取れていないことが判明したのだった。会社
の役員は解任され、経営者は訴追された。一方でこの出来事は、ギリシャの老朽船の処理を加速させることともな
った。
現在のヨーロッパのフェリー産業に起こっていることを表すキーワードが、「戦略的連携と合併」である。これまで
しばしばP&Oが口にしてきた言葉だ。言い古された表現だが、免税販売の廃止と口蹄疫の中で、拡大路線と悪天
候の現状に満足している会社に大別される。その間にあって、上手く行っている会社が、Irish Ferries、Tallink、
SeaFrance、NorseMerchant Ferries、Norfolkline、Brittany Ferries、Corsica Ferries、SNCMである。いずれも新船
を投入している会社であり、北ヨーロッパの会社である。南ヨーロッパに目を転じると、Anek、Superfast Ferries、
Moby Line、Blue Star Ferries、Grimaldi、Transmediterrane、NEL lines、Minoan Lines、Euroferrysといった会社が
挙げられる。しかし一社で市場を席巻できるところは殆どなく、漠然と余剰船と思われる船を、むやみに廃棄しよう
としているようでもある。
Pride of Rotterdam (P&O North Sea Ferries)
黄昏の時代だったにせよ、南ヨーロッパに中古船を送っていた栄光の時代とは対照的に、南ヨーロッパの
Superfast Ferriesは北のバルト海に進出し、競合他社の雑多な反発を招いている。2001年のSuperfastのロストク
(ドイツ)―ハンコ(フィンランド)航路は、ロストクとスウェーデンを結ぶ航路に引き続くものだった。批評家は、いず
れの運航もうまく行くハズがないとか、高速船で長距離を結ぶことによる燃費が重要な問題になると批判している。
ギリシャ人船員にもバルト海の船員並みの賃金を出せという組合の圧力に屈したこの会社が、寒くて吹きさらしの
北への進出で利益を伸ばすことは殆どないだろう。長い歴史を持つバルト海のフェリー会社にとって、新たな赤字
船は栄光の貨物船でしかなく、「洋上のディスコ」という言葉は、将来のトラブルや合併の匂いを漂わすものとして
聞こえてくるのだ。中部バルト海への戦略変更は、Superfastにとって恥をかかす以上のものとなることが、やがて
分かることだろう。
かなり前のことだが、1976年にフィンランドのWartsilaが、33,000総トンのガスタービン・フェリーFinnjetを完成させ
た。その速力は30.5ノットであり、ヘルシンキとTravemunde間の所要時間を殆ど半減させるものだった。他のフェリ
ー会社の中には、ドーバーとブーローニュの間に新航路を開設し、1967年建造の6,280総トンのLionで証明してみ
せたNormandy Ferriesのように、ゆったりとした速力を推進するものもあった。
しかしバルト海は常に安全性や効率的なフェリー運航の面で、世界の他の地域の模範者であり続けてきた訳で
はなかった。Viking Lineの前身、Vikinglinjen ABと呼ばれた会社がフィンランド本土と、オーランド諸島やスウェーデ
ンとを旅客船で初めて結んだのは、1959年の晩春のことだった。最初のバルト海の旅客カーフェリーであるViking
は、オーランドの船長Gunnar Eklundにより初めて紹介されたものだった。このVikingは既に船齢35年であり、
Southern Railway's Dinardで使われていた船だった。1959年から1970年までViking Lineで使用され、合わせて46年
間も運航に供された。Vikingは1,766総トン、全長99m、全幅13.2mで900人の旅客と、85台の乗用車を積載できるも
のだった。
英国がバルト海のフェリー会社にRORO船の概念について多くを教えてきたということには異論があり、そうした
考えに多くの者が反対してきたが、その基本方針は知的なものとは言えないものだった。
討論をするまでもなく、スカンジナビア人は英国市場において1974年のOlau Line、1981年のSally Lineで、バルト
海流の良質で快適な、そして食事を自慢としてきたことは確かだ。この両社がもはや現存しないことの影響は少し
もない。時代は変わり、両社の激しい競争に別れを告げ、船員の人件費が高騰し、海峡トンネルが出来て白の船
体と赤の船体を海峡で見掛けることがなくなったとしても、その伝統は汽笛を轟かす現存のフェリー会社の中に活
き続けているからだ。
Olau Britannia (Olau Line)
(詳細情報)
04/03/09