名古屋・伊勢・志摩編 (NAGOYA/ISE/SHIMA)


名古屋 (NAGOYA)

名古屋城 (NAGOYA CASTLE)

 さて、名古屋である。名古屋は、「尾張名古屋は城でもつ」とか、「日本一だよ名古屋のお城、城がなければただ

の町」(神野美伽の『どんとこい名古屋』)などと歌われ、名古屋城がこの街のシンボルであることは間違いない。

 名古屋城は1612年に徳川家康によって築かれた城で、徳川御三家の尾張藩居城だった。本丸御殿は京都の二

条城二の丸御殿と肩を並べる豪華なもので、見学者の人気を集めていたそうだが、戦災で天守と共に焼失してし

まった。写真の天守は、1958年に再建されたもの。名古屋城については詳細な記録が残されていたため、外観に

関しては忠実に再現されている。本丸御殿も再建されるとのことだ。

 このページでは名古屋、津、松阪、伊勢、鳥羽の町を旅してみることとしよう。

熱田神宮 (ATSUTA SHRINE)

 大都市のタクシーの運転手さんというのは概して無愛想なことが多いが、ここ名古屋の運転手は違う。お客さん

に話しかけるのが義務であるかのように、色々話しかけてくる(但し名古屋弁だが)。そうした運転手さんに、「名古

屋は見るところがないでしょう?」と言われ、「はぁ、そうですね。」と答えるわけにもいかず、困ったことがある。が、

ここだけの話し(ネットで「ここだけ」というのがあるのかは知らないが)、確かに名古屋は観光資源に乏しい町だ。

他の大都市、千葉、川崎、福岡も、そこに住む者にとっては便利な町であっても、見物するところが少ない町だとい

えるだろう。名古屋の観光スポットを敢えて挙げれば、名古屋城、熱田神宮、テレビ塔だろうか。

 そういうわけで、ここ熱田神宮は数少ない名古屋の観光名所のひとつ。私が訪れたときは、丁度七五三で、大変

賑わっていた。近くに櫃まぶしで有名な「蓬莱軒」という店があるが、混雑していて入ることができなかった。

テレビ塔 (TV TOWER)

 「ここはどこでしょうか。」この写真を見せてこんな質問をしたら、「札幌!」なんて答える人がいるかも知れない。

大変によく似ている(因みに「東京」とか、「パリ」などと答えた人は論外である)。では札幌と名古屋のどちらが真似

をしたのだろうか。調べてみると、札幌の大通公園は明治に遡るのに対し、名古屋の久屋大通公園は戦後に作ら

れたものだから、名古屋が真似をしたとも考えられる。しかし、テレビ塔ができたのは、札幌が1957年であるのに

対し、名古屋は1954年だ。ということで、どちらがどちらを真似たということではないようだ。かっては街の中心にこ

うしたテレビ塔を建てることが流行ったのだろう。

てんぷらきしめん (KISHIMEN -a kind of Udon)

 テレビ塔3階にある「タワー食堂」できしめんを食べる。札幌のテレビ塔といい、東京タワーといい、大阪の通天閣

といいどうしてこんなに似ているのかと思うほど、内部の感じがよく似ている。きしめんはうどんを薄く伸ばしたもの

だから、その点を除けば特に特徴のあるものではない。

 ところで名古屋には、この他「天むす」、「味噌かつ」などが名物で、「安くて、盛がよくて、とろりとして、甘い」もの

が多い。喫茶店の「モーニングサービス」のサービスの良さも有名だろう(それにしても喫茶店が多いよね)。

 なお「エビフライ」だが、タレントのタモリさんがかって「名古屋人のご馳走と言えばエビフライだ」などと名古屋をお

ちょくるネタで笑わせたために有名になってしまったが、名物料理だということはできないだろう。さらにタモリさんは

「名古屋ではあっちからもこっちからも「みゃー」、「みやー」聞こえてくる」というネタでも笑わせてくれたが、これもど

うだろうか。私の印象では公的な場では努めて標準語を話す人が多い感じがしている。タモリさんのギャグの影響

があるのかも知れない。ただすぐに分かる名古屋弁として「みえる」という敬語がある。大阪の「はる」のような言葉

で、例えば「このサイトを作ってみえるのはあなたですか。」というように使う。名古屋の方は方言だと思っていない

ようだが、「見る」を丁寧に言うときは「見てみえる」とかいうのだろうか(この場合は「ござる」という言葉を使うそう

だ)。

きそ (KISO)

