若狭編 (WAKASA)
天橋立 (AMANOHASHIDATE)
天橋立 (AMANOHASHIDATE)
日本三景といえば、松島、宮島、そして天橋立だ。天橋立は阿蘇海(右)と宮津湾(左)を仕切る3.6kmの砂嘴。こ
のページでは若狭湾の港町を探訪してみることとしよう。
敦賀 (TSURUGA)
JR敦賀駅 (TSURUGA STATION)
敦賀の地名は大陸からの渡来人、「つぬがあらしと」に由来する。「額に角のある人」という意味だ。当初は「角
鹿」と表記されていたが、903年、「敦賀」の文字に改めたという。このように、この港町は古くから大陸と交流のあ
った歴史ある港町だ。現在は貿易が盛んと言えば誉めすぎになってしまうが、旅行者にとっては交通の要衝であり
使える町だと思う。つまり関西、東海地方から北海道に行くには、ここからフェリーに乗れば小樽、苫小牧に簡単に
行ける。逆に北海道から敦賀に渡れば、北陸、山陰、大阪、名古屋に簡単に行けるという便利な町なのである。
気比神宮 (KEHI SHRINE)
敦賀といえば、気比の松原、金ヶ崎城跡、そして気比神宮だろうか。この大鳥居は1645年に立てられたもので、
かっては国宝に指定されていたが、現在は国の重要文化財とされている。松尾芭蕉も訪れたところ。
すいせん ( SUISEN)
前述のように敦賀には北海道小樽との間にフェリーが就航している。この「すいせん」と「すずらん」は、総トン数
17,350、航海速力29.4ノットの超高速フェリーだ。船内は近代的で清潔だが、内装についていうと金ピカすぎて私は
あまり好きにはなれなかった。新装開店のパチンコ屋さんのイメージだったが、皆さんはどう思われているのだろう
か。
小浜 (OBAMA)
小浜 (OBAMA STATION)
小京都を特集した旅行雑誌等で必ず出てくるのが、ここ小浜だ。小浜は城下町であり、大陸や蝦夷(北海道)と
の交易で栄えた港町でもある。旅の上級者を目指す方ならば(そんなものあるのか知らないが)、一度は訪れてみ
たい町だ。
三丁町 (SANCHOU MACHI)
港町には遊廓が付き物だが、ここ三丁町は遊廓があったところ。現在でも料亭があり、当時の面影をとどめてい
る。町名の由来には、三つの町名から三丁となったという説と、町の長さが三丁であったからという説とがある。
白鳥海岸
三丁町から小浜湾に出ると、こうした海岸が広がっている。最近海岸の整備がなされたようで、小浜海浜小公
園、マーメイドテラスの人魚の像などかある。浜風が心地よい。
小浜漁港
現在の小浜の港は漁港として利用されている。名物の「小鯛のササ漬け」は、この近くの若狭フィッシャーマンズ
ワーフなどで購入できる。
ところでこの若狭フィッシャーマンズワーフ(サンフランシスコのそれを真似ているのだろうか)からは蘇洞門巡り
の遊覧船が出ている。船好きならば、やっぱり乗ってしまうだろう。
大門・小門
蘇洞門めぐり遊覧船
ということで乗ってしまった。小浜湾に突き出た内外海(うちとみ)半島の先端部分の岩礁帯を巡る1時間程のク
ルーズだ(若狭湾観光株式会社)。それにしても日本にはこうしたところが多いとつくづく感じる。途中大門で上陸す
るが、船虫がたくさんいた。そういう題名のサイトがあったことを思い出す。
小浜城跡 (SITE OF OBAMA CASTLE)
小浜は城下町なので、お城を紹介しておかないといけないだろう。この小浜城は1601年に京極高次が築城し、そ
の後、酒井氏の居城であった。1871年にその大部分を焼失してしまい、現在は天守台が残るだけだ。天守を復元
すれば、それだけで観光客は増えると思うが、その計画はないのだろうか。もっとも城好きは天守がなくても、石垣
だけで満足する人種なのだが。
酒井家墓所(空印寺)
なお、小浜藩主酒井家の墓地は、空印寺にある。ここには八百比丘尼入定洞という洞窟があり、人魚を食べた少
女が800歳になっても衰えず、入定(身を隠し死を待つこと)したという伝説がある。しかし、その洞窟の入口に大き
な蜘蛛の巣があったので、私は入場することすらできなかった。
若めずし (WAKAME ZUSHI - a kind of Sushi)
