広島・呉・竹原・尾道編
(HIROSHIMA/KURE/TAKEHARA/ONOMICHI)


広島(HIROSHIMA)

大鳥居 (OO TORII)

 広島のページは恐らく原爆ドームの写真で始まると思われる方がいたかも知れない。が、その予想を裏切って宮

島の写真から始めようと思う。因みに写真中央に写っている紳士(?)は私である。話は飛ぶがこのような個人が

開設しているサイトを見ていると、日本では匿名にしている人が多いのに対し、アメリカでは堂々と自分や家族の

写真を掲載している人が多い。これはどうしてだろう。「プライバシーの権利がどうの」というよりは、日本では何で

も隠したがる傾向が強いのかも知れない。というわけで(どういうわけだ?)、私もこうした奥ゆかしい写真を掲載す

ることにした。

厳島神社 (ITSUKUSHIMA SHINTO SHRINE)

 厳島神社の創建は593年に遡るそうで、現在の社殿は1168年、平清盛によって造営された。祭神は市杵島姫

命、田心姫命、湍津姫命で(読めますか)、神徳は交通安全、大漁祈願だとされる。本殿、拝殿などはすべて国宝

に指定され、世界遺産にも登録されている。ここを見学するときは団体客の後についていくと、只でガイドの説明を

受けることができるという裏技がある。外国人客も多い。

千畳閣 (SENJOU KAKU)

 千畳閣は豊臣秀吉が1587年に戦没将士の慰霊のために建立した大経堂。現在は豊国神社となっている。実際

に畳を敷けば857畳分あるそうだが、団地サイズの畳だったら1000畳敷けるだろう。内部にこうした奉納品を見つ

けたが、どういう由来のあるものかは分からなかった。

宮島しゃもじ

 宮島の名物と言えば、もみじ饅頭、そして宮島しゃもじだろう。福運をすくいとるとして、縁起物としてお土産になっ

ている。ところで写真左に見える提灯だが、日本国中どこの観光土産店でも売っているような気がする。あなたも

買ってしまったことがありますか。

あなご飯(うえの)

 もうひとつ忘れてはならないのが、あなご飯だ。厳島神社をゾロゾロ見学していた団体さんの昼食は、宮島島内

の食堂で、あなご飯のようだった。私もあなご飯にしたが、一歩先を行く旅をしたい私は元祖あなご飯の「うえの」に

行く。あなご飯の歴史は、1901年、宮島口の「うえの」の駅弁に遡る。この弁当の包装には、こう書いてあった。

 「瀬戸内海に浮かぶ歴史と伝説の島「宮島」。その沖で一年中とれるあなごは、まことにこたえられない日本一の

味覚です。その新鮮なあなごを当(弁当部)におきましては漁師より直接仕入をし、全国唯一の調理法により創業

明治34年以来、皆様と共に歩み続けております。」

 ちょっと高いが、この弁当は本当に旨い。

原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)(ATOMIC BOMB DOME)

 ご承知のようにここ広島は、1945年8月6日、世界で初めて原子爆弾が投下され、20万人以上の人々が亡くなっ

た町だ。被爆直後、この前を流れる元安川は水を求める人々であふれたという。この元安川と本川とに挟まれたと

ころが平和記念公園となっている。広島平和記念資料館の前には「嵐の中の母子像」というブロンズ像があるが、

これは札幌出身の本郷新の作品だ。札幌市宮の森の札幌彫刻美術館には、原型となった石膏像が保存されてお

り、北海道立近代美術館前にも同じブロンズ像があることは、あまり知られていないだろう(他に、北海道長万部の

平和祈念館、京都府の立命館大学国際平和ミュージアムにもある)。

 なお、原爆投下に使用されたB-29エノラ・ゲイ(ENOLA GAY)は、1998年までスミソニアン博物館(Smithsonian

National Air and Space Museum)に展示されていたが、2003年に開館するUdval-Hazy Center で完全に復元され

て展示される予定となっている。

マザー・テレサ (MOTHER TERESA)

 広島平和記念資料館には、1984年にここを訪れたマザー・テレサのメッセージが展示されていた。

 「ヒロシマに多大な苦痛をもたらした恐るべき罪悪が二度と起こらないよう、神が我々一人ひとりを愛するように

お互いを愛し合いましょう。愛と祈りの行為が平和の行為であることを忘れないようにしましょう。

                                               マザー・テレサ 1984年11月23日」

広島城 (HIROSHIMA CASTLE)

 広島は史上初の被爆都市として世界に知られているため、城下町であることが忘れられてしまっているような気

がする。広島城は毛利元就の孫、輝元が1589年から10年の歳月をかけて築いたもの。天守は国宝であったが、

原爆により倒壊し、現在のものは1958年の再建だ。手前に見えるのが旧天守の礎石。日清戦争のときは本丸内

に大本営が設けられたという。


呉(KURE)

