ギリシャの休日
私はFerries of Southern Europe groupというメーリング・リストに加入しているのですが、そのメンバーの一人、英
国のGeoff Hamerさんから、ギリシャのフェリーの乗船記の投稿がありました。日本船が沢山登場してくるので、船
好きにとっては、大変興味深い内容のものです。また英国人の船旅の仕方を知る上でも、興味深いものでしょう。
幸い転載の許可が得られましたので、ここに翻訳して掲載することにいたしました。なお、原文については、英語版
のページに掲載しています。
ギリシャの休日―2001年10月
By Geoff Hamer
2001年10月5日金曜日
私はPRIDE OF PORTSMOUTHに乗って、ポーツマスからル・アーブルに一晩中航海しました。私がポーツマスからP&Oで行った最初の旅行は数年前になりますが、それはSheernessから出ていた、以前のOlauの船に初めて乗船したものでした。
私の船室は車輛甲板の下でしたが、広々していました。P&Oは相部屋の設定をこの航路ではしていないので、一人で旅行する者は、4人部屋の料金を支払わなければなりません。そしてこの横断航路では、半分しかお客を乗せていないのに、船室の残りは殆どなかったのです。
出港前に防水扉が閉じられました(多くのフェリーが防水隔壁内の扉を開けたままにして航海しているのは、事件ですよ。)。しかしこのことは、車輛甲板の下にある殆どの船室には階段しか通じていないことを意味するのです。私の部屋はエレベーターの近くでした。車輛甲板の下に船室がある、最後に建造されたフェリーの一つです。
カフェテリアで急いで食事をしましたが、暖かな料理の取り合せは良いものでした。しかし赤と白のワインは制限されていて、フランスに向かう船としては、驚かされることでした(Brittany
Ferriesのカフェテリアは、ボトル・ワインの選択ができる。)。赤は、私が自分の小さなグラスに注ぐと無くなってしまい、新しい箱からワインを持って来てもらって食事を続けるのに、数分待たなければなりませんでした。料理はその後食べたのですが、良いものでした。
2001年10月6日土曜日
ル・アーブルに06時45分に到着しました。最初のアナウンスは、それより一時間前の、英国時間04時45分にありました。駅まで連絡バスが出ており、私は列車でパリに向かいました。昼食の前にセーヌ河畔を散歩する時間がありました。それからTGVでニースに行き、そこで夕食を摂りました。
ニースは大都会で、港行きのバスに乗りました。そして港の反対側(西側)のCorsica
Ferriesのバースを見つけるためにその商港を歩き回りました。ついに切符売り場に着き、カルビから22時15分に到着したMEGA
EXPRESS TWOを見ることができました。大量の乗客と自動車が素早く上陸し、23時00分にアジャシオに向けて私達は出発しました。
MEGA EXPRESS TWOは、メイン・ラウンジの中に一段高くなった仕切りの無い公室とレストランがある、変わった作りで、舞台の上で観客に見られながら食事をしているような気分になるに違いのないものでした。また、広いセルフ・サービスのレストランと、スパゲッティー屋がありました。
艫のリド・デッキはガラス張りで、船尾が見える大きな窓のあるレストランの上にあります。夜間の航海では最高速度を出しているわけではないのに、振動が激しいところでした(Corsica
Ferriesの時刻表によると、MEGA EXPRESSは日中は「高速」船として分類されているものの、夜間は「クルーズ」フェリーとして、まぎわらしく分類されている。)。
2001年10月7日日曜日
MEGA EXPRESS TWOは、07時00分に定刻通りアジャシオに到着し、続いてマルセイユからSNCMのDANIELLE
CASANOVAが到着しました。地元紙は、前の日にアジャシオを出港したNORWAYの写真を掲載していました。私は雄大な山並みの中を、列車でバスチアに向かい、そこで昼食を摂りました。
ラ・スペチア行きのシーズン最後の、HAPPY
DOLPHINの切符を買いました。13時15分出港の予定が、一時間近く遅れました。出発前5分間程、荷役作業の時間に取られ、最終航海であることを告げるサイレンが鳴りました。
私は、この船をSwansea時代に、真新しい INNISFALLENとして見た記憶があります。そのときが初めてこの船に乗船したときでした。現在はマディラ船籍ですが、船員は全員イタリア人のようです。船首を見下ろすことのできる甲板を持つ、素晴らしいオープン・デッキ・スペースがあります。内部は、絨毯と調度品が新しくされていましたが、恐らく殆ど変わっていませんでした。二つのバーが開店していましたが、いずれもビールが品切れでした(それは私のミスではないですよ。残っているビールは船員の分ではないかと思っています。)。夕食時にセルフ・サービスのレストランが開店していましたが、私はそこで何かを食べている人を見かけはしませんでした。
航海は5時間の予定でしたが、現実には6時間かかり、到着する前にすっかり暗くなっていました。町に入った時、とても激しいにわか雨が降りました。
2001年10月8日月曜日
ラ・スペチアで一夜を過ごし、列車でアンコナに向かいました。そこでパトラ行きのANEK
LinesのOLYMPIC CHAMPIONの船室を予約しました。