 名古屋港は、名古屋ポートビルなどがある界隈には名古屋海洋博物館、名古屋港水族館などの施設があるが、

フェリー埠頭の近くには何もない。しかしデートコースになっているようで、実はこのフェリー、名港西大橋をくぐり抜

けて北海道に向かうのだが、そのフェリーの出港時間に合わせたかのように(いや合わせてだろう)、橋の上には

車が並んでいた。しかし、「そこのお二人さんよ!船に乗っている方が楽しいぞ。」

名古屋港 (PORT OF NAGOYA)

 闇に浮かぶガントリー・クレーン。名古屋も港町なのだ。


津 (TSU)

津城跡 (SITE OF TSU CASTLE)

 「津」という漢字には、船着場、港といった意味がある。そのため港町の地名には、例えば、直江津、宮津、大

津、中津などと「津」が付くところが多い。津市はまさに港町という地名だ。しかし今日港町として発展しているとは

残念ながらいい難い。かっては「安濃津」と呼ばれ、「坊津」、「花旭塔津」と並んで日本三津のひとつに数えられ

た。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と歌われたこともあった。

 津城は織田信長の弟の信包の城に遡るが、現在残る城跡の基礎を築いたのは藤堂高虎で、1608年に完成させ

た。しかし廃藩置県で城は破却され、今は戦後復興された隅櫓がひっそりとあるだけだ。

観音寺(津観音)(KANNONJI TEMPLE)

 この観音寺は浅草、大須観音と並び日本三観音のひとつに挙げられるそうだ。ところで日本三景とか、日本三名

城とか言われるが、これは一体誰が決めたことなのだろう。百選とか百景とかいうように、3の他、100というのもあ

る。

 津には、「天むす」の元祖を名乗る「千寿」という店があるそうだが、私は発見できなかった。お土産には「平治煎

餅」がある。これは神戸の亀井堂総本店の「瓦煎餅」、札幌千秋庵の「山親爺」の系統の煎餅で、旨い。


松阪 (MATSUSAKA)

松阪城跡から見た御城番 (SITE OF MATSUSAKA CASTLE)

 私はここに来るまで「まつざか」と濁って発音していた。あの松阪牛は「まつさか」牛らしい。梶井基次郎は『城の

ある町にて』の中で、この風景をこう描写している。

 「今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍を並べていた。白亜の小学校。土蔵作りの銀行。寺の

屋根。」

 松坂城は1588年、蒲生氏郷によって築かれた城。残念ながら城は破却され天守などはないが、なかなかいい城

下町だ。写真右側に見えるのは御城番という武家屋敷跡(といっても現役の住宅として使われている)。この先で

私は道に迷い、通行人に道を尋ねたのだが、こちらが恐縮してしまう程丁寧にゆっくりと教えてくださった。松阪に

暮らす人々はそうした人々だ。本居宣長の故郷でもある。

三井家発祥地 (THE CRADLE OF MITSUI)

 ここは三井家の全盛の基礎を築いた三井高利の生まれ育った場所。船旅ファンならば「商船三井客船」のお世

話になることもあるのだから、当然、「船」のサイトで紹介すべき場所だろう。現在はこの門だけで屋敷などはない。

松阪商人の館 (MEMORIAL MUSEUM OF MATSUSAKA MERCHANT)

 そこで、ここを訪れるのがいいと思う。ここは旧小津邸。松阪には三井、長谷川、長井、小津など江戸に出て財を

なした豪商が数多くいる。「江戸に多きもの、伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれるほど、江戸時代には松阪商人は

活躍した。そう言われて、東京は深川不動の参道に「伊勢屋」という団子屋があったことを思い出した。

 松阪が港町だといわれてもピンとこないが、かっては東京との間に「フジフェリー」というフェリーが運航していた。


伊勢 (ISE)

JR伊勢駅 (ISE STATION)

 世の中には、「観光学」なる学問があるらしい。その教科書の始めには「観光」の概念を巡って大まじめな議論が

展開されていて、思わずニヤニヤしてしまった(そんな論争をして何のご利益があるのだろうか)。ただ観光の歴史

については面白い話が紹介されていて、日本の観光旅行の始まりは平安時代の熊野詣でに遡り、江戸時代に入

り、伊勢まいりが盛んになったという。街道が整備され、御師という旅行業者のような役割を果たす者が現れ、さら

に旅篭には飯盛女、つまり旅篭女郎と呼ばれる売春婦まで現れたらしい。

 ということで、ここ伊勢は正に日本の観光旅行の原点ともいえるところだ。旅行が制限されていた江戸時代でも、

お伊勢まいりだけは特別扱いだったらしく、簡単に通行手形が発行されたらしい。「伊勢へ行きたい、伊勢路が見

たい。せめて一生に一度でも」と歌われた庶民の憧れの的だったお伊勢さんを紹介することとしよう。

 

