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ビル・モーゼス「フェリーガイド 2003・4年版」

Bill Moses, Ferryguide 2003/4 (Seatrade, 2003)

フェリー業界展望(29頁―37頁)はじめに

 クルーズ事業に続いて、ロール・オン、ロール・オフ型のフェリー産業は、海運業において最も新しい部門の一つである。多少の例外はあ るものの、持続的な輸送量の成長と季節に応じて旅客と貨物を混在させることのできる能力が見られ、順調であるとも言えよう。多くの運航事 業者が直ぐに挑戦を認識し、「在来型の」多目的船を、よくそう呼ばれてはいるが滅多に定義はなされていないRoPax船(注、ロール・オ ン、ロール・オフ型の貨客船)と代替して、貨物と、そして殆ど予言できない、時として気まぐれな旅客市場とが対立する中で、湧き上がる潮 流に注意を払ってきた。

 燃料費が必然的に運航者にとって気になるものとなり、過去8年以上の間、ギリシャ市場に見られたような高速船建造の熱狂を再び見るこ とは決してないだろう。世界的に運航者が燃費の圧力を受けている中で、より良い解決策は、甲板空間と載貨重量という条件の中で最も収益を 生み出すものとして、25ノット位で妥協することとなるであろう。船の側面線図で知り得たことから拡張するほど、市場はまだ勇敢ではない が、計画は出されており、既存の港湾施設を使う可能性が最終的にはあるかもしれない。

 RoRo船は、極端なことを言えば、現代の木材運送から何時の時代にも見られてきた船に至るまで、幅広く分布している。こうしている うちに業界はトレーラーの収容力に欠けていることに気がつかず、老朽船が我が(=英国)海域から姿を消すか、より儲かる市場に移転する か、あるいは軍事物資を大量に動かす必要性から、状況が悪化することとなる。標準的な貨物船と、その後に続くRoPax船か更に良いもの に進歩した船という、2つの解決法が認識され、混成の設計が要請されている。

 高速フェリー部門に存在する楽観主義が、徐々に造船所の市場調査部門や船舶仲買人、既にそうした船を保有し運航している者から出て来 ている。

 業界は多くの船舶を抱えて船腹過剰であり、その多くの船舶は明らかに船舶仲買人の帳簿に搭載されているか、あるいは業界トップの会社 が隠しているかである。いずれにせよ、業界はそれに対処していかなければならないのである。

 車輛搭載高速フェリーの熱狂は、1990年代を象徴するものであり、今や多くの国にある船の約半分は、傭船するか購入できるよう修理 の用意が出来ている。高速フェリー建造で先頭に立って歌を歌っていたIncatの崩壊と再編は、ある種の見栄を張っていたものであり、些 か神経過敏な部門から太鼓を叩いていたものである。

 儲かっている運航の例がある一方で、運航費用と燃料費を巡る敏感な状況は、最も経験の豊富な運航者や沈滞の中で留まっている業界に とって頭の痛い問題となっている。もし顧客が、速いが快適ではないホバークラフトに乗るために、在来型のフェリーよりも27%も料金が高 いHoverspeedに金を出す日が直ぐにも戻ってきたならば、高速フェリー部門は1夜にして回復することだろう。

 都市間、国家間、大陸間を結んでいる必要なフェリー運航は、今日における定期船の運航なのであり、時刻表が船舶、運航、航路、そして 船主に課せられていることから、それが将来の危機や事業不振を避けるための運営努力を妨げている。フェリー事業は全く珍しいものではない が、変動費の多くは実際のところ全く不動で、最小限の安全水準を保つ人員に職員を削減することは難しいのである。労働組合の強さとその姿 が、未だに存在しているところがあり、今日において多くの者が信じられないような、非現実的な高額賃金と労働条件を獲得する結果となって いるのである。多くの点でバルト海が最も進んでいるが、それにもかかわらず港湾の良く知られた経営者にとって、労働協約が困惑の源となっ ているのであり、結果として、将来の投資がかなり制限されたものとなっているである。

 1999年には、ヨーロッパでの免税販売が終了となった。当時、それに代わるものや業界が生き残れるかという点に関して、かなり誇張 されて論じられていたものだった。我々は主力の免税販売という財政的に不調和なものに代わる改良された小売に見込みがあると見てきたが、 観光客に陳列棚の上にあるものが新しくなっていることを殆ど説得できていないのである。多くのフェリー運航者は香水、ビール、ワイン、タ バコに集中し、それを高く積み上げて、「免税」で安く販売する戦略に出ている。バルト海とオーランド諸島は免税地域に留まり、 Viking Line、Si|ja、Tallinkの領分となっている。この地は、我々の多くが忘れてしまった価格で製品を販売する機会に恵まれているのである。

