東京下町編(DOWNTOWN TOKYO)


浅草 (ASAKUSA)

雷門 (KAMINARI-MON)

 この写真は個人的にはとても気に入っている。「船」のサイトで何で東京下町なんだ、と言われそうだが、全くの個

人的趣味から、このページでは下町を特集しようと思う。ところで「下町」であるが、具体的にどういう街を指すのだ

ろうか。英語でDowntownと書いてみてさらに疑問が深まった。英語の意味では「商業地域」ということになるから、

池袋、新宿、渋谷もDowntownだろう。しかしこれらの街を、「東京の下町」とは通常言わない。また谷中や皇居周

辺が下町のガイドブックに取り上げられていることがあるが、ここを下町というのも考えてみれば変な話しだ。

 私の感覚では江戸情緒の残っている古い町、あるいは上京人ではなく東京人の住んでいる町、といった意味合

いで、「下町」という言葉を使ってみたいと思う。

浅草寺新本堂 (SENSOUJI TEMPLE)

 浅草寺の歴史は628年にまで遡るそうだが、ここの仲見世通りのように毎日お祭りをしているようなところは世界

的にも珍しい。日本を訪れる外国人客が必ず訪れるところのひとつだ。歴史ある天台宗の寺院だが、戦災で殆ど

が焼け落ち、現在目にする建物の大半が再建されたものだ。雷門は1960年に松下幸之助氏の寄進により再建さ

れたもの。この新本堂も、1958年の再建だ。

食いしん坊は「大黒家」の天丼、「釜めし春」の釜飯、「神谷バー」の電気ブランに挑戦すればいいだろう。つい

でに「ロック座会館」や「浅草フランス座」(1999年閉館)を覗いてみるのもいいが、あっ、これは余計なことを書いて

しまいました。


両国 (RYOUGOKU)

JR両国駅中央改札口 (RYOUGOKU STATION)

 中央改札口。ビヤホールになったということだが、まだ確かめていない。すぐ前があの新国技館だ。

回向院 (EKOUIN)

 両国は相撲部屋が集中していて、プラプラ歩いているだけでも楽しい。そうした界隈に回向院がある。ここは明暦

3年(1657年)の振袖火事の焼死者10万8000余人の菩提を弔うために建立された寺で、江戸時代にはここで相撲

が行われていたという。現代的な山門が印象的だ。鼠小僧次郎吉の墓もある。

野見宿禰神社 (NOMINOSHUKUNE SHRINE)

 野見宿禰という相撲の神様を祭る神社。この辺りは相撲にゆかりのあるものが多い。お菓子好きのあなたなら、

「風月庵」の横綱最中、「すもう本舗記念堂」のすもうせんべいはいかがだろうか。

東京都慰霊堂

 ここは1923年の関東大震災の際、3万8千人が亡くなったという旧陸軍被服廠跡だ。その霊を弔うために建立さ

れた。東京の歴史を調べてみると、1590年の徳川家康の江戸入り以来、実に多くの災害に遭い、その都度復興し

て発展してきた街であることがわかる。田山花袋が関東大震災の直後、『東京震災記』(博文館、1924年)という書

物を出版しているが、彼はここでの惨状を目の当たりにして、次のようなことを書き記している。

 「私は安政の地震の時をくり返した。その時にも矢張この川のために遮られて、無数の焼死者を出したのではな

いか。今日と少しも違わない阿鼻叫喚の状態を呈したのではないか。否、そのために、その霊を慰めるために此

処にこの回向院が出来たのではないか。どうしてこう人間は忘れっぽいのだろう?どうしてこう人間はじきに大胆に

なるのだろう?その時のことを考えて、火除地などをもっと十分に整理して置けば、決して今度のようなことはなか

った筈であったのに…。」

 今の東京にもこの言葉はそのまま当てはまることになりそうだ。ここは大地震が歴史的に繰り返されている土地

なのだから、覚悟はしておく必要がある。因みに震災後の復興のことを考えると、21世紀はネットで自由に世界中

と交流できる時代になるのだから、みんなが一箇所に固まって大都市を形成して生活する必要はなく、再び過密都

市を再現することはないのではなかろうか。


深川 (FUKAGAWA)

小名木川より清洲橋を臨む

 ベニスのようだと言えば誉めすぎになってしまうが、この辺りは川が縦横に流れ、水の街といった風情だ。実はこ

の写真の右手に芭蕉庵跡がある。松尾芭蕉はここから『奥の細道』の旅に出たという。近くに芭蕉記念館もある。

北の湖部屋

 小名木川に架かる万年橋を渡ると、北の湖部屋がある。ここを少し行ったところには大鵬部屋もある。

都立清澄庭園

 ここは三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎が1878年に久世大和守屋敷跡を買収して庭園にしたもの。散歩するに