小浜は漁業が盛んなだけあって、新鮮な旬のネタが自慢の寿司屋が多い。ここ「すし政本店」の名物は、「小鯛
すずめずし」や、「サバずし」。しかし真夏の小浜でそうした寿司に挑戦する元気がなかったので、「若めずし」にす
る。ワカメを使った寿司で、珍しい。夏の昼食には最適だ。
舞鶴 (MAIZURU)
舞鶴城 (MAIZURU CASTLE)
舞鶴は、西舞鶴というかっての城下町田辺と、東舞鶴というかっての旧帝国海軍の軍港からなる町だ。ということ
で西舞鶴にはお城がある。舞鶴城は正式には田辺城といい、1578年に細川藤孝が築城したことに始まる。藤孝は
その後宮津城を築いたが、宮津城は今殆ど痕跡を残していない。藤孝の子、忠興の妻が、あの細川ガラシャ夫人
だ。
彰古館
舞鶴城は石垣しか残っていなかったが、1940年にこの彰古館が復興され、1992年には城門が復興された。
サンモールマナイ
ここが西舞鶴の繁華街。しかし、はっきり言って活気がない。最近は郊外の大規模なショッピング・モールが大人
気で、街の中心部にある商店街は寂れる傾向にあるが、舞鶴の場合はそうではなく、町全体が沈んでいるようだ。
シャッターが下りたままの店が目立つ。商店街はインターネットに移転してしまったのだろうか(そんなわけないだろ
う)。開いている喫茶店に飛び込んで、かき氷を注文する。
舞鶴東港 (PORT OF EAST MAIZURU)
東舞鶴はかっての軍港であり、現在でも自衛隊の地方総監部がある。また日立造船の舞鶴工場もある。実は私
が訪れた頃、某国のミサイル発射事件などがあり、ピリピリしているようだった。アメリカの駆逐艦 Cushing (DD-
985) (満載排水量9250トン)も入港していたが(新ガイドライン後初の舞鶴寄港)、そうした事情があってのことだっ
たかもしれない。もっとも東舞鶴市街の酒屋の前のベンチに腰を掛けて、缶ビールでご機嫌になっていた米兵達
は、全くリラックスしていたが。
舞鶴といえば、『岸壁の母』の歌で知られる引揚者の町でもある。私の伯父はシベリア抑留後、日本に帰還した
際、この舞鶴東港に上陸したそうである。舞鶴には特別の思いを持っている方が大勢いらっしゃるのだろう。
フェリーらべんだあ (FERRY LAVENDER)
さて、舞鶴東港といえば、またまた新日本海フェリーだ。北海道小樽と結んでいるが、敦賀発着のフェリーに比
べ、こちらの航路はのんびりゆったりした船旅が楽しめる。船旅を楽しみたい方には舞鶴発着の便をお奨めした
い。
宮津 (MIYAZU)
北近畿タンゴ鉄道 (KITAKINKI TANGO TETSUDOU)
西舞鶴―豊岡間は、JRではなく、北近畿タンゴ鉄道が結んでいる。大変な赤字らしいが、頑張って欲しいもの
だ。これに乗って宮津に向かう。
宮津駅前 (MIYAZU STATION AREA)
宮津は江戸時代、北前船の寄港地として栄え、宮津節に、「♪ニ度と行こまい丹後の宮津 縞の財布が空にな
る」と歌われたような遊廓のある町だった。駅前には黒塗りのハイヤーが客待ちをしていて、いかにも観光地に来
た感じがした。しかし、ハイヤーなどに乗っては街を良く知ることはできない。私はいつものように徒歩で散策に出
かけた。
銭湯 (SENTOU -Public Baths)
私は宮津にあまり期待していなかったのだが、実際に訪れてみると情緒のあるいい町だった。畳敷きが珍しい聖
ヨハネ天主堂、見性寺、今林家(旧縮緬問屋)、袋屋(醤油業)、三上家(旧廻船問屋)などを見学する。途中、街
角でこんな銭湯を見かけた。一瞬、一風呂浴びて行こうかという誘惑に駆られたものだった。
清輝楼 (SEIKIROU -Japanese-style Inn)
宮津では「清輝楼」という和風旅館に泊まった。実はこの旅館への予約は、このサイトからリンクしている「やど日
本」というサイトを通じて、インターネットで行った。サイト上で旅館の外観、室内の様子などを比較してここに決め
たのだが、ネット上で予約した後、本当に予約できているか心配になって電話をしてしまった。それだと始めから電