OLYMPIC CHAMPIONでの航海はとても興味深いものでした。公室は、「エコノミー・クラス(economic
class)」と「上品なクラス(distinguished class)」とに区別されてピレウスとクレタ島とを運航していますが、国際航路ではこうした区別はありません。振動もなく快適でした。とても乗客が少なく、車輛甲板には空きが沢山ありました。アンコナから出ている船は多すぎるので、来年は便数が減らされるでしょう。
2001年10月9日火曜日
朝、OLYMPIC CHAMPIONは、イグメニーツァに寄港し、パトラには14時30分に到着しました。アンコナを出港してちょうど19時間半のことです。天候は晴れていて暑く、ギリシャでの10日間の滞在中はこんな感じでした。パトラに泊まることにし、午後、ギリシャでフェリーの往来が最も激しいリオン近くに行きました。
アントリオンへの航路には25隻のフェリーが就航しています。最新のはランプウェイが二つ付いているものですが、多くは船首にランプウェイを持つものでした。それぞれの船は一日数時間動き、用の無い船も港に係船されています。現在では、乗客は只で乗船でき、車輛のみに料金がかかります。自動車やトラックと同様に、イグメニーツァ―アテネ、あるいはテッサロニキ―パトラといった長距離バスにも利用されており、フェリーには大きな軽食食堂もあります。2005年に橋が架かることになっていて、工事中の橋がはっきりと見えました。

OLYMPIC CHAMPION (Anek Lines)
2001年10月10日水曜日
パトラからピレウス行きの朝早い列車に乗り、ピレウスでMitilini行きのFEDRAの船室の予約をしました。NEFELIに乗ってエイナ島に昼食を食べに行き、帰りはAG
NEKTARIOS AIGINASに乗って帰ってきました。
FEDRAには荷物はあまり積まれていませんでした。その航路は、シロス島、サモス島、ヒオス島を経由するもので、NEL
LinesのTAXIARCHISがヒオス島とMitiliniを直接結んでいるのに対し、Mitiliniまで18時間かかるのです。FEDRAについて注目すべきことは、Minoan
Linesに購入された12年間に、内部は殆ど変わっていなかったということです。至る所の表示は、スウェーデン語とドイツ語のままです。
セルフ・サービスのレストランで食事をしました。料理は良いのですが、メニューの選択の幅が、他の国際航路よりはずっと制限されたものでした。FEDRAは快適な国内フェリーですが、アドリア海の良い船とは比べ物になりませんでした。
2001年10月11日木曜日
TAXIARCHISとMYTILINIが、Mitiliniにいました。後者はSAPPHOの代替船としてKavallに夜間航海することになっていましたが、現在はピレウスに係船されています。
TAXIARCHISで昼食を摂り、ヒオス島に向けて出港する前にMitiliniを見てまわりました。この船ははっきり言って駄目な船で、貨物フェリーから改造されたことが明らかです。かってSheernessとVlissingenの間で運航しようと考えられていたことを思うと、驚かされます。
ヒオス島への旅は3時間程で、TAXIARCHISで食事をする必要はなかったのです。旅館を見つけ、次の行動に出てみました。MiniotisのCHIONI
はサモス島に出ていましたが、天候が疑わしいと聞かされ、07時00分の出発だったので、面倒なことはしないことにしました。
2001年10月12日金曜日
CHIONIはまだ港に停泊していました。明らかにサモス島には行けないようでした。午後、トルコのERTURK
IIが寄港しました。トルコのチェシュメ港へはちょうど1時間で行けます。ヒオス島に軍事基地があるのはトルコがすぐそこにあるからです。
私はTHEOFILOSで、一晩かけてピレウスに行きました。ABEL
TASMAN時代の船体に客室の区画を増築した船室でした。船室は広く、窓がありました。表示はスウェーデン語やドイツ語ではなく英語でしたが、多くの公室はFEDRAのに似ていました。
2001年10月13日土曜日
THEOFILOSは08時00分にピレウスに到着しました。ティノス島、ミコノス島に行くには時間が遅すぎましたが、強風警報のためすべての船が港に停泊していました。私はエイナ島に行き、SARONIKOSに乗船することにしました。旅館を見つけ、GEORGIOS
2でピレウスに戻ってきました。それからサラミス島とぺラマ島に渡りました。これらのフェリーは旅行者よりは通勤者向けのものでしたが、係船されている船や造船所がよく見え、船舶愛好家にとってはとても興味深いものでした。ぺラマ島には、DAEDALUS、EUROPA
I、IONIAN SUN、KING
MINOSがいました。AIASに乗ってエイナ島に戻りました。
2001年10月14日日曜日
GEORGIOS 2でイドラ島に戻りました。寄港地に合わせて船尾と側面にランプがついていて、船首がかっこいい滑らかな船体でした。音はうるさいですが、高速です。イドラの町は美しく、他の島の町のように騒音で平穏を台無しにされることなく、自動車もバイクもありませんでした(Vespaはイタリアのバイクです)。
HERMESがエイナ諸島へのデイ・クルーズの途中寄港しました。Jadrolinija向けに1956年に建造された船ですが、遊覧船やクルーズ船にはギリシャ政府の船齢35年規制が適用されないので、運航できるのです。