は良いところだ。近くに松平定信の墓がある霊厳寺、阿茶局の墓がある雲光院、深川江戸資料館もある。私と同

じような趣味なのか、私と殆ど同じようなコースで歩いている女性がいて、何となく照れくさかった。

深川不動(成田山不動堂)

 門前仲町にやって来た。深川不動の裏手には高速道路が走り、高層マンションに見下ろされ、神様も落ち着か

ないのではなかろうか。神様にとっても大都会で暮らすのは大変なようだ。毎月28日が縁日。

富岡八幡の横綱力士碑

 深川不動の隣には富岡八幡宮(深川八幡)がある。ここは歴史ある古社で、1833年に回向院が定場所になるま

でここが相撲の定場所だったという。そのためこうした相撲関係の碑がある。こちらは、毎月1日、15日が縁日。


皇居(THE IMPERIAL PALACE)

石橋(眼鏡橋)と伏見櫓 (SITE OF EDO CASTLE)

 ここは江戸城跡でもある皇居だ。日本人はこの橋を見て天皇の住居であると納得してしまうが、欧米人には単な

る橋にしか見えないらしい。1970年に製作された『トラ・トラ・トラ!』という真珠湾攻撃を描いた映画で皇城が出てく

るシーンがあったが、日本側のスタッフが橋の前で撮影したフィルムを送っても、アメリカ側は納得しなかったとい

う。結局、まさにパレスを背景に近衛兵が行進している映像が使われていた。なお、宮内庁のホームページはこち

ら。

桜田二重櫓

 江戸城は太田道灌の築城に始まり、徳川家康の下で壮大な江戸城を完成させたが、明治元年「東京城」と改称

し、さらに翌年「皇城」と改称している。今日の正式名称は「皇居」なのだろうか。それとも「皇城」のままなのだろう

か。ちょっと分からない。江戸城は以前は五層の大天守があったが、1657年の「振袖火事」で焼け落ち、以後天守

がないまま今日に至っている。恐らく名古屋城を一回り大きくしたような天守だったのではないだろうか。

第一生命日比谷本館

 ここはかって「連合国最高司令官総司令部(GHQ)」が置かれたところ。つまり1951年のサンフランシスコ平和条約

によって日本が独立国として国際社会に復帰するまで、日本占領の本拠となっていたところだ。現在でもマッカー

サー元帥の執務室が保存されている。

 皇居の近くには霞ヶ関の官庁街がある。現代の「江戸城」というわけだ。もっとも地方のノンキャリア公務員にとっ

ては殆ど縁のないところでもある。


上野 (UENO)

東京国立博物館本館 (TOKYO NATIONAL MUSEUM)

 上野公園の中心となる建物は、ここ東京国立博物館だろう。国宝85点、重要文化財540点などを所蔵する。

表慶館

 考古品を収蔵展示する表慶館は、切手にもなったことがある美しい建物だ。私はここで初めて「埴輪」や「銅鐸」

を見て、その大きさに驚いたことがある。箪笥並みに大きいものなんだよね。

西郷隆盛銅像(1827年―1877年)

 上野公園はもと東叡山寛永寺の境内だったが、明治維新の戦乱で堂塔の殆どが焼失してしまったという。他に

上野彰義隊墓所などもある。

常廣院殿勅額門

 ということで、東叡山寛永寺に行ってみることにした。ここは国立博物館の裏手にあり、何故かというかやっぱりと

いうか、人気(ひとけ)がない。江戸城の鬼門鎮護のために1625年に建立された。徳川家の墓地もある。

上野東照宮

 こちらは上野動物園の近くにある上野東照宮。ここも都心とは思えぬ静けさ。東京にもこういう風景がある。

旧寛永寺五重塔

 この上野東照宮にある五重塔は、旧寛永寺のもので、1639年に再建されたもの。国の重要文化財。

社殿

 社殿の方は、1651年再建の権現造り。ところで徳川紋である葵紋だが、葵はもともと賀茂神社の神章で、そこの

氏子である松平氏と婚を結んだことから徳川氏は葵紋を用いたという。

台東区立下町風俗資料館

 いわゆる下町ならばこんな感じの駄菓子屋がありそうな感じがするが、現在は博物館の中に保存されている。


谷中 (YANAKA)

東京都谷中霊園

 谷中と言うよりは、日暮里と言った方が場所がすぐ分かるかも知れない。この辺りは寺町になっていて、東京が

城下町であることを実感できる。経王寺の山門には上野戦争(1868年)の際の弾丸が残る。中心となるのが谷中

霊園で、著名人の墓が多い。墓地をうろつくのは変態みたいだが、この墓地では怪しまれないだろう。長谷川一夫

や横山大観らの墓を探してみてはいかがだろうか。かってここには幸田露伴の『五重塔』のモデルとなった天王寺

の五重の塔があったが、放火により焼失し、現在は碑が残るだけだ。

 谷中は関東大震災や東京大空襲の被害を受けなかったところなので、古い家並みが残っている。昔の東京はこ

んな感じの町だったのだろう。写真は加納院脇の築地塀。200年前のものらしい。この界隈を詳しく紹介したら、そ

れだけでウェブ・サイトのひとつが出来てしまうだろう。


柴又 (SHIBAMATA)