外宮 (GEKUU - ISE SHRINE)

第二鳥居 (TORII)

 一般には伊勢神宮というが、正式には単に「神宮」という。ここのお守りをお持ちの方はそれを見ていただきたい

が、「神宮」としか書いていないはずだ。この「神宮」は豊受大神宮(外宮)と皇大神宮(内宮)という二つの正宮から

なり、さらにそれぞれに別宮、摂社、末社、所管社があるので、全部で125の神社からなる大きな組織だ。「外宮先

祭」と言って、外宮から参拝するのが慣わしなので、まずは外宮に向かおう。

 ここの祭神は「豊受大御神」。皇大神宮の祭神、「天照大御神」の御饌津神として食物を司る穀物神だ。JR伊勢

駅から徒歩で5分くらいのところにある。伊勢駅前ではタクシーの運転手さんに声をかけられるが、歩いて廻るのが

いいと思う。神宮神域には案内板や解説などは殆どない。ここを訪ねるには予習が不可欠のようだ。

 火除橋の左側には勾玉池がある。ここは参拝後に休憩するにはもってこいの場所だ。火除橋を渡って右手には

清盛楠と呼ばれる大木がある。これは平清盛が参向したときに冠に触ったという伝説のある楠の老木。手水舎、

第一鳥居を抜けると写真の第二鳥居だ。

三つ石 (MITSUISHI)

 ここは式年遷宮の地鎮祭や川原大祓の祓えを行う場所。もちろん解説の立看板などはない。

正殿 (THE MAIN SHRINE)

 神楽殿、九丈殿、五丈殿、四至神などを経てさらに進むと左手に外宮正殿がある。四重の垣に囲まれていて、内

部の写真撮影は特に許可されない限り禁止されている。四丈殿、東宝殿、西宝殿、御饌殿、外幣殿の五つの御殿

からなる。

別宮 多賀宮(TAGANOMIYA)

 亀石と呼ばれる中の御池に架けられた石橋を渡ると、左に別宮風宮、右に別宮土宮がある。さらに98段の石段

を登って行ったところに、写真の別宮多賀宮がある。ここには豊受大御神の荒御魂が祭られている。「アラタカさ

ん」と親しまれ、事を起こそうとするときは、ここに参拝するといいらしい。

寝地蔵さん

 多賀宮の参道の前にはこんな石がある。確かにお地蔵さんが寝ているように見える。しかし先ほど渡った亀石と

同様、参拝者の多くは知らないらしく、スイスイ通りすぎていく。

 帰りは神々にお供えする飯などを調理する忌火屋殿を横目に、帰り参道を北御門口鳥居に向かう。火除橋を渡

り外宮の参拝が終わる。

 

外宮 (GEKUU)―内宮 (NAIKUU)

麻吉 (ASAKICHI -an old Japanese-style Inn)

 さて、外宮と内宮とは6kmは離れている。タクシーの運転手さんはそうしたことを言って営業活動をしている。しか

し、旧街道は歩いて移動する方が楽しい。かっての遊廓街、「古市」は今は碑が立っているだけで、住宅街となって

いた。しかしそうした一角に当時を彷彿させる古い旅館があった。1782年の地図にはすでに記載されていたという

花月楼という茶屋だった「麻吉」。旅行雑誌にはよく登場する結構有名な宿だ。

 その旅館の脇を下ってきて振り返ったのが、この写真。江戸時代の伊勢はこんな感じだったのだろう。しかし、こ

こを訪れる人はあまりいない。どうも皆さん忙しい旅をいまだにしているらしい。

 実はこの前を「伊勢自動車道」という何とも近代的な道路が走っている。そのために私は方向を間違えて道に迷

い、少々時間と体力とを浪費した。やっと旧街道に戻り、猿田彦神社に出た。内宮はすぐそこだ。

 

内宮 (NAIKUU - ISE SHRINE)

宇治橋 (UJIBASHI)

 外宮を参拝したことはないが、ここならば修学旅行で行ったことがある、という方は多いだろう。団体旅行で伊勢

をまわられた方もここだけ参拝して終わりだったかも知れない。宇治橋の真中は神様の通り道なので端を歩くのが

慣わしだが、そんなことはお構いなしの人が多い(私もあまりこだわらないが)。橋の外側の鳥居は外宮正殿の棟

持柱、内側の鳥居は内宮正殿のそれを使用している。長さ101.8m、幅8.42m、欅造り。

木除杭 (KIYOKEGUI)

