あぁ郷愁の青函連絡船(SEIKAN RENRAKUSEN ) 
(1908-1988)


 「おまけの青函連絡船のページ」へようこそ。このページでは、かっての青函連絡船を偲びつつ、津軽海峡を旅し

てみたいと思う。

 青函連絡船は、1908年(明治41年)の「比羅夫丸」(4,480 G/T)の就航に始まり、1988年3月13日、青函トンネルの

開通により運航を終了した鉄道連絡船であることは、ご存知のことと思う。しかし青函トンネルの開通により青森、

函館が斜陽化の道を歩み、しかも肝心のトンネルの方も利用者の減少で苦戦しているところをみると、「青函トン

ネル」は実に馬鹿げた公共事業だったのかも知れない。現在では、むしろ青函連絡船は廃止しなければ良かった

という声の方が、地元では強いようだ。

 青函連絡船に乗船する場合は、青森から函館に向かうのが正しい旅の仕方のように思う。そこで私も青森から

函館に向かうコースで、津軽海峡を旅することにした。写真集の一種として気楽に見ていただきたい。


青森(AOMORI)

八甲田丸(HAKKODA MARU)

八甲田丸(HAKKODA MARU)

青森には「八甲田丸」がメモリアルシップとして保存されている。外舷色は黄色。

 

青函連絡船にはこんなマークがついていた。

 

内部は「青函連絡船記念館」として青函連絡船80年の歴史が展示されている。船内はこんな感じだった。

 

大正時代の風俗が再現されている。どんな思いで人々は北海道へ渡って行ったのだろう。

 

寝台室。こういう施設もあった。私は知らなかった。寝心地が良さそうだ。

 

貴賓室。あんまり豪華ではないが、どういう人が利用したのだろう。

 

操舵室(BRIDGE)

 

八甲田丸は新三菱重工業(株)神戸造船所の建造。

 

神棚。代表者が讃岐の金刀比羅宮に参拝していたそうだ。日本船の船橋には必須のものだろう。

 

無線通信室。当時としては最新の設備を備えていた。

 

車輛甲板には国鉄時代の車両が多数保存されている。鉄道ファンは必見だろう。郵便車輛もあった。

 

その下にはエンジンルームがある。まさに船の内臓だ。試運転最高速力は20.93ノット、出力は12,475馬力。

 

八甲田丸の前にある「津軽海峡冬景色 歌謡碑」。石川さゆりさんの歌声が流れていた。しかし「冬景色」ではない

ためか、現地でこの歌を聞くと、どうも現実とは違う感じがした。それに「北へ帰る人の群れは誰も無口で」のくだり

も、ウソではないかと思う。「津軽弁と高笑い」で騒々しかったのでは。北海道の人はあっけらかんとしているし。

 

青函連絡船は、1988年3月13日午後5時5分青森発7便として出港した八甲田丸を最後に、姿を消した。

 


現代の青函連絡船(TODAY'S FERRIES)

ゆにこん(UNICORN)

青函トンネルができても実は連絡船(フェリー)は元気に活躍している。写真は東日本フェリーの「ゆにこん」。

35ノット(時速65キロ)で青森と函館を結ぶ高速船だ(但し2000年10月1日より休航し廃止された)。

 

6号はやぶさ(NO.6 HAYABUSA)

こちらは共栄運輸の貨物フェリー。一般旅客の乗船はできない。

 

びなす(VENUS)

こうした写真を見ると乗ってみたくなるもの。

そこで東日本フェリーの「びなす」に乗って実際に函館に行ってみることにする。

 

これは「車輛甲板」。ちょっぴり珍しい写真かも知れない。

 

一等船室(FIRST CLASS)

一等船室。フェリーといえども侮れない。

 

二等船室(SECOND CLASS)

こちらは二等船室。青森函館間は3時間40分程の船旅なので、二等船室で十分。

 

プロムナードもある。船や海が好きな人ならば、ここが一番お気に入りの場所かも。

 

ゲーム・コーナーや、大浴場も完備している。

 


津軽海峡(TSUGARU STRAIT)

青森港出港。何か明る過ぎて津軽海峡らしくない。確かにそうだ。

 

青森港フェリーターミナル(AOMORI FERRY TERMINAL)

右に見えるのは「青森港フェリーターミナル」。青森駅から車で15分くらい。歩くのはちょっとつらい。

ここから函館までは113キロ程ある。

 

青森(AOMORI)

青森の街が見えてきた。後ろにそびえるのは「八甲田山」。そういう題名の映画があった。

中央の三角の建物は「アスパム」という名の観光物産館だ。

 

びるご(VERGO)

東日本フェリーの「びるご」の姿が見えた。2000年現在、室蘭と青森とを結んでいる。室蘭までは204キロある。

 

フェリーのレストランでの昼食。「とんかつ定食(890円)」。美味だ。

もちろん、ハエもいないし、塩辛くもない。当たり前のことだが。

 

下北半島仏ヶ浦付近。観光遊覧船が佐井村から出ている(佐井定期観光)。断崖絶壁が連続する。

 

やがて陸奥湾を出て、津軽海峡に入る。やはり船は縦に揺れ出す。対馬海峡と同様、厳しいところだ。

 

函館山(MT.HAKODATE)

すると向こうに函館山が見えてきた。

本州と北海道の間に低い雲が垂れ込めていて、それが函館山にもかかっている。

 

函館に近づくと晴れてきた。振りかえるとこんな感じで津軽海峡に雲が垂れ込めていた。

 

函館港(PORT OF HAKODATE)

函館だ。右に見えるのは「函館どっく」。中央に見える船は青函連絡船の「摩周丸」だ。

 

下船となる。函館のフェリーターミナルも青森同様、駅から離れたところにある。昔の方がいいね。

 


函館(HAKODATE)

摩周丸(MASHU MARU)

函館駅前。青函連絡船がここに到着しなくなったためか、活気がないことは否定できないだろう。

しかし新婚旅行で函館を訪れる人が多いのか、やたらとカップルが目に付く。だからそれなりに賑わっている。

 

摩周丸(MASHU MARU)

摩周丸。対岸の八甲田丸と同様に、函館駅の裏に係船されている。しかし、こちらの方は保存状態が悪い。

 

中は「歴史展示室」となっていたが、八甲田丸と違い当時の船室などは保存されていない。

写真は「飾り毛布」。

 

当時の制服も展示されていた。皆さん見覚えがありますか。

 

遊歩甲板。錆びついていて物悲しげだった。

 

摩周丸のマーク。この両脇が出入り口だった。摩周丸の外舷色は、深い青。

 

日没となり旅もそろそろ終りに近づいてきた。でも、さらにおまけして函館の夜景をお見せしよう。

 

実は函館山に登ったものの、雲で何も見えなかった。そこで元町周辺を散策した。これは「ハリストス正教会」。

函館は、横浜、長崎とともに1859年に諸外国に開港した港町だ。

 

こんな洒落たレストラン船もあった(函館ベイクルーズブルームーン)。函館に行かれたときに乗船されてみては。


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01/10/20