長崎・平戸・門司編(NAGASAKI/HIRADO/MOJI)
長崎(NAGASAKI)
平和祈念像 (THE PEACE STATUE)
港町長崎をどういう写真で紹介しようかと迷った挙句、やはりこの平和祈念像の写真から始めることにした。周
知のことだが、長崎には1945年8月9日午前11時2分に原子爆弾が投下され75,000人もの人が亡くなった。爆心地
はここから数百メートル離れたところだ。実はこの原子爆弾、最初の予定では小倉に投下されるものだったらし
い。しかし小倉の天候が不良だったため、長崎に投下されたという。この近くにある長崎原爆資料館には足を運ぶ
べきだろう。
大浦天主堂 (OOURA CATHRIC CHURCH)
長崎を訪れた場合、南山手の大浦天主堂、グラバー園に向かうのが一般的だと思う。そこで素直に私もそうする
ことにする。この国宝大浦天主堂は、1864年に建てられた日本最古の天主堂だ。正式名称を、日本26聖殉教者天
守堂という。
旧グラバー住宅
英国人の商人トーマス・グラバー氏の旧宅。1863年に建てられた日本最古の洋館で、四葉のクローバーの形をし
ている。
するとこうしたものを見つけてしまうのが、船マニアだ。実はグラバー園から港を見下ろすと、すぐそこに造船所
が見える。早速見てみよう。
三菱重工長崎造船所
これがあの長崎造船所。ここの資料館は是非紹介すべきなのだろうが、あいにく時間がなく訪問できなかった。
「飛鳥」が生まれたところであり、船好きならば一度は訪れたいところだ。
ばるな (VARUNA)
港を見ると、仙台と苫小牧を結んでいた、東日本フェリーの「ばるな」がいた。長崎でお目に掛かるとは意外だっ
た。「ばるな」はギリシャのBlue Star Ferries (Strintzis Lines)に売却され、現在、Blue Horizon という名前で地中海
で活躍している。
ホテルシップ・ヴィクトリア(旧大雪丸) (HOTEL SHIP VICTORIA/ Former TAISETSU MARU)
かっての青函連絡船もいた。大雪丸には乗ったことがある。懐かしい。現在は「ヴィクトリア号」という海上ホテル
になっている。
花月 (KAGETSU - a kind of "RYOUTEI")
長崎には旨いものが多いが、皆さんだったら何を召し上がるのだろうか。私は思い切ってここ花月で卓袱料理に
挑戦してみることをお奨めする。花月は、かっての丸山遊廓で坂本龍馬などが遊んだ遊女屋だったという(具体的
に何をして遊んだのかは知らないが)。福澤諭吉は来たことがあるのだろうか。すこし心配になってきた。
花御膳 (SHIPPOKU RYOURI)
しかし旅行者にとって、本格的な卓袱料理に挑戦するのは荷が重い。そうした人のために卓袱料理を簡略にした
お弁当がある(要予約)。ここの女将に、「まず男性の方に乾杯をしていただいてから、召し上がっていただくことに
なっています。ではどうぞ。」などと言われ、完全に遊ばれてしまった。私は料亭で遊ぶのには30年は早いのだろ
う。しかし楽しかったなぁ。
ぜんざい (ZENZAI)
デザートにはぜんざいが付く。長崎では砂糖をつかった料理が高級料理とされてきたそうで、甘い料理が多い。
また沖縄のラフテーに似た豚の角煮があり、中国の影響を強く受けていることは確かなようだ。
龍の間
食事の後、店の中を案内して頂く。ここが龍の間。床柱に坂本龍馬の刀傷がある。この日、これから、ある芸者さ
んの誕生会がここであり、長崎中の芸者が集まるとのことだった。ちょっと覗いてみたかった。
祟福寺第一峰門 (SOUFUKUJI INNER GATE)
寺町をぶらつく。色々紹介したいが、全部紹介すると何のページか分からなくなるので、1696年頃建てられた国
宝の二の門だけを紹介するにとどめようと思う。浦上の平和公園で見かけた白人女性が、ここを訪れていた。
光永寺 (KOUEIJI TEMPLE)
この光永寺はガイドブックでは殆ど無視されているが、実は福澤諭吉が長崎遊学中に居候していたところだ。母
校の創立者に敬意を示して、ここに取り上げようと思う。残念なことに江戸期の本堂は原爆で大破し、現在の建物
はその後再建されたもの。1854年、当時19歳の諭吉はここで蘭学学習の第一歩を踏み出した。
眼鏡橋 (MEGANE BASHI/SPECTACLES BRIDGE)