 五十鈴川に架かる宇治橋を流木から守るために、こうした杭が八基立っている。しかし実用性のあるものなのだ

ろうか。こちらは檜造り。

御手洗場 (MITARASHI)

 宇治橋を渡って左手に神宮司庁、右手に神苑が広がっている。参集殿、饗膳所を経て手水舎、第一鳥居を抜け

るとここに着く。この石畳は1692年、徳川綱吉の母、桂昌院の寄進。手を漱いで参拝する慣わしだ。ひんやりして

気持ちがいい。この奥に瀧祭神という社殿のない水の神が鎮座している。

正殿 (THE MAIN SHRINE)

 第二鳥居を抜け右に折れると別宮風日折宮がある。ここは美しい。神楽殿の前は団体客でごった返している。さ

らに進むと、五丈殿、由貴御倉、御酒殿、忌火屋殿、御贄調舎などがあり(いずれも案内板などはない)、写真の

場所に到達する。ここから上は撮影禁止になっている。外宮と殆ど同じものだが、御殿の位置が微妙に異なってい

る。板垣、外玉垣、内玉垣、瑞垣の四重の垣に囲まれている。

正殿と古殿地

 しかしこの位置から、ちらりとだが正殿を見ることができる。唯一神明造。手前の古殿地は1993年まで正殿の建

っていたところ。式年遷宮といって、ここ伊勢神宮では20年に一度社殿から祭器具まで新しく作り替えることが行わ

れている。したがって2013年には、現在空き地になっている手前の御敷地に正殿が建つことになる。

 私がここを訪れたのは1996年のこと。皇祖天照大御神がこの地に鎮座して2000年にあたるという年だった。『日

本書紀』などによると、垂仁天皇のとき(紀元前4年)、皇女倭姫命が、天照大御神を祭るのによい場所を捜して廻

り、この地に鎮座したということになっている。この地に鎮座する前に訪れたところが、宮津の籠神社などの元伊勢

と言われる神社というわけだ。神話としては面白いが、倭姫命はどうやって熊の出そうな原始林を歩きまわったの

だろうと考え始めると、やっぱり無理のある話しだ。現実には6世紀前後に確立した天皇家の氏神というのが正し

いところだろう。神話の方が夢があるが、たまに「神の国」などと口走る時代錯誤的な発言をする総理大臣が現れ

たりするので、のんきに神話を読んでいる訳にはいかない。しかしいずれにしても、かなり古い神社であり、日本の

神道という宗教の総本山であることは間違いないだろう。

別宮 荒祭宮 (ARAMATSURINOMIYA)

 内宮にも天照大御神の荒御魂を祭る別宮がある。手前に古神宝類を納める外幣殿、稲束を納める御稲御倉が

ある。しかしここを訪れる人は殆どいない。この石段の14段目に天の形に石が割れている「踏まぬ石」という石が

あるそうだが、私はどれがその石なのか分からなかった。

饗土橋姫神社 (AEDOHASHIHIME SHRINE)

 これは宇治橋の鎮守神。森の中にひっそりと佇んでいた。神秘的なものを感じるが、夢のないことを言うと薄暗い

深い森の中で不安を感じてゾクゾクしただけなのだろう。もちろん神の存在を確信するのもいいかも知れない。森

林浴にも伊勢は最適だろう。

伊勢うどん (ISE UDON)

 伊勢の料理は全国から参拝客が訪れるところであるため、辛くもなく、甘くもない中庸の味だという。しかし、この

うどんは独特なものだ。薬味の葱と七味唐辛子とつゆを麺に絡めてから食べる。「へぇー」という感想。茹でるのに

40分以上はかけるそうだが、ここからそれ程遠くない名古屋では早く茹でるために麺を敢えて薄くしているというの

に、何というおおらかさだろう。尾張と伊勢とでは価値観が180度違うようだ。

 「ぬくたいうちに、どうぞ。」(山口屋にて)

しめ飾り (SHIMEKAZARI - New Year's Decorations)

 伊勢、松阪地方では、しめ飾りを一年中飾っている。団体で観光バスなどで旅された方は気がつきにくいが、徒

歩で町を散策された方は気がついたことだろう。由来は分からないが、合理的だ。だって折角のしめ飾りをすぐに

捨ててしまうのはもったいないではないか。


二見浦 (FUTAMINOURA)

二見浦 (FUTAMIGAURA)