昴珈琲店呉本店

 呉はかっての軍港。現在でも海上自衛隊の地方総監部が置かれ、セーラー服姿の隊員の姿を見かける街だ。

その呉の名物が、ここの「海軍さんの珈琲」。解説によると、「この珈琲はかって軍港呉に於いて、「日本の海の防

人」達が愛飲していたと云う、謂ゆる「海軍さんの珈琲」を当店が長い間捜し求めてやっと見つけ出し遂に造り上げ

た完成品です。」とある。いわゆる「海軍さんのコーヒー」なるものが存在していたのか否かは定かでないが、こうい

うコーヒーはつい買ってしまうだろう。呉の他、佐世保、舞鶴、横須賀でも販売されている。

 呉には旧海軍鎮守府司令長官官舎の入船山記念館、海上自衛隊の潜水艦バース、江田島の旧海軍兵学校な

どがある。しかし、時間がなくこうしたところを訪問することができなかった。そのうち「福住フライケーキ」でも食べ

に呉の街を再び訪れてみようと思う。


竹原(TAKEHARA)

竹原港 (PORT OF TAKEHARA)

 皆さんの中に、小京都に魅せられている人は案外多いのかも知れない。では小京都とは何か。下町とは何かと

いうのと同じように分かったようで分からない概念だが、ひとつの手がかりとして、京都市観光協会の中に事務局

を置く、「全国京都会議」に参加している町であることというのがある。竹原はこの全国京都会議に参加している小

京都のひとつだ。私は特に京都を本家として考えることはなく、「古い町並みが残っている歴史ある町」ならば、小

京都と呼んで構わないと思っている(分類にこだわって、つまらない「学問!」にしてしまうことはないだろう)。竹原

は私のお気に入りの小京都のひとつ。船で渡った。

伝統的建造物群保存地区

 竹原は上市、下市、小路周辺に古い町並みがかなり残っていて、感激した。かって酒造業、製塩業で栄え、その

豪商達が建てた豪邸が保存されている。現役の住宅として使われているものも多いので驚く。

松阪邸

 そうした中でひときわ目を引くのが、この松阪邸だ。塩田の持ち主である、「浜主」の家だという。江戸時代末期

の建造。内部を見学することができる。

西方寺 (SAIHOUJI TEMPLE)

 浄土宗の寺である西方寺から竹原の町を眺めてみる。いかにも「おさむらいさん」が出てきそうな感じがする。絵

になる風景だ。写真の左側の方に瀬戸内海が広がる。

西方寺普明閣 (FUMEI KAKU)

 その西方寺の観音堂が、この普明閣だ。京都の清水寺を模して造られたという。ここから竹原の町が一望でき

る。港の方に三井金属竹原製錬所の高い煙突が見える。ボタンを押すと説明が流れ出す仕組みになっていた。

酒造交流館

 町並み保存地区をぶらつく。竹原は酒造業が盛んで、日本酒が好きな人には楽しいところかもしれない。ところ

ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝氏は竹原出身だという。これを知って、いつか北海道余市町を訪ねなけ

ればならないような気がしてしまった。そこにはウィスキー、ブランデーの原酒工場があるからだ。

 どこからともなく三味線の音が聞こえてきた(本当に)。町並み保存地区といってもテーマパークではなく、現役の

町であるところが倉敷との違いだろうか。

たけはらそば(かんの)(ZARU SOBA)

 町並み保存地区の一角に「かんの」という手打ちそばの店がある。メニューは「たけはらそば」だけ。私は、「そ

ば」と「うどん」とでは「うどん」。「うどん」と「ラーメン」とでは「ラーメン」という人種なのだが、ここの「そば」はいける。

つい、追加注文してしまいそうだが、量が少なめなところが色々食べたい旅行者には好都合だ(もちろんどんどん

追加しても構わないし、事実追加注文している人が多かった)。あぁ、また食べたい。

 私が竹原を訪問した日は、偶々礒宮八幡神社のお祭りで、みこしが練り歩いていた。旅先で思いがけず祭りに

出くわすと得した気がするものだ。

本川

 ここは塩を積み出していた運河の跡。左に見えるのが常夜灯だ。うっかり見逃してしまうスポットだが、かってはこ

こが大変な賑わいだったのだろう。港町らしく、すぐ近くに「住吉神社」があった。


尾道(ONOMICHI)

JR尾道駅 (ONOMICHI STATION)

 「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海は懐かしい。」 林芙美子の『放浪記』を読んでいた私は、