2001年10月15日月曜日
天気はまだ晴れていて暑かったのですが、風が強くなると予報されていました。それで私はCyclades島に渡ることをあきらめました。エイナ島からSpetsesに行き、再びGEORGIOS
2に乗船しました(バーテンダーが私のコーヒーの好みを覚えていてくれましたが、3日も連続してその船に乗っていたので、おそらく私のことを気違いだと思っていたでしょう。)。
Spetsesをたち、ぺロポネスのコスタ行きの、船首から荷物を積む小型のフェリー、ALEXANDROS
Mに乗船しました。旅客船安全証書と乗客定員(夏季は263人、冬季は75人)が表示されていた点で注目すべきです。連絡バスでクラニティオン、そしてナイプリオンに行き、そこでコリントス行きの列車に乗りました。
2001年10月16日火曜日
朝早い列車でコリントスからパトラに行き、ケファリニーア島のサミ行きの、StrintzisのKEFALONIAに12時30分に乗船しました。内部は開放的で快適なのですが、バーにはサンドイッチとチーズパイ等しかないのです。この船のライバルはGA
FerriesのJETFERRY 1 で、残念なことにStrintzisの大型船は、高速フェリー程食事に力を入れていないのです。
サミからは島の反対側にあるアルゴトーリオンにまで山を越えてバスが出ています。私は地元のカーフェリーに乗ってアルゴトーリオンからLixouriに湾を横断しました。
2001年10月17日水曜日
Zakinthos 協同組合の船が現在、Killiniとケファリニーア島を結んでいます。最近までIONIAN
SUNを使ってStrintzisが運航していたものに代わるものです。午後、IONISでアルゴトーリオンに行きました。以前、ブリンデジ航路に就航していたもので、セルフ・サービスのレストラン(現在は休業中)と船室がありました。かなりみすぼらしい状態ですが、人目を引くラウンジといいオープン・デッキ・スペースがあります。
ザキントス島にはDIONISIOS
SOLOMOSで定刻通りKilliniに到着しました。かなり酷い日本のフェリーで、殆どそのままの状態で、船の上には多くの日本語の表示がありました。IONISはガソリンを積んだタンク車や危険物車輛を積むので、私たちの後を、乗客を乗せないでザキントス島に向かって来ました。
2001年10月18日木曜日
朝、私はザキントス島を周遊する遊覧船が出港するのを見ました。10月でも島の南部にあるリゾートの団体客をバスで運んで、4隻の船が運航しているのです。私はIONISでKilliniに行き、午後Rion-Antirion
ferryを見に行きました。
Minoan LinesのARETOUSAでイタリアに帰りたかったのですが、木曜日の夜便は満席で、部屋無しの乗船しか出来ませんでした(このことは多分、DAEDALUSの金曜日に運航していた便から乗客が移ってきたものと思う。)。それで代わりに、2年目の運航のBLUE HORIZONでベニスに帰ることにしました。ARETOUSAとANEKのLEFKA ORIがトリエステに向けて出港する直前の零時を回ったころ出港しました。
2001年10月19日金曜日
朝早く、イグメニーツァに寄港し、アンコナ―パトラ間を結ぶ途中のMinoan
LinesのIKARUSが、近くに停泊しました。その上部車輛甲板は空のようで、離れたところに2台のキャンピング・カーが見えました。BLUE HORIZONのプールには水が張られていましたが、利用している乗客は殆どいませんでした。天候はアドリア海を北上するにつれて、明らかに涼しくなってきました。しかしギリシャでの滞在中天気が良かったので、気にはなりませんでした。
2001年10月20日土曜日
BLUE HORIZONは、ARETOUSAより早く、08時00分に、霧のかかったベニスに到着しました。私はベニスで朝を過ごし、修理中のリベリア船籍のTOLETELAを見ました。それからパリ行きの寝台車に乗る前に、Daniele
Miglioに会いにボローニャに行きました。
私はディエップ経由で戻りたかったのですが、夜行列車は1時間以上遅れ、接続が出来ませんでした。それでカレー経由でSEAFRANCE
CEZANNEに乗りました。
G P Hamer, 28 October 2001
Posted with permission from Geoffrey Hamer
旧日本船
10月13日
DAEDALUS(10,417G/T)/Minoan
Lines/おりおん(1973年建造)/大洋フェリー
KING MINOS(10,164G/T)/Minoan
Lines/えりも丸(1972年建造)/日本沿海フェリー
10月16日
KEFALONIA(3,473G/T)/Strintzis
Lines/びなす(1975年建造)/東日本フェリー
10月17日
DIONISIOS SOLOMOS(4,309G/T)/Anmez/ロイヤルかわのえ(1990年建造)/四国中央フェリー
10月18日
BLUE HORIZON(27,230G/T)/Strintzis
Lines/ばるな(1989年建造)/東日本フェリー
LEFKA ORI(29,429G/T))/Anek
Lines/はあきゆり(1992年建造)/東日本フェリー
長崎のばるな(東日本フェリー)
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