 二見浦は伊勢参りをする人々の潔斎場であった。だから本当はこの町を先に訪れてから伊勢に行くのが由緒正

しき参拝方法なのだろう。JR二見浦駅は、夫婦岩をイメージした駅舎に建てかえられていたが、設計者には申し訳

ないがあまり感心できなかった。

 映画『砂の器』の撮影に使われた「扇屋」に寄る。現在は旅館ではなく、レストランになっていた。映画ではこの先

に「光座」という渥美清が館長をしている映画館があることになっていたが、そうした映画館は見当たらなかった。

この辺では「赤福」の看板が目立つ。しかし私は、草津の「うばがもち」の方が旨いと思う。

夫婦岩 (THE HUSBAND-WIFE ROCKS)

 解説するまでもないだろう。しかし縁結びの神様みたいに思われているが、このしめ縄は海中の興玉神石の鳥

居だという。というわけで、右に見える二見興玉神社はその興玉神石を遥拝するためのところなのである(これで

少し賢くなりましたね)。この神社の祭神は猿田彦大神。そのお使いは蛙だという。道理で蛙の置物が多いわけ

だ。


鳥羽 (TOBA)

鳥羽 (TOBA STATION)

 最後に鳥羽を取り上げよう。ここ鳥羽はかって水軍を率いた九鬼氏が治めていた城下町。簡単に言えば海賊の

本拠地だったところだ。

 鳥羽は港町だけあって、駅前には讃岐金刀比羅宮鳥羽分社の大きな鳥居があった。駅前でタクシーの運転手さ

んに声を掛けられるが、断って海岸に出てみる。

三つ島 (MITSUSHIMA)

 天気が今一つなのが残念だ。しかし船が絶え間なく往来し、見飽きることはない。

観光船龍宮城 (RYUUGUUJOU)

 こうした観光船もあったが、乗船するのは照れくさい。松島にも似たような船があったような…。

海女の実演(ミキモト真珠島)

 私は真珠には全く興味がないし模造品でも十分に美しいと思ってしまう人間だが、世界で最初に養殖真珠を誕

生させ、財をなした御木本幸吉氏の島に渡る。真珠博物館、御木本幸吉記念館、パールプラザなどがある。ここ

はどうやら容姿端麗で、つまり美人で、標準語が流暢に話せることが採用の条件になっているみたいだ。そうした

観点から訪ねて見るのもいいだろう。

 

神島 (KAMISHIMA)

神島 (KAMISHIMA)

 鳥羽にはいわゆる高級リゾートホテルが立ち並ぶが、私はそうしたところに宿泊するよりは離島に行かれること

をお奨めする。豪華なお部屋ではないが、素朴な島の人々の人情に触れることができるし、新鮮な海の幸にも大

満足するはずだからだ。それに格段に安い。神島は三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台、歌島のモデルとなったとこ

ろとしてあまりにも有名だろう。鳥羽の沖16kmのところに浮かぶ。奇祭、ゲーター祭りでも有名だ。

鳥羽市営船 第17鳥羽丸 (No.17 TOBA-MARU)

 神島にはこの船で渡った。船旅ファンもこうした船を楽しむようになると上級者コースだろうか。しかしかなり揺れ

るので覚悟はしておくべきだ。映画のロケで島に渡った、青山京子、吉永小百合、山口百恵、堀ちえみさんらも、こ

の船に乗ったのだろう。そう思えばあなただって乗船できるはず。

神島港 (PORT OF KAMISHIMA)

 神島は蛸漁が盛んで、蛸壺をたくさん見かけた。しかし『潮騒』に出てきたような海女はもういないようだ。潮騒の

舞台を訪ねて島を歩きまわるのもいいだろう。狭い島なので、すぐにまわれるはずだ。遠見山の頂上付近には鳶

が輪を描いて飛んでいた。怪獣が出てきそうな感じがした。

 島の北側の山の中腹にへばり付くように家が立ち並ぶ。この島には建築基準法の適用があるのだろうかなどと

野暮なことを考えてしまう。平坦な島の南側には小中学校があるだけで人家はほとんどなく、北側の山に人家が集

中している。これは津波を恐れてのことだと思う。確かに今後予想される東海地震や南海地震の際には、伊勢湾

にも大津波が押し寄せるだろうし、その入口にある神島にはかなり高い津波が来ることだろう。「地震・津波に注意

すぐに近くの高台にひなんして下さい 鳥羽市」という看板があった。

伊良湖水道

 これが海上交通安全法に出てくる伊良湖水道航路。向こうに見えるのは渥美半島だ。


ここに掲載した写真はすべて私が撮影したものであり、法律上、著作権は私に帰属しますが、コンピュータにダウ

ンロードして閲覧するというインターネットの特殊性から、その主張は極めて困難と考えます。

そこで、著作権の主張は致しません。

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02/09/16