話で予約した方がよかったのではないかという声が聞こえてきそうだが、両方使うのが確実だと思う。「文人墨客の
宿」を謳うだけあって、文豪にでもなった気分になれる。小説でも書いてみようか。
夕食 (DINNER)
この写真は日本旅館の夕食を外国人に見てもらいたい気持ちで掲載したものだ。西洋式のホテルもいいけれど
も、和式の宿もいいものですよ。
MIPPLE (Shopping mall)
天橋立に向かう船が出る宮津桟橋には、こうしたショッピングモールがあった。最近はこうした商業施設が流行り
のようだ。しかし、Mipple とはちょっと危ないネーミングだったと思う。エヌから始まる単語を連想してしまったのは、
私だけではないだろう。もっとも東京は高田馬場にある、「何とかボックス」に比べたらずっと増しだ。皆さん英語で
「ボックス」という言葉にどういう意味があるかご存知だろうか。辞書には普通載っていないが、こちらはかなりまず
い(俗語で「膣」のこと、あぁ言っちゃった)。
丹後海陸交通
天橋立には船で向かった。宮津―文殊―一の宮を結ぶ。地元の高校生も乗っていたので、通学に利用している
人もいるらしい。陸路天橋立に向かうこともできるが、船がお奨めだ。
廻旋橋
その理由のひとつが、この廻旋橋にある。宮津湾と阿蘇湾とを結ぶ水路に船が入ってくると、中央の橋脚を軸に
橋が回転する。勝鬨橋のように縦に動かすのではなく、横に動かすとは珍しい。昔は人力で動かしていたという。
傘松公園での股のぞき ("MATANOZOKI")
これが正しい天橋立の鑑賞法。天橋立を股の間から覗くと天地が逆転し、天に架かる橋に見えることから始まっ
たというが、実際やってみると崖から落ちてしまいそうで怖い。それにしてもバカなポーズですね。因みにこれは私
なんですが。
傘松公園にはケーブルカー又はリフトで行くが、頂上の駅にNHKの朝の連続テレビ小説『ええにょぼ』(1993年4
月―10月)のポスターが張ってあった。そこで舞台となった伊根の町を訪れて、若狭湾の旅を終えることとしよう。
伊根 (INE)
伊根湾めぐり遊覧船
伊根の町は丹後半島の先端部分にあるが、町の様子を見るには船に乗って海から見る方がいい。伊根という
と、私は映画『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』(1982年)の方が印象的だ(因みに朝のドラマは殆ど見たことが
ないし、最近ではインターネットで事が足りるのでテレビ自体殆ど見ていない)。この映画では、いしだあゆみ演じ
る京都の陶芸家の先生のお手伝いをしていた「かがり」という女性の田舎が伊根という設定だった。大先生の弟子
に振られて田舎に帰った彼女を、寅さんが伊根に訪ねて慰めるという話しだったが、いしだあゆみの色気が出色
だった。寅さんが伊根を後にするとき、何故かこの船に乗って去っていくという演出になっていた。演出上はそれで
いいのだけれども、これは映画のウソだろう。だって伊根は離島にある町ではないのだから。バスに乗っていくべ
きだ。…と書いたのだけれども、後日古い地図を見ていて伊根と宮津とを結ぶ航路があったことを発見した。「映
画のウソ」ではないのかも知れない。
伊根の舟屋 ("FUNAYA"(Boathouses) in INE)
伊根の町を有名にしているのが、この舟屋だ。反対側の道路から見ると別に変ったところのない住宅だが、海側
から見ると一階部分がこのように漁船のガレージのようになっている。これは世界的に珍しい風景だろう。
遊覧船には、「プライバシー保護のため望遠鏡による舟屋鑑賞はご遠慮ください。船長」という掲示があった。し
かし舟屋見物のための船なのにあまり見ちゃいけないというのは、消費者金融が借りてくださいと言いながら借り
過ぎに注意しましょうと言うのと同じような感じで、どうも落ち着かない。まぁ、言わんとすることはわかるけれども、
実はこの写真は望遠レンズで撮影している。
舟屋の里公園
ここ、舟屋の里公園からは伊根湾が一望でき、伊根の町全体を見ることができる。清々しい。
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02/05/28