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「海と空」と「世界の船」

 1932年創刊の雑誌に、「海軍雑誌 海と空」(海と空社)というものがありました。この雑誌は、海事雑誌というよりは、むしろ海軍 ファンの少年向けの海軍雑誌だったようで、現在でも偶に古書店で見かけることがあります。戦局の悪化した1945年2月を最後に事実上休 刊し、11年後の1956年に復刊して、10年ほど続いたようです。
 一方、朝日新聞社は、1960年代から1970年代にかけて「世界の船」という年鑑を発行しており、「乗り物シリーズ」と称して、「世 界の自動車」「世界の翼」「世界の鉄道」という同種の年鑑も出していました。
 ここでは、その「海と空」と「世界の船」から、旅客船を中心とする商船のファン向けに特集をした2冊を紹介します。

「海と空 日本商船号(第15巻復刊第1号)」(海と空社、1956年、特価180円、地方売価185円)

「海と空 日本商船号(第15巻復刊第1号)」(海と空社、1956年、特価180円、地方売価185円)

「海と空 日本商船号(第15巻復刊第1号)」(海と空社、1956年、特価180円、地方売価185円)

表紙 飯野海運・泰邦丸
扉  関西汽船・るり丸
貨客船
・ぶらじる丸
・あめりか丸
・さんとす丸
貨物船
・ばあじにあ丸
・相模丸
・大安丸
・高忠丸
・すえず丸
・青雲丸
・讃岐丸
・関東丸
・明啓丸
・天栄丸
・らぷらた丸
・ふいりつぴん丸
・木曽春丸
・あさか丸
・穂高山丸
・乾山丸
・浅間丸
・山国丸
・第十一東西丸
・山春丸
・康島丸
・晴海丸
・安国丸
・協徳丸
・多聞丸
・箱根山丸
・明倫山丸
・日隆丸
・熱田丸
・祥川丸
・まにら丸
・春日丸
・中生丸
・日出丸
・安芸丸
・高天丸
・常島丸
・高来丸
・東海丸
・雄光丸
・安土山丸
・栄福丸
・日啓丸
・青島丸
・松盛丸
・第五満鉄丸
・富洋丸
・神路丸
・朝潮丸
・乾洋丸
・彦島丸
・昌和丸
・瑞川丸
・比叡春丸
・広啓丸
・栄山丸
・第八東亜丸
・美代玉丸
・びくとりあ丸
・会津丸
・有田丸
・あすとりあ丸
・第三満鉄丸
・京都丸
・日光丸
・聖山丸
・那岐山丸
・日高丸
・第三真盛丸
・永兼丸
・有明丸
・加茂川丸
・秋葉山丸
・横浜丸
・おりんぴあ丸
・中栄丸
・めきしこ丸
・永安丸
・あまぞん丸
・あらすか丸
油槽船
・神宮丸
・すまとら丸
・第三雄洋丸
・伊勢丸
・秀邦丸
・さんらもん丸
・るそん丸
・御室山丸
・旭栄丸
・高邦丸
・明泰丸
・さんるいす丸
・雄邦丸
・ぺるしあ丸
・洋邦丸
・宝和丸
・光栄丸
・大協丸
・日章丸
・松島丸
機関及び通信装置
・三菱ディーゼル機関
・浦賀ディーセル機関
・三菱ギヤードタービン
・石川島製低圧シリンダー
・石川島蒸汽タービン
・五屯電気ウィンチ
・TF101型気象模写受信装置
・高忠丸レーダー・アンテナ
・インディケーター部
・神川丸レーダー
・佐渡丸無線装置
・ばあじにあ丸無線装置
・山清丸無線装置
・伊勢丸受信機
・太洋フアツクス
・ロラン受信板
・三菱ディーゼル発電機
日本の海運政策(岡田修一)
太平洋の航権(浅尾新甫)
南米航路の今昔(伊藤武雄)
欧洲航路問題(海と空同人)
我が国不定期船の現状と将来(嶋田信吉)
舶用機関の変遷(上)(中西久)
日本の油槽船(編集部)
船舶と電波装置(富永英三郎)
読者の声