 クルーズ部門や、1、2の例外とは異なり、フェリー業界はその独自の小売の方法の開発に失敗している。その虜となっている顧客は僅か であり、一方、かっての多くの免税航路と同じようなコースを利用している平均的な乗船客は同じような人数に回復しているが、総収益は以前 の水準の約3分の1なのである。

 免税販売で幸運にも十分に潤っていた運航者も、そうではなかった者も、高級商店街では既に死に絶えてしまったような種類の小売によっ て、何とか船内を活気付かせようと未だに必死である。高級商店街の小売業者はどこでも、顧客を店に入れてからしばらく扉に鍵をかけ、期待 できる客を観察しているのである。

 どんなフェリー、クルーズ船、航空会社の旅行者でも、通常よくある陸上の店とは別に、「捕われの聴衆」を連想させられる特徴を持つも のとして捉える意欲を、この業界は何故だか失っている。

 フェリー運航者は、概して小売の技術に注意を払わないものであり、免税航路においてはこのことは殆ど重要ではないものである。という のは、補充すれば商品は陳列棚からさっとなくなるのであり、現金箱にお金が入るたびにその60%の儲けが入るからである。

 現在クルーズ部門が船上で行っているサービスや水準の評判を追い求めて、フェリー産業が注目を集めることもあるだろう。

 現在まで船上でのパッとしないサービスは、多くのフェリー運航者においても共通に見られ、それは高速道路のサービス・ステーションに 毛の生えたようなものなのである。目的地に行くだけの旅行を、繰り返して乗ってもらうものにするためには、現在顧客に対して提供されてい る水準やサービスは、かなり改善する必要がある。繰り返し乗ってもらえることは最も重要なことである。というのは、何度も乗船してくれる 忠実で満足している顧客に、何度も宣伝をする必要がないからである。

 easy-Ferry(=お気楽フェリー)やeasy-Cruise(=お気楽クルーズ)と言われるようなものへの移行の可能性は、 これとは正反対のものであるが、もしそうなったら、少なくとも顧客は酷い水準のサービスを受けることを知ることとなるだろう。

 一方、顧客サービスは市場占有率を獲得するための戦争における次の戦場の一つとなり、クルーズ産業の同一の機能を実行した人達がより 役立つことであろう。つまり同一の機能というのは、人材募集、雇用、訓練、規則的な管理、監視を統合したものであり、早晩フェリー部門に も導入されるべきものである。一旦始まったら、横並びで加速するだろう。

 運航する側に立てば、遂に、輸送品と、比較的利益画出る貨物・旅客とのちょうどよい甲板収容力の割合を認識し始めているのである。

 業界は過去においてゆっくりとではあったが、輸送貨物の重要性を知り、この成長し続ける部門に対する適切な収容力を備える必要性を認 識してきた。同様に重要なことは、市場占有率が、利益、船員、株主、そして顧客の順、という不健全な優先順位を付けている事実である。こ れを理解することが難しい理由は、海運業界のこの部門において利益を得ようとする動機が、しばしばエゴの二番手に置かれて来たからであ る。

 競争相手の貨物置場がいつも一杯であると考えたがる傾向があるが、それは時に比較的知らないものに手を出させることともなる。一例と してギリシャの船隊の大部分に見られた(新船建造の)熱狂は、一夜にして予想通りの船腹過剰となり、これら高価な化け物を処理しようと、 自暴自棄になっているのが挙げられる。

環境

 「年老いたご婦人(=古い船)」の多くがリサイクル(=再利用)、すなわち現代の用語でスクラップに回されているが、未だに地中海に は多くの老朽船が運航している。多くの機能は全く良好であるが、余り知られていないかもしれないが、法令は益々その寿命に制約を課してい るのである。環境問題がどこでも重要なものとなってきており、地中海諸国の中には、バルト海諸国のような、それに取りつかれているところ の水準に負けないように長らくやってきているところがある。

 ブリュッセルのIMOの法令の前進と、何だか特徴のないギリシャ政府の始めたことは、Express Saminaのような事故により加速された。加えて廃棄物規制は老朽船に圧力をかけることとなり、ギリシャの動きを加速させ、旧英国鉄道連絡船のようなものが、最新の船舶 に取って代わることとなり、それが頭の痛い問題となっているのである。

 時が経てば判ることである。一方、今年はギリシャのEU代表の任期であり、海運大臣の海事問題に関する話し合いが優先事項となると言 われている。

設計の進歩

 余りにも速く、あるいは余りにも多く海運が成長すると、次にはその反動と敗北の時期がやって来るものである。ギリシャのフェリー業界 には、この法則が例外なく当てはまる。ここのフェリー業界を振り子にたとえたならば、アドリア海とエーゲ海市場は、老朽船から極端に現代 的な高価な船舶に振り子が振られており、この市場においては商業的にも株式市場においても、それを維持する余裕はないのである。