光永寺の前には中島川が流れており、13の石橋が架かっている、眼鏡橋は1634年に架設された日本最古の石
造アーチ橋で、江戸の日本橋、岩国の錦帯橋とならんで日本三名橋と呼ばれた。しかし1982年の長崎大水害で半
壊してしまい、現在のものは復元されたものだ。中島川の水量が少ないので、眼鏡というには苦しい。
出島和蘭商館跡 (DEJIMA DUTCH TRADING POST)
長い鎖国時代、ここ長崎の出島だけが西洋文化の窓口であった。インターネットで世界中にクリック1つでアクセ
スできる今日では考えられないことだが、つい百数十年前まではそうした時代だった。日本とオランダとは鎖国時
代を通じて付き合いのあった友好国だったが、第二次世界大戦中、日本兵がオランダ兵を虐待したことから、オラ
ンダでは日本人の評判は現在でも余り良くない。こうした事情を知らずに、オランダに憧れている若い女性もいる
かも知れないが、自国の歴史はやはり知っておく必要はあると思う。
日本26聖人殉教地 (SITE OF MARTYROOM OF THE 26 SAINTS OF JAPAN)
ここは豊臣秀吉によるキリシタン禁令により20人の日本人と6人の外国人が十字架に架けられて処刑されたとこ
ろ。…と書いてくると何だか話が暗く重たくなってくる。確かにこうした歴史を有する街ではあるが、しかし実際に長
崎を訪れたことのある方ならば、この街が暗く沈んだ街ではないことはご存知だと思う。日本地図で見れば西のは
ずれにある港町なのに、不思議に暗くない。これはどうしてだろうか。きっと大昔から中国や西洋の文化がこの街
を通じて日本に入りこんできたせいかも知れない。また開放的な市民性も影響しているのかも。
平戸(HIRADO)
海王 (KAIOU)
長崎で鎖国の歴史を勉強してしまうと、平戸に行きたくなってしまう。平戸は九州にある町ではなく、実は平戸島と
いう離島にある古い港町だ。1977年に完成した平戸大橋により九州と陸続きになったので、わざわざ船に乗る必
要はないのだが、わざわざ船に乗ってしまうのが船旅ファンだ。佐世保の鹿子前から船に乗った。鹿子前桟橋に
は九十九島巡りの遊覧船、海王の姿があった。平戸行きの船を待つ間、佐世保駅で買った駅弁を食べていたの
だが、これがえらく甘かった。ちょっと甘すぎるぞ。
コバルト21 (COBALT 21)
平戸へはこの放射性元素のような名前の船で向かった(コバルトライン徳信)。私は甲板で風に吹かれているの
が好きなのだが、高速船のためそうしたことができなかった。九十九島を遊覧しつつ、平戸に向かう。
平戸城 (HIRADO CASTLE)
平戸に到着する。平戸城が見える。城好きの方は唐津城に似ていると思うかも知れない(申し遅れたが私は神
社の他、城も好きなのだ)。平戸は松浦党といわれた豪族の水軍基地だった、と言えば聞こえがいいが、実は倭
寇として朝鮮半島で恐れられた海賊の本拠地だった。天守は1962年に復元されたもの。
アゴ干し
ここでは飛魚のことをアゴというらしい。塩干しや焼いて加工する。磯の香りがする。太陽がまぶしい。
常灯鼻の燈台
1609年、オランダ商船が初めて平戸に入港した。藩主隆信は商館の建設を認め、防波堤である常灯の鼻、オラ
ンダ塀、井戸、倉庫、住宅などを築かせた。以後、1641年に出島にオランダ商館が移転するまで、平戸が貿易の
中心地だったという。
オランダ商館跡 (SITE OF THE DUTCH TRADING HOUSE)
ここを向こう岸にあるお城から眺めると、このように見える。オランダ商館は復元されるらしい。オランダ商館跡の
近くには平戸観光資料館がある。ここにはジャガタラ文が展示されている。これは幕府の鎖国政策とキリシタン弾
圧により英国人・オランダ人と関係のあった婦女子32人がジャガタラ(インドネシア)に追放された。その母子が望
郷の念を託した文のこと。昔の幕府は無茶苦茶なことを平気でしていたものだと、つくづく思う。
三浦按針の墓 (TOMB OF WILLIAM ADAMS)
ウイリアム・アダムスは1600年にオランダ船リーフデ号で大分に漂着した、日本に初めてやって来た英国人だ。
徳川家康の外交顧問として神奈川県三浦に住み、三浦と名乗ることを許された。その後平戸の英国商館の開設
に尽力し、ここ平戸で亡くなっている。実際の墓は不明らしいが、1954年にこの地に建立された。