 本号については、124ページにTOM(恐らくは富永英三郎氏と思われる)署名の「編集後記」に、復刊の経緯が書かれている ので、少し引用します。

「本号は七月末市販に出す予定であったが、一部重要原稿未着のため二ヶ月遅れて今日に至った。」
「何分にも海と空の最終刊は終戦時の二十年三月であったため十一ヶ年余りの休刊が業界に於ける信用を落としていた結果に外ならないのであ るが、此の間署名人である富永が、八年間のパーヂにあって手も足も出せなかった時代に業界の首脳部も亦一変していた。」
「最終号を回顧して見ると、二十年一月号は工場に於いて出来上がった日に戦禍を受けた。二月号は無事に発売出来たが、三月号は日配に持ち 込んだ日に焼かれてしまった。世に言う二十年三月の東京空襲に災火したのであった。
 四月は続刊の準備に追はれ五月準備成る途端に本社が、空襲せられ資材の全部を戦禍に消されて休刊の止むなきに至った。」
「終戦後責任者のマッカーサー追放によって休刊を続けて来たのであったが、富永追放解除が判ると旧読者の復刊要求は二ヶ月にして三千名を 越した。だが、当時海運造船共に不況時代であり再刊を見合わせていたところに、本年四月復刊要求者七千名に達したので再刊の準備に着手今 日に至った。」(後略)

 掲載されている記事の冒頭部分に、「本稿に関しては三井船舶KKに原稿を依頼してあったのであるが、執筆を断られたので本社同人が稿 を起こす事にした」とか、「本稿は日本油槽船社長松田道世氏に依頼してあったが、締切りに間に合わず、依って同氏著「石油と油槽船」の中 から読者に必要と思われる個所を抜書した」というものが見られ、復刊にはかなり苦労したことが窺えます。
 1956年(昭和31年)は、日本の敗戦の11年後ですが、本号には旅客船の写真は殆どなく、同じような船型の貨物船の不鮮明な写真 が、解説もなく、延々と 掲載されているだけです。その点ではガッカリさせられるのですが(当時、日本に旅客船が全く無かったわけではない)、戦後10年で日本の商船隊がどれだけ復興したのかを目 の当たりにできる点では、興味深いとも言えます。戦前の「海軍雑誌」の「戦後の復刊第一号」が 「商船特集号」というのは、どういう趣旨だったのか、その点については何も書いていませんが、次号は「日本の戦艦号」と予告されていました。
 記事の執筆者は、前運輸省海運局長、日本郵船取締役社長、大阪商船社長、東邦海運取締役社長、日本郵船港務部長、そして編集発行兼印刷 人の富永氏。そうそうたる豪華執筆陣とも言えますが、プロの書き手によるものではないので、社内報のような雰囲気が漂っています。日本郵 船社長(当時)の浅尾氏による「太平洋の航権」は、戦前の日本郵船の簡単な客船史にもなっています。

「世界の船'73 昭和48年版(特集・なつかしい日本の客船)」(朝日新聞社、1973年、定価880円)

「世界の船'73 昭和48年版(特集・なつかしい日本の客船)」(朝日新聞社、1973年、定価880円)

「世界の船'73 昭和48年版(特集・なつかしい日本の客船)」(朝日新聞社、1973年、定価880円)