尾道に行くのは鉄道に限ると思っていた。できれば汽車に乗りたかった。そんなわけで、初めて尾道の町が正に

「海が見えた。海が見える。」とばかりに見えてきたときには、ドキドキした。

日立造船向島

 早速、海に出てみた。尾道水道を挟んで向島(むかいしま)が見える。となると向こう側に渡ってみたくなる。そこ

で特に用事はなかったが、向島に渡船で渡ってみた。

岸元渡船

 地元の人々は、橋代わりに気軽に利用していた。皆さん定期券を利用していたが、旅行者はそのつど運賃を払う

ことになる。乗船時に支払うものと、下船時に支払うものとがあった。運航時間は随時運航。つまり適当だった。向

島の桟橋では女子高生がベンチに腰掛けて菓子パンをのんびり食べていた。

 尾道海技学院の教習艇

 写真の向こう側に見えるのが、尾道の町。渡船で尾道に戻る。クルーズといっても、すぐに着いてしまう。

住吉神社の力石

 尾道は港町なので、やはり住吉神社がある。この石は江戸時代、尾道が北前船の寄港地として栄えた頃、浜の

仲仕(荷役作業員)がこれを持ち上げて力比べをしたことから、「力石」と呼ばれているそうだ(本当かね)。

 尾道の道路はこんな感じだ。これは路地裏ではなく、一般市道。もちろん自動車の通行できる道は海岸沿いにな

いことはないが、市街地の大半がこんな感じで、実に個性的な町だ。猫も多い。しかし旅行者にとっては旅情をか

きたてられる憧れの町であっても、ここに暮らす人にとっては不便な町であることは否定できないだろう。また街灯

が極端に少ないため、夜になると真っ暗になる。これには面食らった。

ロープウェーからの眺め (ONOMICHI TOWN)

 尾道にやって来た旅行者は、まず古寺巡りに出発するだろう。定番のコースは、持光寺、天寧寺と廻って、ロー

プウェーで千光寺に行き、文学のこみちを下ってきて、西国寺、西郷寺、浄土寺などと廻るものだ。が、結構体力

を要するので、そのつもりで歩かれたらよいかと思う。旅行中無理をしすぎて膝が痛くなったことがあるが、こうなる

と、登りより下りがきつい。ところが世の中(少なくとも日本では)、登りのエスカレータはあっても下りは階段だけの

ところが多いのだ。エスカレータは下りにこそ付けるべきだと思う(賛同者は案外多いのでは)。話が脱線してしまっ

たが…。

尾道市文学記念室 (ONOMICHI MEMORIAL HALL OF LITERATURE)

 ここは志賀直哉がかって暮らした家を利用して文学記念室としたもの。林芙美子の東京の自宅の書斎も再現さ

れている。

大林宣彦監督

 そうした中に映像文学コーナーというのがあり、尾道出身で尾道を舞台にした映画を撮り続ける、大林監督の映

画も紹介されている。尾道三部作と題する、「転校生」、「時をかける少女」、「さびしんぼう」。新尾道三部作であ

る、「ふたり」、「あした」、「あの、夏の日」があり、ロケ地を訪ねてこの町をさまよう旅人が後を絶たない。便利な

「ロケMAP」を片手にぶらぶらするのも楽しい。

タイル小路

 ということで、少し町をぶらついてみよう。ここは「時をかける少女」に出てきたところ。何か書き残したいのなら

ば、タイルと、接着剤、そして油性マジックペンを持参する必要がある。これらを持参しなかった私は、「ただ見てる

だけ」状態だった。

御袖天満宮(TENMANGUU)

 こちらは、「転校生」に出てきた石段。実際に来て見るとよく分かるが、ここを転がり落ちるのは勇気がいると思

う。学問の神様の天満宮で落ちたくはないよね。

西国寺の仁王門 (SAIKOKUJI TEMPLE)

 さて、古寺巡りの話をしながら全く寺を紹介しないのはどうかと思うので、代表として西国寺の仁王門を取り上げ

る。ご覧のように巨大な藁草履が掛けられている。この真言宗の寺には自分で草履を編んで奉納すると足の病気

が治るという信仰があるそうだ。しかし、この寺は西国寺山という山の中腹にあり、ここまで上がって来れたら足の

病気はとっくに治っているのではないかと思う。金堂や三重塔もある。

林芙美子の旧宅

 JR尾道駅近くに、「アンティーク茶房 芙美子」という喫茶店があるが、その店の裏手に林芙美子が女学校時代

に暮らした住宅が残されていた。彼女が卒業した尾道市立高等女学校は、現在の尾道東高校であり、そこにも文

学碑があった。志賀直哉が暮らした家とは随分違う。

東京堂

 旅先でこうしたお店を見つけると飛び込んで何か買ってしまう。「尾道で一番美味しいシュークリームの店」とある

が、確かにここのシュークリームは美味しい。最近、シュークリームの世界では奇をてらったようなものが多いが、

ここの店のようにシンプルなシュークリームで旨い味を出すのは案外難しいのではなかろうか。因みに私は洋菓子

店を比較する場合の基準は、「苺ショート」に決めている。

尾道ロイヤルホテルにて

 ホテルの窓からは尾道水道を行き来する渡船が見えていた。私がここに泊まった理由だが、かって「時をかける

少女」を撮影したときに原田知世さんがここに宿泊したという、ただそれだけの理由に基づくものだ。


ここに掲載した写真はすべて私が撮影したものであり、法律上、著作権は私に帰属しますが、コンピュータにダウ

ンロードして閲覧するというインターネットの特殊性から、その主張は極めて困難と考えます。

そこで、著作権の主張は致しません。

Home

02/03/21