京成電鉄柴又駅 (SHIBAMATA STATION)

 やって来ました葛飾柴又。映画『男はつらいよ』で、日本では知らない人は恐らくいない町だろう。この駅も映画で

何度も登場したものだ。ということで柴又は東京の下町の代表みたいにされているが、東京郊外の門前町というの

が正確な描写だと思う。しかし江戸情緒が残っている古い町であるから、私の基準では下町と呼んでいいだろう。

男はつらいよの碑

 柴又帝釈天の参道の入口には、こうした碑が立っている。しかしこれを背に記念撮影するのはちょいと恥ずかし

い。

柴又帝釈天(題経寺)(DAIKEIJI TEMPLE)

 浅草の仲見世通りと似たようなところだが、浅草のように毎日がお祭りというようなところではない。「とらや(くる

まや)」はどこにあるのだろう、とキョロキョロしてしまったのは私だけでないだろう。さくらさんが買い物かごをぶら下

げて現れそうな感じがする。寅さんがいないのが寂しい。

柴又矢切の渡し公園

 映画で必ず登場する江戸川の川べり。ここに来る途中に、「川甚」という川魚料理の店がある。ここはさくらと博の

結婚披露宴が行われたところだ(映画の中で)。この結婚式の場面は何度見ても可笑しい。鼻水たらして爆笑して

しまうこと請合いだ。


芝 (SHIBA)

増上寺三解脱門 (ZOUJOUJI TEMPLE)

 再び都心に戻ってきた。ここは芝の増上寺。増上寺は徳川将軍家の菩提寺で、三解脱門は1605年建立の重要

文化財。江戸時代はこの辺りが海岸線だったという。

本堂と東京タワー

 増上寺境内。本堂は再建されたものだが、東京タワーのある風景とうまく調和している。ところで東京タワー、姿

を見ることはあっても、訪れる機会はあまりないのでは。

 ここの境内ものんびりできる。私は近代的なビル街などはどうも好きにはなれず、気がついたらこうした写真ばか

り撮っている。これまでの写真を見てきて、「東京にもニューヨークのような高層ビル群があることを自慢して欲し

い。」と思われた方がいるかも知れない。そうしたものを誇りに思う感覚というのは分からなくはないが、少し遅れた

感覚のように思う。私の体験ではないが、アフリカのとある国に行ったときにタクシーの運転手さんに街を案内して

もらったところ、高層ビルだの、高速道路だのばかり案内されて閉口したという話がある。


銀座 (GINZA)

和光 (WAKOU)

 和光の時計台は銀座のシンボルだろう。ここは服部時計店、終戦直後は米軍に接収され、Tokyo PX という米軍

関係者向けのデパートだったという。

歌舞伎座 (KABUKI-ZA)

 歌舞伎は敷居が高いが、ここの「四階一幕見席」ならば映画を見るような感じで楽しめるだろう。何故かこの席は

外国人が多い。多分欧米のガイドブックに紹介されているためではないか。

築地本願寺 (TSUKIJI HONGANJI TEMPLE)

 ここが観光地なのかどうかは知らないが、独創的な古代インド風の伽藍が目を引く。1934年の再建。


佃 (TSUKUDA)

佃大橋

 最後に佃の町を取り上げて、この「東京下町」の旅を終わりにしようと思う。佃は今は川向こうの町という風情だ

が、元は「佃島」と呼ばれた島だった。有名な話だが、佃島の人々の祖先は摂津の国佃村(大阪市西淀川区)の

漁師。徳川家康が住吉大社に参拝の途中水が出て困っていたところ、舟を出して救ったことが縁で江戸に移住し、

ここ佃島で漁業の特権を得ていたという。徳川家への白魚献上は佃の漁民の大切な仕事だった。…とうっかり過

去形で書いてしまったが、毎年3月1日に徳川家への献上を続けているという(もっとも近年も献上しているのかは

情報がなくわからないが)。

佃1丁目

 現在は佃大橋、地下鉄有楽町線が走り、「島」ではなくなっている。向こうに旧石川島播磨重工跡地に建つリバー

ポイントタワーが見える。住吉神社はこの先だ。

 銀座から歩いて来れるところにこうした風景がある。東京が港町であることを実感できるだろう。

聖路加タワー、聖路加ガーデンと隅田川

 水上バスが横切って行く。写真はかって外国人居留地だった明石町界隈だ。浜風が吹き渡る。やっぱり海はい

いな。

隅田川と勝鬨橋

 向こうに勝鬨橋が見える。月島でもんじゃ焼きが食べたくなった。江戸文化の母、隅田川を眺めて、「東京下町」

の旅はこれにておしまいとしよう。


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01/01/17