カラー 世界の客船
・サガフィヨルド(ノルウェー)
・ロイヤル・バイキング・スター(ノルウェー)
・ハンブルク(西ドイツ)
・F・ジェルジンスキー(ソ連)
・大型客船でにぎわう横浜港(表紙)
・エリニス(ギリシャ)
・ロッテルダム(オランダ)
・クングスホルム(スウェーデン)
・キャンベラ(イギリス)
・オロンセイ(イギリス)
・ヒマラヤ(イギリス)
・アーケイディア(イギリス)
・スピリット・オブ・ロンドン(イギリス)
・S・A・パール(南アフリカ)
・クイーン・エリザベス2世(イギリス)
・オリアナ(イギリス)
・ソング・オブ・ノルウェー(ノルウェー)
・ミケランジェロ(イタリア)
・G・マルコーニ(イタリア)
・オーストラリス(ギリシャ)
・スピリット・オブ・ロンドンのインテリア
グラビア なつかしい日本の客船
北米ルート
サンフランシスコ航路
・日本丸、天洋丸、地洋丸、志あとる丸
・春洋丸、さいべりあ丸
・大洋丸
・浅間丸
・龍田丸
・秩父丸、鎌倉丸
・新田丸、八幡丸
・橿原丸
シアトル・タコマ航路
・加賀丸、伊豫丸、安藝丸、丹後丸
・たこま丸、志かご丸
・ぱなま丸、はわい丸
・まにら丸、あらばま丸、ありぞな丸
・氷川丸、日枝丸、平安丸、三池丸
南米ルート
・紀洋丸、安洋丸、笠戸丸
・樂洋丸、墨洋丸、銀洋丸
・さんとす丸、らぷらた丸、もんてびでを丸
・ぶえのすあいれす丸、平洋丸、りおで志”ゃねろ丸
・あるぜんちな丸、ぶら志”る丸
欧州ルート
・土佐丸、常陸丸、丹波丸、阿波丸
・信濃丸、常陸丸(2世)、賀茂丸、平野丸
・三島丸、熱田丸、北野丸、香取丸
・鹿島丸、諏訪丸、伏見丸
・箱根丸、ぱりい丸、榛名丸
・白山丸、宮崎丸
・照國丸、靖國丸
中国ルート
大連航路
・大仁丸、鐡嶺丸、はるびん丸
・ばいかる丸、うらる丸、うすりい丸
・吉林丸、熱河丸、黒龍丸、鴨緑丸
・雲仙丸、筑紫丸
上海航路
・博愛丸
・榊丸、長崎丸、上海丸、神戸丸
天津航路
・芝罘丸、營口丸、大智丸、大信丸
・長沙丸、長城丸、長安丸
青島航路
・天草丸、泰山丸
高雄/広東・基隆/香港・大連/青島航路
・でりい丸、廣東丸、香港丸、大連丸、奉天丸
台湾ルート
基隆航路
・臺南丸、臺中丸、櫻丸
・亞米利加丸、香港丸
・蓬莱丸、扶桑丸、瑞穂丸
・吉野丸、朝日丸
・大和丸、高千穂丸
・高砂丸、富士丸、高雄丸
その他の遠洋ルート
アフリカ航路
・報國丸、愛國丸
南洋航路
・パラオ丸、サイパン丸
サイゴン・バンコク航路
・磐谷丸、西貢丸
ジャワ航路
・日昌丸
豪州航路
・春日丸、日光丸
日本海方面航路
・城津丸、鳳山丸、さいべりあ丸
・永興丸、慶興丸、月山丸、白山丸
・京城丸、馬山丸、木浦丸
カラフト航路
・大禮丸、千歳丸、白龍丸
琉球航路
・筑後川丸、琉球丸、厦門丸
・波上丸、浮島丸、首里丸
国内ルート
別府航路
・鳴門丸
・紫丸、屋島丸、こうせい丸
・紅丸
・緑丸、菫丸
・こ志き丸、こがね丸
・愛媛丸
山陽航路
・音戸丸、早鞆丸、三原丸、浦戸丸、室戸丸
鹿児島航路
・信濃川丸、義州丸
淡路島航路
・天女丸、志ろがね丸
勝浦航路
・那智丸、菊丸、葵丸
大島・下田航路
・橘丸
鉄道連絡船(関釜 青函)
関釜
・壱岐丸、對馬丸
・梅ヶ香丸、新羅丸
・景福丸、徳寿丸
・金剛丸、興安丸
・天山丸、崑崙丸
青函
・比羅夫丸、田村丸
・松前丸
記事
・日本客船の歴史(石渡幸二)
・太平洋戦争と日本の客船(福井静夫)
・船旅の楽しさ(その1~3)
 客船の女王QE2のクルーズ(是則直道)
 88日間世界一周「にっぽん丸」に乗って(菊池由利子)
 長距離フェリー 名古屋から大分へ(本誌編集部)
・クルーズ船のインテリア スピリット・オブ・ロンドン(川崎浩)
資料
・年誌

 本書は朝日新聞社から出ていた「世界の船」の昭和48年版(1973年)です。大量の日本客船の写真が掲載されており、写真・資料提 供者として、野間恒、山田廸生の両氏が名前を連ねています。1991年に出版された野間恒/山田廸生編「日本の客船 1 1868-1945(世界の艦船別冊)」(海人社、1991年)の母体となった本だとも言えるでしょう。今では殆ど見かけなくなったビニール・カバー装丁の本です。
 本書で少し話題になったのは、139頁の興安丸の解説の中で、「その優美なスタイルは、イタリア客船ヴィクトリア(1万3068総t、 1931年建造)をモデルにしたものといわれている」とあった点でした。これについては、古川達郎「鉄道連絡船のその後」(成山堂書店、 2002年)59頁以下で、「金剛丸型の設計者・桧垣定雄氏に会って確かめたところ、氏は即座に否定された」とあります。恐らくは「他人 の空似」だったのでしょう。
 1970年代前半は、所謂「カー・フェリー・ブーム」の時代で、「クルーズ船」もブームになりかけました。そのために、こうした特集が 組まれたものかと推測されます。しかし石油危機(日本では当時「オイル・ショック」と呼ばれた)が勃発してクルーズ船は早々に姿を消して 行き、カー・フェリーも転機を迎えることになったのでした。

Information

 2014年現在、「海と空」は入手が困難になってきていますが、「世界の船」の方は、古書店で比較的容易に見つけることができると思 います。