 航路や輸送の型に関してはその最終的な目的が何であれ、船舶にとってはあらゆる面において利益を出すことが必要である。今日の洞穴の ような化け物(=大型船)の魅力に過度に興奮する前に、あらゆる点において「正気かどうか点検」をして、正しい質問をし、注意深く調査す ることが急務である。説得力ある造船所の売り込みに直面したら、これを無視して戦略を練った例は数多い。単なる情事は、しばしば別居や離 婚に終わるものである。

 過去10年間の様々な地中海市場で見られる技術的革新は、他の航路にも広がり始める出発に過ぎない。熟慮し改良した水準で、経済運航 と安定した競争力により、運航者はつま先で立ち続けることができるのであり、運航が減便になって驚いたりはしないのである。

 更に、地中海の海運において重要な変化が生じている。最近のTrasmediterraneaの民営化が先触れとなり、それに引き続 くTirreniaやFincantieriの機は熟している。エゴが成功の棚に分類される限り、運航者が財政的期待から、数え切れない 戦略的連盟を組む可能性もある。

十分な料金

 近海(=ドーバー海峡)フェリー運航が複雑な時刻表から離れて、自動車の小型、中型、大型、超大型の区分に運賃体系が変わったのは 20年あまり前のことである(注、鉄道連絡船が廃止されてカー・フェリーに転換されたことを指す)。このことから、車輛と殆ど切れ目のな い貨物が、旅客よりはむしろ車輛に基礎を置いた運賃で運航されていたものの、旅行しようと思う者はもとより、予約受付係をも困惑させる非 常に複雑なものとなっていたのである。この運賃体系の変更は、以前とは対照的に車輛甲板の収容力の「痛い所」には、少ししか影響を与えな かった。船の旅客収容力は、進歩した秘蔵品(=乗客)の攻撃の下で、最初に強制されたものの一つであった。Henry Maxwellは、長らく就航していた古典的な鉄道連絡船Canterburyについての本の中で、貨物が増加していた戦後の時代を次のように書いている。

 「飛行機と自動車が、旅客運航のうまみを奪ってしまったのである。しかし季節観光客と遊覧旅行は、「豊かな社会」になるにつれて増加 した。イギリス海峡を横断した汽船は、7月から9月にかけては超満員で、船員も雇い過ぎていたが、冬になると半分か、あるいは空船で運航 していたのである。」

 しかしフェリー業界はそれ以来、概して追い付いて来た。今日の会社は積荷を増やそうと必死であり、閑散期には価格で人を惹きつけ、す れすれで販売し、荷物はサービスで市場から惹きつけようとしているのである。しかし価格はしばしば本当に儲けの出る事業とは明確に一線を 画して、輸送量と市場占有率を欲するが故に非科学的なものとなっている。この結果として、冬と夏の料金が違うことに顧客が気がついて信用 を失い、顧客は安売りを殆ど果てしなく捜し求め、インターネットがその助けとなると共に、唆してもいるのである。

 フェリーは収容力に余裕を持たせているため、旅客、貨物共に、土壇場の顧客や「飛込みの」顧客を生み出してきた。こうしたことから、 あらゆる事態に対処すべく運航者は意図しているよりも多くの従業員を雇い入れてしまうという問題が生じている。これは多くの会社で生じて いるものであり、より柔軟な体制で素早く対処することで、コストを明らかに減らすことができる。

 ある分野では、例えばインターネットがその好例であるが、軌道に載っている。混雑する航路では、料金表と時刻表を特に単純にする必要 があるだろうが、200人から300人の職員のいるコール・センター(=電話予約受付施設)は、ある日、過去のものとなることだろう。

 同様に切符販売や旅行代理店も、その身が危うい者の名簿に名を連ねている。旅行代理店は殆ど何もしないで利益だけ得ているとしばしば 非難されている者から、背後の市場占有率を引きちぎるため運航者が努力している中に留まっているのである。

 長距離航路はいつも、A地点からB地点に行く旅行者のみならず、バルト海に見られるような、船上の施設で遊ぶ暇な乗客をも獲得すべ く、常に努力する必要がある。反対に、我々は短距離航路を注意深く分析すべきである。今や固定化された競争や免税販売の廃止、そして特に 60%ものとんでもない儲けといった問題を抱えている。低価格運航の例は世界中にその例があり、飾り気のない、金のために価値を踏みつけ たような概念が、大変な圧力のかかっている既存の運航者に圧し掛かっている。その古典的な例を日本のある航路に見ることが出来、そこでは 顧客にひとまとめに誂えたもの(注、冷凍食品や飲み物等)を提供するために、豪華な食堂に自動販売機が置いてあるのである。