聖フランシスコ・ザビエル記念像 (THE STATUE OF FRANCIS XAVIER)
平戸というと、もう一人忘れてはならないのが、ザビエルだろう。ザビエルは日本に渡来した最初のイエズス会士
であり、1549年に鹿児島に来て、平戸、山口などでキリスト教を伝道した(1506-1552)。
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂
そのザビエルを記念して1931年に建設されたのが、この天主堂。スペイン辺りを旅しているようだ。
寺院と教会
その天主堂と瑞雲寺、光明寺が重なって見えるこの場所が、平戸を代表するスポット。お寺と教会の組み合わせ
が面白い。中学生の頃、遠藤周作の著書を貪るように読んだ時期があったが、そのとき読んだ本の中にこの風景
を表紙にしたものがあった。とらわれてしまう風景だったが、実は平戸の風景だったのだ。
鯛茶付け (TAICHAZUKE)
キリスト教の話しをしてきて、いきなり鯛茶付けとは落差を感じるが、平戸に来たらこれはお奨めの料理だ。旨い
ですよ(常盤にて)。
平戸港 (PORT OF HIRADO)
お城から平戸の港を一望できる。実に気持ちがいい。中央やや右よりに見えるお屋敷は松浦資料博物館。旧藩
主松浦氏の邸宅跡。復元したお城より立派な建物だ。
平戸の街をぶらついたら、こうしたポスターを見つけた。「平戸市文化センターでタイタニック映画上映会」とある。
映画館のない町では、こうしたことが行われているようだ。正に映画が町に来るという感じだろうか。
門司(MOJI)
JR門司港駅 (MOJIKOU STATION)
最後に、ここ門司港を紹介してこの港町巡りを終了しようかと思う。この門司港駅は鉄道ファンには人気のある
駅舎だ。1914年に建てられた九州で一番古い木造の駅舎。国の重要文化財。かってはここから関門連絡船が出
ていたわけで、正に九州の玄関口だった。
門司郵船ビル
その駅前には、門司郵船ビルがある。そう言えば小樽の旧日本郵船小樽支店を訪れたとき、「日本郵船門司支
店新築記念品 昭和2年」なるものが展示されていたことを思い出した。しかし、こちらの建物はまだ現役として使
われている。
この辺の住所は「港町」という。端的に「港町」と言われると、それだけでぐっときてしまう。
ヴォイジャー (VOYAGER)
門司港周辺は、「門司港レトロ地区」などと称して、観光開発が進んでいる。一時よく言われたウォーターフロント
開発の一環なのだろう(ウォーターフロントとは波止場のことだけれども、英語にすると近代的な感じがしてしまう日
本人は、やっぱり田舎者なのだろうか)。そうした中でハイスティブルキャビン船ヴォイジャーが遊覧船として人気を
集めている。船は揺れても船室は揺れず、船酔いのない船とのことだが、関門海峡でこうした設備はいささか宝の
持ち腐れという感じがしなくもない。
旧大阪商船 (OLD MITSUI O.S.K. LINES LTD. BUILDING)
この建物は1917年に旧大阪商船の門司支店として建てられたものだが、船舶ファンならば、ここの2階にある海
事資料室は必見だろう。早速入ってみよう。
照国丸 (TERUKUNI-MARU)
館内には船舶の模型が展示されている。照国丸は戦前欧州航路に就航していた日本郵船の客船。三菱造船長
崎造船所で建造された(11,931G/T)。この船は1939年ロンドン港に入港直前、機雷に触れて沈没した。機雷はドイ
ツのものか英国のものかは、未だ分かっていない。
にっぽん丸とふじ丸(NIPPON-MARU/FUJI-MARU)
わざわざ解説する必要はないと思う。もちろん手前がにっぽん丸だ。左に少し見える船は、見てすぐお分かりに
なるだろうが、飛鳥の模型だ。
戦前のポスター
館内には戦前の遠洋定期航路のポスターが展示されていた。私は外国に行くならば、飛行機よりは船のほうが
断然にいいと思っている。復活を願うのは私だけだろうか。実はハワイに行くなら船に限るという変な信念を持って
いる。「♪♪あ〜〜ああ〜〜〜憧れぇ〜〜のハワイ航路。」
絵葉書 (POST CARDS)
こうしたポスターを絵葉書にしたレトロ絵葉書が売られている。これは是非コレクションに加えておきたい。
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そこで、著作権の主張は致しません。
01/12/31