 インターネットは運航者がかってない範囲でその紹介を顧客に対して出来るもので、旅行しようと思う者が、運航期間、船内設備、航路 図、特に価格を、旅行代理店に出かける面倒なくして知ることができるものである。

 北ヨーロッパにおいては、このことによってコール・センターの経費削減に多いに役立っている。しかしそれにも拘らず競争からは逃れら れず、顧客を永遠に水平線のかなたに消してしまう誤解の日々は続いている。大手の運航者は殆ど役に立たない高級商店街の旅行業者に門戸を 閉ざしていたのをこれまでのところ急に止めたが、この動きは、一度はインターネットに本当に心を奪われた者にとっては避けられないもので ある。

 南ヨーロッパはしばしば展望するのが難しい。というのは伝統的な海運習慣は、しばしば多すぎる雑然とした予約事務所を生み出し、近代 的な快適な船舶を待ち焦がれるものだからである。

船舶

 ギリシャ人がコンテナ船をクルーズ船に改造したり、油槽船(タンカー)をフェリーに改造したりする方法を我々に教えてくれて以来、こ の種の革新は見られなかった。概して資金調達が強固でより残存する価値に関心を持つ必要のある市場は、より発明の才を求めて、取り外し可 能な旅客設備から、法令集は言うまでもなく船級協会に挑戦し、収容力を天候に応じて変えることも可能にさえしようとするものである。工学 技術の手柄とされる船舶の「拡張」は、今日の状況においては、陳腐な、些か価値のないものとなっている。

マルコ・ポーロの新しい話は?

 Marco Polo(マルコ・ポーロ)というのは、ブリュッセルが率先して道路の混雑解消や環境問題、費用等のあらゆる問題に取り組んだ先取のコード・ネームである。この Autostrade del Mareに因むイタリア人は、多くのEUの沿岸問題の先頭に恐らく立っていることだろう。

 概念は健全であり、地域によっては道路の混雑解消は大変に必要なことではあるが、港湾の多くは、船舶や貨物を扱うのには不十分な施設 しかなく、より挫折を深めることとなっている。

 こうしたものに振り向けられる予算は、フェリー部門の次の重要な段階への準備としては、泣きたくなるほど不十分なものである。

まとめ

 免税販売の終了、口蹄疫、安全規制、固定的な航路、更に格安航空会社との競争は、すべて事業にとってマイナスとなるものである。新し い安全性や海員の労働時間規制、そして燃料費の段階的引き上げは取締役会議事録には到底記載されないものであるが、時と共にこうした影響 は減少している。

 全ての者に困難が襲いかかるが、現実のものか想像上のものかはともかく、海運業界のとても魅力的な部門の一つが、静かな海域を探して 戦うことを強いられるであろうことは疑いがない。

次に何が起こるか?

 我々は短期的・中期的にはそれほど多くの驚くべきものはないと見ている。ヨーロッパから日本までのフェリー業界は節約モードであり、 貨物船から旅客船に転換して、海には「拡張したもの(=大型船)」を浮かべて、戦略を修正し実行しているのである。しかし例外はあり、前 に見たように、小規模の運航事業者が来るべき車輛のヘッドライトを捕えて先頭を走る傾向はある。

 Color LineとFjord Lineは、英国での口蹄疫の脅威の余波に不平を言わずにトップ争いをしている2つの会社であるが、恐らくノルウェー人船員の人件費が不平等であることが表面化するだろ う。こうした試みにも拘らず、Color Lineは最大のフェリーであると宣伝しているものを発注し、Fjord LineはSpirit of Tasmaniaを購入して、Fosen建造のRoPax船を、バカ騒ぎで浪費しているDFDSに移籍させているのである。

Information

 2003年当時、私はビル・モーゼス氏が始めたフェリー・コンサルタント会社の日本通信員をしており、この「Ferryguide 2003/4 」にも、日本のフェリー情報の記事を書かせていただいておりました。

 同氏は、Sally Lineの最高経営責任者だったこともあり、このSally Lineについては、Geoffrey Breeze, Miles Cowsill, John Hendy, Sally Line the complete story' (Ferry Publications, 2001)に詳しく纏まっています。また海峡フェリーの経営にも関わっていたこともあり、経営者の立場からフェリーやクルーズ船を見る視 点というものを教えていただいたものでした。そういう意味では、私の恩師の1人です。

 本稿は情報が古くなっていますが、2003年当時の記録として掲載することにしました。